後編
プリンセス・エドワード島は長い間、雪の降る季節が続きました。
しとしとと降る日も、暴虐に荒れる日も。そこに陽気な日はなく、冬の女王の気分がそのまま反映される憂鬱な冬の日々でした。
お城から見える街の景色は、白い画用紙に鉛筆で輪郭だけ描いたようです。これから明るく陽気さに包まれるはずの街は、白の支配から抜けだすことができません。
子どもたちは暖炉を燃やすための薪をせっせと割り、大人たちも仕事のできない時期はと、自堕落な季節の過ごし方をわきまえています。冬はお酒が冷えて美味しくなる季節でもあったのです。
冬の女王は、そんなこと微塵も知りません。
真っ白な街を見るだけの一日です。稀に、お城に住んでいる秋の女王が暇つぶしに部屋の眺めがいいからとやってきます。
「あ……ひゅあ……」
恥ずかしがり屋の冬の女王は、ソファで本を読む秋の女王に話し掛けることができませんでした。
紅葉した髪の毛を纏う秋の女王は、舞い散る落ち葉で隠れてしまう不思議な存在でした。それがこの国のシーズンプリンセスという存在であり、今やミナカもその女王たちの一人でした。
本を一冊持ってきては、冬の女王と自己紹介の会話を交わすこともなく、読み終えたら幽霊のように部屋を出ていく。そんな秋の女王の気まぐれぐらいしか、冬の女王の生活に変化はありませんでした。
季節が巡る国に住んでいると、そういう風に文化は根付きます。
春には春の役割が。夏には夏の役目が。秋には秋の習慣が。冬には冬の生活が。
例年より少しだけ長い冬に、国民は少しだけげっそりとしてきました。
それに冬とはいっても、必ず毎日が降雪となると生活に支障が出てきます。
外に出られないから縮こまっていると、体も動かせないから鬱屈するばかりです。
それでも冬の女王が決めたことだから。
大人たちはしょうがないことだと理解し我慢していました。
冬の女王が降らせる雪への怒りを最初に爆発させたのは、子どもたちでした。
お城の玄関の扉を開いた子どもたちは、冬の女王がいる上階へと昇り詰めました。
なんら身構えもせず、いつものように床に蹲って寝ていた冬の女王は、突然の来訪者に飛び起きました。
尋ねてきた子どもたちの姿を見て、目は大皿のように広がりました。
その子たちは、ミナカがお城から眺めていた、色違いのマフラーを巻いた三人組だったからです。
「冬の女王、お話があります」
初めてミナカは話しかけられた、というのに、赤いマフラーの女の子は世界から遊ぶ楽しさを奪った天候よりも冷たい声音をしていました。
な、なんだろう。
ミナカは頷くだけの返事をしました。と、とりあえず応接間にお招きしなきゃ。初めての来訪者に粗相のないようにはりきった冬の女王は、テーブルを挟んでソファが二組ある部屋に女の子たちを通し、温かいお茶も汲みました。
礼儀正しさをファッション雑誌で学んだ女の子らは、お茶を一口啜ってからお話を切り出す術を心得ていました。
「冬の女王」
「……………………はい」
大きく息を吸ってから、どうにか冬の女王は小さな返事を返しました。それは大きな前進でしたが、子供たちは誰一人としてそれに気づいてあげることはできませんでした。
女の子たちは彼女たちの言い分を伝えにきただけですから、当然です。諸悪の根源である冬の女王は悪者なんですから、たとえ恥ずかしがり屋の頑張った点に気づくことができても、彼女たちは口を閉ざしたでしょう。
「雪を止めてください」
その一言が、女の子たちの総意でした。
「遊べないし、つまらないし、もう雪は嫌です。早く春の女王と代わってください」
「………………いや」
「どうして意地悪をするんですか!」
大声にびくついた冬の女王。好機とばかりに、女の子たちは冬が嫌いだと罵った。それは冬の女王の悪いところをあげつらったわけではなかったが、彼女はそう感じた。
近くの部屋で読み耽っていた本を閉じてまでやってきた秋の女王が、
「どうして雪を降らせているのか、学校で教えてもらった? 教えてもらってないでしょ。それは考えないといけないからだよ。あなたたちはどうしてか考えた?」
十歳の女の子を震え上がらせるには十分な大人の威厳をもって窘めたおかげで、女の子たちの弁舌は止まった。
一人を除いて。
赤いマフラーの女の子は、言ったのだ。
「そんなの関係ないでしょ!」
反旗を翻した――爆発したのは、冬の女王だった。
「関係ないわよ! ええ、そうよ。あなたたちにわたしの気持ちなんてわかんないよ! ずっと部屋にいるわたしの気持ちなんて!」
怒りに身を任せた冬の女王に、天気は呼応する。
窓ガラスをつついていた雪は、槍のように重苦しいものとなりました。雲は厚みを増し、空模様は夕暮れよりも暗く、世界の幕が下りる間際のようでした。
冬の女王は魔法の呪文を唱える。
「冬になれ……冬になれ……冬になれ。あんたたちみたいな子どもは、一生家からでてくるな」
女の子たちは絶望で顔をくしゃくしゃにして泣きだした。秋の女王は泣き叫ぶ子どもを見て、小さなためいきをついた。
「ずっと、ずーっと! 冬になれ!」
❅ ❅ ❅
子供たちの割る薪の量が多くなった。寒い日は、いつもの倍の薪をくべないと、体が凍えて赤子は睫毛を開けることさえできなくなったからだ。
大人たちは仕事のできない日々が続いた。飲み明けるための元手さえ尽きることがわかっていても、それしかすることができなかった。
冬の女王は窓の外を眺める。
吹き荒れる雪は量を増し、景色の色を濃くしていた。輪郭もなくなった街は、その姿を視界に収めることができない。
鳥の一羽もはばたいていない、ただ一面の白い世界を眺める冬の女王。
窓の外から見える景色は望んだものであるはずなのに、彼女の頭の中は喜びよりも悲しい感情ばかりが渦巻いていた。
わたしが、したかったのは、これだった?
狐の一匹ですら森から出てこない。果樹園の果物は冷えて萎んで食べられない。街に足跡がつかなくなった。
そうだけれど、違う。本当に望んでいたのは――。
冬の女王は窓から離れて、ベッドに向かった。
ソファはときたまやってきてくる秋の女王のために空けてある。女の子たちとの短い会談があってから、秋の女王が部屋で本を読む頻度が多くなった。どうしてかはよくわからない。未だに冬の女王は会話もままならない。
多くの言葉を用いて秋の女王が説明してくれたのは、いつも本を読んでいる理由だけだった。
「冬の女王の前任者――あなたに役目を押し付けたスノウプリンセスが、秋を長引かせたいからってわたしに本を買ったの。季節になったら、その季節の女王はお城にいないといけない。このお城から出てしまえば、季節は変わってしまうから。冬の女王は冬が来ることを避けていた。お城に閉じこもっている間は誰とも遊ぶことができないから。だからずっと秋が続くように、わたしがお城に留まって暇を潰せるように遊び道具を買い与えた。わたしの部屋にはたくさんの本がある。スノウプリンセスが大枚はたいて天井まで届くほど買った本。今年のサンタクロースがおもちゃを買うための予算を、あの子は本にしてしまった。きっと今年のクリスマスはつまらないわね」
クリスマス。それはミナカがこのよくわからない場所にやってきた初めての日のことで、なんだか随分経ったような気がした。でも実際に何日経っているのか、ずっと曇り空のここからではわからなかった。
本か。わたしも読みたいな。暇だし。
でも秋の女王は何も言ってくれなかった。「部屋に来ない?」とも「だから本を読みたくなったら言ってね」とも。
言ってくれないと……。わたしからは言えないじゃないか、そんなこと。恥ずかしくって。
冬の女王は秋の女王がいても、どんなに傍に寄っても、何も変わらなかった。
雪はその強さをぐんと増してきた。
まるで逃げる春を追いかけて、呑み込んでしまいそうな勢いだった。
冬がいつまで経っても終わらないことに、流石に国民は焦燥感を抱き始めた。このままでは永久に春はやってこない。
大人たちは放置していた、かまくらで漫画を読んでいた元・冬の女王に会いに行った。
「お願いします。どうか、この冬季を終わりにしては頂けないでしょうか」
「長く続いた冬のせいで作物は収穫する前に実を壊し、これからの食べものさえとうとう底が見えました。春の実が出来上がらないと、街の人間は皆、飢えてしまいます」
「どうか、寂しくてつらくひもじいこの冬に幕を」
懇願した大人たちに鬼の形相でスノウプリンセスは答えた。
「調子がいいな、こんな時だけ頼るのか。冬の間はお城に閉じ込め辛抱強くしろ言い、長すぎればその座を降りろと都合を振りまわす。それが大人のすることか」
大人たちは吹き荒れる雪に身を震わせながらも、じっと言葉の嵐にも耐えていました。
スノウプリンセスの怒りの矛は半刻ほどで勢いを失った。放った文句は大人の心を響かせていないことに気づいたからでした。
大人たちは冬を終わらせることが目的で、冬の女王の立場の向上などする気もない。やり方をしらないから、仕事ではないと思っていたのです。
「今のわたしには冬の女王を止める力はない。それは眠っている春の女王に水をぶっかけて起こしても同じだろう。ここまで強く念じられてしまった冬は、外からの圧力では動かすことができない。冬の女王に直接心願するしかないだろうな」
「お城にいらっしゃる女王は、話を聞いてくれるでしょうか?」
「きっと彼女は話し合いには応じるだろう。だがお前らは冬の女王が望むものを差し出すことはできない。それを手に入れることは至極簡単だが、譲渡できるほど安いものではないからだ」
独りでも気ままに冬を楽しんでいるスノウプリンセスのかまくらから引いた大人たちは、すぐさま対策会議に入った。そこでの議論を詳細に示す必要はないでしょう。もしも議事録が残っていても、きっとどんな変遷も無駄でした。退路のない彼らの選択肢は二つしかありませんでした。
話し合いか、奪うか。
話し合いには応じない。大人たちはスノウプリンセスの忠告を曲解しました。
冬を終わらせるためには、冬の女王を追放するしかない。
お城から遠く離れたどこかの地にまで流してしまえば、春の女王の出番だ。どうせ本物の冬の女王はいるのだから、偽物がどこでどうなろうが知ったものか。
大人たちは夜半、子どもが寝静まった頃合いに外に出て、凍傷にならぬように防寒具をこれでもかと着こんでお城の戸口を叩いた。大槌で、これでもかと叩いた。
「出て来い! 冬の女王!」
飛び起きた冬の女王は目を白黒とさせながら玄関へと向かいました。
そこでは扉に閂を何重にもかける秋の女王の姿がありました。
「……ど、……いたの……?」
どうしたの、と尋ねたつもりの冬の女王。秋の女王にその声は届かず、紅葉した髪を勢いよく振り払ったときに、ようやく立ちんぼの冬の女王に気づきました。
ドンドンドン、と戸口が強くたたかれます。閂がありますが、木でできた戸口はこのままだと破られてしまうことは明白でした。
もう一度、小さな声で冬の女王はどうしたのと尋ねました。お城にいるのはミナカと秋の女王だけだから、頼れるのも彼女しかいません。
「お城が攻められてる。あなたを国から追い出そうとしてるみたい」
え?! 攻められてる? 追い出す? なんなの。なにが起きてるの!
「落ち着いて。冬を終わらせば彼らは去っていく」
たたかれる扉の向こう側で、野太い男が怒鳴っていました。
「冬が続いてたら作物が育たねえ。いつまでも冬じゃ生きていけねえよ」
芯から放たれたその言葉に、しかし冬の女王は冬を終わらせる決断を下しません。
秋の女王がどうしてと目で問いかけます。
そう思うのはわかる。でも、でも……。
冬が終わったら、またわたしだけがひとりぼっちになっちゃう。
「おい、火を持って来い! 扉を焼いちまえ!」
あっという間に扉は全焼。入りこむ絶対零度の冷気を背に姿の見えた大人たちは、雪山に立つ雪男のようでした。屈強な大人たちが冬の女王へと近づきます。一歩、二歩。ブーツで小さくなっているその短い足取りは、冬の女王の寿命を一歩ずつ削っていました。
「ああ…………ああ…………」
助けてという一言さえ発せないまま、男たちが手の届く距離までやってきて……。
目をつぶった冬の女王の腕を誰かが握りました。しもやけでぷっくりと膨れた手は、しかしごつごつとしてはいませんでした。
「わたしたちが冬の女王に意地悪してた」
目を開いた冬の女王と、コートを着た大人たちの間に立っていたのは、なんと色違いマフラーの三人組でした。
「こどもは寝る時間だ。さっさとどくんだ」
すごんだ大人たちに、両端のピンクと橙の女の子は涙を流しそうでした。けれど真ん中で堂々と立つ赤いマフラーの女の子の服をきゅっと掴んで、二人はなんとか立っていました。
その赤いマフラーの女の子は、冬の女王の腕を掴んでいました。
「私たちが冬の女王に意地悪をしてたの。冬の女王がどうして雪を降らせてるのか、みんな考えたの?!」
強気で発言する目の前の女の子に、冬の女王は胸がじんわりと熱くなるのを感じていました。
ああ、そうだ。この子は、わたしにないものを持っている。
冬の女王の腕を放して、赤いマフラーの女の子は胸の前でこぶしを固めた。
「わたし、勇気だすよ」
大人たちの前で、赤いマフラーが英雄のマントのようにたなびく。
「誰も冬の女王とお話をしなかった。だからどうしてなのか気づけなかった。知ろうとしなかったから、ずっとわからないままだった。怖い人だって、お城にいる人なんだって、声なんて届かない人なんだって、冬の女王を決めつけてた。でも、違うよ。ちゃんとお話ができるの」
熱のこもった女の子が振り返って冬の女王を見た。体を向けて、お話の体勢をつくった。
「冬の女王。あなたはどうして雪を降らすの」
話しかけられた冬の女王は、頑張って心から勇気を振り絞った。
「あ……わた……わたしは。うらやましかったから」
まともに近い会話ができた冬の女王の背中を、秋の女王が後ろから撫でた。
「わた、しには、ともだちが……いない……から。冬になれば、みんなも友達がいなくなる……と思ったから」
笑いながら女の子が手を差し出した。
「ほら、わかった」
握手だ。
それの意味を、わたしは間違えてないといいな。
「お願い冬の女王。雪を止めて。一緒に春に行きましょう」
冬の女王はその手を握り返そうと伸ばしたときだった。
女の子の赤いマフラーからぽとりと何かが落ちた。
地面に落ちたそれを見ると、赤いおもちゃの車だった。
急発進した車が、大人たちの足元を掻い潜る。
「待って!」
それはパパのクリマスプレゼントだから。
冬の女王は我を忘れて追いかけた。後ろで小さく秋の女王の声が聞こえた。
「次はあなたから言うんだよ」
次?
おもちゃの車を追いかける。
冬の女王がお城を飛び出すと、季節は嘘のように春へと変わりました。
辺り一面の木が元気を取り戻し、草葉が目覚めるように日光を浴びていました。
春風が雪を吹き飛ばし、花々の種子が虹から降り落ちます。
綿毛が飛び交う道は真っ白でしたが、赤い車ははっきりと見えました。
何度も花畑に飛び込んだ冬の女王は、転んで湿った土に顔をうずめました。やっと手の中に収めた赤いおもちゃの車。
太陽の光がわたしを溶かすように温かくって。ああ、このまま眠って。……
「ミナカ! いい加減起きなさい!」
ぱっと顔を上げたミナカ。寝ていたようです。長い夢から起きました。
暖房が効いているお城の中。寝転がっていたのは、雪じゃなくて絨毯の上でした。
「昨日からずっと寝っぱなしじゃない。もうお昼になるわよ」
「……うん。起きる」
目を擦ったミナカ。お母さんから言われた通りに顔を洗いに立ち上がります。
なんだか大事なことを忘れているような、頭の半分くらいが雪にうもっていたみたいに冷たい。
「ちょっと開けるね」
クリスマスツリーの下にあるクリスマスプレゼント。ミナカが雑誌から学んだ結び方のプレゼントがあります。
「これ、パパが帰ってくるまで待ちな――ちょっとミナカ、どこへ行くの?!」
雪の降らなかったクリスマスの日、ミナカはクリスマスプレゼントの中身を確認してから、暗い廊下を走りぬけ、家の外に飛び出しました。
家の前の通りで、色違いマフラーの女の子たちが各々のクリスマスプレゼントを持ち寄って遊びに励んでいるところでした。
街一番のお城のように大きいお家から、前のめりに飛び出したミナカ。
マフラーの女の子たちは初めて見る女の子に関心を向けました。
誰かの言葉がミナカの頭に蘇りました。応援して、背中をさすってくれて、一緒にいてくれた人の声。
どもるミナカが、精一杯の勇気を振り絞りました。
「あ、あの……わたしと、一緒に……あそばない?」
ミナカは手を差し出しました。
「いいよ! お友達になりましょう!」
頷いた赤いマフラーの女の子は、友達の証に握り返してくれました。
ミナカ・ウォードの両親は、娘の初めてのお友達に、隠れて涙を流すほど喜びました。
そして、パパのプレゼントのセンスは悪くないコトが証明されました。
ミナカを含めた四人は、ミナカの家のリビングに集まり、彼女のクリスマスプレゼントで遊び始めました。
一人じゃ遊べない、ボードゲームで。
「あれ、この車、なんでタイヤに土なんてついてるんだ……? ミナカ。パパのプレゼントで遊んでないよなあ?」
あらすじその1
『ストーリーガール』(著:モンゴメリ)の作品の世界観を引っ張ってきた部分があります。
読んだことのある読者様が、少しくすりとするような台詞を混ぜたつもりです。
あらすじその2
童話? そんなお題は火にくべてしまったわ!
……読んだ子供が、少しだけ勇気づけられるような作品であればと願うばかりです。




