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5-7

「昨日はどちらに行かれていたんですか」


 執事服を身に纏った青年が食ってかかるように、和幸の前に立ちはだかる。

 青年の名は、東宮龍馬。代々春野家に仕える東宮家の長男である彼は、和幸を自身の主と定めている。

 本人の意思というわけではなく、父に言われて付き従っている状態だ。正直、手を焼いている。


 自分のことは自分でできる和幸としては、自分付きの使用人など必要のないものだ。自由を奪われる分、煩わしいとさえ思っている。

 それでも、貴族街を統治する家の者としての体裁がある以上、甘んじて受け入れるしかない。


「ただの散歩だ」

「幸様」


 かなり怒っているな、と他人事のように考える。

 真面目で品行方正な彼は、自由奔放に振る舞う和幸の姿に思うところがあるのだろう。和幸としては、限られた自由くらい好きに生きるくらいは許してほしい。

 いつも、いつも和幸に振り回されながらも、父の命令があるから辞めることもできない龍馬を憐れに思う。だからといって、和幸が遠慮するような性格ではないのは言うまでもない。


「そんなやり方じゃだめですよ」


 耳をくすぐったのは、爛漫で朗らかな少女の声だ。

 抵抗なく耳に滑り込む声に視線を向ければ、メイド服を纏った少女が立っている。年は和幸と同じくらいで、肩くらいまである髪をおさげにしている。

 彼女もまた和幸付きの使用人であり、名を紫ノ宮由菜(しのみやゆな)という。彼女は龍馬より先、互いが物心つく前から和幸に仕えている。


 桜稟アカデミーには、使用人を三人までならば連れてきてもいいという制度がある。身の回りのことを全て使用人にやらせていた者たちが急に一人で寮で暮らせと言われても、無理ということだ。

 和幸自身は一人暮らしでも問題ないのだが、やはり体裁は付きまとう。本当に面倒な話だ。


「あ、幸様。ご学友がお見えですよ!」


 言われて振り向けば、二人の人物が立っている。

 一人は、珍しい藍色の髪を短く切り揃えた少年だ。「おはようございます」と浮かべられる穏やかな笑顔に気まずいものを感じ、そっと目を逸らす。

 向けられる、普段の爛漫さが消し去った由菜の瞳には気付かないふりをした。


 もう一人は、和幸の知らない人物だ。甘味処の制服を連想させるような服を纏った女性。一つに纏められた白い蓬髪が猫耳のようにはねている。

 値踏みをするような灰色の瞳の険しさに眉を寄せる。


「その方は海斗様のメイドさんですか」


 痒いところに手が届く勢いで、和幸が気になっていたことを尋ねる由菜。

 やはり穏やかな笑顔で肯定した海斗は、一歩下がった位置に立っていた女性に前に出るよう促す。


「た、私の名前は環。……猫塚、環」

「環さんですか。私は紫ノ宮由菜と言います。気軽に由菜とお呼びください。メイド同士、仲良くしましょうね」

「……うん」


 環の態度はメイドとは思えないほど無愛想なものだが、由菜には関係ないようだ。人見知りとは無縁な由菜の態度に、どこか環の表情も軟化している。

 無邪気を詰め込んだ笑顔を見せる由菜は、再び視線を海斗に戻し、ふと瞬きをする。


「その首、どうなされたんですか」


 海斗の首には包帯が巻かれている。

 故意に海斗から目を逸らしていた和幸は、由菜の言葉で初めてそのことに気がついた。

 昨日、海斗を部屋へ送り届けたときにはそんなものはなかった。一人で妖三匹を倒して見せた海斗が無傷だったことも確認済みだ。


 ならば、あの包帯は一体――。


「すごーく痛そうですね。大丈夫なんですか」

「見た目ほど大したことはありませんから」


 柔らかな口調と表情の中には、他人を遠ざけるようなニュアンスが隠されている。

 無邪気に語りかけるだけで、深く追求しない由菜の態度はありがたいものだ。海斗にとっても。和幸にとっても。


「あっ! もうこんな時間ですか。すみません、長いこと引き止めてしまって」

「構いませんよ。由菜さんのお話はいつも面白いですから」

「そう言ってもらえると光栄です。……幸様、急ぎますよ! ほら、もっと速く歩いて!」


 由菜に急かされるように歩を進める。


 いつもそうだ。

 どこまでも奔放に、自由に、まるで空気を読まない態度で周囲を振り回す。気付いたときには由菜のペースで物事が進んでいる。

 こうして振り回され、掻き乱されるのも悪くないと思えてしまうから、本当に由菜に敵わない。きっと和幸は一生、由菜に頭が上がらないままだろう。


「幸様」


 ふと、隣を歩く由菜に声をかけられる。不思議な魔力を持った由菜の声を聞こえないふりなんてできるはずがなく、視線だけで答える。


「昨日、幸様がどこで何をしていたのか、聞きはしません。興味ありませんし、何か言うつもりもありません」


 主に向けたものとは思えない言葉だ。一介の使用人ならば、春野家という肩書きを前にしただけで言葉を噤む。

 何かを進言するどころか、興味ないと言い切ってしまうなんて、とてもじゃないができるはずがない。

 春野家の子息としてではなく和幸を見る由菜だから言えるのだ。体裁など気にしない由菜だからこそ言えるのだ。


「ただこれだけは言わせてください」


 こちらを見つめる由菜の瞳が一瞬だけ紅く煌めいた気がした。


「ご友人は大切にしてください」

「俺に友人なんて――」

「今はそうかもしれません」


 和幸は内心、かなり動揺していた。

 そのことに気付いているのは、きっと由菜だけだ。彼女は昔から、和幸以上に和幸の心情をよく理解している。

 由菜の言葉はいつだって的確で、間違いはないのだ。


「無関心はダメです。相手のことも、ちゃーんと知ってください。たとえ、どちらが傷つくことになっても」


 からりと笑う由菜。


「それを乗り越えて絆は強くなるんです」


 由菜の言葉が和幸に響いた、とは断言できない。そもそも和幸には友人というものが分からないのだ。

 どういう存在を友人と呼ぶのか。

 和幸の周囲にいる人間は、春野家という肩書きと和幸の身の内に潜む存在を求めて集まってきた者ばかりだ。違うのは、兄と由菜、そしてここ数年会っていない少女くらいだ。

 由菜にしても、少女にしても、友人というよりは姉弟といった感じだ。


 やはり、友人というものはピンとこない。

 分からないから欲しいと思ったことはないし、見え見えのお世辞を言う人間と親しくなるなど反吐が出る。人間関係など煩わしく、一人でいるのが一番だ。

 自分を理解してくれる人間なんて、由菜さえいれば十分だ。


 しかし、もし。もしも、春野和幸個人を見てくれる人物が他に現れたら、自分はどうするのだろう。

 そんなことを考え、無意識に先を歩く海斗を見る。


「頑張ってください。私はいつだって幸様の味方です……とは言いませんけど、いつだって応援していますから」


 そこは、味方ですと言い切るところじゃないのかと内心でツッコミも入れつつも、一歩後ろに下がる由菜を見届ける。

 一歩下がり、龍馬に並んだところで「由菜様は凄い方ですね」と畏敬の念が送られる。


「様付けはいりませんよ。今は同僚なんですから。……それに、私はすごくありません。ただ――」


 怪訝そうな表情を見せる龍馬に向き直る由菜。ロングスカートが翻り、影を乱す。


「ただ私は、私の主を信じているだけです。期待を裏切るようなら、幸様は私の主として相応しくないというだけです」


 笑顔で言ってのける由菜の言葉には一切の嘘が混じっていない。

 所変われば、問題視されてしまいそうな言葉をあっさりと言ってのける由菜を、龍馬は純粋に凄いと思った。


「幸様が、龍馬さんの主になる日も遠くないと思いますよ。――きっと」


 いつもの、無邪気を詰め込んだ笑顔とはどこか違う大人びた表情を見せる由菜に呆気にとられる龍馬。

 彼女の言葉はたまによく分からないことがあって、きっと自分とは違うものが見えているのだろうと考える。


 と、にこにこと笑ってばかりいた由菜が初めて表情を変えた。

 目を大きく見開き、穴の開きそうな勢いで海斗のことを見つめている。いつも明るい表情ばかり見せている彼女がこんな表情を見せるのは珍しい。

 つられて龍馬も海斗を見るが、特に変わった様子は見受けられない。


「由菜様? どうかしたんですか?」

「……なんでも、ありません。大丈夫ですよ。それと、様付けはいりません」


 咄嗟に誤魔化しの言葉を並べる由菜は有無を言わさない笑顔を浮かべつつ、「気のせいだといいけれど」と小さく呟いた。その声は、龍馬にも、和幸にも届くことはなかった。


 ●●●


 タマに名を呼ばれ、海斗は怪訝そうな顔で視線を向ける。

 今は人型を取っている友人は険しい色を浮かべて、後ろを歩く和幸を警戒しているようだ。

 ちなみに、先程名乗っていた猫塚環というのは人間と振る舞う際の偽名だ。海斗が名付けた。


「あいつ、見たことがある」


 その言葉が差しているのは和幸のことだ。

 アカデミーの生徒で、同じ寮で暮らしている和幸をタマが見知っていても不思議はない。

 重要なのは、彼女がそれを海斗に言ったことだ。タマは基本的に自分が重要と思ったことしか言葉にしない。


「昨日、海斗を抱えていた」

「それは……」


 淡白なタマの言葉が差す意味を考える。

 気を失う間際、和幸の声が聞こえたような気がした。けれども、彼がメリットのないことを進んで行うような性格ではないのは知っていたし、気のせいだと片付けていた。


 正直、今は驚いている。

 自分に、彼を動かすほどのメリットなんてないはずだ。


「いえ、そうも言いきれませんね」


 人にとっては特別な意味を持つ藍色の髪。耳障りなほどに聞こえる、あの声。

 そういえばアカデミーに来てから、あの声を聞いていない気がする。いくら、あれでも鬼神のお膝元では手出しできないということか。

 考え込む海斗は向けられる視線に気付き、胸の内を覆い隠すように笑みを浮かべる。物心つく前からの癖である笑顔をタマはただ無表情見つめている。


「……あいつなら、海斗を――」

 

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