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5-10

 意識が浮上する感覚。瞼をゆっくりと押し上げれば、見慣れた奇妙な物体が視界に入る。

 少し前にもこんなことがあったなと考えながら身体を起こし、視線を巡らせる。


 何をするでもなく、ただ天井にぶら下がっているヤツブサ。

 本性である白猫の姿に戻り、ベッドの隅で眠る環。

 ――そして、当然のように部屋に居座って小鬼たちと戯れている和幸。


 これらを順繰りに見た海斗は困惑の表情を浮かべる。何故、彼がここにいるのだろうか。

 あまりにも景色に馴染みすぎていて、そんな疑問を思い浮かべることすらおかしなことのように思えてしまう。


「具合はどうだ?」

「お陰様で。……何故、ここにいるのか聞いても構いませんか」


 今までの和幸ならば、海斗を部屋に運んだのを最後として関わることはなかったはずだ。

 海斗の知らないところで、何か心境の変化でもあったのだろうか。


「お前が心配だったから」


 真っ直ぐに海斗を見つめた和幸はそう告げ、口元をにやつかせる。


「って言えって言われた」


 誰になのかは聞かずとも分かる。彼女がここにいないのは、二人のことを気遣ってだろうか。


「友達は大切にしないといけませんよってな」

「……友達、ですか」


 素の表情を見せるようになった和幸の言葉を確かめるように反芻する。


 友達。

 うん。悪くない響きだ。


 自分とは無縁だと思っていた言葉が自然と馴染んでいることに驚きながら、笑みを浮かべる。無意識に浮かべられた素の笑顔は海斗の人間らしさを連れてくる。


「貴方となら面白い毎日が送れそうですね」

「そうだな。お前とならいい友達になれそうだ」

「……すごく胡散臭く聞こえるんですが」


 満面の笑みを浮かべる和幸の胡散臭さを指摘すれば、「失敬な」と分かっていたように言葉を返す。

 昨日の今日で急激に縮まった距離は居心地がよく、すっかり打ち解けた二人は仄かに笑い合う。


 無関心に丸くなる白猫の尻尾が揺れる。寝たふりを貫く環の顔には隠し消えない喜びで満ちており、傍らで二人と一匹を見たヤツブサは口角を上げる。


「――幸。貴方にはいつか、私の秘密を話します」

「その時は、俺の秘密も教えるよ」


 〇〇〇


 交わした約束は結局、果たされることはなかった。互いの秘密を話す前に海斗は命を落としたのだ。


 血塗れとなって地面に倒れ伏した親友の姿を思い出し、そっと目を逸らす。

 海斗の死体を最初に見つけたのは和幸だった。彼の仇を討ったのもまた、和幸だ。


 彼は、和幸の親友だった男は、大事なことを隠したままで遠くに行ってしまった。


 和幸の昔語りをただ純粋に聞いていた海斗とは違い、健は何やら難しい顔で考え込んでいる。健がこういう素振りを見せることは珍しくないものの、いつもとは違う何かを感じさせる。


「け――」

「その秘密が何なのか、推測できないんですか」


 どこか遠くを見るように考え込んでいた瞳が向けられる。機械的で、無機質で、感情が抜け落ちたような相変わらず瞳だ。


「龍王関係のことだろうとは思っていたが……?」

「でも、海斗さんって面倒臭がりなんですよね。相手が知っていることにそんな面倒なことするとは思えませんけど」


 質問の意図が読めないままに答えた和幸は言われて初めて気付いた。

 神生ゲームに関して多少の知識があれば、海斗が龍王の関係者であることはすぐに分かる。


 武藤家出身で、藍色の髪。

 この二つの特徴が意味することは一つしかないのだ。


 和幸は出会った当初から気付いていたし、海斗も気付かれていることを知っている。その上で、回りくどい約束をするような性格ではないのは確かだ。


「……そうなると俺にも分からないな」


 健の中には一つの仮説がある。海斗の秘密が分かれば、その仮説の裏付けになるかもしれない。

 口元に手をあて、考え込んでいた健がふと瞬きをした。


「今、猫の鳴き声が」

「? 俺には何も聞こえなかったけど」


 怪訝そうな表情で耳を澄ませば、微かに猫の鳴き声が聞こえてくる。集中してようやく聞こえてくる鳴き声に気付くとは大したものだ。


 桜稟アカデミー同様にセキュリティが行き届いており、野良猫が入り込んだとは考えにくい。妖が迷い込むくらいだから、絶対にとは言えないが。


「幸様、お客様がお見えです。お通ししてもよろしいですか」


 今日は客が来ても断るように言ってある。龍馬がわざわざ聞きにきたということはただの客というわけではないのだろう。


 猫の鳴き声がもたらす答えに気付いた和幸は、件の客を通すよう龍馬に伝える。

 間もなく現れたのは白猫だ。二つに分かれた尻尾を揺らす白猫は親しいものにだけ分かる笑みを浮かべてみせる。


「久しぶり」


 素っ気ない声は最後に会ったときと変わりない。感情の読めない灰色の瞳は久方ぶりに会う友人に次いで、海里へ向けられる。

 何よりも大切にしていた存在の面影を残した姿に抱いた感慨は刹那のうちに消え失せる。


「お前、海斗の息子か。名前は確か――」

「海里です。環さん、ですよね。父のご友人の」


 肯定するように瞬きをした環は続くように和幸へ視線を映す。


 噂をすれば影が差すとは言うが、二十年近くも姿を消していた彼女の登場に驚きを隠せない和幸である。

 海斗が亡くなってすぐに姿を消した環の所在をそれとなしに探ってみたりもしたが、今の今まで全くつかめないでいた。それが今、姿を現したのだ。驚かないわけがない。


「今までどこに行ってたんだ?」

「旅をしてた。たくさん、いろんな場所で。旅をしながら、欠片を集めていた。悪用されないように。そう言われてる」

「言われてるって誰に? 欠片というのは……」


 相変わらず喋り下手な環の言葉は引っ掛かる部分が多く、畳みかけるように問いかける。

 口止めされているのか、環は和幸の質問には答えない。代わりに、灰色の瞳をふっと和らげた。


「気配を感じてきたけど、ここのは問題なさそう」


 白猫の顔に宿る柔らかい表情。環がこんな表情を向ける相手は、和幸の知る限り一人しかいない。

 和幸は数日前に海斗の気配を感じたことを思い出した。あれは健が怪我をした海里を連れてきた日のことだ。


 藍色の気配が、健の来訪を告げていた。今はそんな風に思っている。

 もしかすると環が集めている欠片というのは……。


「あのー」


 控えめにかけられた声によってはじめて存在に気がついたらしい環は全身の毛を逆立てた。恐怖と警戒が綯い交ぜとなった表情で、低い唸り声をあげる。

 突然の変わりように驚き宥める和幸の横で、健はお構いなしの無表情だ。


「お前は何だ」

「岡山健です。って答えは求めていないでしょーね。ここは一先ず王様の小間使いということにしておきましょーか」


 殺気に近い視線を浴びながらも、健は調子を変えない。


「どこまで知ってる?」

「ここで言葉にできないくらいには」


 感情の読めない瞳は交差する。


 話の読めない和幸たちはただ黙って状況を見守っているしかできない。二人の間には、和幸と海里には分からない何かがあるのだ。

 じっと値踏みをするように健を見つめていた環がようやく口を開く。


「何の用?」

「質問したいことがありまして。とりあえず一つだけ、いーですか」

「何?」

「龍王さんの居場所をご存知ですか」

「知らない」


 素っ気なく答える環に、健は落胆する素振りも見せずに「そーですか」と返した。


 龍王。

 万物を紡ぐ力と、万物を見る力を有した出来損ないの神の一人。


 出来損ないの神の中でもっとも得体が知れず、海斗とも海里とも縁深い存在である。

 問いかけをの意味を探るように視線を寄越した和幸に、健は肩をすくめてこちらを見る。


「いつか、ちゃんとお話しします」


 いつものはぐらかしとは違う真摯な眼差し。

 滅多に見ることのない真に迫る健の表情を信じることにした和幸はこれ以上の追及をやめる。


「ユキ、二人で話がしたい」


 突然の言葉に頷きつつ、環の意見を尊重するように一人と一匹で部屋を後にする。環と話したいと思っていたのは和幸も同じだ。


 一人減り、二人減り、かつてを知るのは和幸と環、そして龍馬だけとなった。

 和幸以上に海斗の近くにいた彼女であれば、彼の秘密を知っているかもしれない。


「それで話ってなんだ?」

「海斗を見つけたのはお前だと聞いた。妖を殺したのも」


 静かに首肯する。


 倒れ伏した海斗。その肌は蝋のように白く、瞼は力なく閉じられていた。諦念に近い微笑を浮かべた唇が実に海斗らしい。


 悪い冗談のように広がった赤黒い液体が今も忘れられない。

 あの日、和幸は臥せりがちだった海斗の見舞いに行っていた。が、海斗はこっそりと部屋を抜け出しており、探しているうちに辿り着いたのがその光景だ。


「妖の目は何色だった?」

「目の色……? 確か、白っぽかった気がするが」


 親友の死に動揺していたこともあって、あまり覚えていない。記憶を振り起しながら答える和幸の言葉に、「やっぱり」と呟いた環は殺気を宿らせる。

 先程、健に向けていたものとは比べ物にならないくらいに鋭利な殺気だ。


「仇を討ってくれたこと、感謝してる。でも、まだ終わってない」

「それはどういう」

「タマはあいつには手を出せない」


 あいつとは誰なのか。

 出来損ないの神にはそれぞれ象徴する色があり、眷属たちは主である神と同じ瞳の色を持っている。


 鬼神は紅。妖姫は金。龍王は銀。

 白というのは心当たりがないものの、残る関係者は一人だけ――。


「――海斗の秘密と関係あるのか」

「そうだ。でも、タマの口からは言えない。海斗がお前に話す。そういう約束だった」


 約束。

 いつか、互いの秘密を教え合う。他の誰でもない、当人の口から。


 海斗が死してなお、その約束を義理堅く守ろうとする環を否定するようなことはできない。

 結局、海斗の秘密は知れずじまいだ。

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