第一章 第一話 勇者の目覚め
その日、若者はいつもより早く目覚めた──。
人々は一通り労働を終え、更なる活動の為に栄養を補給する時間。太陽は頭上に最も高い位置に差し掛かろうかと言うその時刻。
───そう、世間ではそれを『昼食時』と呼ぶ。
「ライ~!!いつまで寝てんの、この『ぐうたら息子』は!!」
階下から怒鳴る女性の声に渋々と微睡む身体を起こす若者。ふらつく身体を壁で支えながら目を擦り階段を下りて行く。
「お早う……母さん」
「全然早くないわよ、全く……。片付かないからお昼食べちゃいなさい!」
寝ぐせでボサボサの赤髪に眠気まなこ。安物のシャツ、簡素な半ズボン。中肉中背で顔はそれなりに整っているが、どう見てもだらしなく緩みきっている……そんな若者ライを見た母ローナは、しんみりと溜め息を吐いた。
「アンタねぇ……毎日毎日ダラダラしてないで、少しは兄さんや妹を見倣ったらどうなの?」
テーブルの籠に置かれているパンを手に取り焼いた燻製肉と葉野菜を挟んだライは、それを口に運びモゴモゴと食事を始めた。母からの問い掛けも気にせずゆっくり咀嚼し、良く味わってから飲み込む。
「……ふぅ。無茶言わないでよ、母さん。兄さんは国から支援金が出て準備が出来たろうけど、俺には何も無いんだよ?加えて家族の俺が言うのもなんだけどマーナは天才なんだ。それに比べて俺は少し運が良いだけ……平均の能力しかない。せめて準備が必要なんだよ」
そしてライは再びパンを頬張り咀嚼を繰り返す。
【支援金】というのは旅立つ者の為に国から支払われる補助金を指す。一家庭に上限付きで一定額の支援金が出る仕組みなのだ。
では何の為に旅立つのか?
それは【魔物討伐】──このロウド世界は近年稀に見る魔物増加への対応で慌ただしい状態なのだ。
「それで……いつまで準備してんの?旅立つ気が無いなら、アンタの『運の良さ』の恩恵が大きい商人にでもなって家計を助けて貰いたいわね」
「フフン。商売を舐めちゃイカンですなぁ、ローナさん?実はもう試したんだよ……失敗したけど」
事も無げに言う息子を見て、ローナは再び溜め息を吐いた。
「ハァ……で、何をやったの?」
「近くの森にある薬草を取ってきて道具屋のティムと二人で売ってたんだよ。始めは順調だったんだ。けど、その内に盗賊が出てきてさ……?それがまた中々に生意気な奴で、出会して戦う→薬草を使い回復→出会す→薬草→出会す→薬草、の繰り返しで儲けが出なくなった」
「………」
ローナは呆れた……。
「逃げりゃ良いじゃないの……」
「素早いんだよ、盗賊が。相手が一人だったから死なずに済んでたけど、ティムもいるんだから逃げるなんて不可能だろ?」
「あ~……まぁ、確かにねぇ」
妙に納得しているローナ。それもその筈……道具屋の跡取り息子ティムは太っているのだ。戦いどころか逃げることすら足手纏いになり兼ねない。
「それに、やっぱり勇者の息子が商人ていうのもどうかと思うしさ?」
そう──。何を隠そうライの家系は、一応ながら勇者の一族である。
父ロイはそれなりに名が知られた『そこそこの勇者』……そして真面目な兄のシンも勇者として仲間と共に旅立った。
妹マーナに到っては元魔術師の母から魔法の才能まで受け継ぎ、伝説の勇者の再来とまで称され特別な計らいを受けている。
「なら勇者らしく早く準備してアンタも旅立ちなさいよ……。王様からの召喚状もあったでしょ?」
「俺がいなくなったら母さん一人になっちゃうよ?」
「大丈夫よ。その方がアンタの面倒を見なくて楽だから」
「…………」
「良いから今日中に王様に挨拶して旅の支度をすること!武器は……ほら、包丁でも薪割り用の斧でも持っていって良いから」
「で、でも……」
「は・や・く・し・な・さ・い!!」
ライは半ば逃げる体で家を飛び出す。外は快晴。街は人々の喧騒で満ちている。玄関先で振り返ったライは、小さいながらも一軒家の我が家を確認した。
家族五人で暮らすには少々手狭で質素な家。そして視線は隣にある豪邸に移る。それは【名門勇者・クロム家】の邸宅だった。
(やれやれ……同じ勇者の家系なのに、この差はどうなんだろ?)
三百年程前、魔王なる存在が世界に混乱を齎した時代……世界に一人の勇者が現れた。神に選ばれた伝説の勇者は、仲間と共に数々の魔物を討伐し遂には魔王をも退けたという。そして人類を救った英雄たる勇者は、とある王国の姫と恋に落ちて王となった。
ここまでなら美しい御伽噺……しかし、この話には残念な続きがあった。
勇者は精力絶倫で姫との間に次々に子を成したのだ。その数、男女合わせて十五人。それだけでは足りぬとばかりに、侍女などにも手を出し隠し子も相当数存在したと言われている。
そして勇者の子達もまた絶倫だった為、とんでもない数の子孫が増えたのだという。勇者の血筋大安売りである。
(本当に何やってんだ、ご先祖共コノヤロウ……)
ライのそんな呟きも当然だろう。実際、勇者の血筋は世界にかなりの数が存在する。職業上の勇者を名乗る者は少ないが、勇者血筋というだけで厚遇などされないのが常である。
そして血筋には格差も存在する。王家由来の血筋は貴族。豪商との婚姻などで家系を栄えさせた者も多い。ライの隣人、クロム家も貴族家系だ。
対して王家由来でない血筋……所謂『非嫡出子』は、認知はされてはいても微々たる手当てしか受け取れなかったと伝わっている。勇者の妻たる姫が優遇を一切許さなかったのだという。
そんな訳で、庶民血筋の者は地道に必死に暮らしていた。勇者血筋だけあり、騎士や狩人など身体を使った職を選び生活の術とした者も多い。中には農業を営む勇者もいるのだという。
しかし、彼らが皆裕福と言う訳ではない。それこそが今、格差となりライの身に降り掛かっているのだ。
(勇者の格差って一体……)
ライは世の世知辛さに肩を落とし歩く。すると、そんな姿に気付き声を掛ける者があった。
「よう!どうした?」
顔を上げると、そこはちょうど道具屋の前。気付けば見慣れた悪友の顔が……。
「何だ、ティムか……」
「何だとは何だ、親友に向かって」
道具屋の跡取りティム。その姿は既に貫禄のある腹をしている。ティムが髭を生やせばきっと子持ちの妻帯者と言っても疑う者はいないだろう。
「母さんに王様んトコに行けって怒鳴られてさ~……逃げてきた」
「あ~……。そんじゃ、とうとう旅立つのか?」
「出来ればもちっと金貯めて装備を揃えたかったんだけどね……。ま、仕方無いっちゃ仕方無いんだけどさ」
実はライ、本当に資金を貯めていたのだが普段が普段だけに信用されなかったのである。
「ケチ王が支援金出してくれればこんな苦労しなかったのにな……絶対エロ大臣が渋ったんだぜ?」
「ハハハ。……あ、そう言えばエロ大臣といえば仕入先の商人から面白い話を聞いたぜ?」
ティムは商人から聞いた話を語り始める。それはこんな内容だった──。
ある商人が旅の途中、悪天候を街でやり過ごすことにした。せっかくなのでと街中で商売相手を探していたのだが、立ち寄った酒場で女を侍らせ豪遊している男を見掛ける。
商人は客商売……習慣でそれを観察すると何処かで見たことのある顔だと気付く。記憶を辿ると、なんと『エロ大臣』ことキエロフ大臣だったというのだ。
「商人に変装してたらしいけどバレバレだったみたいだな」
「魔物の討伐費用ケチってる癖に豪遊とかナメてるな、エロ大臣め……」
「そいでな?ちょっと調べてみたんだが、他国の貴族と交流した帰りだったみたいだぜ。なぁ?怪しくないか?」
ライとティムは互いに笑っている。それも至極悪い顔で……。
「で、更に裏を色々調べてたんだが……どうかね、ライ君。一枚噛んでみないかね?」
「ほほぅ、ティムくん。聞かせて貰おうか?」
しばらくボソボソと相談していた二人は、時折“ヒッヒッヒ!”と不気味な笑いを浮かべつつ悪巧みを纏めた。
「成る程、面白い……実に面白いよ。流石はティムだ」
「なぁに。気にするなよ、ライ。ボクタチ、シンユウダロ?」
固い握手を交わし二人は別れる。先程とは違いライの足取りは軽い。
(よぅし。これで資金面は何とかなりそうだな)
安物の服に寝癖のまま至極悪い笑顔のライは、真っ直ぐ城へと向かうのであった……。