5-12
海里の行方が知れないまま、一か月と少しが経った。捜索の中止が妖華によって告げられたレオンは何をすることもできず悶々とした日々を過ごしていた。
あれから新しい任務を与えられるわけでもなく、書類仕事を消化する毎日だ。
クリスが鬼のように押し付けてくる書類の山は正直、ありがたい。手持無沙汰な時間はどうしても嫌なことを考えてしまう。
今日も今日とて、書類仕事におわれていたレオンは響いたインターフォンに手を止める。
「どちらさまですか」
玄関扉を開けたレオンを出迎えたのは二人の人物だ。
「星司さんと……貴方は」
「どうも、突然すんません。ちょこっと時間ありますか」
最近、一緒にいることの多い寝癖頭の少年の隣に立つ人物は訛った口調でそう言った。
人懐っこそうな顔立ちをした青年。貴族街の門衛をしていた人物だ。名前は確か、君江八潮。
今日は私服姿だったために、思い出すのに少しばかり時間がかかってしまった。
「大丈夫です。中に入りますか」
「このまんまでええですよ。すぐ出ることになるやろうし」
「……そうですか。それで、何の御用でしょう?」
傍から見ているだけでも伝わってくる八潮の人の良さ。だからといって油断はできない。
相手は貴族街の人間だ。一枚岩ではいかない。
ふと思い出したように星司の方を見れば、どこか困惑した表情を見せている。ただ道案内だという考えはすぐに打ち消した。
「ある人に頼まれまして。今からお二人を春野家まで案内させてもらいます。……非番やったんやけど、ほんま人使い荒くて困りますわ」
「ある人と言うのは……」
レオンの脳裏に過るのは一人の人物だ。
海里が行方知れずとなってから、一切の連絡がつかなくなった人物である。件のチャットルームは相変わらず閉鎖されたままで、星司が話したという『コスモス』なる人物とも接触できていない。
警戒を募らせるレオンを前に、八潮はあけすけに笑って答える。
「残念やけど、それは教えられへん。ただ、二人の予想は外れやな」
「どういう……」
「まあまあ。立ち話もなんやし、歩きながら話しましょ」
簡単に考えを読み取ったような言葉を紡ぐ八潮に、やはり侮れない気持ちを抱きながら、レオンは二人に肩を並べて歩き出す。
仕事を途中のまま放ってきたが、別に急ぎというわけでもないので問題ないだろう。何より、断るべきではないと直感が告げている。
理性的なレオンであるが、こういった直感には素直に従うようにしているのは珍しいことである。
「予想が外れということは、健さんではないということでいいんですよね」
「せやな。春野家に案内って聞いて、真っ先に思い浮かぶのが王様じゃないんは面白い話やけど。まあ、健の日頃の行いって奴やろな」
「つーっことは、王様が呼んでるってことっすか」
釈然としない表情での星司の問いかけに、八潮は「それもちゃうな」と即答する。
健でもなければ、和幸でもない。思いのほか、貴族街の知り合いが少ない二人はすぐに答えにつきる。
まさか、健や和幸たちを差し置いて龍馬が呼び出すとも考えにくい。
「わざわざ春野家に呼ぶということは彼らが無関係というわけでもないんでしょう?」
「まあ、そうやな。……嫌がらせって奴や」
明るい表情ばかり見せていた八潮はここで初めて困ったように眉根を寄せる。
頼まれたから案内はしているものの、正直あまり気乗りしていないようだ。
断れなかったらしい八潮の態度を見る限り、ある人とというのはそこそこ身分が高いようだ。そもそも春野家に客を寄越すような真似、そこらの人間にできるはずがない。
「俺らが春野家に行くと誰かが困るってことか……」
その誰かについても八潮は教えてくれる気はないらしく、「そういうことや」と複雑そうな相槌を打つ。
貴族街の人間というのは、どうして秘密主義の人間が多いのか。
「一つ言えるとしたら、二人には悪くない話ってことやな。探し人いるんやろ? きっと何かしらの情報は掴めると思うで」
「!」
武藤海里は貴族街にいる。
海里の従妹である少女を通じて与えられた情報の信憑性が急激に高まった。
春野家にいるか、いないかはともかく、貴族街を統べる人物に接触できるのは素直にありがたい。
上司から捜索中止を告げられた身の上では、春野家当主に会いに行くことも難しいことなのだ。
「ただの門衛が何故、そのようなことを知ってるんです?」
八潮が『コスモス』なのではという疑いの意味を込めて問いかける。
「優秀な門衛だからやって答えは意地悪すぎるか。自分らも知っとるやろ、カガチのこと。そこそこ親しくしてもらっててな」
「親しく、ですか」
「深い意味はないで。門衛の持ってる情報が有益ってだけや」
本当にそれ以上のことはないと言い切る八潮。不信感が拭えたわけではないとはいえ、押し問答をしていても時間を無駄にするだけだ。こういう手合いは、絶対に口を割らない。
「君江さんは海里の居場所知ってるんすか」
「さすがにそこまでは分からんよ。……それと、八潮でええ。名字で呼ばれるんは好きやないから」
どこか暗い影を宿らせた八潮。名字で、何か嫌な思い出でもあるのだろうか。
数える程度しか会ったことのない人物の内情に踏み込むほど不躾ではないレオンはすぐに疑問を追いやる。代わりに尋ねるのは、別の疑問だ。
「チャットルームは閉鎖されていたはずですが……どうやって連絡を?」
「チャットルーム? ……ああ、カガチが運営してる奴か。堪忍、堪忍。俺はいっつも直接連絡とっとるからなー」
「カガチさんの正体をご存知なんですね」
情報交換をする間柄で、健と知り合いとなれば不思議はない。カガチ本人の正体を隠そうとしているわけではないのは、レオンが知っていることからも明らかだ。
意外なのは、八潮がチャットルームの存在を知らない素振りを見せていることだ。『コスモス』が八潮という考えは早計だったかもしれない。
「なんや、どエライ別嬪さんがおるな」
思考に没頭しかけていたレオンはそんな八潮の声に顔を上げる。視線の先を追うように動かし、瞬きをする。
立っていたのは、八潮の言葉通りの美女である。
肩の辺りまで伸ばされた銀髪にさり気なくつけられた桜の髪飾りが彼女の可憐さを引き立てている。纏う着物は寒色で、雪女といった印象を抱かせる。
「流紀さん、こんなところでどうしたんすか」
向けられる想い人と同じ色の瞳が微かな驚きに彩られる。
流紀が立っているのは、貴族街へ続く門の前。コンクリートで作られた壁の前に、雪女然とした女性が立っているのは非常に違和感がある。
「桜の使いでな。春野家へ行くところだ」
「奇遇っすね。俺らも春野家に行くところなんすけど、一緒にどうですか」
持ち前のコミュニケーション能力を発揮する星司は確認するように八潮を見る。
「構わへんよ。別嬪さんなら大歓迎や」
「世辞は必要ない」
「ホンマのことやって。なあ、レオンさんもそう思うやろ?」
話を振られ、反射的に流紀の方を見る。
寒色に彩られたその姿は確かに美しい。儚さを纏う雪女といった感じだ。
褒め言葉などいくらでも思いつくものの、想い人の姉へそれらを紡ぐのは気恥ずかしさが勝つ。
「――そうですね。流紀さんは、お美しい方です」
沸き起こる羞恥の感情を遠く追いやり、素直な称賛を口にする。
それに対する流紀の反応は――。
「……そうか」
静かに呟き、顔を僅かに俯ける。
ここに焔がいなくてよかった。
頬を仄かに赤く染め上げながら、流紀はそんなことを考える。もし、焔がいれば絶対にからかわれる。
流紀は己の容姿に頓着するタイプではない。ではないが、誰かに褒められるというのは嬉しいもので、乱れる心を何とか落ち着ける。
「っそんなこと話してないで、とっとと春野家に行くぞ」
未だ赤いままの頬を誤魔化すように先を歩き出した流紀を、男性陣は慌てて追いかける。
蟠っていた疑念を確かめるタイミングは完全に失ってしまった。あっけらかんとしているようで抜かりないところは、やはり貴族街の人間だ。
拭えない不安を抱きながら、レオンは貴族街に足を踏み入れた。
関西弁、わからん……
似非なのでおおめに見てください