6-10
強い意志を宿した隻眼は「今度こそ」とオンモを見据える。
立ち上るのは鬼気とも言うべき、圧倒的な気配。穏やかな表情に似合わないそれは、分かる人には分かる強者のオーラである。
「させ、ねぇ」
精練した空気を纏い、龍刀を構えた海里の目の前に巨大な骸骨が出現する。
容赦ない足蹴によるダメージから回復しつつある翔生が出したものである。
ただの人間である彼が何故。そんな疑問はサカセの言葉によってすぐに解決される。
「彼には僕の力を貸してあげちゃった。足手纏いは困っちゃうし、そこそこセンスがあってよかったよ」
蟲毒によってサカセに受け継がれたスクルの力。サカセはそれを翔生に与えたという。
翔生は普通の人間だ。妖の力で戦闘能力が飛躍的に上がったとしてもオリジナルには程遠い。そもそも、身体が妖の力に耐えられるはずがない。
「その力は君の手に余るよ」
「分かってるさ。それでも譲る気はねぇ。俺は、あの日をなかったことにする。そう決めたんだ」
己の後悔を消し去るために失った過去を取り戻そうとする翔生と、そんな翔生を冷静に冷徹に否定する海里。
お互いが望むもののために、かつての親友同士は視線を交わして臨戦態勢をとる。
自分が死んだ事実を消そうと躍起になる翔生を前にしても隻眼には微塵の揺らぎはない。
一瞬の躊躇いが、瞬きほどの甘さが、大切なものを傷つけることを知っているから。
決して揺らがない覚悟こそが武藤海里の強さだ。
「待て」
歪なまでに歪んでしまった二人の関係に、割って入ったのは星司だ。かつて翔生が立っていた場所に立つ彼の手には、おもちゃのナイフが握られている。
「ええと……海里を倒したければ、俺を倒してからにしろ!」
「星司?」
漫画で聞いたことのあるような台詞を吐く星司を胡乱げな目で見る海里。
今の親友は海里の視線を背中に感じつつ、おもちゃのナイフを横に振る。プラスチックの切っ先から放たれた白刃が巨大骸骨を二つに切り裂く。
「鷺谷の相手は俺がする」
そう宣言してから驚きに彩られた隻眼と向かい合う。
「上手く言葉にできねぇんだけど、今の海里が鷺谷と戦うのはダメな気がする」
星司の一言が海里に更なる驚きを齎した。
今の海里には躊躇いがない。揺らぎがない。確固たる意志を持って翔生を討とうしている。
本当の戦場というものを知っているから。
星司の知らない世界で、何度も命を懸けた戦いをしてきたから。
命懸けの戦いの中では優しさも、甘さも命取り。だから切り捨てる。
それは正しいかもしれない。けれども星司は間違っていると感じた。
翔生と海里は親友だった。翔生は海里に生きて欲しいと思ってる。以前のように心から笑って暮らせる日々を望んでいる。
なら、海里は?
海里は何を望んでいるのだろう。翔生にどうしてほしいと思っているのだろう。
譲れない戦いを前に、己の感情を切り離した海里。彼の思いは穏やかな笑顔に隠されていて何も窺い知ることはできない。
「海里は、俺よりも命懸けの戦いってのを知ってんだろうけどさ。……俺は、もっと感情的になるべきだと、ならなきゃいけねぇと思う」
少なくともこの戦いでは。
だって、ただの命懸けの戦いではないのだ。親友だった者たちが、お互いが望むもののために戦い合う。そう、これは喧嘩だ。
男同士の喧嘩ならば、もっと感情的に泥臭くあるべきだと星司は思う。
「伝えたい思いとか、そういうの……ちゃんと、伝えるべきだ」
「……星司」
「俺が言えた話じゃねぇけどな」
ふっと遠くを見た星司の瞳は、瞬くほどの切なさを灯していた。
星司は伝えたい思いも言えないまま、そのそも自分が何を伝えたいのかすら分からないまま、ただ逃げている。彼が何も言わない状況に甘んじているのだ。
本当に情けない。
「ともかく、海里は他の奴らを任せた」
「……分かった。星司、頼んだよ」
息を吐き出しながら、「そうか」と小さく呟く。
冷静になるべき。冷淡になるべき。情に流されれば、足元をすくわれる。
それでも感情的にならなければならないときもあるのかもしれない。
微笑の下でそんなことを考えながら、海里は意識を切り替える。翔生は星司に任せた。今は他の二人に集中しなければ。
「二対四、数だけ考えればこちらが有利ですが……」
「数だけならな」
黒ノ幹部に匹敵する力を持つオンモ。最低でも三人分の妖の力を有したサカセ。
計り知れない彼らの力量がレオンを超えているのは明白だ。だから勝てないという話をするつもりもないが。
「降参してくれちゃった方が君たちのためなんだけどなぁ」
「生憎、私たちは諦めが悪いんだ」
葉が集い、術式を組む。視界の隅で捉えた稲妻に、レミは風刃を放つ。
集まった葉が切り裂かれ、不完全となった術式は小さな雷撃を地上へ落とした。その裏で。
「なによっ」
地面から生えるように現れた泥人形に華蓮が炎をお見舞いする。オンモ陣営との戦いの後も修練を積んでいたお陰で、洗練された炎は泥人形を残らず燃やし尽くした。
しかし、現れた泥人形の数は尋常ではない。大量の泥人形たちは集う葉を連携して、華蓮たちを襲う。
風に、炎。霊力の刃。対処に追われる面々を悠々自適に眺めていたオンモの唇が孤を描く。
漆黒の衣を纏った身体から立ち上った黒い靄が、華蓮やレミたちの身体を掠め、微かな音ともに焼いてみせる。
「っ面倒ね。炎滝!」
ひりひりとした痛みに顔を顰めた華蓮の周囲に炎が降り注ぐ。術名通り、滝に似た炎は靄も泥人形も全て燃やし尽くす。
降り積もる黒い雪は、触れたものの霊力や妖力を奪う。
周囲を漂う黒い靄は、触れたものを溶かし焼いていく。
「黒いのには触れない方がいいみたいね」
単純明快な答えを導き出す華蓮の傍で、海里は苦笑しながらも同意を示す。
もっとも一切触れないというのは思っているよりも難しいことだ。
想像してほしい。傘のない状態で、絶え間なく降り注ぐ雪に触れずに歩く。そんな人間離れした芸当など華蓮にも海里にもできやしない。
「まだまだ序の口だよ。こんなのでへばってもらっちゃ困っちゃうな」
「へばってないわよ」
強気な華蓮の言葉とともに炎が爆散する。
土の壁で防ぐサカセの隙を突いてレミが落とした竜巻はオンモの手で容易く受け止められる。
「甘いよ」
「これで終わりだとでも?」
邪気が混じったレオンの妖気が細長い何かを形作る。黒く染まったそれは蛇のようだ。
黒い蛇は無感動に口を大きく開け、猛毒の牙を見せつける。
「ほう。お主も邪気が扱えるのか」
耳元で聞こえた声に振り返った時にはもう遅い。強烈な打撃により、レオンの身体は大きく後方へ吹き飛ばれた。反射的に前に出た腕が嫌な音を立てる。
「っく」
吹き飛ばされるレオンに巻き込まれたレミは顔を歪めながらも、なんとか空中で体勢を整える。
「大丈夫か」
「悪い。油断した」
レミに抱えられえたレオンは右手の状態を確認する。痛みを訴える腕に皹が入っているのは確実だ。
幸いなのは、レオンが肉弾戦よりも術中心の戦法を得意としていることだ。腕を負傷しようとも、術の構築に大した支障はない。
妖力の温存を考えて治癒はしないまま、痛みを忘れるために息を全て吐き出す。
新しい酸素を取り込んだ脳は冴え、改めて状況の整理をする。そこではたと気がついた。
邪気が渦巻く薄暗い空から絶え間なく降り積もる黒い雪。数が増したように思える雪が肌に纏わりつき、容赦なく妖力を奪っていく。
(数が増えた? ……いや、これは)
黒い雪がレミに集まっているのだ。甘い蜜に引き寄せられるような動きは、雪というより虫だ。
急に増えたように思えたのは、今まではレオンに寄ってくることはなかったから。
レミに抱えられて初めて気付けたのだ。
「鬱陶しい」
妖力が爆散し、レミに集っていた黒雪が消し飛んだ。が、黒雪は絶え間なく降り注いでおり、すぐにまた集い始める。
「陽の力に引き寄せられているのか」
レミと同じように華蓮や海里にも集っているのを見て取り、確信を得る。
黒雪は邪気だ。邪気は陰の力。陰の力は陽の力に引き寄せられる。
この場には人間界、妖界合わせてみてもトップレベルに君臨する力を有した者が三人も揃っている。忌子ゆえに生来、陽の力が弱いレオンの周囲にあまり集っていなかったのも頷ける。
陰と陽。相対する力が混じれば相殺する。が、相殺するために消費する陽の力は尋常ではない。
陽の力は気だ。気は血と似ている。失いすぎれば命を落とす。
いくら常人を遥かに超える力を有していたとて、そこは変わらない。
黒雪が降り積もった地面は侵され、辺りは陰気で満ち満ちている。神聖な空気の中であれば、回復は早まるもののここでは期待できない。
レオンの知る限り、史源町でもっとも神聖な気に満ちているのはこの“はじまりの森”だ。“はじまりの森”がここまで汚染されているとなると、他の場所も期待できそうにない。
(藤咲家は別か。あそこには桜さんが施した結界がある)
もしくは妖界に戻るか。
どちらにせよ、この状況で戦力が減るような選択は選べない。
「考えはまとまったか?」
「レオン! 降ろすぞ」
瞬間移動かくやという速さで迫るオンモにいち早く気付いたレミが、レオンを地上へ落とす。なんなく着地したことを目端で確認しつつ、振り下ろされる拳を翼の防御で受け止める。
重い一撃に純白の羽根が何枚も舞い落ちる。
それは黒雪と混じり合い、織りなされる幻想的な風景に見惚れる間もなく水の鉾が生成される。
尋常ではない速さで繰り広げられる攻防を、地上から見つめていたレオンは敵の気配を感じて大きく後ろへ飛んだ。
サカセが姿を現したと同時に、レオンの掌から生み出された大蛇が彼の身体を締め上げる。
「……土塊」
苦悶することなく崩れ去るサカセを一瞥し、改めて周囲の状況を確認する。
レミは空中でオンモと応戦中。華蓮、海里は土人形の相手をしながら、サカセへの攻撃の隙を窺っている。
そして星司は――。