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5-4

 その日、一人の女性が春野家を訪れた。

 輝くような金色の髪はくるぶしまでに切り揃えられており、身に纏う衣は巫女服に近いデザインをしている。

 紺碧の瞳は憂いを湛え、ベッドで眠る少年の頬を、その白い指先が触れる。いくら成長しても、寝顔はずっと変わらない。

 だからこそ、顕著になるのはその痛ましい姿だ。藍髪は無残に切られ、乱れた服の隙間から包帯が覗いている。


 王として、くだした選択に後悔はない。だからといって納得しているかどうかは別の話で、我が子の痛ましい姿に胸を締め付けられる。

 長い睫毛が震え、瞳は揺れる。


「ごめんなさい」


 思うのだ。


 もしも、普通の親子でいられたならば。

 毎日顔を合わせて、他愛もない会話する。時には互いの思いがぶつかり合い、喧嘩になることもあるかもしれない。

 繰り広げられる日々が幸福だと気付かない幸福な日々を、子供たちと一緒に送ってみたかった。


「あと――」


 思わず出かかった言葉を飲み込み、代わりに別の言葉を紡ぐ。


「愛しているわ」


「知っています」


 はっと息を呑む。


 開かれた隻眼は、妖華と射抜いたと同時に和らげられる。

 温かさを宿すその表情が、今は亡き最愛の人物の姿を重なる。


「すみません。心配かけたみたいで」

「謝る必要はないわ。子供の心配をするのは母親の仕事だもの」


 笑う。


 お互いがお互いの内に秘めた感情を悟られてしまわないように笑う。

 気休めでしかないことを知っていても、抱えているものが大きすぎてどうすることもできないでいる。


「なんだ、お前ら。にこにこ笑いあって……ちょっと不気味だぞ」


 顔を突き合わせ、笑いあう二人。その中に隠された影に気付いたからこそ、和幸はそんな声をかけた。

 この親子は非常に不器用だ。妖の王という立場がそうさせているのだろうが、互いが無駄に聡いのが一番の原因だ。


 あいつがいれば少し変わっていたのだろうか。


 そんなことを考えて小さく笑う。マイペースのようで、彼も人の心に聡いのであまり変わらないかもしれない。


「……幸。ありがとう。海里を助けてくれたこと、心から感謝しているわ」

「礼なら健に言え。俺は部屋を貸してるだけだ」


 何やら調べ物があるらしく、健はこの場にはいない。

 もっとも健がこの場にいても礼は不要というだろうが。自分の目的のために行動しただけだと言って。


 和幸は、健の目的について何も知らない。問い質そうとしなかったのは、はぐらかされるのが目に見えていたからだ。


「そういえば」


 再び降りたとうとしている沈黙を破った海里は、隻眼で和幸と妖華を交互に見える。


「健君が気になることを言ってて」

「気になること?」


 健の内心を知りたいという思いが先立ち、食い気味に問いかける和幸。


「神生ゲームを下らないと」

「それは――」


 怪訝そうな表情を見せる和幸とは違い、妖華には心当たりがあるようだ。

 数千年の時を生きている彼女は遥かに多くのことを知っている。神生ゲームのことだって、二人よりも知っている。


 神生ゲームは下らない。


 確かにその通りだ。

 そんな下らないゲームのために、多くのものが運命を狂わせた。

 そんな下らないゲームのために、妖華は最愛を失った。


「きっと彼は、神生ゲームの本当の意味を知ってしまったのね」

「本当の意味?」

「二人もいつか分かる日が来るわ」


 暗に言うつもりがないと告げる妖華に、二人はこれ以上追及することはできない。

 言えないのであり、言わないのだ。


 神生ゲーム。勝てばなんでも望みを叶えることができるらしいゲームの馬鹿馬鹿しい真実。


 知ってしまえば、目をつけられる。目をつけられれば、二人の立場は危うくなる。

 だからこそ、妖華は口を噤む。おそらくは健も。


「さてと、私はそろそろ帰るわ。あまり遅くなると樺も心配するでしょうし」


 今の妖華は身体と魂が切り離された状態だ。

 ある事情から妖華の身体は妖界の外に出すことできない。人間界に来るには、魂を仮の器に移す必要があるのだ。


 髪が短くなっているのも、服は違うのも、動きやすさを重視して仮の器を作ったからだ。

 身体と魂を切り離せば、それ相応の負担がかかる。それでも息子の無事な姿をこの目で見たかったのだ。


「また会いましょう」


 言って器に込めた術を解こうとした妖華の瞳に物言いたげな息子の顔が映る。


 和らげられた隻眼と、綻んだ唇。

 儚さを含んだその表情は、息を呑むほどに似ている。


 まだ幼さの残る顔立ちに宿る大人っぽさは生き写しで、泣きそうになった。


「母さん」

「っ」


 そう呼ばれたのはいつぶりだろう。

 海里が処刑部隊の一員となり、妖華が上司となり、彼が妖華を母と呼ぶことはなくなった。

 許されないと知ってしまったから。


 王の責を放棄して人間と結ばれた妖華の罪。


 王の立場を弁えている限り、海里が妖華の傍にいることが許される。だから、母と呼ぶことをやめた。


「なに、かしら」


 声が震えないように努めるだけで精一杯だった。

 きっと碌な表情ができていない。そう思って、顔を俯ける。


「俺、父さんに会ったよ」

「そう」


 顔をあげる。満面の笑顔で。


「ずるいわ」


 彼は妖華の前には一度だって現れてくれはしなかった。

 面倒臭がりな彼もやっぱり息子のことが心配だったのだろうか。死んでもなお、姿を現すくらいに。


(私のことだって心配してくれてもいいのよ? ……海斗の馬鹿)


 夢でもいいから、一瞬だけでもいいから、もう一度だけ彼に会いたい。

 成長した息子の中に、彼の姿を見つけるたびにそう思ってしまうのは妖華だけの秘密だ。




 親子の別れを見届けた和幸は一声を告げて、仕事に戻る。


 父に会ったという海里の言葉。

 やはり、あの時感じた気配は彼のものだったのだと納得する。

 海里の父は、和幸にとって親友であった。

 友達などいらない。そんな和幸に初めてできた友達であり、唯一の親友だ。


「ほんっとお前は……面倒臭がりじゃなかったのか……?」


 ことあるごとに面倒だと言ってのける彼の物臭さは和幸も身に染みて知っている。

 そのくせ、いかにも面倒そうなことを平然とやってのけたりするのだ。本当に彼のことは分からない。


「こんにちはー」


 物思い耽っていた和幸の耳に平坦な声が届いた。健だ。


 灰色のパーカに、無地のTシャツという普段通りの装いをした健は和幸に宿る仄かな影に気付き、訝しげに首を傾げる。

 長い袖ですっぽりと覆われた腕で丁寧に窓を閉め、和幸に向き直る。


「ほんっと嫌なタイミングで入ってくるな」

「妖華さん、来てたんですね。もうちょっと早く来るべきだったかな」


 噛み合わない会話に息を吐き、言いたいことをすべて飲み込む。

 こういうときの健に何を聞いても無駄ということは、長年の付き合いからよく知っている。


 本音を言えば、神生ゲームについて問いただしたいという思いがあった。

 それを悟ったから、そんな態度をしているのかもしれない。健なら十分にあり得る。


「成果は?」

「まったく。不思議なくらい何もつかめないんですよね」


 和幸は、健が何を調べているのかは知らない。聞いてもどうせ答えない。

 一応仮にも雇い主な和幸に対しても、驚くほど秘密主義だ。


 契約内容に、隠し事をしないと一筆したためていれば多少違ったかもしれないが、それはそれで従いそうにない気がする。上手いこと誤魔化される未来が透けて見える。


「Dに協力を仰いだらいいんじゃないか」

「結果は変わりませんよ。Dは記憶を共有してるだけですし」


 疲れたように息を吐く健。

 淡白な表情の中に宿る疲労の色。隈こそないものの、ここ数日まともに眠っていないことが窺える。

 仕事はいれていないので、忙しさからではない複雑な何かがあるのだ。


「無理はするなよ」

「分かってますよ」


 分かっていない顔で、飄々とそんなことを言ってのける。

 相変わらずだ。肩をすくめた和幸は、観念したように口を噤んだ。


 ●●●


 結局、健とは連絡はつかなかった。

 予想していたことではあるので、レオンとしては特に大きな落胆はない。

 が。


「手がかりが遠のいた気分っすね」


 肩を落とす星司に同意を示す。貴族街にいるという情報を得ていながら、何をすることもできないもどかしさ。

 近付いた気がしない現状に暗い表情を見せる二人は、校門近くで珍しい組み合わせを見つけた。


 片や、美しい黒髪をポニーテールにして結った和風美人。

 片や、瑠璃ににた青い玉を胸に下げた少女。

 気が強く、プライドの高い点でよく似ている二人が、こうして一緒にいるというのは少し新鮮だ。


「珍しい組み合わせっすね。どうしたんですか」

「おつかいよ」


 言って、華蓮が持ち上げたのは『藤咲堂』と書かれた紙袋だ。おそらく中は和道宛てのお中元だろう。

 華蓮は、休みのときはこうしてお店の使いに駆り出されているのだ。


「折笠さんは……」

「見回りですの。邪念体がまだ残っている可能性がありますし、敵のボスは行方不明なのでしょう?」


 レオンが足を踏み入れたとき、そこは無人だった。それはつまり、海里だけではなく、オンモの行方も知れないということだ。


 レオンを含め、処刑部隊がそこを重要視していないのは、ある人物によってオンモの死が告げられているからだ。こと、オンモに関しては最も信用できる人物によって。


 が、妖嫌いな響きは素直に信じる気にはなれず、こうして見回りをしているのだ。


「それより、さっき武藤海里に似た人を見かけたのだけれど、見つかったんですの?」

「彼女は海里様の親戚の方です。いろいろと話を聞かせてもらっていたんです」

「親戚、ね。妖ではなく、人間の方ですの」


 疑う余地のないごどに似ていたものの、妖気は感じなかった。

 なるほど。武藤海里が半人半妖というのは嘘ではないということか。疑っていたわけではないが。


「武藤海里の父親って何者なんですの? 普通の人間が妖の王と結ばれるなんて想像できないけれど」


 会うどころか、存在を知ることもないはずだ。

 それがどういうきっかけで知り合い、結ばれ、海里が誕生するまでにいたったのか。


 ずっと気になっていたことを口にすれば、レオンは難しい顔を見せる。


「私も詳しく知っているわけではありませんが」


 多分、レオンよりもクリスや和幸の方が詳しいだろう。

 レオンが彼のことを知っているのは妖華と結ばれてからで、会話をしたのも数える程度でしかない。


「海里様のお父上は、妖と縁の深い方だとかで、桜さんの弟子だった頃に見たのが最初だと聞いています」


 一目惚れだったのだと妖華が頬を染めて語っていたのを思い出す。


「……お祖母様の弟子」


 華蓮が物心つくよりずっと前から、家に引きこもっていた祖母に弟子がいたとは驚きだ。それも、海里の父親なんて、世間とは狭いものだ。


「妖退治屋だったんですの」

「いいえ。体質的に妖と戦う術を学ぶ必要があっただけのようです」


 どちらかといえば、妖を殺すことを躊躇うような人物だったというのも聞いた話だ。


 優しさからではなく、妖の近くで暮らしていたがゆえに。

 人間よりも妖に近いところで生きていた彼が妖華が出会ったのは、もしかしたら必然だったのかもしれない。


「今は何をしているの?」


 素朴な問いかけに、レオンの表情が一瞬だけ固まったのを星司は目にした。

 だからこそ、返答を予想するのは実に簡単なことだった。以前、同じ話を海里としたときから薄々気付いてもいたから。


「お亡くなりになりました。海里様が生まれて一年ほど経った日の話です」

「ご、ごめんなさい」

「私はそれほど親しくしていたわけではありませんので」


 胸にかかる重いものは妖華や海里を思ってのころだ。

 彼が死んだと知ったとき、妖華は「そう」と小さく呟いただけだった。それが逆に痛ましい。


 妖華は泣かない。王の責務を何より優先する彼女は自分の彼女は自分の感情を制御する術を知っているのだ。


「死因は何なんですの」


 胸元の青い石が咎めるように光るが、引く気がないのは真っ直ぐな瞳から見て取れた。

 射抜くような目で見つめられ、レオンは小さく息を吐く。


「表向きは病死とされていますが、実際は異なります」

「もったいぶらないでほしいですの」

「……妖に殺されたんです」


 それも、妖華を信奉していた妖に。

 純血の妖たちは人間を嫌悪している。そして、かつての妖華を信奉しているものが多くいた。


 だからこそ、人間と結ばれたことに裏切られたと感じたのだろう。唆した人間を許せないほどに強く強く憎念を燻ぶらせて。


 華蓮たちに走る衝撃は予想通りかなりのもので、少し罪悪感を覚えた。


「そのことを海里は知ってるんすか」


 無言で頷く。


 そもそも、レオンがこうして華蓮たちに話している時点で、海里が知らない可能性は低い。

 それでも、確認せずにはいられなかった。


「恨んだりはしなかったんですの」


 聞かずにいられなかった。

 響は憎んだから。妖という存在すべてを恨み続けたから。


「このことを知ったとき、あの方が何を思ったのかは私にも分かりません」


 父が妖に殺されたと知った時も、海里はいつもと同じ笑顔を浮かべていた。妖華のときのように痛ましいと思いもしないほどにいつも通りだった。


 海里とともに過ごした十年で、レオンは彼のことを分かるようになった。今なら笑顔の裏に隠されていた感情も、読み取ることができるかもしれない。

 そんなことを考えても、今更どうにもできないが。


「……そう、ですの」


 海里は復讐にとらわれた響のことをどんな思いで見ていたのか。

 複雑な思いを胸中に落とした響は、それを悟られまいと鼻を鳴らす。


「帰ってきたら、いつでも聞けばいい話ですの」

「そうね。聞く機会はいくらでもあるものね」


 海里は帰ってくる。

 疑う余地なく信じている女子二人の言葉に、レオンと星司は顔を見合わせる。

 そうだ。海里は絶対に帰ってくる。


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