表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

家族のあり方

作者: 霜月万李

 その男が異変に気付くまでは、ありふれた日常だった。

 男はアパートの一室でいつもと同じように朝食を準備していた。傍から見たのなら、朝食を作るという朝の風景の一つであった。

だが、いつもと違う点が一つだけ存在した。朝食を食べるのであろう卓上には、二人分の食器が準備されていた。しかし、男の他には誰の姿も見当たらない。ただ、彼は気が狂っているとか、そんな理由ではなく、たまたま今日はそこにいるべき人物の姿がまだ見えていないだけであった。

それぞれの食器から湯気が立ち上りはじめた。準備を終えた男はねぼすけさんを食卓へ招くべく、息子の部屋へ向かった。

男は息子と二人暮らしだった。だけども、母親がいないのは男が離婚経験があったり、やもめだというわけではなかった。単純に息子の母親となるような人物が存在していないだけであった。畢竟は、男と息子の間に血のつながりというものが存在していなかったのである。それでも男は息子を心から愛した。また息子の方も、男の言いつけはすべからく守っていた。ある意味、血のつながりをもつ家族より、よっぽど家族らしい間柄だった。

男は息子の部屋の前に立つと、やおらドアをノックした。返事はなかった。間隙を空けてしばらく反復した。結果は同じだった。男は疑問に思いつつ、ドアノブに手を掛けた。

ドアを開けてみれば、息子は寝ていた。否、寝ているように見えた。男は近づきながら声を掛けた。

「おい、そろそろ時間だぞ」

言いながら、やっと男はそれを悟ることができた。些か遅くはあったが、その異様さを知ることができた。息子は、ただベッドに横たわっているだけだった。

「そうか……」

男が発した言葉はそれだけだった。一時、男は熱を発さなくなった息子を見下ろし続けた。それから、時計を見て部屋を後にした。そこには躊躇いは垣間見えなかった。

結局、朝食を終え、身支度を済ませてから出社するまで、男が息子の部屋に立ち入ることはなかった。

勿論、息子は誰にも見守られず、弔われることのないままで……。


───────────────────────────────────────────────


 その日の会社での男はいたって普通なものだった。確かに男は勤務中に何度か浮かない表情を見せることがあった。しかし、それはいわば、お気に入りの本を失くしただとか、毎週欠かさず観ている番組を見逃したとかいう、日常的な不幸に見舞われた人のようであった。とても、今日最愛の息子を亡くした父親のそれではないように思えた。

昼休みがくると、男は普段のように、同僚とともに行きつけの定食屋へと足を運んだ。いつもと変わらぬオーダーをして、同僚といつもと変わらぬ様子で駄弁り始めた。話題は、昨日のナイターの試合についてだった。しばらくして、男はふと思い出したように同僚に言った。

「そういえばさ、息子がどうも事切れたらしい」

その言葉は、ナイターで誰々がホームランを打ったんだ、というのと同じトーンで紡がれた。増して、定食屋の中で、駄弁の中で出すような話題には似つかわしくなかった。当然、同僚は顔をしかめた。

「それは残念だったな……。葬式はやるのか?」

「ああ、今夜辺りにでも葬儀屋に電話を掛けようかと思ってる」

 男の息子についての会話は、それきりだった。同僚はしばらく神妙な表情をしていたが、やがて男と同じように笑いながら世間話を始めた。


───────────────────────────────────────────────


 定刻通り仕事を終えた男が息子の待つアパートの一室に戻ったのは、陽が落ちかけて宵闇との境が曖昧になりつつある頃だった。

少し急き立てられる様子で、男は着替えも中途半端にファクシミリの下にある抽斗を漁り始めた。

数分後、男は満足気に一枚の紙を掴んでいた。

『N葬儀屋  

TEL○○○‐○○○○  

10:00~19:00

大切な方のお見送りをご一緒に』

 そう書かれた紙を見ながら、男はおそるおそるボタンをプッシュした。

受話器を握りしめ、聞き慣れたコール音が響いた。ほどなくして、相手は対話の意を示した。

「もしもし。N葬儀屋です」

 商売慣れした葬儀屋の男の声を聞きつつ、男は用件を切り出した。

「もしもし。息子の引取を頼みたいのですが」

 男の声は強張っていた。ただそれは、喪失感に由来するものではなさそうだった。

「それはそれは。お悔やみ申し上げます。詳しくお伺い致します」

 葬儀屋の男はトーンを強めつつ言った。

「すみません。私こういうものは初めてで、勝手がよく分からないもので……」

「なるほど。まあそんなに緊張なさらないで。最初は誰だって分からないことだらけですよ。何せ『フェイク息子』が普及し始めて十年ほどですしね」

 それに対して、男は苦笑しながら答えた。

「でもまだ気恥ずかしさがありますよ」

「なに、恥ずかしがることはないですよ。この国が女尊男卑となって男性が妻子を持つことが難しくなった今、世の男性がそれを機械だったとしても望むのは当たり前のことです。」

 葬儀屋の男は続けた。

「でも科学技術の進歩は素晴らしい。今や、望めば普通の人間と変わらない、否、普通の人間のように反抗しない孝行な息子が手に入るというのですから」

「全くです。うちの息子も立派に働いてくれました……。それで、引取と新しい『息子』を一台お願いできますか?」

 葬儀屋の男ははつらつと答える。

「ええ、大丈夫ですよ。明日、うちの『息子』に引取に行かせます。新しい『息子』は五日ほどお待ちいただければ」

「ありがとうございます。住所は……」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 私がこのサイトで初めて読んだ小説がこの小説です。私たちの日常にも起こりうりそうなリアリティがすごくどきどきします。最後にどんでん返しが起こるような物語が大好きなので、ドストライクでした。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ