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5-6

「本当に嫌な体質ですね」


 目の前に立つ妖三匹を前に、独りごちる。

 その姿は猿に似ている。二メートルほどの体躯で、爛々と輝く目は獰猛に海斗を見つめている。

 所謂、狒々と呼ばれる妖だ。凶暴さばかり際立つその姿は未熟さばかり目立ち、まだ若い狒々なのだろうと推測する。


 年を重ねた狒々は他者の思考を読むことができるので、相手にするのは少々面倒臭い。が、若い狒々は力が強いだけの低級妖だ。十分もかからず、始末できるだろうと安堵の息を吐く。

 ここはアカデミーの敷地内。あまり目立つ行動は避けたい。

 人払いの術をかけてあるとはいえ、誰もこないとは言い切れない。早々に片付けるに限る。


「大人しく退治されてくれると助かります」


 もはや、癖となった穏やかな笑顔とともに言い放ち、宙に手をかざす。音もなく現れた日本刀を構え、地面を蹴る。

 力任せに振られた太い腕を潜り抜け、切っ先を真ん中の狒々に向ける。掠めた刃が白い毛を赤く汚した。殴りかかる三対の腕を次々に避けながら、切り傷を施していく。


 翻弄され、赤い顔をさらに赤くして怒る狒々に見惚れるほどに美しい笑顔を向け、手の中で弓へと変形した日本刀――龍刀を向ける。矢のない状態で弦を引き――放った。

 なかったはずの矢は銀色の輝きを放ちながら、狙っていた通りに真ん中の妖を打ち抜いた。


「まずは一匹」


 弓を日本刀へ、再び変形させた海斗はそこで動きを止める。

 妖が向かってくるのを待つ海斗に答えるように、残された二匹の狒々は奇声を上げながら襲い掛かる。仲間が殺られて怒るくらいの知能はあるようだ。


 鋭い尖った爪の一閃を紙一重で避けた海斗は、そのまま腕を切り落とす。痛みと怒りで奇声を上げる口にそっと刃を突き刺した。人間とは思えない力で龍刀を横に薙いだ。

 撒き散らせる液体は咄嗟に張った結界で防ぎ、服が汚れるのを免れる。


「これで二匹目。あと、一匹ですね」


 口から真っ二つに切り裂かれた狒々に一瞥もくれることなく、呟いた。

 知能のない妖。海斗の纏う気に誘われてきただけの妖相手にしては、少し時間をかけ過ぎた。

 異様な疲れを訴える身体に気付かないふりをして、最後の一体に向き直る。


 と。


「っ……ごほっ」


 錐で突かれたような鋭い痛みが貫き、発作に襲われる。止まらぬ咳に合わせて、口元をおさえる手に黒い霧が吹きつける。血と混じったそれを握り潰した海斗は最後の一匹を睨む。

 身体は限界に近い。今までのように動き回ることはできない。この一撃で終わらせようと、手をかざす。

 笑っていた狒々が動き出すのを狙って、朦朧とした意識の中で喉を震わせる。


「滅」


 単純して最強の術。妖を消滅させるこの術は大量の霊力を消費する。消耗した体力の中で、根こそぎ霊力をもっていかれる。

 眩い光の中で、消え去る妖の姿を最後に海里の意識は途絶えた。


 誰かに名前を呼ばれたような気がしたが、海斗にそれを確かめる気力はなかった。ただ聞き覚えのある声に含まれた焦燥がやけに気になった。




 意識が浮上していく感覚を味わいながら、ゆっくりと目を開く。露わになった黒曜石の瞳は一巡し、自分のいる場所を確認する。


 桜稟アカデミー、男子寮の一室。数週間前から海斗が暮らしている部屋だ。備え付け家具以外は何も置かれておらず、殺風景な部屋。


 入寮時のまま何もいじられていないのは、海斗が住居を寝起きする場所程度にしか考えていないからだ。寒さと、雨風をしのげればなんでもいい。


「おっ、起きたか」


 呆然と天井を見つめていた海斗の視界に奇妙なものが映る。

 天井にぶら下がるのは百足に似た生き物だ。ゆらゆらと左右に揺れる身体に合わせて、白い毛が不気味に揺れている。


 俗に、天井下と呼ばれている妖だ。幼い頃からの知り合いの彼は、今もまだ武藤家に棲みついているはずで。


「……ヤツブサ。どうして、貴方がここに?」

「倒れたらしいじゃん。心配して来てやったんだぜ? 感謝しろよな」


 恩着せがましい台詞に苦笑しながら身体を起こす。少し身体が怠い気もするが、この程度なら問題ない。

 と、何かに袖口を引かれた。目を向けた先には、手乗りサイズの小鬼が数匹群がっている。荷物に紛れて海斗についてきた小鬼たちだ。


「かいと」「だいじょうぶか」

「貴方たちにも心配かけてしまったようですね。すみません」


 謝罪を口する海斗は小鬼たちを撫でながら、何気なく倒れる前の記憶を掘り起こす。


 確か、妖と戦っていたのだ。二匹はなんなく倒し、三匹目と対峙したところで発作に襲われた。朦朧とした意識の中で、術を放ったところまでは覚えているが、果たして最後の妖は倒せたのだろうか。

 そもそも、倒れたらしい自分が何故、自室に戻ってきているのだろう。


「誰かが運んでくれたのでしょうか……?」

「にんげんだった」「おとこだ」「かいとと」「おなじ」「ふくきてた」


 考え込む海斗の力になりたいのか、飛び跳ねながら必死に訴える小鬼たちに癒される。


 海斗と同じ服を着ていたということは、アカデミーの生徒ということか。部外者が入り込めない場所なのだから、当然と言えば当然の話だ。

 これ以上の情報を小鬼たちに期待するのは無駄なので、海斗はそっと天井にぶら下がる生き物――ヤツブサに目を向ける。


「俺はそんとき、いなかったんだよ」

「そうですか」

「仕方ないだろ。ちょっと前まで武藤家にいたんだから。お前も知ってんだろ」

「何も言っていませんよ」


 薄く笑う海斗に、物言いたげな視線を向けただけでヤツブサは何も言わない。


 どこか他人を遠ざけるような笑顔は、物心つく前からの彼の癖だ。幼い頃から彼を知っているヤツブサは胸に落ちる複雑な感情を表に出すようなことはしない。しても意味がないことを知っているから。


「おや、こんな時間ですか。急がないと遅刻してしまいますね」


 言って、ベッドから降りた海斗の顔が唐突に歪む。床にしゃがみ込み、胸を押さえる。


 痰が絡まったような咳を数度繰り返しながら、喘ぐように息をする海斗。

 小鬼が困ったように走り回り、ヤツブサは心配げに身体を揺らす。そして――二又の尻尾を不機嫌そうに揺らす白猫が横切った。


「かいと」「くび」「あざが」「ひろがってる」


 ようやく発作がおさまり、呼吸を整えた海斗は小鬼の言葉で初めてそのことに気付いた。


 首の辺りまで広がった痣。

 白猫がやけに不機嫌な理由を理解した海斗は、困ったように眉根を寄せる。


「すみません。心配をかけたようで」

「いつものこと。海斗はすぐに無理をする。今回のことだってタマは納得してない」


 海斗を蝕む黒い痣。これは、とある妖によってつけられたマーキングだ。

 宿主の生気を喰らう痣が広がれば、食べ頃の合図。妖は必ず海斗の前に姿を現す。ならば、それを待つというのが海斗の立てた作戦だ。


 妖を探し回る労苦よりも、自分の命を削ることを選んだ。

 こうなったのは油断した自分の責任。命を削るのも自業自得だ。しかし、白猫――タマはそれでは納得していないようで、どうしたものかと一人思案する。


「護衛する。海斗はどうせ言っても聞かないから」


 白猫の身体が光に包まれる。間もなくして姿を現したのは、白い蓬髪を背中に流した二十歳くらいの女性だ。甘味処の制服を彷彿させるような服を纏っている。


 観念したように息を吐いた海斗は「仕方ないですね」と笑う。言っても聞かないのは彼女も同じだ。


「似た者同士だな」と心中で呟いたヤツブサは、揺れながら二人をやり取りを眺める。そうして、二人が出ていくのを見届けてから、天井の裏へ姿を消した。

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