4-19
床に積もった大量の灰。視線を巡らせれば、氷漬けにされた骸骨が並んでいるのをが目に入る。
動くたびに灰が舞い上がり、景色に白いフィルターがかかる。
最後の一体が目の前でバラバラとなって崩れ去るのを見届けた星司が目をやった先にには、襤褸を纏った男が立っている。
澱んだ瞳と目が合い、息を飲み込んでいるうちに男が眼前に迫っていた。
「星司さん!」
助けに入ろうとしたレオンの前に騎士風骸骨が召喚される。
振りかざされた剣を障壁で防いだレオンは、同じく騎士風骸骨の相手をさせられている流紀を横目で見る。
雑魚の骸骨とは一回り以上違う実力を持つ相手に、お互い星司へ手を貸す余裕はない。
「切り札はあとどれくらい残っているデスますか」
問われ、反射的に自分の胸元を見る。鎖にぶら下がっている指輪は残り二つ。
三度も助けてもらったからこそ分かる頼もしさに甘えているわけにはいかない。
玩具のナイフを構え、さんざん練習した術を構築する。大事なのはイメージ。
「遅いデスます」
霊力で形成された刃が巨大な骸骨の腕によって粉砕される。たかがナイフの攻撃などものともしない腕を避ける術を、今の星司は持っていない。
妖と人の身体能力の差を実感する星司の胸元で、何かが割れる音がした。瞬間、地面が盛り上がり壁を作る。
勢いそのままに壁へぶち当たった腕はバラバラと地面へ零れ、そして凍り付く。
「ワンパターンな相手ばかりで少し飽きてきたぞ」
挑発めいた笑みを浮かべた流紀の足元には凍らせた騎士風骸骨の破片が転がっている。
だてに長いこと桜の使い走りをしていたわけではない。何度も戦えば、相手の戦闘パターンは読めてくるし、不本意ながらにそれを攻略するために必要な妖力も十分に有している。
「さすがデスます。ならば、これはどうデスますか」
両手を広げるスクルの足元に陣が浮かび上がる。
「リッチ――〈騎士団長〉、〈魔法使い〉」
新たに召喚される二体の骸骨。一体は先程までの騎士風骸骨の酷似している。が、纏う妖力が桁違いだ。
そして、もう一体はローブに杖、RPGでよく見かける魔法使いに似た衣装を纏っている。
「気が利くじゃないか」
挑発するように口の端を上げる流紀に対し、星司は尻込みしていた。
〈騎士〉だけでもあれだけ苦戦していたのに、それ以上の相手が出てきては足手纏いになる未来しか見えてこない。
星司の異変を察したレオンは剣撃を受けていた結界ごと〈騎士団長〉を押しやり、星司に並び立つ。
「この状況を楽しむ。星司さんが勝つために必要なのはそれだけです」
星司の強みは戦場での気楽さと言える。戦闘狂とまではいかないが、星司は戦うことを楽しむ傾向がある。
それは本当の戦場を知らないがゆえのものではあったが、気楽さは戦いの柔軟性をもたらしてくれる。戦場の現実を知っても、その気安さを保てたとしたら、星司はどんな相手でも戦い抜けるようになる。
海里が、敵本陣突入メンバーに星司を選んだのはその辺りのことを考えてのことかもしれない。
「たの、しむ」
言われて初めて星司は、自分が焦りとプレッシャーに押しつぶされていたことに気付く。
初めて妖と戦った――化け蜜柑と戦った時のことを思い出し、スクルと向かい合う。
妖と戦うことも、自分より強い相手と戦うことも、よくよく考えてみれば初めてではない。今までずっと楽しんできたように、今だって楽しんでしまえばいい。
「俺より強い。けど、王様よりは弱い」
呟いたのはおまじない。
不思議と満ち溢れた高揚感のままに、玩具ののナイフを構える。剣先に纏わせた霊力が膨張し、刀を形作る。刃渡り百十七センチメートルの使い慣れた重み。
宙に生成された氷塊がスクルへ降り注いだと同時に星司は攻撃を開始する。
霊力で構成された刀身が剥き出しの骨を僅かに傷つける。
「かたっ!」
あまりの硬さに一度引き下がり、襲い掛かる〈騎士団長〉の剣撃を紙一重で躱す。掠めた髪が地面に落ちている間に、レオンが生成した炎が〈騎士団長〉の腕を焼いている。
息をつき、視線を動かせば〈魔法使い〉に殴り飛ばされる流紀が目に入った。
「流紀さん!」
乱れた銀髪に隠れた顔が苦悶していることを想像し、助けに入ろうとしたところをレオンに止められる。問いかける前に築かれた障壁を足場に態勢を立て直した流紀は蹴りを〈騎士団長〉にお見舞いする。
女といえども、妖。氷を纏った蹴りの衝撃で、〈騎士団長〉の骨がいくつか砕け落ちた。蹴りが入った周辺から凍りつき、動きがかなり鈍くなっている。
黒と藍白、二対の瞳を受けた星司は渾身の力で光を纏った刀を〈騎士団長〉に突き立てる。
「っらあ」
最後の指輪が胸元で崩れ、脆くなった骨に霊力で構成された刀が滑る。勢いのままに、〈騎士団長〉を真っ二つに切り分けた。
地面に転がる骨の残骸が再生するよりも先に、巻き起こった炎が灰へと変える。レオンの術だ。
何とか倒せたことを歓喜する間もなく、眩い光が視界を占める。見れば、地面に巨大な魔方陣が描かれていた。
「極、大、魔、法」
ローブを纏った骸骨の顔がカタカタと揺れる。骨同士がぶつかり合う不協和音の中、強くなる光が熱を持ってその場を覆いつくした。
回避不可能と判断した流紀は己の防御を捨て置き、氷を生成した。ドーム状に構築された氷は星司を熱から守ってくれる。
光がおさまり、徐々に視力を取り戻した視界に映った光景は悲惨なものだ。
血だらけとなり倒れ伏した流紀。薄い青色の着物は無残に引き裂かれ、赤く汚れている。
視線を少し動かせば、同じく血塗れのレオンがいる。こちらは倒れておらず、苦渋の表情を見せている。
「自らを犠牲にした術、ですか。油断しました」
地面に残された魔女ローブの中には粉々になった骨が散らばっている。
咄嗟に結界を張ったお陰で直撃は免れたレオンは呆然と立ち尽くす星司に声をかける。
「大丈夫ですか」
「俺なんかより流紀さんが……」
流紀が生成した氷が守ってくれたため、星司はかすり傷で済んでいる。
その代わりのように倒れ伏した流紀からは動く気配が微塵も感じられず、嫌な予感が頭から離れないでいる。
自分のせいで流紀が死んでしまったら――。
「っかは、はぁ……案、ずるな。この程度の怪我、大したことはない」
混濁する意識の中で強がってみせる流紀は傷口を氷で塞ぎ、無理やりにでも身体を起こす。
ただの強がりとは思わせない殺気を宿らせ、氷の薙刀を生成して戦闘の意思を示す。
「とはいえ、さすがに厳しい状況だな」
「それでも諦めるわけにはいかないでしょう」
言いながら、スクルと向かい合う二人の背中を見ているだけの自分に気付き、星司は己の無力さを痛感する。先程まであった自身がみるみるうちに失われていく感覚。
赤く汚れた背中を見ている星司の視界が激しく明滅する。こめかみが痛みを訴え、身体が異様に重たい。
異変に気付いたレオンの声を遠くに感じる星司の胸元で、鎖が紅い光を放った。
〈壊セ、全テをコワセ〉
頭が殴りつけられたように痛い。悪魔の囁きのように繰り返される破壊の声は、星司から判断力を奪っていく。
自分が立っているのか、座っているのかも分からない状態で語りかける破壊の声。茫洋とした世界で、星司はそれだけを聞き続けていた。
〈コワセ、コワセ。お前にはその力がある。全テを壊セば、望ミは〉
「かな、う」
コンクリートでできた地面が隆起し、壁や天井を蹂躙する。暴れ回るコンクリートに、満身創痍なレオンと流紀は避けるだけで精一杯だ。
星司の首に下げられた鎖がいっそうの輝きを放ち、破壊を喝采するように周囲を紅く紅く染めていく。
「ここを破壊されるのは困るデスます」
標的を星司に定めたスクルは単身で身を乗り出す。縦横無尽に荒れ狂うコンクリートを巧みに避け、星司に手を伸ばしたその時。
一際強く瞬いた紅にスクルの身体が吹っ飛ばされ、追い打ちをかけるようにいくつものコンクリートが突き刺さった。
倒れ伏すスクルに喜ぶ余裕がないのは、コンクリートの動きが激しくなったからだ。
「星司さ……」
「全部……こわ、せば」
瞳は光を失い、完全に正気を失っている星司を前に、レオンは思考を巡らせる。
鎖に宿った力に支配された星司を我に返す方法は――。
内の声に耳を傾け続ける星司に声を届ける方法は――。
先端が鋭く尖ったコンクリートが身体を抉る。苦悶し、動きが止まった一瞬の隙を突いて、コンクリートは次々と襲い掛かる。レオンも、流紀も、もう限界に近い。
(くそっ、身体が言うことをきかねぇ)
一方、辛うじて残された正気な部分で己の身体へ呼びかける星司であるが、全く応えてくれる様子はない。まるで、自分ではない何かが、星司の身体を操っているかのようだ。
〈壊セ、壊セ、コワセ〉
(――っ)
耳を塞ぐ手をもたない、星司はもう抗うことを諦める。そもそも何故、今まで抗っていたのだろう。
聞こえる声に身を任せてしまえばいい。目に映るすべてを、この世のすべてを破壊しつくしてしまえばいい。
血塗れになりながらも訴えるレオンたちの声は一つとして届かず、星司は破壊の海に身を委ねる――。
〈黙れ〉
不意に声が聞こえた。まだ声変わりを迎えていない少年の一喝にあれほど煩かった破壊の声が鳴りを潜める。
聞き覚えのある声。けれど、怒りを含んだこの声は聞き慣れない。
〈ごめん〉
哀切を纏った声が破壊の声を退け、荒れ狂っていたコンクリートが静けさを取り戻す。
呆気にとられるレオンの前で、力尽きた星司は意識を手放した。ばらばらと崩れ落ちた鎖が地面に落下した。
「ふぅ、スクルを倒せたと素直に喜べないものがあるな」
「崩れなくて幸いといったところでしょうか」
ここが崩れれば学園への被害も相当なものとなる。学園内にいる生徒のほとんどが体育館に避難しているとはいえ、この上に誰もいないとは限らないのだ。
「通路は無事なようだな。レオン、お前は先に行け」
立っているのもやっとな流紀を一瞥したレオンは瞑目とともに流紀の意見を肯定する。
現状、もっとも怪我が少ないのはレオンだ。治癒の術を使えば、戦闘に支障がないまでに快復できる。
このまま残って流紀や星司の治癒に専念するという選択肢もあるが、先に待ち受けている存在のことを考えると下手に消耗するのは避けたい。
「星司さんのこと、お願いします」
「ああ」
レオンを見送り、視線をスクルの亡骸へと移す。瞬間、スクルの身体から黒いものが噴出する。警戒を強める二人を他所に、黒いものは四方へ霧散した。
「……なんだ、今の」
●●●
喉元からせりあがってくる液体を吐き出した海里は朧気な視界の中、目を凝らす。
わずかに回復したとはいえ、五感は頼りにならない。そう判断した海里は目を閉じる。
五感ではない何かで敵の攻撃を読むことだけに集中する。痛覚も切られているのは正直、ありがたい。
己の感覚だけを頼りに、海里は右へ跳躍する。徐々に感覚が戻り、脇腹が激痛を訴え始めた。
「避けるとさすが、妖華の子だ」
だいぶ、回復した五感が告げた光景は絶望的な事実を鮮明にする。
霊力で描かれた陣の中に置かれた壺。オンモを封印するため、妖華から渡された壺は見る影もなく、粉々に砕け散っている。これでは目的を果たすことは不可能だ。
〈海里〉
考え込む海里の脳内に響く声は悲痛に彩られ、今更ながら自分の状況へ目を向ける。
右横腹にあいた穴。そこから絶え間なく流れる赤い液体。
自覚したことで鮮明になる痛みに、思わず顔をしかめる。
どんなに上手く治癒したとしても傷跡は残るだろう。それほどに深い傷だ。海里にとって傷の深さよりも、傷跡が残るという事実が胸を締め付ける。
(ごめん)
心中で謝り、治癒の術式を発動する。練度の低い術はレオンほどの効力はなく、ただの気休めだ。
地面に転がる龍刀を拾い上げ、オンモを正眼に構える。
壺が破壊され、オンモを封印するという目的は果たせなくなった。だからといって諦める海里ではない。
封印できないのならば、オンモを退治する。それが命をかけて戦っている仲間たちの信頼に応える手段だ。
「その状態で、我に勝つつもりか。無謀だな」
「結果は出るまで分かりません」
地面を蹴り、宙に生成されたキューブ状の結界に飛び乗る。
オンモを殺すという海里と意思に応えるように、龍刀は竹刀から日本刀へ変化する。海里の覚悟を表れだ。
足場にしている結界にかけられた加速の術を糧に、オンモに向けて飛び出す。
「まだまだ遅いな」
通常の倍の速さで動く海里をもとのともせず、オンモは漆黒の刀で対抗する。
鋼と鋼が打ち合う音が地下空間に響き渡る。
ありえない速度で繰り広げられる剣撃の裏で、再び実体化したカイの手によってキューブ状の結界が生成されている。
海里が触れれば、結界に付加された術が発動し、より常人離れした動きを可能にする。
「はあっ」
限界まで加速された海里の一撃がオンモの首筋をわずかに切り裂く。と同時に身を引くが、反動で前へ躍り出た藍髪が漆黒の刀で切られた。
不格好に短くなった肩口をくすぐる感触を味わいながら、乱れた呼吸を整える。
こんなにも疲れているのは肉体強化の術による負荷だけが理由ではない。空間を占める邪気が海里の身体にまとわりつき、白い肌に黒い痣を残す。
「……海里」
「っ……だいじょ、ぶ。大丈夫だよ」
オッドアイの瞳が交差する。一対の瞳は微かに揺れ、目を背けた。
それを合図に海里は攻撃を再開する。傷が開き、滴る液体を無視して、オンモに切りかかる。
援護するキューブ状の結界を横目で確認し、肉体強化の術をかけ直す。
もう限界が近い。そろそろ決着をつけなければ。
「ほう。なにか仕掛けてくるのか」
海里の瞳に宿った決意の色を読み取ったオンモは不敵に笑う。
結界がオンモの視界を遮るように動き回る。
「この程度というわけではあるまい」
「どうでしょうね」
動き回る結界をあえなく切り裂いた漆黒の刀が眼前まで迫った刃を受け止める。
海里は己の霊力に命令を加えつつ、龍刀を持つ手に力を込める。
甲高い金属音とともに、銀と黒が宙を舞う。驚きに瞬く漆黒の瞳に宿った隙を見逃さない海里は「縛」と小さく呟いた。
瞬間、オンモの動きが完全に止まる。
深く息を吐き出した海里は一歩一歩、確かめるようにオンモへ歩み寄り、掌を向け――。
「ふむ、さすがに驚いたぞ」
「術が解けるのはまだ――っ」
すぐ横で聞こえた声に目を見張った隙に、浅黒い腕が細い首を掴み上げる。
「お主の敗因は、我の力量を見誤ったことだ。ほれ、あの少年も消えたぞ」
どんどん強くなる力に意識を手放しそうになりながらも、なんとか堪える。
役目を果たすまで、終わるわけにはいかない。
尋常ならざる力に首を絞められ、呼吸もままならない中、海里は気力だけでオンモに向けていた手に力を込める。
「ふむ、良い目だ」
友人を連想させるその瞳にオンモは口元を綻ばせる。けれども、首を絞める力は緩めない。
空いている方の手で、漆黒の刀を生成する。刃渡りは、先程よりも幾分か短めだ。
「一瞬で終わらせてやろう」
漆黒の短刀が海里の首筋に触れる間際、日本刀が滑り込んだ。
短刀を弾いた日本刀――龍刀が眩い光を放ち始める。と同時に海里の手に誰かの手が重なった。
「だ、れ」
背後から感じる温かさは不思議と懐かしい。反射的に振り返ろうとすれば、もう片方の手で止められる。
透けた手で連想するのはカイのことだが、重なる手は大人のものだ。なにより、肩にかかる透けた髪は自分と同じ、藍色をしていた。
「集中してください」
「――っはい」
聞こえた声の懐かしさに、込み上げた涙をこらえる。
首を絞められている苦しみも、未だ血を零す傷の痛みも、不思議と感じなくなっていた。そのことを疑問に思うこともなく、ただ己の掌に霊力を集わせることに集中する。
永遠のような刹那。身に宿る霊力のほとんどを注ぎ込み、口を開く。
「滅」
一言。
眩むほどの光がオンモを包み込む。
最強と呼ばれた妖退治屋が編み出したといわれる、最強の術。
基礎さえ知っていれば、誰にでも扱える簡単な術だ。
一つ問題があるとすれば、消費する霊力が莫大ということだ。事実、海里は残った霊力を使い切ってしまった。
「これで――っ」
光がおさまった頃、倒れ伏したオンモの姿を見た海里は膝をつく。
すでにあの人の姿はなく、全身を襲う倦怠感に抗う術はなく、意識を手放した。
オンモは倒した。町に充満していた邪気も時間をかけておさまっていくだろう。