Chapter2-4
太陽が地平線の果てに姿を消して一時間程が経った頃、セシリスの支部にはタケだけ残っていた。
タケは本日ハチが出向いた先の報告書を整理しているようで、机に向かってすらすらと羽ペンを走らせている。
「ふう。これでいいか」
タケは羽ペンを置くと、インク瓶の蓋を閉め、書類を久の事務机の上に置いた。これにて本日の仕事は終了だ。
支部の受付時刻は数時間前に終了しているが、もう少しきりの良い所まで仕事を済ませておきたかったタケは一人、事務所に残っていたのだ。
タケは椅子にもたれ掛かりながらやや冷めたコーヒーを口にすると、すぐ脇の窓からセシリスを眺めた。
田舎村のセシリスは街灯も少なく、太陽が落ち切った後の夜の訪れは早い。
隣家や近家から漏れる、カーテン越しの柔らかな灯りが、ぽつぽつと光って村を彩っている。
ずっ。
タケはぬるいコーヒーを飲み干すと、そのカップを片手に椅子から立った。
そのまま事務所の窓を戸締りして回ると、そこの灯りを消し、事務所から母屋へと続く扉の向こうに歩を進めた。
◇ ◇ ◇ ◇
タケの家を支部に改造して早二年。一部屋居住スペースが減りはしたが、一人暮らしのタケは何の不自由も感じていなかった。
先程まで自分がいた場所、今の事務所は、かつて居間だった所だ。
その居間からは玄関側の表庭に出ることが出来る大きな窓があったのだが、そこを取っ払って新たな建屋を立て、庭先に飛び出たような形になる、受付建屋を建てた。
建設は地元セシリスの大工さんたちに頼み、彼らはそれを快く引き受けてくれた。
居間と言う主となる部屋が一つ減ったことにより、タケの居住スペースはもっぱら書斎になっている。
タケは書斎に足を運ぶ前に台所に立ち寄ると、冷蔵庫内から飲料水を取り出し、グラスに注いで手に持った。
そのまま書斎へと足を運ぶと、部屋の電気を点けた。
光が灯り明るく照らし出されるタケの書斎。
書斎は相変わらず本にまみれており、棚から溢れた書籍の類が、床で幾つもの塔になっている。
「ふぅ」
タケは壁際に置かれたいつもの椅子に腰かけると、ようやくそこで手にしていた飲料を口につけた。
グラスの持つ薄い厚みが口の隅に当たり、軽い口当たりでよく冷えた水を口に流れ込ませた。グラスに入っていた水はタケの口内に流れていくと、数秒経たないうちにそれを消した。
ことん。と空グラスを椅子横の机に置くと、タケは一つ息を抜き、窓の外を眺めた。
セシリスは既に静夜が訪れており、月明かりが大地を優しく照らしている。
座ったまま窓を開くと、涼しく心地よい風が書斎に吹きこんできた。窓枠横に掛けられた薄手のカーテンがふわりと部屋内で泳ぎ、風の動きを可視化してくれる。
心地の良い風、落ち着く暗さ――
だがそれは同時に、タケにある日のことを思い出させていた。
二年前のあの日。あれは、忘れもしない、オーディションを受けた日。
あの時も素晴らしい月夜で、爽やかな夜風が空で踊っていた。
カルドタウンで出会った、氷室雹と言う男。
彼と出会ったあの日も、こんな空模様だった。
雹は二年前、突如として消えた。
そして今日に至るまで一度たりとも現れていない。
そして未だに、彼のことを覚えているのはここに集う五人だけだった。
その時ひゅうと、少し強い風が書斎に吹きこんだ。
風はタケの肩まで掛かる金髪を引っ張り、室内の幾つもの本を捲れさせる。
「……」
タケは無言のまま窓を閉めた。
途端、吹きこんでいた風が止まり、捲れていた本は一斉にぴたんと表紙を閉じた。
どこか、心がざわついた。
タケは椅子から立ち上がると書斎の灯りを消し、そのまま玄関へと進んだ。
履き慣れた革靴を靴箱から取り出したタケは、それを履くと夜のセシリスへと出て行った。