(5)向こう側の僕(後編)
どうも、尾崎ゆーじです。
この話に関しては、全編通してのクライマックスのようになりました。
今までじわじわしてきましたが、猟奇的です。
短編……のはずなんだけど。
「あ、れ……?」
気づけば僕は外にいた。
『裏野ドリームランド』のミラーハウス『真実の迷宮』の外だ。
空は曇っていて、青色はほとんど見えない。
例の『真実の間』はどうなったのか、正面衝突したと思われる鏡の中の僕は何だったのか、どうやってここまで戻ってきたのか……そういう記憶は一切無い。
でも僕は歩いていた。どこに向かっているかといえば、『真実の迷宮』の入り口で僕の帰りを待っているであろう三人の友達、シュンとリクとカイトのもとだ。
早足で、出口からぐるりと『真実の迷宮』やその他の隣接した建物の横を回る。手に持った懐中電灯が、若干重く感じる。
歩きながら、僕はある事を考えていた。
『真実の間』なんて無かったのではないか、と。
僕が体験した事といえば、赤と青のまだら模様の扉に入った事と、鏡張りの通路で摩訶不思議な事があったくらいで、噂に聞いていた『本当の自分』らしきものを見ることは無かった。
いや、ある意味でそれが最も大きな収穫だったかもしれない。『真実の間』の噂はそのほとんどが真実でなく、恐れるほどのものではないということがわかったのだから。
しばらく歩くと、友達三人の姿が見えてきた。『真実の迷宮』の手前にあるベンチに並んで腰掛け、こちら側に背を向けている。幸いなことに、僕が近づいている事にまだ気づいていない。
──そうだ。背後からそっと近づいて脅かしてやろう。三人とも不安がっているはずだから、きっと飛び上がって驚くはずだ。
三人の不意を突くことにわくわくし、僕の歩くスピードが上がる。噂の真相が大したものじゃなかったという事実も早く話したくて、気持ちが昂る。居ても立ってもいられない感じで、自分をコントロールできないような、今までに感じたことのない高揚感を味わっていた。
気づけば走り出していた。
そっと近づくはずだったのに、どうもおかしい。ほら、シュンが気づいちゃった。振り返って僕を見るなり、ぎょっとした表情で……。
……どうしてそんな顔で僕を見るのかな?
そう思った瞬間、僕は手に持っていた懐中電灯で、シュンの頭部を突き刺していた。
──えっ?
他の二人も僕に気づき、悲鳴を上げ、跳ねるように立ち上がった。
僕は混乱した。
おかしい、おかしい、おかしい!
ずっと僕が握っていると思っていた物は、懐中電灯ではなく、金属製の銛だった。トライデントと呼ばれる先端が三叉になっているやつだ。劣化していて、柄に貼られた金色のメッキが所々に剥げている。
その三叉の切っ先が、シュンの喉元と首筋──耳の横辺りを突き刺し、貫いて、反対側に突き出ていた。濃い赤が、金色のメッキとその下地の鉛色に上乗せされて、ぼたぼたと雫を垂らした。
シュンは横目で僕を見たまま、口を半開きにした状態で止まってしまっていた。
「お、お前……何で……」
リクとカイトは青ざめた表情で後ずさる。
──ち、違うんだ! 僕はこんな事しようだなんて思ってなかった!
僕は叫ぶように弁解した。 ……そのはずだった。
「まったく酷いよなぁ。友達一人だけ先に行かせておいて、君らはのんびりジュース飲んで待ってるだけなんてさぁ」
それなのに、僕の耳にはそんな言葉が聞こえた。信じられないことに僕の声だ。喋るつもりのないことを、僕の意思に反して平気でべらべらと口にしている。
「そもそも、僕はこんな所に来たいって一度でも言ったかな? 君らが騒いだからついて来ただけなのに、なんで僕がこんな扱いになるのかな?」
さらに僕はシュンの肩口に片足を掛け、銛を思い切りよく引き抜いた。”返し”が無い銛だからだろうか、思いのほかすぐに抜けた。ぬちゅ、と生々しい音がして、抜いた箇所から血が噴き出し、僕の右腕にかかった。ほのかに温かかった。
自分でも信じられない腕力だった。銛は一メートル半から二メートルくらいあり、重量もかなりある。僕はその柄のくぼんだ部分を片手で握って、シュンの肉体を貫き、そして引き抜いたのだ。 ……特にスポーツもしていない貧弱なこの身体の、どこにそんな筋力があるというのだろう。
──僕は何をやってるんだ!? まるでサイコキラーじゃないか!
頭は混乱を極め、泣き叫びたい気持ちになっているというのに、口と身体は勝手に、且つ、滑らかに動く。まるで誰かに操られているかのようだ。
「リク、わかってるだろ? 君、さっきじゃんけんで普通に僕に負けてたよね? ちゃんと正直に言えよな」
──違う。僕はそんなふうにリクを責めていない。ただ……ただ……。
「楽しみにしてろよ。一人であの中に入るよりも怖い思いをさせてやるからな!」
僕は笑った。
リクとカイトは背を向け、わめきながら逃げていく。
僕は血の滴る銛を逆手に持ち替え、駆け出した。ベンチを軽く跳び越え、追いかける。銛を持っているというのに、いつもより足が速く感じる。 ……僕の身体は一体どうなってしまったんだ?
リクとカイトは同じ方向へ逃げていく。そして行く先には薄汚れたメリーゴーランドがあった。馬などの障害物を利用すれば、逃げるのに有利になると考えたのだろうか。
──逃げて欲しい。早く、ここの外に出て欲しい。僕の身体が疲れ果てて諦めるまで、足を緩めずに逃げ切って欲しい。
「馬鹿だなぁ! そんな所に逃げても、無駄に時間を食うだけだよ! それよりせっかく二人いるんだから、二手に分かれて逃げた方が得策だよね。それとも君らは、常に誰かとつるんでいないと怖くて生きていけないのか?」
気持ちに反して、そんな二人を僕は嘲笑う。そして……助走をつけた状態で、銛を前方に真っ直ぐ投げた。
──!
まるで槍投げのスペシャリストかのような身体使いだった。それどころかスパルタクスのような伝説の戦士を思わせる芸当だった。銛はほとんど弧を描かず、さながらダーツのように飛んでいき、およそ二十メートルほど離れたリクの背中を貫いた。銛の三叉のうち、一つはメリーゴーランドの馬のこめかみに刺さり、その長い首に亀裂が入った。
リクは声にならない声で呻く。今にも倒れそうだというのに、馬と一緒に刺さっているためそれは許されない。
「うわぁぁ、化け物! 化け物だ!」
カイトが叫び、別の方向へと走って逃げた。
──もう、やめてくれ!
心の中では叫んでいるのに、表に出ている僕は、カイトの背中を目で追いながら口角を上げていた。
僕は……僕の身体を操っている者が何なのかを悟り始めていた。これがおそらく『本当の自分』というやつなのだ。
『真実の迷宮』で、僕は赤色とも青色ともつかない、まだら模様の扉に入った。そしてその先は、左右に延びただけの、鏡張りの通路の延長だと思っていた。でもその通路の右側を選んで突き進んだ結果、もう一人の僕が向こう側から歩いてきた。その僕と衝突すると思った瞬間に、気づけば僕は外に立っていて、いつの間にか懐中電灯ではなく銛を持っていたのだ。
実際は、あの通路こそが『真実の間』で、向こう側にいた僕が、『本当の自分』と呼ばれるものだったのではないだろうか。
そうでなければ辻褄が合わない。普段の僕が決して言わないような言葉を好き勝手に言い、人間離れした力で殺してしまうなんて。
──きっと、僕は鏡の向こう側の自分に身体を乗っ取られてしまったのだ。
僕はリクと馬の首に刺さった銛を乱暴に抜いた。リクは背中を真っ赤にして、うつ伏せに倒れた……というか僕が蹴り倒したようなものだ。彼の身体はマネキンみたいな棒立ちの姿勢で倒れ、近くの馬の背に頭を打っていた。
「はっはっはっはっは!」
何が面白いのか、僕は大声で笑っていた。今度は、遠くに見えるカイトを追って走り始める。速い。銛を持っていても、距離がどんどん縮まる。
「君らは、本当に僕を友達だと思ってたのかなぁ? ちなみに僕は思ってたさ。思ってたけど、君らがそれを裏切った! 違うかな? 君らは僕を体のいい使いっ走りか何かと考えてたんじゃないか? ははは、おかげでどうだ、こんなに速く走れるようになったよ!」
僕は勝手な台詞を撒き散らしている。
──皆が僕を裏切った? 違うだろ、僕はそんなことを思っていない!
カイトが向かったのは、僕が先ほど出てきた『真実の迷宮』の出口がある方向だった。その先には、白を基調とした建物があった。壁面の所々に水槽らしきものが埋め込まれていて、濁った水が入ったままだが、中には何も飼われていない。一応、アクアリウムというやつなのだろう。建物の屋根の上に、大きなアルファベットのブロックが並べられている。どうやら『ポセイドン』という名前のアトラクションだったようだ。
カイトはその建物の中に入っていった。短い階段があって、その先にゲートがある。そのゲートの右脇に、人魚のような姿をした筋骨隆々で髭もじゃのおじさんの像が立っていた。どうやらギリシャ神話のポセイドンを模しているようだ。像の突き出した右手には、何かを持っていたような痕跡がある。今は壊れて、指が何本か無い。
──ああ、僕が持っている銛は、ここから奪ってきたやつなのか……。
僕はそう直感した。つまり『真実の迷宮』を出た時からすでに、僕は自分の意思で行動しておらず、友達に危害を加えるつもりで武器を持ったということだ。
──どうして、どうしてこんなことを。
確かに僕は、最近の三人の態度に度々不満を感じていた。今日のじゃんけんの時だって、相手が僕じゃなければ怒るかもしれない出来事だ。それに何も一人だけ『真実の迷宮』に入らなくたっていいじゃないか。四人いるんだから、二人ずつでもよかったはず。何なら、じゃんけんで負けた僕とリクの二人で、ミラーハウス内を探索してもよかった。それなのにどうして僕だけ? だからこんな事に!
──だから、こんな事に……?
僕は『ポセイドン』の中に入り、カイトの影を追っていた。建物にはいくつか天窓があって、空は曇っていたものの、いくらか日光が射している。おかげで中は明るかった。
「カイト、じゃんけんで僕が後出しをしたって指摘をしたのは、君だったよね。どうしてそういう事をしたの? 君はたまにそういう事をするよね。君がサボっている時、僕が宿題を写させた事も何度かあったよね?」
──事実だ。それは事実だけど……。
カイトの影は『順路』と書かれている方に入っていった。僕もそれを追いかける。大きな水槽が鎮座する横を走る。
通路の中央は水路になっている。その淡い緑に濁った水の上に、クジラを模したようなボートが三台置かれていた。それに乗って、水槽の中の生き物を観覧するというアトラクションだったようだ。
カイトと僕が走っている両脇の道には装飾品や観葉植物などが置かれている。とても走りにくそうな場所だが、僕はうまく足場を見つけ、素早く足を運んでいく。
緩やかなカーブを右に曲がり、長い直線になる。カイトの背中がはっきりと見えた。器用に走って逃げているが、僕のスピードよりは遅い。一メートル、また一メートルと距離が詰まっていく。
「元をたどれば、僕たちの友情をぶち壊した諸悪の根源は、君じゃないか? そう思わない? 君は僕にだけは何をしてもいいと思ってたんだろう? だったら僕も、君に何をしてもいいのかな?」
──駄目だ。カイトからそんな扱いを受けたからって、殺しちゃ駄目だ!
僕は僕自身を心の中で強く説得した。だが、僕の足はカイトを追い続ける。血の乾ききっていない銛を再び逆手に持つ。
また右へと続く曲がり角に突き当たる。その突き当り正面の壁には、天井近くまである巨大な水槽があった。イルカやサメのような、大型の海洋生物を飼育していたのだろう。
カイトがその水槽の手前に行き着き、右に曲がろうとした時。僕はそのタイミングを狙ったかのように、思い切り銛をぶん投げた。
リクに投げた時よりもさらに速い。足場も不安定で、距離も離れているというのに、銛はカイトのもとまで一瞬で届いた──が、その切っ先はカイトの身体には刺さらず、顔のすぐそばをかすめ、あろうことか水槽を突き破った。何トンもある水を支えている水槽を。
──あり得ない! 相当に厚い水槽のはずだぞ!
カイトはたった今起きた出来事に臆したのか、途端に立ちすくんでしまった。ふと見ると、そのカーキ色のチノパンが一気に変色していく。失禁したらしい。
──ああ、立ち止まらないでくれ!
すると突き破った水槽から水が漏れ始め、割れた箇所のひびがどんどん広がっていくのが見えた。そしてついに、大量の濁水がもの凄い勢いで溢れ出し、カイトの足をさらった。
「うわあっ!」
カイトは叫び声は短かった。溢れ出た水は、さながら滝のようだ。カイトは倒れ、もろに放水を浴びた。その勢いは凄まじく、カイトの身体が流される。彼は近くにあった装飾物を掴み、なんとか耐え凌いでいるようだった。
「ははははっ! 良かったじゃないか。それだけ濡れれば、おもらしもバレずに済むね!」
僕の足元にも水が流れてくる。だが僕の足はがっしりと床を捉え、とても流されそうにない。それどころか、ゆっくりと前進し始めた。スニーカーがぐしょぐしょに水を含んでいるうえ、浮力でかなり重く感じるのに、そんなのはお構いなしだ。
流水の水かさが、僕の脛の辺りまでの高さになった時だった。カイトは耐えきれなかったのか、ついにその手を離してしまった。
そして僕の方へと流されてきた……。
──もう駄目だ。
僕は流されてきたカイトの腕を掴んだ。肩が外れるのではないかと思うほど、力強く引っ張る。水の流れも強いので、カイトの身体は渓流に逆らう魚のように、ゆらゆらと横揺れしていた。
カイトはそれでも流される方がマシだと言わんばかりに、必死の形相で僕の手を外そうと片手を伸ばしてくる。僕の手を爪で引っ掻いたり叩いたりする。僕の手の甲は擦れて赤くなり、皮が剥けて血が滲んできた。
人間とは思えない身体能力を持っているというのに、皮膚は丈夫じゃないらしい。てっきり鉄か何かでできていると思っていた……言葉の通り、皮肉だけど。
「無駄だよ無駄ぁ! お前は簡単に死ねると思うなよ! まして逃げようだなんて舐めた事を考えてたら、一回じゃ済まないぞ。はは、そうだな、あと三回は殺してやるよ」
「やべろぉっ!」
僕は叩いてくる方のカイトの手も掴み、上下に大きく揺らした。まるで洗濯物を広げる時のように、カイトの身体は宙で大きく波打って、激しく水面に叩きつけられた。ばしゃんばしゃんとそれを何度か繰り返しながら、何がおかしいのか、僕は大笑いしていた。
今度は器用にカイトを引っくり返し、両脚を抱えた。カイトは逆さまで、顔だけが流水に浸かっている。首を動かして呼吸しようと必死になっているが、水面から口を出すことは叶わないようだ。
──いつまでこんな事を続けるんだよ。本当にもう、やめてくれ……。
僕は心の中で哀願しつつも、自分の所業を諦観することしかできなかった。
そしてようやく水の流れが弱まってくると、僕はカイトの身体を引き上げた。逆さまのカイトはおびただしい量の水を吐き出し、自分の顔にかけている。
その顔を、僕の足が蹴り飛ばす。 ……いや、本当に飛ばしたわけではない。今の僕の脚力であれば、カイトの頭部を首ごと吹き飛ばすこともできるだろうが、僕はきちんと力を加減していた。
「そういえば皆でゲームする時も、君は僕のことをよく狙い撃ちしてたよね? 自分が一番に負けないように。まあ、僕なら怒らないしね。えっと、気づいてないとでも思った? どうした、ゲームみたいに僕をボコボコにしてくれよ。できるならな!」
僕は彼の胸や腹を蹴り、彼が呻いている最中にその両脚を広げて抱え、股間をスニーカーの底で軽く踏みつけてがくがくと揺らした。電気アンマと呼ばれる技だ……。
「ははははっ! どうだ? 休憩できて嬉しいだろ?」
僕は狂ったように笑い、足にぐいぐい力を込めている。
カイトは水面付近での息継ぎに忙しいようで、その技に対する反応は無かった。必死に空気を求めつつ、口から血の混じった汚物を吐いていた。
「あーあ、きったねぇ」
それを見た僕は水の中にカイトの頭を入れ、かき回した。吐瀉物を洗い流すためだ。
僕はカイトの脚を持ったまま、ずんずんと前へ歩き出した。
そして割れた水槽の手前に着くと、カイトをその割れ目から中に押し込んだ。服が破ける音がした。
落ちていた銛を拾い、なんと僕もその中に入った。
……何をする気なんだ?
水槽の水はかなり減っていて、量は膝丈よりも下だった。カイトはもはや満身創痍で、なんとか四つん這いになって水面から顔を出しているものの、ふらふらして、目がうつろだった。意識はあるのかわからない。
そんなカイトを僕はさらに蹴りつけ、拳で顔を殴った。カイトは抵抗することなく、仰向けで水面に浮かんだ。顔は痣だらけで、口から大量に血が出ている。歯は何本も欠けているし、あごも砕けてしまったようだ。まだなんとか生きているとは思うが、意識は無いだろう。
「さてそろそろ、締めの鑑賞会でも開くか」
僕はそう言うと、カイトを肩に担ぎ、水槽の端の岩陰に隠されていた梯子を登った。梯子の上は言うなれば屋根裏みたいな感じになっていて、水槽から水槽へと渡り歩けるようだ。飼育スタッフなどが利用していたのだろう。
僕はカイトをその屋根裏的な場所の床に置くと、再び下に降りて、銛を持って戻った。そしてカイトが着ていたぼろぼろのシャツを脱がした。
「よくわかんないけど、こんな感じで結べば面白くなるだろ」
カイトの背中にぴったりと銛を添えて、シャツを三叉に絡め、最後に首元で結ぶ。銛の柄の部分をチノパンに空いた穴へと通す。その間、意識のないカイトは時々ぴくっと反射的に動くだけで、僕にされるがままだった。
「気絶してる奴って、水の中に入れといたらそのまま死ぬのか、それとも苦しくて目が覚めるのか、前から気になってたんだよな」
僕はそう言うと、銛を括り付けたカイトの身体を抱え、中くらいの大きさの水槽の方へと歩いて行く。もちろん割れていない水槽で、濁った水がなみなみと入っている。
その水の中に、カイトをどぼんと投げ入れた。
僕は大声で笑いながら、走って大型の水槽へ戻り、梯子を降りた。急ぎ足で、カイトを沈めたその水槽の前に到着する。
「死ぬかな? それとも気づくかな?」
嬉しそうに言う。
──こんなの、本当の僕じゃない。絶対に違う。
自分の意思に反して、全てを見届けなければならないことが何よりも辛かった。自分の行いだというのに、吐きそうだった。もちろん僕の身体はぴんぴんしていて、心の中の僕がどんな状態であってもお構いなしに、見ているものや聞いている音を、漏れなく僕に届ける。
カイトは銛の重みで、水槽の底へと沈んでいくところだった。水は濁っているものの、その崩れた顔は認識できた。瞳はあらぬ方向を向いていて、汚れた水中でもまぶたを閉じようとしない。
──ごめん、本当にごめん、ごめん、ごめん。
僕は心の中で謝り続けた。カイトはもうすでに限界だった。きっとこのまま、意識を取り戻すことなく溺れ死ぬだろう。そうだ、気絶したまま苦しまずに、天国へと旅立って欲しい。
そんな僕のささやかな願いは聞き入れられなかった。
突然カイトは目を見開き、もがき始めた。といっても身体はぼろぼろなので、とても火事場の馬鹿力は期待できない。口を膨らまし、その隙間や鼻から気泡をぼこぼこ出しながら、銛を引きはがそうと、首に巻かれたシャツを引っ張ったり、背中に手を回したりした。
だが次第にもがき方が激しくなり、彼は口を大きく開け、のどに両手を当てて叫ぶような表情をした。そして水槽の外にいる僕に気づいたのだろうか、こちらを凝視したまま、動かなくなってしまった。ゆらりゆらりと水中で揺れている。
「あー、終わった」
僕は晴れ晴れとした声で言った。
──終わった……全部終わった。皆、本当にごめん……。
「何に謝ってるんだ?」
──こんな事になって、本当にごめん。
「さっき言っただろ。こんな結末になったのは、あいつらの自業自得だって」
──違う、殺す必要なんてなかった。殺したくなんてなかった。
いつの間にか、僕は僕と会話をしていた。全てが終わった今になって、身体を操っていた僕に対し、この心の中の僕の声が届くようになったようだ。遅い、とてつもなく遅い。
「いや、僕はあいつらを殺したかった。それくらい怒っていた」
──確かに怒ってはいた。腹が立ったこともあった。でも輪を乱さないために、僕たちの関係を悪くしないために、僕は何も言わずに我慢していたんだ。それをこんな……。
「だから殺したんだ。もう我慢することのないようにな」
──そんなことは、誰も頼んでない!
「頼むも何も、僕は僕だ。本当の僕だ。本当の僕はそれを望んでた。だから実行した。それだけだ」
──お前なんて、本当の僕なわけがない!
「いや、本当の僕さ」
──違う。本当の僕だったら、もっと別の方法を使った! 絶対に殺したりなんてしなかった!
「ふうん。どんな方法?」
──それは……話し合いとか。
「馬鹿みたい。話し合いが今までできなかったから、殺したんじゃないか」
──できるよ。今の僕なら、できるよ。でも、もう三人は……。
「そうか……それが本当の僕だと言い切れるの? それが本当の望みなのか?」
──そうだよ。僕は、本当は……。
「じゃ、青に行こうか」
──え?
その瞬間、風景が突然、歪みだした。足元の水も、目の前の水槽も、カイトの溺死体も、全てが歪んで曖昧になった。
「覚えておくんだ。青の僕も本当の僕だけど、この僕も本当の僕だということを」
その歪んだ空間が揺れ始め、僕を中心に渦を描き出した。周囲の空間だけじゃない、外の風景も、遊園地全体の風景も、全てが溶け込んで、まだら模様になって、大きくうねった。全てが僕へと集まり、吸い込まれていくようだ。
「鏡に映る僕も僕、水面に映る僕も僕、夢の中の僕も僕、全部が僕。その中のいずれにも、確かに本当の僕は存在している」
僕が台風の目になったかのように、空間が渦を巻いて僕を包む。いや、僕という存在が空間を呑み込んでいるようだった。
「いつでも本当の僕の声を聞いてほしい。それこそ今のようにね。そうじゃなきゃ、僕は本当の僕を勘違いしてしまうから」
一気に空間が吸い尽くされる。
まだら模様が無くなった瞬間、気づけば僕の周囲は、全てが合わせ鏡のようになっていた。鏡の球体に包まれているような、どこもかしこも、歪んだ僕の投影ばかりだった。その先にも歪んだ僕がいて、そのさらに先も、ずっと、ずっと……。
その歪んだ僕のうちの一人が、僕の方へ歩いてきた。最初はぼやけた感じだったのに、徐々に形がしっかりしてきて、きちんとした僕の姿になって、笑顔で近づいてきた。
そして目と鼻の距離。もうぶつかるという瞬間。
僕は目を閉じずに、その僕を迎え入れた。
***
気がつくと、僕は外を歩いていた。
周囲を見渡すと『真実の迷宮』の出口があり、アクアリウムの白い建物も見えた。
僕の手には懐中電灯が握られている。
僕は駆け出した。
『真実の迷宮』の入り口の前のベンチに、シュンとリク、カイトの三人が座っていた。彼らは僕の存在に、まだ気づいてない。
「おい!」
背後から声をかけると、驚いた様子で三人が振り向いた。
──皆、生きている。
「ど、どうだった? 大したこと、なかったんじゃないか?」
カイトが尋ねたけど、僕は答えなかった。
胸がどきどきした。苦しくて、怖くて、のどが詰まる感じがした。
──言ってしまおう、いや、やめておこう……でもやっぱり言わなきゃ……という葛藤が、僕の心の中で繰り広げられた。
そして。
「大したことあったよ。めちゃくちゃ怖かった。帰ったら君らをぶん殴ってやろうと思ったくらいだ」
僕は言った。
「というか、何で僕がそんな思いをしなきゃいけなかった? どうして一人で行かなきゃいけなかった? 二人でもいいし、何人でもよかっただろ、ふざけんな」
三人はきょとんとしていたが、
「しかも普通にじゃんけんしたのに、何だよ、後出しって。それはリクのことだろ! どうせ僕なら何でも言うことを聞くと思ってるんだろ? どうなんだよ、カイト? 馬鹿にするなよ!」
僕がそう言うと、カイトはばつが悪そうに「あ、いや……」と口ごもった。
「君らのことを友達だと思ってたから──輪を乱したくなかったから言わなかったけど、そもそも僕はこんな所に来たくなかったんだ!」
僕は懐中電灯を投げ捨てた。
「君らが僕を友達だと思うなら、この忠告を聞けよ。まず、『真実の迷宮』なんて絶対に入るな! そして、僕の扱いを今後改めろ! わかったら返事しろよ!」
三人は口ごもりながらも「あ、ああ」と返事をし、顔を見合わせていた。
「僕は帰る。後は勝手にしろ」
吐き捨て、本当に僕はそのまま、一人で帰った。
***
翌日、学校に行くのが非常に辛かった。三人の顔を見るのが怖かった。昨日は無理やり『扱いを改めろ』なんて言ったけど、三人が怒って僕と絶縁する可能性だってあるのだ。そういう『改めろ』という意味ではなかったのだが……。
とはいえ、あれほどにずけずけと言いたい放題に言った後では、どう考えても今まで通りの関係ではいられないと思うんだけど。変にぎくしゃくして、腫れ物に触るような扱いになるかもしれない。それはそれで、望む結果ではない。
でも今の僕は胸が軽い。我慢しないで、やはり伝えたい事は伝えた方がいいようだ。
そう、ああやって言わなければ、行き着く先は『銛で一突き』という展開かもしれないのだから、なおさらだ。それでは誰も幸せにならない。
色々と考えていると、知らぬ間に学校に着いていた。教室の自分の席に座り、カバンからテキスト類を出していた。
「よ、よう」
するとシュン、リク、カイトの三人が、揃って声をかけてきた。
「今まで悪かったな。昨日の事で、お前が今まで我慢してたんだっていうこと、ようやくわかったよ」
そう言ったのはカイトだ。
「これは言い訳だけど……お前ってさ、今まで俺らが何言ってもへらへら笑ってたから、何しても平気なのかなって勘違いしちまってた。だから、ちょっと試そうと思って、あの遊園地に」
「いいよ、僕も言いたいことは言ったし。ま、次やったらもっと怒るけどね」
僕は笑って、カイトの腹に何かを突き刺すポーズをした。
三人揃って「ひぇぇ」とか言って笑っていた。
──良かった。正直に、本当の気持ちを伝えて良かった。
僕は心からそう思った。
「いやぁ、それにしても……お前、あそこから出てきた途端にいきなり変わったから驚いたよ。マジで別人みたいだと思った……」
リクがそう言うと、シュンもカイトも笑いながら頷いた。
僕も笑った。
そりゃあ別人みたいに見えてもしょうがない。むしろリクのその感覚は正しい。
なぜなら今、僕の身体や口は、僕じゃない誰かが勝手に動かしているんだから。
────なんてね。
(以上)
いかがでしたでしょうか。
そんなこんなで、ミラーハウス縛りのホラー短編集、次回で最終話を予定してます。
ホラーっぽいコメディ小説トイレの華子さんは八代目もよろしくね☆
そっちもそろそろ更新します。まとめ書き派なんです。