6-1
「な、なんなんだよ、お前……っ!!」
震える声が問いかけた。空気が揺らぎ、形作られた炎がうねるようにして目の前の人物を襲う。暗闇の中で眩しさすら感じさせるほどに燃え盛る炎は、黒いローブに触れて霧散した。
嘘のような静寂の中、息を呑む音がやけに響いて聞こえる。瞳は大きく見開かれ、恐怖に震えている。
「な、んで……効かないんだ……っ」
目の前に立つ人物は長身だ。黒いローブでその身を覆い隠し、フードを目深に被っているせいで顔すら分からない。まさしく謎の人物だ。
ここ最近、妖界では不審死が相次いでいる。何者かの手によるものという噂を聞いたことがある。おそらく噂の張本人である人物を前にして、震えることしかできない。
掌が向けられる。女性というには武骨すぎる掌から闇色の手がいくつも伸び、捕らえられた。尋常ならざる力が肩を、腕を、腰を、足を、首を掴んで抉って砕いていく。
霞んでいく視界が最後に捉えた闇色の手が体内に侵入し、脈打つ臓器を抜き取った。生きたまま抜き取られ、まだ外に出されたことに気付かない心臓が握り潰される。撒き散らされる赤黒い液体ごと、握り潰したものを捨てた。
「全てはあの方のため――」
●●●
夢を見た。
赤い記憶の夢を。
忘れてしまいたいあの日の夢を。
「 ちゃんは俺のこと好き?」
そう尋ねたのは幼馴染の少年だ。
ころころと表情がよく変わる彼はことあるごとにこの質問をした。
それは彼の出自に関わっているかもしれない。なんてことは成長してから思い至ったことだ。
いつものように「好きだ」と答えれば彼は満足する。だけど、今日は何故か悪戯心が働いた。
言うな、と。静止を求める声を無視して幼い自分は口を開く。
「嫌いだ」
泣くと思った。彼は泣き虫だから。
泣いたら謝って「冗談だよ」って笑えばいい。そんな浅はかな悪戯心はあっさりと裏切られた。
笑った。
泣き虫な彼は「嫌いだ」という言葉を受けて穏やかな笑顔を浮かべてみせた。誰よりも子供っぽい彼らしくない大人な笑顔は嘘のようによく似合う。
堪らなくなって走り出した。逃げるように、呼びかける幼馴染の声を無視して走る。走る。走る。
「危ない!」
誰かに身体を押された。尻餅をついた状態で、赤いランプを埋め尽くすように跳ねる藍色を呆然と見つめる。
まるで状況が読めない。どうして、彼が横たわっている。あの赤い液体は何だ。
コンクリートの地面に打ち付けた尻が訴える痛みが残酷で悲痛すぎる現実に引き戻す。
「――ぁ」
耳をつんざいた絶叫の絶望感を遠くに聞きながら、目の前の現実に改めて目を向ける。
地面に横たわる幼い少年、赤い液体の臭いが鼻孔を刺激し、尋常じゃない吐き気がこみあげる。乱れた呼吸の中で、倒れる幼馴染に手を伸ばす。
触れた肌からはどんどん温度が失われていき、微かに上下していた胸もだんだん緩慢な動きになっていく。
「 」
呼びかける声に答えくれることがないことは知っていた。それでも呼びかけずにはいられなかった。
彼が死んでしまったなんて事実はどうしても受け入れられなかったのだ。
そう、ありえないのだ。彼が死んでいるなんて、そんなこと――。
飛び起きるようにして目を覚ます。引っ越し初日の目覚めは最悪なまでに最悪だった。
ここしばらく見ることのなかったあの夢を数年ぶりに見たのは、慣れない環境で眠ったせいだろうか。
思えば、引っ越し初日はいつもあの夢を見ていたような気がする。父の転勤が久しぶりだったせいで忘れていた。
昔は毎日のように夢見ていたものの、時が経つにつれてだんだん見なくなっていた。あそこまではっきりした夢を見たのはいつぶりか。
「……せっかく、忘れられそうだったのに」
呟いた声は掠れていた。
実際の光景と遜色ないほどにはっきりとした夢は、幼馴染の死を鮮明なまでに連れてくる。
もう十年近くも前の話だ。時効だと忘れようとしたことを責めたてる。
乱れた呼吸を何とか落ち着け、再びベッドに横になる。最悪な目覚めを払拭するように二度寝することを決めたのだ。
数年ぶりの父の転勤により訪れたのは史源町。親しい友人の家が離れてしまうことになったものの、高校には数駅分近付いたので文句はない。
「翔生、起きなさい! 友達と約束があるんでしょ」
階下から聞こえた母の声に、二度寝しようとしていた翔生は慌てたように飛び起きる。
そうだ。今日は史源町に暮らす友人に町案内をしてもらう約束をしていた。
「もう起きてるって!」
二度寝しようとした自分を棚にあげて返事をしつつ、バタバタと階段を駆け下りる。
今日会うのは部活の練習試合で親しくなった友人だ。この町にある高校に通っている彼は十時に家に来る約束だ。なんだかんだ時間を守る彼が来る前にさっさと身支度を済まさなければ。
この頃にはもう、あの夢のことは忘れていた――。
序章、みたいな感じです