Chapter2-5
月下のセシリスは静まり返っており、道行く人は少ない。
そんな中タケは家を出ると、歩いてすぐの場所にあるセシリスの広場へと向かった。
セシリスの広場は村の中央にあり、広場の中心に育つ楓の樹木を筆頭に、大小様々な木々が生き生きと繁茂している。その樹木の下に、ここの住民お手製のベンチがいくつも置かれている。
本格的に肘掛と背もたれがついたものもあれば、板材を二つの切り株に渡し乗せただけの簡素なものもある。
夜の静まり返った広場にたどり着いたタケは、中央の楓の下に置かれている、丸太を輪切りにして置いただけの椅子に腰かけた。
椅子は地面と接する部分が腐って痛んでいるのか、腰かけると前後に揺れた。
闇空の下の広場は眠っていた。
木々は微かに葉だけを風に揺らして眠り、地から生える雑草や花々も少し葉先を垂らして眠りについている。
「……」
広場を時に流れる夜風が、タケの肩を撫でた。
風に他意はない。風はどこからとも無く吹き、時折その動きを人々に当てたり、かすめたりする。
だが、肩の横を通り抜ける風に、あまりいい思い出は無かった。
オーディションの帰り道。セピスの砂浜広場。リリオットの原生林での大嵐。
そして、武神の塔の最上階――
風が場を吹き抜けるのと同じように、タケの記憶も駆け抜けた。
腰を下ろしたまま夜空を見上げると、漆黒の布のような夜空に頭上の楓の葉が溶け込んでいた。
五指あるような、特徴的な葉。それは、天に向けて伸びているようにも、自分に向けて伸びているようにも見える。
それを無心で見上げるタケの耳に、一つの足音が届いた。
「あれっ? タケさん?」
タケが音の方向へ顔を向けるより早く、足音の主がタケに声を掛けてきた。
「ん、織葉か」
声と足音の主は織葉だった。織葉はいつも通りの服装で、白いシャツに藍染めのスカートを履いている。髪型も相変わらずで、今夜もライオンの鬣のように元気よくあちらこちらに跳ねている。
「お疲れ様。今日も戻ってたのか」
いつもの身なりでカバンを抱えた織葉を見て、タケが訊いた。
「うん。いつもの。その帰り」
織葉は勤めてからセシリスに居を移したが、休日は足しげく武郭に帰省し、道場の手伝いや鍛錬を、父への報告も兼ねて戻っている。親子仲も良いらしく、色々な話をギルド内でもしてくれるようになった。
「おかえり。ご両親は変わりなく?」
「うん。二人とも相変わらずって感じ。父さんはギルド伝いで色々聞いてるって言ってたよ」
織葉の父、炎は武郭平原のギルド支部長だ。同じ職業で在るのはもちろんのこと、セシリス建立に多大な貢献をしてくださった方だ。当然、色々な情報が耳に入っているだろう。
「そうか。鍛錬も順調か?」
「んー。まぁ、そっちはぼちぼちかな。……で、タケさんはなんでこんな時間に?」
ようやく織葉はタケに質問をし返した。
「うーん。特に理由はないんだがな」
ただちょっと落ち着かなくて。と、タケは短く答えた。
「ねぇ。タケさん」
気付けば織葉も最寄りの椅子に腰を下ろしていた。
「ん?」
「ゆいに、会えそうだね」
広場を抜ける風と、名前の分からない羽虫の音。長閑な夜に一つ、穏やかな織葉の言葉が現れ、闇夜にすっと溶け込んで消える。
タケの顔が織葉へと向いた。小柄な魔法剣士の彼女は、ぼさついた髪を少し風に流しながら、どこか遠く空を眺めていた。
「そうだな。元気で会えたら嬉しい。色々話したいよ」
織葉の気持ちには遠く及ばないだろうけどな。と付け加える。
「ねぇねぇ、タケさんはさ」
自分の返答は何処に行ったのか。織葉はタケに返事もせず、またタケに何かを訊こうとする。今度は顔がタケへと向けられていた。どこか、嬉しそうな顔をしているように見える。
「ゆいのこと、好き?」
夜でも明確に分かる織葉の赤い瞳が、眼鏡越しのタケの両目を突いた。
タケは組んでいた足を下ろすと、織葉の問いに答えた。
「織葉それは、ライクか? それとも、ラブか?」
タケにとって思いがけない質問だったが、その問いかけた織葉に、極端なおふざけの色が見えなかったので、タケも適当に受け流さず、その問いに向き合おうとした。
「どっちかって言うと、ラブ寄りで」
「……曖昧だな」
聞いてきた割にはふんわりとした線引きに、思わず脱力する。
ともかく織葉の質問の真意は分からないが、ふざけたやり取りでないのは分かる。タケは一つ鼻から息を抜くと、思考回路を動かした。
ゆいは命ばかりか、ユーミリアスをも救ってくれた恩人だ。勿論、一人の人として好意はある。ただ、それ以上については考えたこともなかった。それに、二年前は皆必死で、そこまで思考を動かす暇がなかったとも思う。
では今、時間の取れる今現在では、タケの頭はどういう判断を取るのだろう。
それは脳の持ち主のタケですら、考えてみなければ分からないことだった。
「もちろん嫌いではない、が……そう改めて考えるとよく分からなくなってくるな」
タケの頭は、フル回転させてもその答えを導き出せなかった。
「へぇ。タケさんにしては珍しい」
「そんなことないさ。オレも答えに困る時は多いぞ」
そう答えたタケを見て、織葉はくすりと笑った。顔の微かな動きに合わせ、赤い頭髪が揺れ動く。
「やっぱさ、タケさん変わったよ。うん」
「……また話が飛んだな?」
思わぬ織葉の切り返しに、とうとう頭が着いて行かなくなった。
「いやさ、最初にタケさんと会った時は、『是か非か』って感じの人だったから。口調ももうちょっときつかった気がするし」
「そう、だろうか。自覚は無いな……」
「ほら、そういうとこ」
と、織葉が笑いながら困惑するタケの顔を指差した。
「前なら『自覚は無い』でおわり。会話終了。閉店!って感じだったもん」
両手を腰に当て、少し目を細めてタケの顔真似と声真似をする織葉。どっちも全く似ておらず、その似てなさにタケも思わず笑う。
「――あたしさ、タケさんが柔らかくなったの、ゆいのおかげじゃないかって思ってるんだ」
少し下がった声のトーンで、織葉は優しく述べた。
数年と言う、短い付き合いであるからこそ分かる変化なのかもしれない。織葉の目には間違いなく、あのカルドタウンで会った日から変わったタケの姿が映っていた。
そんなタケの脳裏には、ゆいからの言葉がいくつも蘇っていた。
そう言われると、随分と助けてもらった。
(これはタケくんのせいじゃない! 全力で戦えなくても、誰も怒ったりしない、そうでしょ!)
あの時のゆいの声色は、今でもはっきりと、タケの記憶の中に残っている。あの激励には、ずいぶん励まされ、気づかされた。
「ゆいはさ、タケさんのこと、好きだと思うよ」
赤髪の剣士が、少しも茶化さずにタケにもう一度向き直った。
「そう、だろうか?」
タケには経験の無いことだった。自分の今までを振り返ると、そういったことに気を回す余裕はなかった。守るため、生きるために必死だった。
(タケくんだけが、何もかも背負わなくたっていい)
ゆいがタケに掛けたその一言は、生まれてから、初めて掛けられた言葉だった。相手を思いやれるからこそ、自分に強い芯が通っているからこそ言える、強い言葉――
「うん。だからさ、未来に行った時、ゆいを抱きしめちゃいなよ」
「はぁ!?」
何処か真剣だった二人の会話は、織葉が思いきり、崩しにかかった。
「いけ、来駕! ぎゅっといけ! ぎゅっと」
「あのなぁ織葉……」
「いいじゃんいいじゃん! 言葉よりも率直な方が効くって!」
「二年も燻ぶってる奴に言われても、何の説得力もないぞ?」
ぴたりと、抱きしめるパントマイムを取っていた織葉が凝固した。
またひとつ、夜の広場に風が流れ込んだ。