1-7
翌朝、華蓮はいつものよう月を待ちながら、昨日出会った二人の人物について考えていた。
藍色の髪に、謎めいた印象を引き立てる左目の眼帯。中世的な顔立ちと、腰の辺りまで伸ばされた髪が相まって少女のようだった少年。
「ってあれ?」
あることに気がついた華蓮は首を傾げる。
「私、何で彼が男だって分かったのかしら」
中世的な顔立ちで髪が長いのならば、化け蜜柑のように女と判断するのが普通ではないだろうか。
だというのに華蓮は少年の姿を認識したと同時に彼を男だと確信していた。少しの疑問も持たずに。
「たまたまだろ」
肩に乗っていた流紀はパシリと尻尾で華蓮の背中を叩く。
適当としか言えない返答に華蓮は眉をひくつかせる。
「あのねぇ」
「華蓮、おはよー」
待ち人が現れたため、華蓮は言葉を飲み込む。
流紀の姿は常人には見えないのだ。今ここで流紀に話しかければ良くて独り言、悪くて頭がおかしくなったと認識されてしまう。
どちらも願い下げなので、一先ず流紀を一睨みするだけでおさめる。
「おはよう」
「はよっす」
「星司君も一緒に来たのね」
ギリギリまで寝ていたい派である星司は月とバラバラに登校することが多い。
二人の姿を確認した流紀は無言で華蓮の肩から塀に飛び移る。華蓮の学校生活を邪魔しないようにという配慮だ。
「華蓮さん、猫なんて飼ってましたっけ?」
「昨日もいたよねー」
「ん?そうだっけ」
「うん、華蓮の机の下で寝てたよー」
普段を変わらない調子で会話する二人に、華蓮は目を白黒させる。
話題の中心である流紀は二人を一瞥し、興味なさげに欠伸をしている。
「ちょっと、どういうことよ。普通の人には見えないんじゃないの?」
「普通じゃないからだろ」
自分が二人に認識されていることを当然のことのように受け入れ、流紀は熱心に毛づくろいしている。
二人といえば、猫が喋ったことに驚くこともなく会話を続けている。
「答えになってないわよ」
「それよりいいのか。こんなとこでモタモタしてると遅刻するぞ」
「そうだね、早く行こう!」
納得していない様子の華蓮を引っ張るようにして歩き出す月。
華蓮の怒りは次第に鎮まっていき、冷静さを取り戻した華蓮は「後でちゃんと答えなさいよ」と流紀にアイコンタクトを送るのだった。
いとも簡単に華蓮の怒りを鎮めて見せた月に、流紀は尊敬の念を抱いたのだった。
「おっ、待ってたぜ」
教室に入った三人を迎えたのは日焼けをした活発そうな少年――航平である。
星司の席に座った彼は手を大きく振っている。
「女子二人に囲まれて登校かぁ。羨ましいな、コノヤロー」
このままだといつもの流れになると判断した星司は早々に会話を終了させ、用件を尋ねる。
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに胸を反らした航平は自分の胸を軽く叩く。
「星司に頼みがあんだよ」
大仰な動作で星司に席を明け渡した航平は懇願するように手を合わせ、頭を深く下げた。
「サッカー部でさ、中三と高一で試合することになったんだけど人数足んねーのよ。だから助っ人してくんね?」
「人数足りねぇんじゃなくて弟に負けたくないだけだろ。ま、いいけど。いつやるんだ?」
「明日の放課後」
脳内で明日の予定を掘り起こす。奇跡のように明日は部活が自由参加の日だ。何やら顧問の先生に用事があるらしく自由参加となったのだ。
参加する気ではあったが、絶対というわけではないので助っ人しても問題はない。
「りょーかい」
「ついでってわけじゃねえけど、春野さんが応援に来てくれたら百人力……なんて」
彼氏の前で堂々とそんなことが言える航平に星司は尊敬の念を抱く。
確認するように月の方へ向けた視線を華蓮が遮った。
「何言ってるのよ。ダメに決まってるでしょう。月のレンタル料は高いのよ」
「そこをなんとか」
「そこまで言われたらしょうがないわね。私も一緒に応援に行ってあげるわ」
「あざっす」
目の前で繰り広げられる茶番を無言で見つめていた星司は「なんで華蓮さんが決めてんだよ」と呆れ交じりに呟いた。
小さい声だったため華蓮の耳には届いていないようだが、聞こえたらしい流紀は首を縦に振って同意を示す。
「じゃ、明日の放課後だかんな。忘れんなよ」
念押しの言葉を残し、航平は去っていった。恐らく自分のクラスに戻ったのだろう。
「明日かー、楽しみだね」
華蓮に勝手に決められたようなものであるが、月も満更でもないようだ。
明日について楽しそうに会話を膨らませる彼女を横目に、星司は「なら、いっか」と机に伏せる。嵐は去ったのでいつも通り居眠りに専念するのだ。
昼休憩になり、華蓮達はそれぞれ弁当箱を持って屋上に向かう。授業中は華蓮の机の下で寝ていた流紀も一緒にいる。
この学園は屋上が解放されており、昼休憩になると多くの生徒たちが屋上で昼食を取っている。ちなみに休憩時間以外は人がほとんどいないため、告白スポットとしても有名だ。
三人が屋上に着くと、すでに数グループが仲良く弁当を広げている。
適当に開いている場所を見つけ、三人と一匹はお互いの顔が見える形で座る。
各々弁当を広げ、当たり障りのない会話をしながら昼食に勤しむ。
「もーらいっ」
形の整った色鮮やかな卵焼きを一つ、指で摘まんだ星司は口の中に放り込む。
咀嚼し、広がる味に感激の声をあげる。月の料理は相変わらずレベルが高い。
「もー、星司も同じ弁当でしょ」
「人のを貰うのと自分のを食べるのじゃ違うんだよ」
めちゃくちゃな理屈であるが、月は「なるほど」と納得したように首肯する。
「華蓮さんも月みたいに自分で作ってみたらどうっすか」
「っさいわね。星司君には関係ないでしょ」
そっぽ向いた華蓮の視線の先には銀色の毛並みを持つ猫が眠っている。
銀色という珍しい色をしているのに関わらず、誰一人として猫の存在に気付くことはない。華蓮達を除いて。
彼女の正体は妖であり、常人は目にすることができないのだ。
「結局、朝の質問に答えてもらってないわよね」
気怠そうに片目を開けた流紀は無言で華蓮を見つめる。
「ほら、普通の人には見えないとかいう奴」
流紀はまたしても気怠そうに閉じていた方の目を開け、品定めをするように視線を巡らせる。
何度か瞬きをし、息を吐いたのと同時に説明を始める。
その説明を要約するとこんな感じだ。
本来、人間には霊視力という、人ならざるものを視る力がある。
霊視力の力は個人差があり、常人程度の力だと視えるものもかなり限られてくる。昔は強い霊視力を持っていた者も多くいたが、今では視えないのが普通となっているのだという。
また、ある程度の力を持つ妖であれば妖気を制御し、視えなくすることも可能である。
「理屈は焔達と似たようなものだ。視せようと思えば常人が視認することもできるが、今は視えないようにしている」
月や星司は見知らぬ名前に首を傾げるが、理解はできたようだ。
「霊視力の強さは遺伝が大きく関係する。お前等に今の私が見えるのは血筋のせいだろう」
藤咲家と春野家は霊視力の強い家系であるし、岡山家は春野家の分家筋なので霊視力が強くても不思議はない。
月と星司に視認されていても流紀が驚かなかったのは、視えてもおかしくないと認識していたからなのだ。
眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている華蓮を一瞥した流紀は顔を引き締める。
「華蓮」
名前を呼ぶその声は硬く、華蓮は不思議そうな面持ちで流紀に視線を向ける。
「この二人は信用できるようだからかまわないが、妖退治屋であることは隠しとけ」
「なんで」
不満げな声。
言いふらすようなことではないのは分かっているし、華蓮も誰かに言おうとは思っていない。
ただ理由もなしにそんなことを言われると不満が募るのだ。
華蓮のこういう性格を数日のうちに嫌というほど理解した流紀は呆れも怒りもしない。
「人に化けた妖が潜んでいることも考えられる」
「そんなの、妖探査機があれば分かるわよ」
「妖探査機が感知でないほど巧妙に隠れている場合もある。100%信用はできない。お前の持っている物がどれほど優秀であったとしても、だ」
流紀の言っていることはもっともで、華蓮は二の句を告げずに黙り込む。
さらに畳みかけるように流紀は言葉を続ける。言っておかなければならないことだ。
星司や月が信用できる相手ならば、知っているにこしたことはない。
「それに危険なのは妖だけではない。同業者、他の妖退治屋にバレたら殺されてしまうかもしれない」
一瞬にして空気が凍り付いた。
妖退治屋という職業が生まれた当初から同業者同士の争いは多く、身内すら信用できなかった。
桜も何度か争いに巻き込まれ、命を落としかけたこともあった。
衰退の一途を辿ろうとも、妖退治屋同士の争いがなくなったわけではない。
焔によればこの町には桜や華蓮の他にも二人の妖退治屋がいるらしく、警戒するにこしたことはない。
「妖も人も等しく恐ろしいということだ」
自分が作り出した重苦しい空気を壊す方法を頭の中で巡らせる。
「あ!」
急に声をあげた月に、華蓮は大袈裟に肩を震わせる。流紀の話で相当怯えているのだろう。
「カップケーキ作ってきてたんだった」
今までの雰囲気をぶち壊すような気の抜けた言葉だ。
しかし、そのお陰で重苦しい空気は完全に取り除かれた。天然なのか計算なのか気になるところである。
デザートとして月手製のカップケーキを食べた三人はいくつか世間話を交わし、教室へ戻っていった。
一匹残った流紀は月が残したカップケーキを意味もなく見つめながら考え込む。
ふと一つの気配が降り立つ。周囲の空気がほんの少し温度を上げる。
「焔か」
「昨日はなかなか愉快だったぞ」
隠そうとしない笑みを貼り付けた焔を恨めしげに見上げる。
言わんとしていることを察した焔は流紀の横に腰を下ろした。
「私も向かおうとしたんだが桜に止められた」
「どういうことだ?」
焔に化け蜜柑退治が終わるまで華蓮の傍にいるよう言ったのは他でもない桜だ。
それが手助けに行く焔を止めるとは。
「さてな。我が君の考えることは私にも分からん」
そういう焔は特にはぐらかしているような気がしない。本当に何も知らないのだろう。
式に求められるのは忠実に主人の命令を聞くことであって、背景を知る必要はない。
「というかお前、見てたのか」
「ん?ああ、碧水の水瓶でな」
碧水の水瓶とは水面や鏡、硝子などを通して遠くの状況を見ることができる術である。桜の式の一人である碧水が使うことができる。
つまり出会い頭に「愉快だった」と言っていたのは無様にも化け蜜柑に捕らえられた流紀のことを指しているわけだ。
半眼になる流紀を眺め、笑みを深くする焔。
「桜も見てたのか」
「愚問だって自覚してるだろ」
式である碧水が術を使うのは桜に命令されたからと考えるのが普通だ。分かってはいたが、認めるのを拒否していた。
あんな失態を桜にも見られていたとは。
「ま、桜は気にしてないだろ。その後のことの方が重要だったみたいだしな」
「……後」
昨日のことを思い起こす。
変わったことといえば、謎の二人組が現れたことだ。
ジャケットの代わりに白衣を羽織った執事服の青年。そして、藍髪を腰の辺りまで伸ばし、左目に眼帯をつけた中世的な少年。
「藍色……?」
気付いたかというように焔は頷く。
「考えられる可能性は一つ、だろ」
「間違いないのか。いくらなんでも日が浅すぎる」
「桜も真砂も確信を持っている。あれに関して二人が間違うことはない」
式の中で最も感知能力が優れた第一の式の名を出す焔。
あの二人が確信を持っているのならば、流紀も納得するほかない。
「敵、ということは」
「ないとは言えない。華蓮のこともあって私は不在がちだったからな、詳しいことは知らん。ただ」
脳裏に過るのは少年の同じ髪色を持つ友人の顔だ。
「あの髪を持つ者が敵対するなんてのは考えづらい」
同意を求めるように深緋の瞳が向けられる。
同じ髪色を持っているからといって彼と同じとは限らない。それでも繋がりは確かにあるのだ。
「そうだな」