4-16
金属製の何かが落下し、カシャリと音が立てる。
間近までに迫っていた光線が、膨れ上がった妖力で押し潰されていく。
自嘲気味に笑うレミは周囲で荒れ狂う己の妖力を、巨大な翼で蹴散らした。
レミ自身の予想を上回る威力の煽りを受け、ハガクの身体が地面を転がっていく。
「そんな力、どこから」
景色が晴れ、姿を現したレミに驚きの表情を見せるハガク。
膨大な妖力よりも、ハガクを驚かせたのはその出で立ちだ。
肩甲骨の辺りから生える白い翼と、ツインテールに結われた蜂蜜色の髪は変わりない。
けれども、細い指は猛禽類を彷彿させる爪に代わっており、頬には鱗のようなものがびっしりと生えている。本来ならば、スカートの下から足が伸びているところ、人魚を彷彿させるような魚の下半身が伸びている。
猛禽類と人魚を合わせたような、なんとも奇妙で歪な姿だ。
「さっさと終わらせよう」
己の姿が不快と言わんばかりのレミは手を前に翳す。
こぽっ。
そんな音が聞こえ、床に水が浸みだす。水は数秒も経たぬうちに嵩を増し、ハガクの腰の辺りになったところで止まる。
この空間のみを満たしているようで、不思議と出入り口には流れ出していないようだ。
「水は木を強めるというが、水を与えすぎれば植物は枯れるものだ」
「ふうん。私を腐らせるつもりなのね」
強大すぎるレミの妖力に相殺され、上手く邪気を集められない。
己の妖力のみで生成した葉の絨毯を頭上に取り出し、逃げるように飛び乗る。
「どうかな」
不敵に笑い、レミはハガクに急接近する。
瞬きのうちに眼前まで迫っていたレミに驚き、防御行動を取るハガク。
鋭い爪が葉の絨毯を削り取れば、たちまちバランスを崩し落下する。水面に身体を打ち付けた痛みを感じる間もなく、ハガクの身体は沈んでいく。
「っごほ」
口から空気が抜けた。
残っている葉に命令を加える余裕すらない。
身体も、思考も緩慢になっているハガクの傍を何かが横切った。正体を認識するよりも先に肉を抉られ、赤い液体が漂う。
「ぐっああああぁぁぁあああぁあああぁ」
剥き出された肉に浸みる液体がハガクを内から溶かしていく。
と、身体に冷たい風が吹き抜けた。
「お前ほどの相手は久しぶりだったよ」
クリアになった耳にそんな声が届き、初めて自分が空中にいることに気付いた。
抉られた部分から滴る血液が、水面に模様を描いている。
「っ弱者は、とう、たされ……強者のみが生き残る。それが、この世の仕組みだよ」
母も、父も、兄も、姉も、弟も、友人たちも、弱いから死んだ。
自分は違う。強いから生き残り、強いから選ばれた。強いから今ここにいる。
ただ死にゆくだけの弱者とは違う。
簡単に諦めてたまるものか。
生き残るのだ、強者として。自分を弱いと嘲笑う者たちを見返してやる。
大きく見開かれた瞳に宿るのは勝利を求める貪欲で強い輝き。身体を訴える痛みなど瑣末なものだ。
「私は強い」
それは呪文の言葉。
掻き集められた邪気で作られた漆黒の葉が術式を組んでいく。
そうして光線が放たれたのと、レミが纏う羽根を放ったのはほぼ同時だった。
ぶつかり合いの末に湧き起こる爆風を受け、着水した二人の身体が沈んでいく。
先に復活したのはレミだ。水中でも呼吸ができるレミは、魚となった下半身を巧みに動かす。
そして、視線の先にいるハガクに向けて水の槍を放った。
すでに気を失っているハガクは攻撃をもろに受け、赤い液体を散らした。
赤く染まった水に一瞥をくれたレミは床に沈んでいた腕輪を拾い上げ、己の腕につける。
空間を占めていた水は一瞬のうちに消え、レミの容姿も元の通りに戻る。
一気に押し寄せる疲労を押し込め、倒れ伏すハガクへ歩み寄る。
絶命していることを確認し、腰を上げようとしたその時。
ハガクの身体が大きく痙攣し、エメラルドの瞳が見開かれる。
反射的に臨戦体勢を取るレミをを前に、ハガクの身体から黒いものが吐き出される。黒い何かはレミを無視して、四方に散っていった。
「何だ、今の……?」
再度念入りに骸を改め、確死する。
先程の出来事を早く伝えるべきだと判断し、立ち上がろうとして失敗する。
久しぶりに力を解放したせいだろうか。
疲労からくる倦怠感が力を増したように思え、唐突に睡魔が襲い掛かってくる。
「くそっ…眠る、わけ…に、は」
レミは処刑部隊のエースだ。自分と言う存在が心強いものなのか知っている。
今、こんなところで倒れていいわけがない。
腕から滴る血とともに体力が奪われていく気がする。
傷口を凍らせようにも、術式が上手く組めない。妖力が尽きたのではなく、果てのない疲労が思考を緩慢にしているせいだろう。
こんな状態では足手纏いにしかならない。レミは重たい瞼を抗うことをやめる。
「少し、だけ」
少しだけ眠ったら、すぐにレオンたちを追いかけよう。
藍白色の瞳には蓋がされ、全身の力が抜ける。数分も経たずに聞こえてきた寝息は現状に似合わない穏やかなものだ。
そして、仄かな燐光を放った身体から溢れた妖力が、先を行くレオンたちを追いかける。
空間を、通路を浄化しながら。
●●●
アスファルトには焦げた跡と黒い種のようなものが散らばっている。塀は無残な瓦礫と化している。
色濃く残る殺戮の痕の中、立つ華蓮は肩で息をしている。
鍛錬用の運動着はすでにボロボロで、露出した肌には余すところなく擦過傷が施されている。深い傷がないのがせめてもの救いだ。
「動きが止まった!?」
『油断するな。また何かしかけてくるかもしれん』
その手に握るフランベルジュから声が発せられる。
このフランベルジュの正体は、桜の第一の式、焔だ。
華蓮がよく知っているのは女性の姿だが、正体は炎の塊にすぎない焔はこうして姿を変えることもできるのだ。昔は文字通り桜の武器となって戦うことが幾度もあった。
意思のある武器で戦うという不思議な感覚を味わいつつ、華蓮は目の前にいる植物の塊を注視する。
つい先程まで火を纏う種を無差別に吐き出していた蕾はぐったりと項垂れている。
ガラス玉を埋め込んだような瞳は焦点が合っておらず、裂けるんじゃないかと心配になるほど大きく見開かれている。
「Ahァァ」
奇声を上げたかと思うと項垂れていた蕾が一斉に頭を上げる。
身構えると同時に種による殺戮が再開される。同じ無差別攻撃といえども、先程までのような意思を籠ったものとは違う。ただ身の内にある妖力を攻撃として吐き出しているといった感じだ。
『華蓮、横に薙げ』
フランベルジュから発せられる声に頷き、一歩下がるとともに横に薙ぐ。剣先から放たれた炎の弾が、華蓮に襲い掛かっていた種の弾丸を一瞬にして灰へ変える。
開かれた道へ踏み出しつつ、華蓮は己の霊力に命令を加える。
「藤咲流剣術第五の舞、桜花――火の纏」
霊力の花弁が火を纏い縦横無尽に舞い踊りながら、殺戮を撒き散らすマリアを包んでいく。
鼻腔を擽る焦げ臭い匂いを無視して、フランベルジュを握る力を強める。
全身を襲う植物が、陶器のような肌が焼き尽くされ、黒炭と化す。真っ黒の中から、翠色の弾が零れ落ちた。
『核のようだな』
「あれを壊せばいいのね」
一歩、二歩を踏み込み、振りかぶったフランベルジュを叩きつける。炎を宿す刃は人形の核といとも簡単に、真っ二つに切り裂く。
「……終わったのね」
疲労を露わにする華蓮は焔へお礼を言い、フランベルジュを宙へ放る。
フランベルジュは人型を取り、未だ残る炎を踏みしめる。足の裏から炎を吸収しつつ、焔は華蓮に預けていた髪飾りを受け取る。
「お前も強くなったな」
数十年前から変わらず、同じ時の中に生きている主のことを思考の隅に置きながら呟く。
と、褒められたことを素直に喜ぶ華蓮の目の前に、黒い塊が出現する。咄嗟に身構える華蓮をよそに、黒い塊はいくつかに分かれて跳び退っていく。
「人形もやられっちゃったかー。こっちは深刻な人手不足になっちゃったよ」
空から声が降ってきたのは、黒い塊が飛び退ったのとほぼ同時だった。
分かりやすく周囲を見回す華蓮とは対照的に、落ち着いた様子の焔は聞き覚えのある声に目を眇める。
「仕方ないから、次は僕が君たちの相手をしちゃうよ」
「だったら、姿を現しなさいよ」
「君たちが僕の姿を見たくないって思っちゃえば、見えるはずだよ? 僕はここにいるんだから」
複数の邪念体が二人を囲む。襲い掛かる邪念体の対処に追われる二人を楽しむ無邪気な笑い声が絶え間なく降り注ぐ。
「卑怯よ」
「喋っちゃう前に早く掃除しちゃわないと、どんどんやってきちゃうよ」
見える範囲の道はすべて邪念体で埋まっており、黒いヘドロがひしめき合う光景は何とも気持ち悪い。
「本当ならもーっと呼び寄せられちゃうのに……あの結界はうざったいな。君たちはー、術者を知ってるかなー?」
「知らない、わよ」
襲い掛かる粘弾を扇子で切り裂き、周囲の邪念体を生成した焔で焼き払う華蓮は答える。
「ふうん、本当かな?」
「あいつは正直な人間だ。嘘は言わない」
「敵の言葉を信じちゃうほど単純な性格してないよ。痛めつけちゃえば本当のこと教えてくれちゃうよね」
嗜虐を含んだ声音に呼応するように邪念体の数が増す。二人は一先ず、天からの声の相手をすること諦める。
「どれくらい持ちこたえられちゃうかたのしみだな」