Chapter4-4
「ここに、ですか?」
「ええ。これから魔法陣を形成するから、まだ立たなくていいわ」
五人は振り向いて台座を確認するが、そこは確かに小さく狭い。一本の杖を安置するには十分だが、青年五人が入るとなると話は別だ。
石台は直径一メートルほどで、五人が立って入るには確かに狭い。かなり密着しなければならないのが、台座に立ち入る前から見て取れる。
「それと、今から形成する魔法陣だけれど、形成に血が必要で、今から私、手を切るの。だから、その間だけ後ろを向いていてくれないかしら?」
「ええっ!? 血もいるんですか!?」
あまりの驚きに台座から一瞬で桃姫に、向き直る織葉。真っ赤な両目は真ん丸になるまで見開いており、今にも落ちてしまいそうだ。
「だ、大丈夫よ。死ぬほど取られるわけじゃないわ」
驚きのあまり、今にもにじり寄りそうな織葉を静止させる桃姫。両手を前に出し、開いて見せた。
「わ、わかりました――お前ら! 全員後ろ向け!」
桃姫の方向に一歩踏み出していた足をひっこめると、織葉はジョゼ以外の男三人の両肩を強引に掴み、体を無理やり反転させた。
「ほら! 耳も塞げ!」
「えぇ!? 耳もかよ!」
男三人の頭を往復もぐらたたきの様にばしばしと叩き、何故か耳まで塞ぐように怒号を飛ばす織葉。
三人は必死な織葉をどこか可愛く思いながら、やれやれと両手で二つの耳をふさいだ。
「よし! 先生! いいですよ!!」
一列に並んだ四人が桃姫に背を向け、ぴったりと耳を閉じたのを確認すると、織葉もその列に並び、横に倣った。
「ありがとう! 終わったら言うわ!」
数メートル先で耳を塞ぐ五人に、桃姫をやや声を張る。五人は振り向かず、そのままの視線で頷いて見せた。
横一列に並ぶ、五人の男女。
身長はばらばらで、高低差の大きい不規則な折れ線グラフのようだ。
背中に担う武器も、上着の種類も、髪形も髪色も全員違う。
どこもかしこも全く異なっているのに、心はいつも同じ場所で、固く強く一つに繋がっている、久たち五人。
(彼らの一番の強みは、本当にこの絆の強さだものね)
決して大きくはない五人の背中。決して筋肉隆々ではない五人の手足。
それが桃姫の眼には、本当に頼もしく見えた。
本当に素晴らしく思えた。
(この子たちに任せて、本当によかったわ)
桃姫はそれを確認すると、杖から静かに手を離した。すると迅雷輝星は引力に従うことなく、その身を真っ直ぐにしたまま、桃姫のすぐ脇に浮遊した。
ふわふわと微かに上下に揺れながら浮いている迅雷輝星を少し見ると、桃姫はローブの中から一本のナイフを抜き出した。
鞘から抜かれ露わになる刀身は、薄暗い堂内でもよくわかるほど研磨され、鋭い切れ味を保っているのが分かる。
桃姫はナイフを右手に持つと、開いた左の掌に刃部をあてがい、それをゆっくりと引いた。
(つっ――)
鋭利な刀身は桃姫の掌の上を滑ると、音もなく皮膚を切り裂いた。
直後、出来たばかりの切創痕が真っ赤に滲み出し、真っ赤な縦線を一本、掌の上に作りあげる。
桃姫は血が滲む左手にナイフを持ち替えると、同じように利き手である右手も切り裂いた。
研がれたナイフはすっぱりと皮膚と肉を斬り、じゅわっと鮮血を溢れさせる。
桃姫はかすかに震える手でナイフを仕舞いこんだ。
心臓が手に移ったかのように鼓動する手でしっかりと鞘に戻すと、浮いたままの長杖に手をやり、そして、思い切り掴んだ。
(くっ……!)
ざらつきのある迅雷輝星の柄が、出来たばかりの傷に幾つも食い込んだ。ほんの微かな大きさの棘が、容赦なく傷口に食い込み、鋭い痛みをいくつも与える。
すると、今にも手から零れそうだった桃姫の鮮血が、布に吸い込まれていくかのように、杖へと姿を消した。
迅雷輝星が、桃姫の血を啜っている。
依然として手に強い鼓動を感じる。
しかし、先ほどまで出ていた血液は一滴たりとも垂れようとしない。
もはや流れ出た分を舐められているというよりも、傷口を経由して血管から血を吸われているかのようだ。
(このくらいで、いいかしらね)
もはや手のひらまで綺麗になった様を見ると、桃姫は少し握る手を弱め、そして、声を上げた。
「みんなありがとう! もういいわよ!」
すると眼前の五人はゆっくりと耳から手を外し、恐る恐る桃姫へと振り返った。
「もう、大丈夫なんですか……?」
桃姫の顔と杖を握る両手を交互に見ながら、ジョゼが恐る恐る尋ねる。
それに対し桃姫は首をゆっくりと縦に振って見せた。
「ご協力ありがとうね。それじゃあ魔法陣を構成していくわ。私の書いた所を踏んだり消したりしないようにね」
と、桃姫は一つ注意すると、杖の柄尻を地面に着け、大きな筆を操るかのように、八角形の祭壇に魔法陣を描き始めた。
インクを含んだ筆の様に迅雷輝星から赤い墨が溢れ、祭壇に線を引いていく。
奇妙な形の岩石を覆うように八角形の線を引いた桃姫は、その内部にいくつかの同じ八角形の線を引き、その線間にあの黒い本で見かけたような、解読不能の文字のようなものをびっしりと書き始めた。
「すごい、複雑だ……」
見る見るうちに出来上がっていく魔法陣を見て、タケが驚きの声を漏らす。
魔法には疎いと言っても、基礎的なことは理解しているし、何よりこの魔法陣の構成は目を奪われた。
こんなに複雑に線が絡み合い、その間に文字をここまで埋め尽くすものは見たことがない。
頂点から延びる縦線は対角へと延び、それがまた違う角へと延びていく。
一見法則性がありそうで、実のところそれを見つけられない。
しっくりくる形であるのに、どこかアンバランスで歯痒い。
言い表せない既視感と違和感を放つ魔法陣を前に、五人は口を開くことができない。
「さて、それじゃあ中央に立ってくれるかしら」
呆然と固まる五人に対し、最後の呪文を書き終えた桃姫が口を開いた。五人ははっと我に返ると、中央の台座へと歩を進め、その上に立った。
やはり五人全員で入ると狭く、背中がぴったりと密着する形になる。
だがいざ立ってみると台座から落ちることはなく、五人はその台座上に狭いながらも収まった。
「オーケー。それでいいわ。それじゃあちょっと失礼して――」
五人の収まりを確認した桃姫は、織葉とジョゼの隙間に迅雷輝星を差し込むと、それを五人の背中の真後ろ、台座の中央に安置した。
五人は首だけ動かしてその姿を見ると、迅雷輝星は台座に刺さったわけではなく、台座中央でその身を浮かして動きを止め、先端の金のクリスタルは鼓動の様に光を強弱させていた。
「これで全て完了よ。五人とも、準備はいいかしら?」
迅雷輝星を戻し、両手がフリーになった桃姫が、台座上の五人と愛杖に問うた。
「いけます。大丈夫です」
問いに対し、ギルドリーダーが返答した。
「よし、それじゃあ最後の説明をするわね。皆が未来からここに戻るとき、迅雷輝星を皆で握って。それだけでこの時間、この場所に戻ってこられるわ」
「それだけでいいんですか?」
背中を引っ付け合う、五人の男女。
そのうちの一人、茶髪の女性がもぞもぞと動きながら訊き返す。
「ええ。それだけよ。その杖の中には魔力素子化の魔術で、ゆいのシオンを仕舞ってある。ゆいを加えた六人が迅雷輝星を握ればそれを介して、シオンの魔力線に繋がるの。それでここまで戻ってくるって仕組みかな」
おそらくはもっと複雑な機構や魔術の類を施しているのだろうが、桃姫はその説明を省き、簡単に帰還の仕組みを説明した。
「分かりました。必ず六人で杖を握って、ここに戻ってきます」
桃姫の正面に立つギルドリーダーが、頼もしく返答して見せる。
「私は着いて行くことも出来ないし、皆をサポートすることもできない。それでも、この時代からずっと、みんなの帰還を、祈り待っているわ」
桃姫は今一度三角帽を取って頭を深々と下げると、六人に大きな感謝を向けた。
これから行く先は未来か、あの世か。それとも予想のつかない場所なのか。
それでも五人は背中を預けあった。誰一人、そこから抜け出そうとしない。
いつだって一緒。常に心はともにある。
(あなたたちの最大の武器は、その絆と繋がりだから)
いつか桃姫が言った、五人、いや、六人の本当の強さ。
そして桃姫は頭を上げ、強く握っていた帽子を被りなおした。
何もかもがバラバラな六人に預けられる、自分の運命、そして、最後の願い。
(私の持てる、全力で――!)
「我が桃姫の名において命ず――稲妻の皇帝よ、我に力を貸したまえ!」
桃姫はその最後の力を、最後の魔力を、発声した真名詠唱で、自信の金色の魔芯を震わせ、轟かせた。
刹那、祭壇の五人に強い揺れが襲い掛かった。
床が抜けたかのような、がくんと強い衝撃が足裏から響き、太ももと腰を震わせた。
膝に掛かる、痺れるような衝撃。本当に地面が揺れているのか、視界だけが歪んでいるのかわからない。五人はただ、突如始まった強烈な揺れに、背中を押し付け合って耐えようとする。
「ぐぅ! すごい……!」
耐えるジョゼの口から苦しい言葉が漏れる。襲い来るのは今度は横揺れだ。
しかし、脚は地から生えた腕に掴まれたかの如く動くことも動かすことも出来ず、ばねを腰部に仕込んだ踊る玩具の様に、五人は上半身を強く揺さぶられる。
「これは、きつい……!」
脚を掴まれる強烈な揺れに、久も思わず言葉を漏らす。
何回も転移魔術は経験した。建造物の崩壊や地割れも経験した。
だが今回の衝撃はそれの比にならない。
本来であればとっくに倒れ、その衝撃を体から逃がせるが、今回はそれが許されない。
骨も筋肉も、内蔵も血液も。強く大きく揺さぶられ、その振動の限界を超えてもなお、まだ揺れは収まろうとしないのだ。
ぶれる視界。重なり狂う音。
しなる身体、互いにぶつかり合う、肩と背中――
眼前にいるはずの桃姫の姿は荒い残像のようにぶれ、その輪郭を完全に溶かしている。
詠唱している筈の言葉も重なって混ざりあい、理解不能の言語どころか、雑音の集合体としか認知されない。
「うっ、ぐぅおっ……!」
両肩に圧し掛かる重圧。
あまりにも巨大な何かの人差し指が肩に乗りかかり、地面に埋め込もうとせんばかりに重圧を掛けてくる。
圧は肩を越え腰を抜き、両膝に乗りかかる。狂ったまでの重力が全身に掛かっているかのようで、その足腰を曲げに掛かってくる。
その足がぐらりと、とうとうバランスを崩した。
今まで粘り耐えていた脚は枝のように折れ、それが戻ることはない。
ぽきりと関節から曲がってしまった両足は、もうもとの形に戻ることはなかった。
(だ、だめ、だ……)
久の自慢の足は、とうとう膝をがっくりと着いた。
狭い台座の中、立て直すスペースは無い。
久はそのまま台座の下に転がり落ちると、上下左右に強く揺れる世界の中、その頬を冷たい地面へと、べったりとつけて倒れた。
「――来るのか」
どこまでも広く、狭い空間の中で、それが存在を明らかにした。
ここには上も下も、右も左もない。
秩序も混沌も、作り上げるのは自分だけである。
叶わぬ事はない。だが、追い求めすぎては離れていくことばかり。
追いつける願望と、追いかけ回す欲望。渦巻く世界の中、その“力”が、ようやく動き出した。
「――来る、のか」