Chapter5-3
足裏に感じた煉瓦を踏んだ感覚は、踏み出した体重をかけるとすぐに崩れてなくなった。
宙に浮きだした靴の下に目をやると、踏み固められた赤い粉が出来ている。
聖神堂から離れて数分。五人は学園出口である校門の方向へは進まず、学園の奥にある校庭の方面へと足を進めていた。
どこもかしこも損傷がひどく、無傷な校舎、建物は見つからない。
今が何年かは不明だが、少なくとも二百年守られた学園は、もうその機能を果たしていなかった。
「みんな、どうしちゃったんだろう……」
腰から下げた紅迅に手を掛けながら、織葉がぽつりとつぶやいた。
歩きなれた学内。それは崩れ形がなくなっていても、そこがどこか分かってしまう。
研究棟も魔術師校舎も、悲しいまでに崩壊してしまっている。
「それも気にはなるが、さっきまでの爆発は一体何だったんだろうか」
タケは両手にアスロット・シャミルを携え、周囲に目を光らせながら言った。
聖神堂内で聞いた、最深部にまで届く大きな揺れ。そこそこの爆発と見られるそれであるが、久たちが聖神堂から出た後は、その爆発は一度も起きていない。
それに、学園内に爆発跡は一つも見受けられなかった。
校舎は崩れ壊されているが、火災の形跡もないし、爆発で地面に穴が開いたりもしていない。
あの揺れや音は幻覚やその類のものだったのだろうか。
聖神堂という異質な空間が、またしても五人を少し狂わせてしまっただけなのだろうか。
「着いた。校庭、だよ」
皆のそれぞれの思考で悩む中、織葉が喉の奥から声を出した。どこか誰かに聞かれていないかと疑心暗鬼になりかけていた織葉の喉は、思った以上に音声のボリュームを意図せず下げていた。
崩れた校舎と校舎の隙間の道。かつては綺麗に剪定されていた街路樹の脇の道の先に、開けた茶色い地面が広がっている。
五人が進んでいる道は次第に緩やかな下り斜面となり、そのまま校庭の中に足を踏み入れた。
かつて多くの生徒で賑わい、幾多の行事を盛り上げるためにおしげない提供をしてくれた学園の校庭は、どこか疲れているように見えた。
あたりに点在する雑草たちはみな一様に枯れかけで、とても弱々しい。少し突いただけでその葉が割れて四散しそうなほどだ。
五人の足はいつの間にか、校庭のほぼ中央にまで運んでいた。かちかちに酷く乾いた校庭の堅さが、ブーツ越しに五人の足に伝わってくる。
五人は誰かが声を発したわけでもなく、その中央で足を止め、進んできた道を振り返った。
校庭の向こうにいくつか見える、崩壊した学び舎。その悲惨さは、遠目からの方がよく見え、そして余計に痛々しかった。
「先生が、あんなに頑張ってここを守ってたのに……こんなの、あんまりだ」
口惜しさが溢れる織葉。その元気な赤い髪も、どこが萎びて見える。
ゆいのリューリカ・シオンから伸びていた魔力線を辿り、天凪桃姫の魔力全てを用いて訪れた場所、未来。
その想像と全く異なったこの地に、本当にゆいは存在しているのだろうか。
「それに、誰とも会わなかったわね」
ジョゼは手に掴んでいた一枚の手裏剣をポーチに戻すと、鼻から息を抜いた。
「やっぱさ、学園から出てみるべきじゃないか? 今でえーと、もう三時だぜ?」
ハチはポケットから時計を抜き出すと、その文字盤を凝視する。
時計の長身と短針は四十五度に開いており、それは聖神堂から一時間経ったことを示していた。
「そうね。あまりのことで驚いちゃったけどそれが良いと思うわ」
学園の酷い惨状を見て足を進めてしまっていたが、どうにもここには新しい情報がない。
もう一時間も使ってしまったというハチの提案に対し、ジョゼは賛成した。
「そう、だな。元来た道を戻る――」
「おい、久! あれを見ろ!」
校庭の中央で、タケが驚きの声を上げた。
久の声はかき消され、四人はタケが強く指差す先を凝視した。
「誰か、いる!」
タケの細い指の指し示す先。自分たちが先ほど通った校庭に続くスロープのあたりに、黒い服を着た人が立っているのだ。
遠目からで詳細は不明だが、遠くのその人物は桃姫のローブに似たようなものを羽織っているのか、全身が真っ黒だ。 しかしその姿はどこから見ても人型そのもので、ローブに隠れてるとはいえ、腕や足の形が見て取れる。
「とにかくあの人に状況を訊ねてみようよ」
思わぬタケの大声に刀に手を掛けていた織葉だったが、その手を下ろし、タケと同じく遠くの人を指差した。
「それが良さそうだ。向こうもこちらに気が付いているみたいだし、逃げる様子もない。何か聞き出せそうだ」
久は素早く四人の顔を見回し全員の顔色をうかがうと、ジョギングするような速さで校庭を駆けだした。
全てが絶滅したかのような、何時かのユーミリアス。
そこでようやく見つけた、一人目の遭遇者。
五人はようやく何か得られると確信し、スロープからこちらを凝視したまま動かない人物の元へと駆けていく。
晴天と緩やかな風。乾ききった校庭を駆けてくる五人を見つめる二つの目。
黒い人物と五人の距離はどんどんと近づき、その距離はもう、五十メートルを切った――
「久! ちょっと止まれ!」
刹那、踵で急制動をかけたハチが、幾ばくかの砂埃を舞わせて叫んだ。
「なっ、どうした?」
静止したハチの少し前で動きを止める四人。
四人はハチの顔を凝視し、その急制動に疑問を投げかけた。
「久! あれは、人じゃない!」
四人の視線が降り注ぐ中、ハチは誰とも視線をぶつけることなく、まだ先の黒い人物を睨みつけながら、ポーチに手を掛けた。
「えっ……? お前、一体何を――」
「見ろ! あいつは“影”だ! あの錬金術のヤツだ!」
睨むハチの鋭利な瞳は、確かに捉えていた。
真っ黒な全身、漆黒の肌――
そして、背面で隠し持つ夜を具現化したかのようなナイフと、向こうの景色を見透かす、透明の両眼。
あれと会うのも、数年ぶりだ。
もう一生涯会いたくないと心に刻んだ、あいつと五人はまたしても邂逅した。
校庭の五人を見つめるのは、一人ではなかった。
大きな瓦礫の影、めくれた地面の穴中。そして、崩れた校舎の隙間――
彼らはしゃがんで動き、五人の死角を取るようにしながらも、その瞳と意識を、校庭の中心で固まる五人から外さなかった。