第三部 第一章 第一話 ニルトハイム
親大陸・ペトランズの西北西には、とある小国が存在する。その名を【ニルトハイム公国】──現存する中では最古とまで言われる国だ。
深い森に囲まれたニルトハイム公国は、主に農業と観光が収入源である。
その地では成長の早い不思議な果実『竜葡萄』を使用したとワインは、安定した需要を生んでいる。また、今も残る古き遺跡群『ニルトハイム列石』は、近隣国よりの観光を促すには充分魅力的な美しさを演出していた。
そんなニルトハイムという小国が、トォンとアステ、そしてエクレトルの三方から囲まれる様に接しながらも国家を維持し続けられることには二つの理由があった。
一つ目はトォン、アステの大国間で不可侵の条約を結んでいること。これはニルトハイム大公一族の血筋が持つ“特異性”を政治利用した結果である。
不思議なことにニルトハイム大公の血筋は殆んどの場合、一男二女の子が生まれる。そして大公女は必ず見目麗しき成長を遂げるのだ。それは、近隣国…特にアステとトォンの大国の王や貴族が挙って求婚することからも窺い知れることであった…。
小国の姫という立場は妻に迎え入れるには申し分ない地位。加えてニルトハイムという国の脅威の低さは、政治的意味の婚姻としても不安要素が低い。自国の不利益になる条約を結ぶ必要がなく、内側から内政を荒らされる心配も無いからだ。
故にニルトハイム公国は、充分な保護と各国への最低限の発言力を持ち合せ国を維持しているのである。
そして、侵略されないもう一つの理由。それは古くからの言い伝え──。
ニルトハイム公国の領地には禁足地が存在する。建国以来先祖よりの厳命を守り続けるその地には、魔術的封印と兵による警備が施されていた。
その理由は大公のみが知っているのだという。だが、それとは別に近隣国の王家には代々内密に伝えられている言葉があった。
【ニルトハイムを侵す者──世界に災い為す大罪人なり】
その言葉の意味を理解している者はいない。しかしそんな言い伝えでも、ニルトハイム公国を守るには僅かなりの効果はあったのだろう。先に挙げた理由と併せれば、尚のこと【得体の知れない】危険を侵す必要も無いのである。
そうしてニルトハイム公国の安定は保たれて続けていた。
【その日が来るまでは──】。
遡ること一週程前…。ニルトハイム大公・クランデルは、娘二人と共にアステ国に向かっていた。
大公女が二人とも十六歳を越えた為、付き合いのあるアステ国貴族より見合いを提案されたのである。その会場として招待されたのは、アステ国でも有数の大領主・イズワード卿の居城である。
地図上でニルトハイム公国とアステ国は隣接している為近場に感じるが、実質のアステ国の領土は広大。イズワード家までの距離を考えれば馬車で数日を要する。
これは、大公女の為に馬車をゆっくり走らせ休憩を入れながらの時間。馬を飛ばせば一日で到着することが出来るのだが、アステの貴族は如何に気遣いの利く人間かをアピールする為、立ち寄る街毎に過剰な程の接待を用意していた。見合いの駆け引きは既に始まっているのである。
その道中。ニルトハイム大公・クランデルは、護衛付きの馬車の中で己と向かい合い座る愛娘達に問い掛ける。
「イズワード家の居城も間も無くだ…。コホン……お前達に言っておく。これはニルトハイム公国にとっては重要な見合いやも知れん。だが、婚姻はお前達の人生にとっても重要。もし気に入らなければ断っても構わんのだからな?」
クランデルは娘達の顔を交互に見つめた。年子の娘達は良く似ている…。妻譲りの面影と黒髪を持ち、芸術と言っても差し支えない類い稀なる美貌。それらを差し引いても、クランデルにとってはかけがえの無い宝。不幸になどしたい訳がない。
「ウフフ…大丈夫ですわ、お父様。これまでも貴族様方は丁寧な対応をなさってくれています。不幸になどなり得ないと思いますわ?」
姉のナタリアは屈託の無い笑顔で当然の様に答える。自分の立場をわきまえ見合いを受けるつもりのナタリアは、 姉のナタリアは屈託の無い笑顔で当然の様に答える。自分の立場をわきまえ見合いを受けるつもりのナタリアは、それが『ニルトハイム大公女』として当然の責任と考えていた。対して妹のクリスティーナは同じ笑顔だが全く別の答えを口にした。
「私は今回のお見合いには興味ありません。しかしお父様の立場の手前、参加せぬ訳には行きませんでしょう?それにお姉様も心配でしたので同行しました。お言葉に甘え断ろうと考えています」
末妹として育ったクリスティーナは、誰に似たのか奔放な性格をしていた。歯に衣着せぬ物言いは普段表に出さぬが、自分が納得の行かないことには徹底して従わない頑なさを心に宿している。
「クリスティ…お父様を困らせては行けませんよ?」
「お姉様だって軽薄な人間とは結ばれたく無い筈です。私は道中、貴族の方々の目を見ました。そのどれもが瞳の中に卑しさが垣間見えたのです。だから、お姉様も私が認めた方とのみ婚約なさって下さい!」
「……はぁ…。それではまるでクリスティの為に婚約するみたいね?」
「お姉様の為です。不幸になんてさせませんから」
さも当然だと言わんばかりのクリスティーナは、やや興奮気味である。しかし言い出したら聞かないクリスティーナには家族の誰も意見できないのだ。そう…父である大公ですらも…。
「だ、大丈夫だ、クリスティよ。そうならぬ様、私もいる。悪い様にはならぬ」
「お父様には期待しておりません」
「うっ!」
「クリスティ…謝りなさい。お父様がどれ程に私達のことを考えて下さっているのか、あなただって理解しているでしょう?」
「それは理解しています。でもそれとこれとは別。私は間違っていません」
「クリスティ!」
姉妹喧嘩が勃発。苦笑いのクランデルはすかさず仲裁に入った。娘を甘やかしたのは自業自得とはいえ、父の威厳形無しである。
「ま、まあ落ち着け、二人とも…。今回の御伺いするイズワード卿は大領主だが、近年まで後継ぎが居なかったと聞いている。一人娘が居たそうだが駆け落ちしたらしくてな」
「それが何か?」
クリスティーナの視線は冷たい。ナタリアは溜め息を吐くと妹の口を押さえた。大人しく聞けという姉妹間の合図である。
「…それから長らく後継者選びをしていたらしいが、ある日駆け落ちした娘の子が来訪したのだと伝え聞く。歳の頃は二十一歳。恐らくこの者の為の見合いの場なのだろう」
「?……意味がわかりませんが…?」
「イズワード卿の孫に当たる人物は元々庶民として暮らし、勇者としても活躍されていると聞く。勇者であるならば人の痛みの分かる人物の筈。試しに会ってみる価値はあるのではないか?」
貴族の中で好人物と出会う機会の少なさを、クランデルは知っている…。
そんな中でイズワード卿の孫は、娘を嫁がせるには期待が持てそうな人物なのだ。好人物ならばきっとナタリアも幸せになれる筈。それを見越して見合いの宴の招待を受けたのだ。
しかしクリスティーナは、そんなクランデルの配慮などお構いなしに噛み付いた。
「ではお父様にお聞きしますが、もしその方が非常に残念な容姿であった場合はどうするのですか…?」
「うっ!そ、それは…思考から抜けていた…」
「それに、勇者の中にも悪しき者が存在することはお父様も知らぬ訳ではないでしょう?その方がイズワード家の財産目当てではないと何故言い切れるのです?」
「…むむむ…確かに…。い、いや、だがな?伝え聞くところでは好人物と……」
「伝聞など当てにはなりません!大体お父様は…ぎゃぴぃ!!」
そこでクリスティーナの頭頂部に衝撃が走る。クリスティーナが恐る恐る隣に視線を移すと、そこにはタリアが扇子片手に笑顔を向けていた。
「クリスティ?」
「はい!お姉様!!」
「お父様に失礼ですよ?」
「で、ですが…!」
反論の間もなく、再びクリスティーナの脳天に電光石火の扇子が炸裂する。“スパァン”とそれは見事な音を立てたナタリアは、既に何事もない様に笑顔で座っている。
「クリスティ?」
「御免なさい…お姉様…」
「謝る相手が違うわよ?」
「ご、御免なさい…お父様…」
「い、いやまあ、その…何だ。姉妹仲良くてよろしい!」
通常はクリスティーナの勢いが勝るのだが、家族の中で怒ったナタリアに勝てる者はいない。電光石火の扇子は大公ですら反応できない程に速い一撃。何処で習得したのかとクランデルは常々疑問に思っている程だ…。
「クリスティ…お父様は私達を想ってくれているのです。普段から私達の我が儘が通るのも、お父様の優しさ故なのですよ?少しは弁えなさい」
「はい……御免なさい」
「お父様もクリスティを甘やかし過ぎです。叱るべきときは叱って下さらないとクリスティの為になりませんよ?」
「はい……御免なさい」
クリスティの性格は父親似であることだけは間違いない……。
そうこうしている内に、ニルトハイム公国の馬車はイズワード公爵の城に無事到着を果たした。
【アステ国・イズワード領】
広大な土地を有するイズワード領は、豊かな自然と人工的建造物の区域を別けて発展している。
自然区域は定期的な魔物討伐を行うことで治安を維持し、人工的建造物は魔導科学を利用した防壁で領民に安全な生活を提供しているのだ。
イズワード卿の居城を中心とした中央都市。そこから各都市に延びる動線として、魔導科学を利用した移動手段を完備し短時間での移動を可能にした。これらはアステ国首都とイズワード領のみに整備されたものであり、その莫大な工費すら私財で賄われていることから、イズワード卿の傑物さが理解できるだろう。
イズワード公爵家はアステ国の中でも随一とも言える大貴族である。領地はアステ国最大。王家筋の貴族でもあり、代々の当主が持つ高い才覚で治める領地は高度な発展を続けている。
そんなイズワード家の現当主──パルグ・ラキア・イズワードは老獪な人物、というのがクランデルの印象だった。
「ようこそ、おいでなさいました。ご無沙汰しております、ニルトハイム大公殿下」
「宴の開催を心より感謝致します、イズワード卿。良き話が纏まれば幸い。どうかよろしくお願い致します」
「そちらの女性達が御令嬢ですな?初めまして。イズワード領主、パルグと申します。うむ…確かに女神の如き美貌ですな」
歯が浮きそうな世辞にクリスティーナは一瞬眉を潜めたが、ナタリアは完璧な笑顔で正式な礼をとる。
「初めまして、イズワード卿。ニルトハイム家が娘、ナタリアと申します。御会い出来て誠に光栄です。また、宴のご用意とお招き、心より感謝致します」
「これはご丁寧に。私も光栄です。そちらの方は妹御ですな?」
「初めまして。イズワード卿。ニルトハイム家の二女、クリスティーナと申します。御会い出来て光栄に存じます」
「長旅でお疲れでしょう。どうかこの城を我が家と思ってお寛ぎ下さい」
イズワード卿・パルグは齢六十半ば程。白髪痩身だが、実年齢よりかなり若く見える。見た目からは一切の威圧感を感じないが、何か只ならぬものがあることにナタリアは気づいていた。
それはクリスティーナも同様で、鋭い観察眼でパルグの目に宿る力を見抜いる。
不可侵条約があるとはいえ、此処は他国。先祖に当たる者達が嫁いでいるとしても、それらの心すら飲み込んで大国の形を成しているのだ。油断を出来る場所では無いことを姉妹共々、改めて理解したのである
それを知ってか知らずか…いや、間違いなく気付いているだろうパルグはそれすら悟らせず、立ち止まり提案を持ちかけた。
「宴は明日行うことになっておりますが、わが国をより知って貰う為に領地を案内したいと思うております。お疲れでなければお付き合い願いたいのですが、如何ですかな?」
時刻はまだ昼前。時間を潰すには少々居心地が悪そうな城より、観光出来る方が若い二人には有り難い話である。単に活気あるイズワール領に興味があるとも言えるが、どうあれ誘いを断るのも失礼に当たるだろう…という建前の元、二人は喜んで承諾した。
「では、一先ずお部屋でお寛ぎ下さい。その服装では目立ってしまうでしょうから、外出用の服もご用意させて頂きます。準備が出来次第お呼びに上がりますので、しばしお待ちを」
一瞬、本当に柔和な感情を見せたパルグはそそくさと行ってしまった。
「確かにこの格好では目立ち過ぎるわね」
ドレスのスカートを軽く持ち上げ、服装を確認するナタリア。公式の儀礼用ドレスは赤い生地に金の刺繍をあしらった高級品。確かに街中を歩けば悪目立ちするのは間違いない。
パルグの言葉に従い部屋に向かうニルトハイム大公一家。そこには既に召し使いのメイドが準備を整え待機していた。クリスティーナはパルグの手際の良さに少し寒気がした。
「クリスティ!見て、この服可愛いわ!」
ナパルグの手配した服を手に、珍しくはしゃぐナタリア。クリスティーナは姉が本心から楽しむのを久々に見た気がした。
「確かにこれなら問題ないですね。……ところでお父様はどうするのですか?」
「私は歳だからな。少し休ませて貰うことにする。二人とも楽しんで来なさい」
「はい。ありがとうございます」
準備を整えたナタリアとクリスティーナ。今度は正門とは別の出入り口に案内される。そこには私服の護衛兵が待機していた。武装はしていない為、街中に紛れてしまえば見分けが付かないだろう『影からの護衛』の様だ。
そして、それとはまた別に二人の人物。一人は女性。ラフな服装だが、魔術師らしく杖を腰に差している。そしてもう一人…赤髪の青年は、私服でありながら腰に長剣を携えていた。二人は大公女達の前に歩み出ると、跪き礼を尽くす。
「私達が貴女方の直接護衛を担当致します。至らぬ点も御座いますが、どうか宜しくお願いします」
「はい。宜しくお願いします。あの…お名前を伺っても?」
「失礼しました。私の名はシン。シン・フェンリーヴと申します。こちらはメル・レイン。以後、シンとお呼びください」
「私のことはメルで良いですよ、大公女様」
「わかりました、シン様。メル様。私はナタリアと申します。こちらは妹のクリスティーナです。私共々、どうか良しなに」
「クリスティーナです。宜しくお願い致します」
シンと名乗った青年は端的に言えば『美形』だった。
燃えるような赤い髪に目を奪われがちだが、涼しげで優しい目元、筋の通った鼻、凛々しい口許…。それらすべてが相手に好印象を与える。完全に両親の良いとこ取りであることを本人は自覚していない…。
ナタリアはそんな青年…シンを真っ直ぐ見つめていた。そしてその様子を観察しているクリスティーナ。どうやら姉は見合いの前に意中の人を見付けてしまった様だと気付く。
「良い雰囲気だと思いませんか?クリスティーナ様?」
ニマニマした笑顔でシンとナタリアを見ているメルという女性。若干幼く見えるが不思議な安心感を持たせる人物だった。
クリスティーナには未だ恋心というものが解らない。姉の表情を見る限り幸せそうだ。しかしそれは、明日の宴を不意にすることになるのでは無かろうか?そんな疑念が渦巻いた。
(お姉様の代わりに私が相手を見付ければ…いえ、それは自信が無いわ。でもお姉様を想えば私が犠牲に……)
真剣に悩むクリスティーナは、今だニマニマとしている護衛『メル』に確認したいことがあった。
「メル様…お聞きしたいことが…」
「メル、で結構ですよ?クリスティーナ様」
「では私もクリスティでお願いします。出来れば敬語でない方が観光には良いと思いますが…」
「わかったよ、クリスティ。悪いけど公の場以外では楽にさせて貰う。で、何だい?聞きたいことって…」
再びシンに視線を向けるクリスティーナ。その観察眼で見てもシンという人物に不快感はない。彼ならば姉に相応しいと考えるが、身分が気になったのだ。
別に貴族でなくては反対というのではない。立場的な問題で、もし姉が彼を見初めた場合、立場次第では他の貴族の体面を潰すことになる。それを極力避けたかったのである。
「あのシンという方は、貴族ですか?」
「いや、平民だよ。正確には平民出身の勇者、だけどね?」
「勇者…ですか?」
そこで馬車の中での父との会話が甦る。平民出身の勇者…駆け落ちした娘…もしや!
「も、もしかしてイズワード卿の…」
「あら?知ってたんだね…。そうだよ?彼はイズワード卿の孫に当たる者。後継者、ってことになるのかね?本人は乗り気じゃないみたいだけどさ?」
クリスティーナは心の中で叫んだ。『パパ、凄い!』と。同時に肩の荷が下りた気がした。そしてこれは運命としか考えられないとも…。
勇者シンとの出会いは確かに運命である。ニルトハイム公国の今後を左右する運命の出会い。それが何を意味するのか…。今はただ姉の幸せが叶うことを祈るクリスティーナであった…。




