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6-9

 五分も経たずに開けた場所に辿り着く。草木一つ生えない円形の空間だ。

 以前訪れたときの澄んだ空気は消え去り、今はおぞましいほどの邪気で満ち溢れている。


 天高く渦巻く邪気の前には一人の青年が立っている。漆黒の髪と瞳に、浅黒い肌。身を包む衣もまた漆黒で、闇が具現化したような青年だ。


「……オンモさん」

「久しいな、海里よ」


 対面しても、それほど驚きがないのは道中でずっと気配を感じていたからだろう。

 オンモの素顔を知っているのは、このメンバーでは海里だけだ。その姿に圧倒され、同時に困惑の表情を見せる面々を代表して彼と向かい合う。


「あの時、貴方は死んだはずです。それが……」


 努めて冷静に振る舞う海里を見るオンモの表情はどこまでも優しい。自分を殺した存在に向けるとは到底思えないほどに。

 闇に染まりきった瞳は、海里を見ているようで見ていない。向けられる温かな眼差しは、海里の中に妖華の面差しを見出している。

 海里自身には価値なんてない。オンモが海里を慮るのは妖華の子供だからだ。


「確かに我は死んだ。お主の認識は間違っておらぬ。ただ、抜け道がある」

「抜け道……?」

「ふむ。死んだという事実を反転させればよい。そういう術が得意な者がいるのだ。お主たちも会ったころがあるかもしれんな」


 心臓が大きく跳ね、心が震える。反応したのは海里ではなく、心の奥底で眠っていたはずの――。

 死んだという事実を反転、なかったことにする。つまり死んだ者は生き返る。

 左腕を無意識に触れた海里は震える心の内を押し込める。


「ようやく戻ってきたようだな」


 ペースを乱さないオンモに呼応するようにまた新たな邪気の渦が誕生する。春ヶ峰学園がある方角だ。

 高く高く昇る渦は天で混ざり合い、澱んだ空気を募らせる。肌を撫でる空気に混じる瘴気が圧倒的なまでに濃くなり、息苦しさが増す。


「また、軛が解かれたのか」

「そうだよ。邪魔が入ったお陰でちょっと時間がかかったちゃったけど、これで三つ。残りはちょっと面倒なとこにあるからね。君たちを殺しちゃってからゆっくりとやるとするよ」


 現れたのは白いフードを目深に被った人物だ。幼い少年とも、ボーイッシュな少女ともとれる容姿を持つ妖だ。フードからは水色の髪が零れている。


「聞き覚えのある声ね」

「君とは少しだけ遊んだことがあるからね。僕の名前はサカセ。よろしくしてくれなくてもいいよ」


 サカセと名乗った妖は、人形(マリア)を倒した華蓮と焔の前に現れた妖と同じだ。

 襲い掛かる邪念体に気をとられているうちに逃がしてしまい、悔しい思いをしたものだ。まさか、こんなところで再会を果たすことになるとは思ってもみなかった。


「軛はそう簡単に解けるものではないはず。一体どうやって……?」


 何百年もの間、この史源町を繋ぎ止めていた軛だ。一介の妖に破れるとは考えられない。


「簡単だよ。有を無に、軛をなかったことにしちゃえばいいだけの話さ」

「そんなに簡単なものなの?」


 言葉をそのままに受け取った華蓮は怪訝な表情でサカセを見る。サカセ本人が答えるよりも先にレミが否定を口にする。


「そこにあるものを無に帰すなんて理を犯すようなものだ。少なくとも幹部に匹敵するだけの実力が必要だな」


 幹部に匹敵すると言われるレミですら、そんな芸当はできない。できたとしても持ちうる力を全て出し切ってどうにかできるくらいだ。


「お前はどうやってそんな力を手に入れた?」

「そんなのどうでもいい話だよ。君たちはここで死んじゃうんだから。ああ、でも」


 淡い赤の瞳が海里を射抜く。

 楽しげに歪められた表情に目を丸くした海里は不自然にざわつく空気を感じた。


「君は別だ」

「どういう……」

「僕なら君の抱える問題をなかったことにできる。こっちに来ちゃいなよ」


 有を無に。


 オンモの言葉が真実であれば、サカセは死すらも失くすことができる。それはつまり――。


 胸がざわつき、早鐘を打つ。乱れた呼吸で、はたと気付いた。

 逸るようなこの気持ちは海里のものではない。この身体の、本来の持ち主――彼が心を揺らしているのだ。


「悪いけれど、俺は君に協力はできない」

〈海里……〉


 頭に直接響く懇願の声に心中で謝罪する。

 本当はとうに終わっていた命だ。これ以上を望む気はない。カイの気持ちは痛いほど分かるけれど、海里は決して心を曲げるつもりはないのだ。


「それはとーっても残念だね。君もそう思っちゃうだろ?」


 サカセの言葉に答えるように木々の影から一人の少年が姿を現した。


「鷺谷、翔生……」


 それは間違えようもない、鷺谷翔生その人であった。

 瞳に暗い影を落としたその顔は、一週間ほど前に会った時から随分と様変わりしていた。死人のような疲れ切った表情をしている。


「星司君の知り合いなの?」

「俺の知り合いってよりは……」


 言いながら海里を横目で見る。

 見開かれた隻眼が海里にも予想外であることを言外に告げている。

 最悪ともいえる再会を果たしてから一度も会っていない海里は、彼の名を呼ぼうとして口を噤む。かけるべき言葉を迷うその仕草は、いつも海里らしくない。


「お前なら分かるはずだ。こっちにくれば、あの日をなかったことにできる」


 暗く澱んだ瞳は、海里を見ているようで見ていない。

 落ち込んだ声は、海里に向けられているようで向けられていない。

 翔生は、海里の奥底に潜む存在を見ていて、彼に語りかけているのだ。


〈俺は――〉


 声が脳内に響いたと思えば、一人の少年が姿を現す。

 海里と瓜二つの幼い少年。違うのは金色の髪だけ。透けた身体を持つ幼い少年の姿を見ることができるのは海里だけだ。


 武藤風斗。今はカイと名乗る少年は、何かを訴えるように海里を見つめている。

 この身体は彼のものだ。その気になれば、いくらでも主導権を握れる。それでも彼は海里の許可を求めるのだ。


「ごめん」


 短い謝罪に込められた拒絶に隻眼が大きく波打った。胸が強く痛んだが、海里も譲る気はない。

 彼が無理にでも主導権を握ろうとしないのは分かっていた。カイが表に出れば、身体はそれだけ持ち主の方へずれていく。ずれた分だけ、海里の残り時間が削られる。


(俺は卑怯だな)


 彼がどれだけ自分に依存しているのか知っていて、自分の生を求めているのか知っていて、それを利用している。


 全て、海里が原因だ。翔生のことも。風斗のことも。

 状況に甘んじて答えを出してこなかったのは海里自身。ちゃんとケリをつけなければならない。

 龍刀を召喚し、戦闘の意志を示す海里に翔生は「仕方ない」と肩を落とす。


「海里様、本当にいいんですね?」


 無言で頷く海里の揺るぎない意志を汲み取り、レオンたちは思考を戦闘へ切り替える。

 どちらにせよ、サカセやオンモを倒さないことには話は始まらないのだ。


「君らごとき倒せるなんて思い上がりもいいところだよ。大人しく殺されちゃえばいいのに」

「やってみないと分かるまい」


 ばさりと音をたてて、純白の翼が開かれる。羽根が舞い散り、黒雪に混ざり合う。その中に緑が入った。


 葉だ。

 ひらひらと次から次へと落ちる光景には見覚えがある。訝しるレミは舞い落ちる葉が一か所へ集まる姿を見てようやく思い当たる。


「伏せろ!」

「――ライトニング!」


 凄まじい轟音とともに雷撃が落とされる。飛び散った小石が、反射的に伏せた星司と華蓮の肌を傷つける。

 傍でカタカタと何かが揺れる音が聞こえてきたかと思うと骨ばった腕に足首を掴まれた。

 骨ばった腕と思ったものは、骨そのものであった。箍が外れた腕の力はかなりのもので、下手に動けば肉が抉られてしまいそうだ。


 衝撃で巻き上げられた砂が星司たちの視界を奪っており、周囲の状況が一向に掴めない。

 海里は? 華蓮は? レオンは? レミは?

 視界は役に立たないと聞くことに集中する。


「ど、いう、こと……だ」


 苦しげな声が耳に届いたと思えば、当然の疾風が視界を奪う砂塵を吹き飛ばした。

 数分ぶりに晴れた視界で辺りを見回し、息を呑む。


「この状態で術を行使するとは流石だな」


 オンモはレミの首を絞めつけながら、称賛の言葉が口にする。レミの口は少しでも酸素を入れようと絶え間なく呼吸を繰り返している。


 至近距離で雷撃を受けたレミは翼で防御したまま、後方へ吹き飛ばされた。反動で、わずかな間隙をぬって浅黒い腕が伸びてきたのだ。

 的確に細い腕を掴んだ浅黒い腕。一瞬の出来事に為す術もないレミは、せめてもの反抗に疾風を巻き起こしたのだ。


「レミ!」

「案ずるな。まだ殺しはせぬ」


 オンモの言葉は事実のようで、細い首を掴むうでにはそれほどの力を込められていないようだ。


「これはどういうことですか」


 努めて冷静に振る舞うレオンは、もはや原型を留めない骨の残骸を見せつける。


「私はこの術を、この妖気を知っています。持ち主がすでに死んでいることも」

「また術で生き返らせたとかじゃないの」

「それなら気配を感じるはずです」


 姿を現している者以外の気配は、この森のどこにも感じられない。貴族街の中までは流石に探知できないが、まさか彼らが侵入者を黙殺するなんてことは考えられない。


「蟲毒。それが我の得意とする術だ」


 そこでようやく合点がいったレオンに対して星司と華蓮は疑問符を浮かべたままだ。そもそも蟲毒についての知識がなければ、理解するのは難しいだろう。


「蟲毒というのは古代中国で用いられた呪術の名称です」

「……呪術」


 毒を持った生き物を同じ容器で飼育し、共喰いをさせる。最終的に勝ち残ったものを呪詛の媒体にするというものだ。


 オンモの言う蟲毒はこれを元にした術だ。

 まず複数人に術をかける。かけられた者のうちの一人が死ねば、その一人分の力が残りの者に分配される。それを繰り返し、最終的に複数人分の力を持った者が誕生するという寸法だ。


「禁術と言われるものを何故、と聞くのは野暮でしょうね」


 禁術に関する書物は全て黒ノ国に保管されている。かつて、黒ノ幹部とともに黒ノ国を治めていたオンモが扱えても不思議はない。

 なにより、禁術と邪気は非常に相性がいい。


「つまりどういうこと?」

「オンモさんは仲間に術をかけていました。死んだ仲間の力を分け与えられる術です。我々が倒した分だけ、サカセさんに力が与えられるというわけです」


 ハガク。チソホ。スクル。

 サイデと芙楽にも術をかけていたのかは分からないが、少なくとも三人分だけであってほしいとレオンは願っている。


 オンモが封印されることになった数百年前の諍いは、文献に残っているほど大きなものだった。死した妖は百はくだらず、そのほとんどがオンモ陣営の者だった。


 最悪な可能性に思い当たり、表情を曇らせたレオンはオンモがこちらを見ていることに気付いた。その手で想い人の首を掴んだままのオンモは、レオンの想像を肯定するように笑んだ。全身に怖気が走る。


「どうだ、試してみるか」

「っぐ」


 掴むだけだった手がギリギリとレミの首を絞め上げる。

 いよいよ呼吸ができなくなったレミは足掻くようにオンモの手を掴む。尋常ではない力が込められた手はびくともしない。


 蚊に刺されたかのような態度でレミの首を絞め続けるオンモはあいた方の手に何か黒いものをまとわりつかせている。


「この娘は中々の逸材だ。蟲毒を使って殺せば、サカセはこれまでにないほど強くなる」


 そうだ。なにも仲間に限った話ではなかった。

 蟲毒の術を使った上で敵を殺せば、その敵の分の力さえも分配されるのだ。


 最初にレミを狙ったのは、これが理由なのかもしれない。

 なにせ、二人の幹部のいいとこ取りをしたような人物である。味方だと心強いが敵に回ると非常に厄介な存在だ。もっとも、ただそれを見守るレオンたちではないが。


「……!」


 闇を纏う瞳が銀色に輝く切っ先を捉えたときにはもう遅い。

 ただ一人、気配を潜めていた海里がオンモの手首を切断し、レミから引き離す。


「っかは」


 数秒ぶりの空気を咳き込みながら味わうレミを抱え、大きく後方へ下がる。

 その横では翔生がお腹を抱えて蹲っている。


「大丈夫?」

「ごほっ、ごほっ……すみ、ません」


「気にしないで」と穏やかに微笑む海里を、一部始終を見ていたレオンは微妙な顔で見ている。

 砂塵の中、レミが捕まったと分かった瞬間から海里は動き出していた。


 隠業の術で己の気配を消し、オンモの近付いた海里。レオンたちの会話を聞きながらタイミングをはかっていた海里は、頃合いを見て牙を向いたのだ。


 龍刀に霊力を纏わせた海里は、敵で唯一、自分の存在に気付いていた翔生の攻撃を蹴りであしらい、オンモの手首を断ち切った。容赦の欠片もない、見事な一撃であった。


「くく、くくくく、知らぬ間に随分と腕をあげたではないか」

「少し、鬼と手合わせする機会がありまして」


 春野家に滞在している間、リハビリと称して紅鬼衆に手合わせしてもらっていた。健には術の精度を上げる練習に付き合ってもらっており、思えばかなり充実した日々だった。


 片手を失ったにもかかわらず、オンモは海里の成長を喜ぶように笑う。


「今度こそ、貴方を倒します」

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