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4-13

 ふわりと沸き起こった風が不揃いの前髪を揺らす。

 不機嫌を絵に描いた表情を見せる青年を眺め、焔は面白そうに目を細める。

 と、全身に駆け巡った感覚につられるように顔を上げる。


「碧水と氷雪が戻ったか。手強い相手だったみたいだな」


 六人いる桜の式の中で最弱の二人とはいえ、その実力は当代一の名に恥じないものだ。

 それが本体に戻ることを余儀なくされるほどに消耗している。現状の異常さを改めて実感した。


 異常と言えば、焔の目の前に立つ青年のこともそうだ。

 第五の式、(らん)。風を纏う式であり、無口で無愛想。人付き合いが苦手な彼が姿を現すことは非常に稀だ。


「不満そうだな」

「主の命に文句はない」


 鋭いばかりの言葉を受け流すように息を吐く。

 文句はないと言いつつも、表情は不満を隠しきれていない。空を仰ぎ見る焔は口元に苦いものを乗せた。

 薄らと見える膜の向こう側で蠢く不気味な雲。それとは違う雲の動きを見咎める。


「運の悪い」


 焔視点だとその一言で片づけられる天の気紛れ。碧水ならば恵みと評することだろう。

 天から降り注いだ一滴が焔の頬に触れたのとほぼ同時、邪念体と呼ばれる黒いヘドロが出現した。

 町を見回るついでに倒していたものとは桁違いの大きさだ。その上、数も多い。

 突然のように押し寄せる面倒事に肩をすくめた焔のすぐ横に疾風が駆け抜ける。黒いものを撒き散らしながら後方へ飛ばされた焔は、半眼で同胞を顧みる。


「お前の攻撃はただえさえ予測が難しいんだ。一声かけろ」

「悪い。真砂なら気付けていたから」

「あれと一緒のことを求められても困る」


 余計な一言を加えて答える嵐に言葉を返しつつ、視線は邪念体から外さない。

 戦況をそれとなしに分析し、注がれる鋭い瞳を一瞥する。性に合わない役目に嘆息しつつも口を開く。


「右は任せた。私は左を行く」


 返事を聞くよりも早く跳躍し、炎を纏った蹴りが邪念体を焼く。間を与えず、回し蹴りで周囲を蠢いていた邪念体を蹴散らす。

 タイミングよく起こった突風により、向かって右側に吹っ飛ばされた邪念体が切り裂かれた。

 次々に湧き起こる突風から距離を取りつつ、邪念体に炎の打撃を浴びせる。


「ただサイズがでかいだけか。こちらとしては助かるがっ」


 降りかかる粘着性を持った黒い液体を炎で受け止める。徐々に激しくなる炎を纏い、とどめの拳を与える。

 火柱とともに消失した邪念体には目もくれず、すぐに別の邪念体へ意識を向ける。


 嵐に任せたものを除けば残り二体。一気に叩くと決め、焔は自信の体内に巡る術式に目を向けた。

 焔を焔とするための術式。その全てを理解するには知識が圧倒的に足りない。だが、そんなのは些細なことだ。今、焔が必要としているのは複雑に絡み合う術式のほんの上澄み程度。

 術式の一部を解けば、焔の右腕――その肘から先が炎の塊に変化する。

 燃え盛る炎を横に薙ぎ、飛び散る火の粉が一瞬で邪念体を焼きつくした。


「こんなものか。嵐は――」


 腕を元に戻した焔の耳に泣き叫ぶ声が届いた。人間よりも遥かに優れた聴覚が悲鳴の所在を掴む。


「嵐、ここは任せる」

「承知した」


 素直に下を取っていくのは煩わしく、屋根伝いに未だ聞こえる声を目指す。全身の感覚をフルに使い、数分足らずで邪念体に襲われる少女の姿を発見する。

 逡巡ののちに徒人にも視認できるようにと纏う霊力を強め、降り立つ。


 足先に炎を纏わせた形で、少女に迫る邪念体の真上に着地する。スライムに似た感触が足の裏で燃え尽きていくのを感じながら、涙で顔を汚した少女に笑いかける。


「大丈夫か」

「ぐすっ……おに、ちゃんが」


 弱々しく持ち上げられた腕が数メートル先で蠢く邪念体を指差す。邪念体の中に少女の兄がいると告げているのだ。

 完全に呑まれてしまっては焔に助ける術はない。が、その確証がない現状では見捨てるのも憚られる。末の三人ならば見捨ててたかもしれないが。

 生半、人間に近いところにいる焔は嫌っている面倒な道へ進むことを迷わず決意する。


「今日は面倒なことばかり起こるな……。安心しろ、手は尽くすさ」


 跳躍して、邪念体の前へ。今までのようにただ燃やすことはできない。

 打つ手を考えているうちに邪念体からの先制攻撃。ヘドロを撒き散らしながら伸びてくる腕のようなものを手刀で切り飛ばし、炎で灰に変える。


「はっ」


 足で器用に邪念体の表面を掬い取り、燃やす。ふと白いものが視界に入った。

 闇に染まる邪念体には不釣り合いな白は紛れもなく、少女の兄の腕である。


「見逃すかっ」


 反射的に手を伸ばし、腕を掴む。すぐにでも彼を助けようと力を込める焔を邪魔するように、邪念体の腕が伸びる。


「くそ」


 二、三本の腕が焔の身体に掴みかかる。想像以上に強い力を受けながらも、引っ張出すことのみに集中する。

 十歳くらいの少年の顔が闇色のヘドロの中から覗いた。

 ひと踏ん張りだと力任せに少年の腕を引っ張る。肩に食い込んだ腕が皮膚を抉ったが些細なことだ。


 大きな抵抗とともに引っ張り出された少年の身体を抱きとめ、容体を確認する。邪気に侵された少年の身体にはところどころ黒い染みがある。

 しかし、今はそれに気を留めている余裕はなく、一先ず少女の傍に寝かせる。


「お兄ちゃん……!」

「お前の兄は必ず助ける。少しの間、待っていられるか?」

「う、ん。やくそくする。だから、お兄ちゃんをたすけて。神さま、おねがい」


 思わぬ言葉に炎の瞳を丸くする。そして、口元が緩やかに弧を描いた。


「神様、か」


 まさか自分が神様と言われる日が来るとは。

 何の前触れもなく現れた炎を纏う女性。時代錯誤な自らの衣装を見下ろし、これまでの行動を振り返る。

 なるほど確かに、平穏な世界しか知らない子供は神と勘違いしても不思議はない。

 焔にとって神という奴は信じるに値しない嫌悪の対象だった。しかし、少女に神と呼ばれるのは悪い気はせず、否定することはやめる。


「お前の望みは聞き届けた。必ず叶えてやろう」


 期待が込められた瞳を裏切らぬよう、神という皮を破る。

 抉られた肩から溢れる火の粉を意識の外へ追い出し、邪念体へ手を伸ばす。

 得物を奪われたことで怒り狂う邪念体が撒き散らすヘドロを残らず灰へと変える。


 一蹴とともに地面に着地し、邪念体を見据えたその時――目が合った。

 不快な音を立てて出現したギョロ目が真っ直ぐに焔を見つめている。寒気が全身を駆け巡った。


「キコ、エル」

「お前、話せたのか」


 どうやら目の前にいる邪念体は力を蓄えているようだ。

 肩をすくめた焔がとどめを刺そうと腕を炎に変えたところで、彼女の動きが止まる。炎の瞳が大きく見開かれた。


「イッショ、ズット……大切、約束、シタ、ノニ……ナノニ。守レナカッタ、か――」

「耳障りだ」


 苛烈な闘気が迸り、静穏を保っていた炎が激しさを持って邪念体を貫く。

 劫火でその身を焼かれながらも、邪念体は喋ることをやめない。


「コエ、キコエル。コエ、コエコエコエコエコエコエコエ……声」


 最後まで途切れなく続いた声は、ついに灰も残さず燃え尽きた。

 激しさを失った炎を静かに見届け、炎は荒れ狂う激情のうちに押し込めた記憶へ意思を向ける。

 五感すべてに、克明に刻まれた幸福の終焉。


 ――約束したはずです。っなぜ。


 らしくなく感情を露わにした声が耳朶を打った。人形めいた顔を濡らす涙を見たのは、後にも先にもあの時だけ。

 目を瞑るだけで簡単に思い出される悲痛な面影。重なるのは、今はもうない笑顔。


 邪念体のせいで思い出された記憶に浸っていた焔を現実に引き戻したのは、彼女を"神"と呼ぶ少女だ。

 すぐに普段の調子を取り戻した焔は薄く笑い、少女の兄――横たわる少年の傍で膝をつく。


「助けるという約束だったな」


 黒い染みが残された身体に手をかざす。

 残念ながら焔は体内に残された邪気を取り除く術は知らない。しかし、邪気は陰に属するものだ。陽の性質を持つ霊力や妖力とは対極にあり、互いを打ち消す力がある。


 つまり、少年の身体を蝕む邪気と同等量の霊力を注ぎ込めばいいというわけだ。

 注がれる霊力の量に比例するように、黒い染みが薄くなっていく。


「ん」

「お兄ちゃん!」


 うっすらと開かれた目が彷徨い、妹の姿を見つけると表情が和らいだ。


「あやの、よかった」


 渇いた唇が言葉を零し、力尽きたようにその瞼は再び閉じられた。

 悲痛に瞳を揺らし、何度も兄に呼びかける少女を安心させるように彼女の頭を撫でる。


「疲れて眠っただけだ。心配しなくとも、そのうち目を覚ます。今は寝かせてやれ」


 素直に頷き、少年の寝顔をじっと見つめる少女の姿に嘆息し、空を見上げる。


 さて、ここからが問題だ。

 この場に兄妹だけを残していくのは憚られる。かといって焔がずっと残っているわけにも、兄妹を連れて邪念体の掃討をするわけにもいかない。


(藤咲家に連れていくか。多少距離はあるが、あそこなら安全だ)


 あの屋敷は歴代当主の力に加え、桜が強化した結界の中に守られている。当代一の妖退治屋と、焔が最も信頼する同胞がいることを加味すれば、最も安全な場所といっていい。


 考えを纏めた焔の視界の隅で、糸のようなものがキラリと光った。


『水を差すようで申し訳ないけれど、春野家の別荘の方がおすすめよぉ。藤咲家までの道は邪念体が蔓延してるわ。子供二人抱えた状態じゃ、きついんじゃないかしらぁ』


 糸から発せられた声はクリスのものだ。町中に張り巡らされた糸で戦況を見て指示をするとの話だったが、なるほどこういうことか。


「助言、感謝する」


 春野家別荘までの道を脳内で確認し、眠る兄の身体を抱きかかえる。


「安全なところまで案内する」


 こくりと頷いた少女は空いている方の手を握った。目を丸くした焔は無邪気に笑う少女を前に、静かに息を吐いた。


 ●●●


 生い茂る木々の間を浮遊して進んでいく百鬼はようやく目的地に辿り着き、かいてもいない汗を拭う。

 ここは俗に"はじまりの森"と呼ばれる場所である。RPGに出てきそうな名称を持つこの地は、都会の中では異質な存在だ。都市開発にも負けず、未だに広大な土地が残されているのには何やら特殊な事情があるらしい。

 百鬼が町中ではなく、この森の防衛を任されたのと同じ理由らしいことは健から聞いたことだ。


「あら?」


 草木一つ生えていない円形の空間――"はじまりの森"の中心である場所に足を踏み入れた百鬼は先客を見つけて声を上げる。


 後ろに揺れる葉と同じ色をした髪と一つに纏めた青年。藤咲家に滞在していた時に何度か見たことのある人物だ。

 彼も百鬼の存在に気付いたようで、翡翠の瞳と真紅の瞳がかち合う。


「鈴懸だったかしら」

「はい。貴方は紅鬼衆の――」

「百鬼よ。こうして話すのは初めてよね。桜あたりに頼まれて来たの?」


 返ってくるのは首肯。町に邪念体が溢れた状態で、自主的に"はじまりの森"へ訪れることがそもそも稀だ。

 かくいう百鬼も健にお願いされて訪れた身である。

 日頃から貴族街を離れて活動しているためか、こういう時は良いように使われることが多い。


「私が来る必要なかったかしら。頼まれた以上はちゃんと役目を果たすけど」


 聞かされていた懸念とは裏腹に、閑散とした空間に息を漏らす。

 周囲への警戒を最大限に、視線を巡らす鈴懸との沈黙に妙な気まずさを感じる。敵が現れてほしいとまでは言わないが、この空気を打ち消す状況を心から望む百鬼である。


 そこへ――。

 空から注がれていたものとは微妙に異なる不快な気配。

 嫌な形で望みが叶ったと悟った百鬼は静かに息を呑み、臨戦態勢を取る。この気配は邪念体のものだ。

 風を生成させるための、最も単純な術式を思い浮かべ、近づく気配を迎える準備を整える。


「来るなら来なさい」


 気配が近づく。近づく。近づく。近づく。


「嘘、でしょ」


 ようやく姿が見えたところで声が漏れた。

 体長四メートル。人型をとった邪念体が巨大ゆえの緩慢さで近づいてくる。いたるところに目やら口やらがついた黒い塊は不気味で、気持ちが悪い。

 目が何かを探すように忙しなく動いており、口からは怨念のような言葉が吐き出されている。


「お待ちしておりました」


 柔和な笑顔を浮かべたと同時に地中から伸びた蔦が邪念体こと巨人の足を捕らえる。

 気付かずに踏み出そうとした巨大はそのまま転倒し、タイミングよく生えた木の幹が胸の辺りに突き刺さる。その隙をついて、生成された風が目を抉り取る。


「びっくりするほど手ごたえがないわね」

「油断は禁物です」


 するすると地中から伸びた蔦が巨人を拘束するべく巻き付いていく。

 その上を華麗に舞う風がヘドロのような物体を散らしていく。正直、非効率なやり方だ。


「イヤイヤイヤイヤ」「死ニタクナイ」「タスケテ」「イヤ」


 激しさを増した声が不協和音を奏でる。

 耳障りだと二人が顔を顰めたと同時に巨人がその身を起こす。

 捕らわれた部分を切り捨てた巨人の身体は幾分かコンパクトなサイズになっている。切り捨てられた部分もまた、新たな生命体として蠢いている。


「種を温存しすぎたようですね」

「よく分からないけど、どうするのよ。小さくなったとはいえ、数はかなり増えてるわよ」


 近づいてきた邪念体の一つを風で吹っ飛ばす。後ろにいた邪念体も巻き込みながら木に身体を打ち付ける。

 細かく飛び散った邪念体は更に小さくなり、活動を再開する。


「ああ、もうっ」

「焔がいれば話が早いのですが……。私も桜様の式の一人、弱音を吐いているわけにはいきませんね」


 周囲を見渡した鈴懸は最後に百鬼へ目配せをする。


「私が巨人の方を叩きます。百鬼さんは――」

「細かい奴らをやればいいのね。任せて」


 視線を交わし、頷き合う。そして、逆方向に飛び出した。

 種の残量を脳内で確認した鈴懸は、巨人の足元に残された種に命令を加える。地面が盛り上がり、出現した蔦が凄まじい勢いで巨人の身体を包み込んでいく。


「少し足りませんね」


 深緑の髪がふわりと舞い、新たな種がばら撒かれる。

 宙に放られた種は一瞬で発芽し、巨人を囲う蔦の檻を完成させる。隙間一つ見当たらない檻の内側にはアイアンメイデンさながらに大量の棘が生えている。

 拷問用に計算しつくされた鉄の処女とは違い、こちらはただ閉じ込めて殺すことのみを目的としている。

 鈴懸の檻と呼ばれる術だ。


「私も負けてられないわね」


 結び目の辺りから生えた二本の角が発光し、漂う霊力を風へと変換する。

 輝く真紅の瞳に合わせて自在に動き回る風の中に、懐から取り出した剥き出しの刃を放る。細かく砕かれた刃を気軽に飲み込み、風は百鬼の思うままに邪念体を蹂躙する。

 分裂なんてできないほどに細かく切り裂いていく。


「まだまだ」


 風を生成。離れた位置にいた邪念体を、刃を含んだ風が吹っ飛ばす。


 百鬼にできるのは風の生成と、風を自在に操ることのみ。かつては使えていた他の術は、出来損ないと呼ばれる神から力を与えられ、眷属となった時に全て使えなくなった。

 風を刃を含ませるのは攻撃力を求めた結果の苦肉の策だ。


「これで最後よっ」


 最後の一体の身体が細切れにされる。ある程度、細かくすれば動かなくなるのは、少し前に発見したことだ。


「百鬼さん」

「分かっているわ」


 新たな敵の気配が近づいてくるのを察し、思考を切り替える。


「桜様から任された役目、必ず遂行してみせます」

「まとめてかかってきなさい。残らず塵に変えてあげるわ」

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