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4-12

 二組に分かれて幾ばくもしないうちに巨大な氷の壁が出現した。上下左右、どこにも果てがない。

 考えるまでもなく、あの二人の式によるものだと判断できる。


 いまいち、敵か味方か判別できない人物だ。

 妖ではないのだから響とって敵ではない……のだが、味方と判断するには得体の知れなさが目立つ。


「考エ事しててイイのかよ。今は戦闘中だぜ」


 身の丈ほどのある巨大鋏を肩に担いだ青年の言葉により、我に返る。


 そうだ、今は戦闘中だ。

 それも相手は今までずっと響が求め続けてきた憎き妖。

 余裕の表情で、響が戦闘に思考を切り替えるのを待っているのは、戦闘を嗜好品とする性格の表れ。反吐が出る。


「貴方こそ、余裕をこいていていいんですの?」


 刀身のない柄を握る。しばらくの間、夏藍に貸していたその妖具はやはり、よく馴染む。

 脳裏にこびりついた夏藍の赤い姿を追い払うように踏み出す。


(大丈夫。夏藍は死なない。私を一人になんかしない)


 響の霊力から作られた霧が凝縮し、刀身を形作る。


「イイ顔してるぜ、オ前」

「妖に褒められても嬉しくありませんの」


 繰り出される斬撃を巨大鋏でしのぐサイデ。

 サイデを射殺さんばかりに凄んだ目には、復讐以外の何かが宿っている。最高にそそる表情だ。


「散開」


 鍔迫り合いの中、霧ラ雨の刀身が元の霧となって辺りを充満し始める。

 濃霧が辺りを覆って間もない頃、響は懐から玩具の銃を取り出し、銃口をサイデへ向ける。


 視界が悪いのは響も同じ。常人よりも鋭い感覚を極限まで研ぎ澄まし、全身でサイデの気配を捉える。

 幸い、サイデは移動していないようだ。笑みとともに引き金を引く。

 眩い閃光が濃霧を駆け抜ける。


「へェ、悪くねェ手だ」


 サイデの気配が動いた。

 霊力が凝縮された閃光が真っ二つに切り裂かれる。


「うそ」

「そこにインのか、ンじゃまァ、俺からも行くぜ」


 無理矢理に思考を切り替え、握る刀身のない柄に命令を加える。辺りを充満していた濃密な霧は一箇所に収束し、刀身を作った。


「オっ、見晴らしがよくなったなァ」


 巨大鋏を担いだサイデからは攻撃の片鱗が見受けられない。上手く、利用されたようだ。

 自覚すると同時に怒りが込み上げてくる。

 余裕を隠さないサイデに、浅はかな自分に。


「成長したっつっても、まだまだ甘イなァ。もオ何年かすりゃア、マシになるだろオけどよ」

「貴方がそれを知ることは永遠にありませんの。私が今ここで貴方を殺すのだから」


 精一杯の虚勢を纏って、サイデを向かい合う。心は怒りとは別の理由で震える。

 胸元で揺れる青い玉に無意識に触れる。夏藍がいないという事実がこんなにも響の脳内を掻き乱す。乱れる呼吸を飲み込み、鼓舞するように霧ラ雨を振りかざす。


「はあああああ」


 力の限りに振り下ろす。水刃が放たれるが、退屈そうに振るわれた巨大鋏によって、いとも簡単に切り裂かれた。

 弾ける水飛沫を眺めながら、響はこれでいいと心中で笑う。こうして同じことが何度も繰り返される。


 他の攻撃を交えながらではあったが、勘のいいサイデなら違和感を覚え始めてもおかしくない。

 距離を取り、動きを止めた響は懐から銃の妖具を取り出し、霊力が凝縮された弾を数発撃ち込む。


「単調なこうげ――っ」


 弾を切り裂く用途で振るわれた巨大鋏が空を切る。

 目を見開くと同時に、サイデの身体に撃ち込まれた弾丸が呑まれていく。


「まだまだいきますの」


 光が弾ける。巨大鋏はことごとく空を切り、サイデの身体には次々と霊力の弾が撃ち込まれる。

 全身から血を流しながらも、サイデの表情に焦燥は宿らない。むしろ、綻んですらいた。


「くく、なるほどなァ。怪しイとは思っていたが、そオイウことか」


 サイデほどの実力者であれば、いつか気付かれると思っていた。しかし、いくらなんでも早すぎる。

 予定ではもう少し傷を負わせて、サイデの体力を削るつもりだったのだが。


「少し侮っていましたの」

「ンなことねェよ。オ前の兄貴と戦ってなかったら、もオ少し時間がかかってただろオからなァ」


 兄。

 サイデの口から滑り出たその単語に心臓が大きく跳ねた。

 脳裏に過ぎった血に身塗れ、地に伏す兄の姿を払拭するように頭を振り、虚勢という名の防具を身に纏う。 


「でも、気付いたところで、どうにかできるとは思いませんの」

「そオだな。いくら俺でも認識をずらされてるんじゃア、手も足も出ねェ。攻略法を考エるにも、その間に攻撃されたらオ陀仏しかねねェしなァ」


 不利な条件が並べられているにも関わらず、やはりサイデは余裕を貫いている。その態度がサイデの強さの一端を担っているのだ。

 必要以上に期待せず、侮らず、驕らず、不利でも悲観せず、有利に溺れない。戦闘慣れしているだけとは思えないサイデの性質が癇に障る。


「どオしとオもねェなァ」

「降参するなら痛くはしませんの」

「降参? ンなつまンねェことはしねェよ。今のまンまじゃ、打つ手がねェのは確かだけどよ、俺には切り札がある。さっき一回、使っちまったンだけどなァ」


 サイデの気配が一変し、彼の周辺で黒いものがゆらゆらと揺れる。

 サイデの妖力だ。本来、不可視であるそれを目にしたのは初めてで、サイデの身体から広がる黒い存在の異様さに目を奪われる。


 霊力や妖力には色があるという話を聞いたことがある。色によってそのものの性質が変わってくるのだと。

 青は水。赤は火。緑は木。黒だけは様相が違い、それが意味するのは――。


「闇落ち!? でも、そんな素振りは」


 闇落ちとは、邪気に呑まれることを指す。理性を失う者が大半だが、稀に自我を保ったまま闇落ちする者もいる。


 妖退治屋という役割上、響は闇落ちした者に対峙することがよくあった。その経験からか、闇落ちした者が纏う独特の気配を肌で感じることが出来るようになっていた。

 が、肌を撫でる邪気の不快さを、彼からは一切感じなかった。今までは。


「気付けねェのは当然だ。俺はさっき闇落ちしたばっかだからなァ」

「ありえませんの。冗談はやめた方が身のためですわよ」

「冗談じゃねェさ。俺は、イヤ、俺たちは任意で闇落ちすることができる。アる存在の恩恵でな」

「ある、存在……?」


 懐かしむように目を細めるサイデの言葉を反芻する。

 本来なら先程のようにありえないと食ってかかっただろう。しかし、"ある存在"という単語に込められた不思議な力がそれを阻む。


「つっても、条件付きだけどなァ。この町に来たのはそれを果たすためだ。まァ、騒ぎに便乗して楽しむためつーのも、嘘じゃねェが」


 邪気が広がり、その場を埋め尽くす。顔を顰める響を他所に、広がり続け消失した。

 結界を張る間もなく、邪気の中に晒されていた響の身体に傷がついているわけでも精神的に影響を受けているわけでもない。


「準備は終わりだ。さァ、殺し合オーぜ」


 不審そうな視線を受けながら高らかに宣言するサイデ。

 巨大鋏の切っ先から妖力の刃が放たれ、反射的に横に跳び退る。同時に小さな痛みが走り、袖が切られた。

 露わになった肌には枝で引っ掻かれたような細い傷が描かれている。


「どういうことですの」


 怪訝な表情を見せる響の視界に、楽しげに歪むサイデの顔が映る。

 空気中に漂わせた霊力の霧を反射させることで相手の視界を騙す。先程まで響がしていたことと同じことが行われているのか。


「散開っ」


 霧ラ雨の刀身が霧へと変化し、サイデの邪気によって掻き消された霧を上書きするように舞う。


「馬鹿の一つ覚えだなァ」


 二本の刃が走り、白に染まった景色は一瞬にして元の色彩を取り戻す。

 所在を失った霧は濃縮され、柄の周辺を漂っている。


「多少は成長したが、まだまだだなァ。ここまで楽しませてくれた礼に一瞬で終わらせてやるよ」


 巨大鋏の切っ先に邪気が集う様が目に映り、終わらせようとしているのだと確信する。

 願い下げだと、銃をしまった響は霧ラ雨を構え、それに向かい合う。


 妖力と邪気が混ざり合った刃が放たれる。近づいたものを容赦なく切り裂く鋭利さを持った刃によって己の身体が二つに裂かれる未来が容易に想像できる。それでも。


「終わらせない。絶対に負けませんの」


 負けず劣らずの霊力を霧ラ雨に注いでいく。迫りくる刃を防ぐための力を。

 霊力の霧で構成された刀身と、妖力と邪気で構成された刃がぶつかり合う。

 響は押されるように数歩引き下がる。大きな負荷がかかる細腕は諦めることを知らない。


「っゆう、か、い」


 刀身の半ばまで切り進んでいた妖力と邪気が混ざる刃が形を歪ませる。中央――霧ラ雨と接する部分に向けて尻つぼみに伸びている。


 軽くなる衝撃に笑みを深くする。

 そして。


「大したことありませんの」


 黒だけとなった刃を切り捨てれば、それは邪気を振りまきながら霧散した。

 身体が尋常じゃない疲労を訴えており、膝が笑っている。かなりの霊力を消費してしまったようで、このままサイデと対峙するのはかなり厳しい。


 しかし、消耗しているのはサイデも同じ。あれだけの大技、使用した妖力の量は少なくないはずだ。

 疲労に気付かれないよう、気丈に振る舞いつつ、サイデをかえりみる。

 笑っていた。面白い玩具を見つけた幼い子供のように無邪気に、楽しげに、そして狂気的に。


「期待に応えてくれたこと感謝するぜ。オ礼に一つ助言してやる。後ろ、気をつけな」


 言われて、振り向く。視界に映ったのはすぐ傍まで迫りくる小さな鋏。

 咄嗟に間合いを取り、霧ラ雨ではたき落とすが、鋏はすぐに追尾を再開する。


「なんですの、これ」

「下手に動き回ると怪我するぜ」


 切り落とそうとすれば巧みに避けられ、はたき落とすだけではすぐに復活する。結果、響に残された選択肢は逃げることだけだ。

 後方に大きく跳んだ響の頬に赤い線が走る。小さな痛みに顔を顰め、横に跳べば今度はズボンが切り裂かれた。


 動き回ると怪我をする。

 サイデの言葉通りに響の身体には傷を作られていく。等しく浅いものであるものの、疲労困憊な響にとって小さな痛みすら煩わしい。


「きゃっ」


 足がからまり、尻餅をつく。

 これ幸いと、小さな鋏が鼻先まで迫った瞬間、眩い閃光が鋏を撃ち抜いた。

 見覚えのある光に驚いて懐を探り、狂光銃と名付けられた妖具がないこと気付く。


「どこ、に」


 彷徨わせた視界が捉えたのは、響にとって何よりも頼もしい存在の姿。

 縹色の髪を風に遊ばせた少年。はためく黒衣が影を作る。


「復活だし」


 その手には響がなくしたはずの狂光銃が握られている。

 柔らかな笑顔がこちらを向き、空いている方の手が差し出される。


「心配かけてごめん。ここからは二人で戦おう」

「ええ、もちろんですの」


 手を取り、立ち上がる。全身が訴える疲労も、痛みも今はちっとも気にならない。


「ここからは僕がいくよ。響にはサポートをお願いするし」

「ええ。期待していますの」


 素直に頷く。

 先程までの戦いで、体力も霊力も限界に近付いている。無理に出しゃばっても、夏藍の邪魔になるだけだ。

 少し前ならできなかった冷静な分析のもと、交換した武器を握る。底をつきかけている霊力ではあるが、夏藍を顕現させている分を差し引いても、狂光銃を何発か撃つくらいの力は残っている。


「待たせたみたいだね。決着をつけよう」

「手加減はなしだ。満足イくまで殺し合オーぜ」


 黒い刃が襲う。

 夏藍はこれを軽い跳躍で避けつつ、その先に待ち構えている攻撃の気配を感じ取り、霧ラ雨で両断する。

 気をとられているうちに迫っていた巨大鋏を、反射的に構えた霧ラ雨で受ける。


「少し見ねェうちに強くなったじゃねェか。それとも手加減してたのかァ?」

「どっちも間違ってないし。今の僕が強くなっているなら、それは響の想いが強くなっているってことだ。僕と響の絆が強くなっているってことだ」


 契約印を通じて伝わってくる熱い想いが、失敗作の烙印を押された心に共鳴する。

 頭がやけに冴えている。身体が嘘のように軽い。鋭敏になった五感は各所に散らばる不可視の刃すら鮮明に捉えてみせる。


 勝てる。


 静かに確信し、、霧ラ雨に意識を傾ける。

 あの日から共に戦い続けてきた仲間。無機物であるそれが宿す意志を掌越しに感じる。


「君のことは嫌いじゃないし。敵じゃなかったらと思うくらいには」


 渾身の力で蹴り飛ばす。腰をおって受け止めたサイデの身体が数メートルほど後ろへ下がる。

 軽くなった霧ラ雨を振り、鋭さを持って水滴に飛ばす。


「俺は敵でよかったって思ってるぜェ。こンなに楽しませてくれる相手は中々いねェからなァ」


 大きく開かれた巨大鋏が水滴を切り裂き、小さな鋏が夏藍の脇腹を抉る。


「っそこは同意するし。けど、僕は快楽に溺れるほど暇じゃないし」


 誰にも邪魔されたくない。そんな思いを燻ぶらせながら、横目で響の位置を確認する。


「戦イは終わりがアるから楽しインだぜ。終わらせ時は見誤らねェよ」


 終わらせようとする夏藍の考えを肯定するようにサイデの掌から溢れた邪気が巨大鋏を伝う。銀だったものが、みるみるうちに漆黒へ染まっていく。

 禍々しいというよりは美しさを感じさせる色合いだ。


 地を蹴り、水刃を放つ。対処に追われる漆黒の巨大鋏を注意しながら、サイデの正面に踏み込む。

 宙に潜む不可視の刃が浅く肌を走り、鮮血を散らす。構わず、霧ラ雨を振り下ろす。


 金属同士がぶつかる音。武器越しに伝わる衝撃を互いに破顔して受け取める。

 刀と巨大鋏で躱される剣戟。純粋な剣戟ではなく、隙を見ては妖術が飛び交う。認識をずらす術の合間をぬって降り注ぐのは鋭さを持った水だ。


 肌を裂く不可視の刃。巨大鋏に触れれば、黒いものが這うように霧ラ雨に絡みつく。

 高度な攻防が繰り広げられる。互いが目の前の相手のみに集中する。


 それが、サイデの敗因だ。


 轟。


 圧倒的質量を持った光線が放たれる。目標はもちろんサイデだ。


「これは! 少し、予想外だぜ」


 盾のように巨大鋏を構えるが、間に合わない。残った霊力すべてを注ぎ込んだ光線にサイデの身体が呑まれる。


「私から意識を外してくれたから、狙いやすかったですの」

「く、くくく」


 おさまりつつある煙の中から苦痛に埋もれた笑声が零れる。煙が完全におさまったその場には、アスファルトの残骸とともに横たわる人物の姿がある。


 サイデだ。

 服の一部は焼け焦げ、剥き出しになった肌は爛れている。持っていたはずの巨大鋏は無残な姿となって、彼の傍に転がっている。


 自然と笑いが零れた。ともに戦ってきた相棒の無残な姿を見るのも、死の予感が全身を巡るこの感覚も久しぶりだ。

 噎せ返るほどに濃くなった死臭の甘さに陶酔する。


「わりィ、アンたの頼みは聞けそオにねェ。貰った恩は返す性質なンだけどよ、今回ばかりは無理そオだ」


 誰に言うでもなく呟くサイデの傍で、純白の影が揺れている。ふとサイデの身体から影と同色の塊が零れ、それと同時に別の影が差す。

 サイデは視線だけをそちらに向ける。


「楽しかったぜ。最後にしちゃ悪くねェ」

「君の存在は僕らにとって大きなものだったし。……少しは感謝している。けれど、情けも躊躇もしてあげられない」

「ンなもン必要ねェよ」


 振り上げられた霧ラ雨の刀身が反射して、視界を焦がす。


「さよなら」

「じゃアな」


 霧で構成された刀身がサイデの上を滑る。消えつつあった灯火を容赦なく吹き消す。

 鮮血を撒き散らすサイデはどこか満足げで予想外に穏やかな死に顔だった。

 念入りに死体を調べ、完全に死んでいることを確認してから響の許へ戻る。


「終わったし」

「そうですの」


 それ以上言葉を交わすことなく、二人は並んでサイデの死体を見つめる。ずっと求め続けてきたものだ。

 復讐を果たし、湧き起こる感情は歓喜なんて単純なものではなかった。喪失感に似た何かが混ざり合い、複雑な感情を胸に落とす。


「私たちの平穏を奪った貴方のことは絶対に許せない。でも、ありがとう。貴方のことも、今日のこの戦いも忘れることはないわ」


 兄の、奏の生を求め、サイデを殺すことを求め、今日まで生きてきた。

 己の生すら厭わずに懇願した死者の蘇生は否定され、残ったのは復讐の道のみ。

 それを今、遂げてしまった。

 歩いてきた道の先が途絶えた時、人はどうなるのだろう。

 不安を感じていた夏藍は変わらず光を宿す瞳を見て、己の愚かさを自覚する。


「少し休んでから邪念体の掃討に移りますの」

「分かったし。じゃあ、僕は戻るよ」


 すでに柄のみなった霧ラ雨を渡し、姿を消す。

 それを見届けた響は怪我の具合を確認する。身につけている衣服は襤褸のような姿に変貌し、肌には大量の切り傷が残されている。


 自覚したせいか、今更ながらに全身が痛みを訴え始めた。

 治癒ができれば一番なのだが、響には治癒系の術は扱えない。そもそも、最後の一撃で霊力もほとんど尽きている状態だ。


「だからといっていつまでも休んでいるわけにはいきませんの」


 待機という指示を無視してサイデを対峙した自分に非がある。

 サイデを倒せたという事実は結果論にすぎないのだ。

 息を吐き出した響は、近づく足音を聞いて振り返る。見れば、氷の壁は消失していた。


「賞賛」

「素晴らしい戦いでした。惜しみない拍手を貴方に捧げますわ。本音を言えば、サイデさんは(わたくし)たちの手で屠りたかったのだけれど、手を出さなくて正解でしたわ。素晴らしき復讐劇に(わたくし)たちが手を加えるのは無粋というもの。耳障りな不協和音になってしまうところでした」


 当代一の妖退治屋の式、碧水と氷雪。彼女らの姿は最後に見たときと幾分か変化している。

 全体的にこじんまりしていると言えばいいだろうか。身長は二十センチメートルほど縮んでおり、ツインテールにされた髪は肩につくほどの長さとなっている。


「これほどまでに心躍らせてくれたお方には、何か差し上げなければなりませんね。これでも礼は大切にする性質ですのよ。賞賛の言葉のみだなんて、無礼な真似はいたしません」

「譲渡」


 仄白い光が氷雪の拳から響へ注がれる。

 一瞬にして疲労を訴えるばかりだった身体が力を取り戻し、枯渇状態だった霊力が溢れんばかりに漲ってくる。


「ついでに治癒もさせていただきましたの」

「特別」

「どうして」

「理由は先程言ったはずですが、聞いていませんでしたの」

「そうじゃなくて、貴方たちだってかなり霊力を消費しているはずですの」


 ようやく響の言いたいことを悟った碧水は「ああ」と小さく息を漏らす。


「心配無用」

(わたくし)たちは、これから主のもとへ戻るつもりだから問題ありません」

「補給」

(わたくし)たちはあくまで式。どれだけ怪我しようとも、どれだけ力を消耗しようとも些細な事。主のもとへ戻れば、どうとでもなりますわ。所詮、仮初の魂を持つ道具にすぎませんもの」


 流れる言葉に夏藍のことがよぎる。

 彼も仮初の魂を宿した道具だ。大事な家族といくら嘯いても、それだけは変えようのない真実。

 二の句が告げられず黙り込む響を他所に、ただ言葉を並べていた碧水の声が止む。


「そろそろ、お暇といたしましょう」


 こくりと頷いた碧水は、別れを告げるように手を振る。

 そうして嵐のような二人の姿が消失し、辺りは静けさを取り戻した。

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