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4-11

 リビングに置かれた真新しいテーブル。普段は食卓として使われているそれを囲うように四人の人物が席についている。


 藍色の長髪を背中に流した眼帯の少年。

 ジャケットの代わりに白衣を羽織った知的な青年。

 豊満な肉体を薄い生地の衣装で包んだ女性。

 そして、眠たげな眼を持ち、髪を寝癖だらけにした少年。

 最後の一人は、他の三人と比べて圧倒的なまでに常人で、少々場違いな存在に思える。事実、本来ならば少年のいる場所には別の人物がいるわけだが、今は訳あって別行動中だ。


「健さんが手を貸してくれていることもあり、現在は好調です」


 春ヶ峰学園。史源町。それぞれを覆う結界は生まれた邪念体が外へ出るのを防ぐだけではなく、不気味な空から注がれる邪気を半減する役目も担っている。

 結界は大きくなるほど消耗が激しく、強度を保つのは至難の業だ。それを易々と行っているとはいえ、本人の言う通り直接戦闘に参加してもらうのは難しいだろう。


 元より協力してくれるか分からない相手なので、それほど期待していない。そもそも二重結界を張ってくれている時点で、状況は予定よりも遥かに好転している。


「現在、邪念体以外と戦闘を行っているのは折笠さん達だけですか」

「ええ。サイデって子たちは例外のようだし、約束はちゃんと守られているようねぇ」


 クリスの指先に纏わりついていた不可視の糸がキラリと光った。

 クリスの目だけに認識される糸は、彼女を中心に史源町に張り巡らされている。さながら、蜘蛛の巣だ。


 繋がる糸の微かな振動が、戦況を克明に教えてくれる。

 大規模かつ戦場が複数に渡る場合にはかなり重宝される術だ。

 繰り広げられる戦闘を文字通り肌で感じていたクリスは大きくたわんだ糸が伝える気配に妖艶な笑みを浮かべた。


「このまま保っていられたらいいけど、少し厳しいかな」

「状況が長引くほど人々の恐怖心や不安感は増大しますし、邪念体の数も増えるでしょうね」

「健君の言う協力者の戦力を知りたいところだけど」


 真剣な表情で話し合う二人(時々、三人)と眺める星司。

 距離を感じる。別れてからの約十年間、海里が歩んできた険しい道のりの欠片を目にするたび、胸が締め付けられるように切なくなる。


 かつてライバルと呼んでいた少年は自分は立ち止まっているうちに遥か遠くへ進んでいた。もう対等とは言えない。

 圧倒的なまでに開いた差を前に、これまで通りライバルと呼ぶことはできないと考える。


「星司」


 ゆったりとした挙動で顔を上げる星司を出迎える中性的な顔。常に穏やかな笑顔を纏うその顔を見ただけで渦巻く不安が鳴りを潜めた。


「最終確認したいんだけどいいかな」


 曖昧な返事を引き金に微かな緊張を纏った空気が場を支配する。

 第三者として半ば遠巻きに参加していた星司は流されるように思考をシフトする。


「今後のことを鑑みて龍月先輩には少し早めに動いてもらう。後は今まで通り、本陣に行くのは変わりなく俺、レオン、レミ、星司、流紀さんの五人。クリスは全体を見ながら、必要に応じてサポートを」


 了承を口にするクリスに頷き返し、星司の方へ視線を向ける。かけるべき言葉を逡巡する海里に星司の方から口を開いた。


「本当に俺でいいのか。流紀さんもいるし、華蓮さんの方が相応しいんじゃ」

「華蓮は広いところの方が実力を発揮するタイプだからね」


 屋内、ましてや地下の中では、華蓮の良さは発揮できない。


「だったら、龍月先輩とか、折笠さんとか」

「荷が重い?」


 静かな問いかけに心臓が大きく跳ねる。眠たげな眼を大きく見開かれ、図星をつかれたことを教える。

 先程から痛感させられる海里と星司の差。

 史源町を去ってからの約十年、海里は処刑部隊として戦闘に身を投じてきた。差が出来て当然なのだ。

 それでも隣を歩いているつもりだったのだ、今までは。


「適材適所だと思って選んだんだ。そのせいで星司が苦しんでいるなら謝る。でも、変えるつもりはないよ」

「分かってる。今更変えられねぇってことも。……でも」

「星司さん」


 名を呼ばれ、星司は言葉を止める。向かい合う落ち着き払ったレオンは恐ろしいほど冷え込んでいる。

 何かが変わったわけではない。表情も、瞳も、いつも通りのレオンだ。

 にもかかわらず、そら恐ろしさを感じるのは紡がれる声音が冷たさを孕んでいるせいだろうか。


「星司さんに与えられた役目は貴方に対する評価です。海里からの信頼とも言えるでしょう。不満、不安はあると思いますが、その信頼を裏切る言動は控えた方がいいかと」


 下っ端時代を長く過ごしてきたレオンだからこその言葉だ。

 海里の友人である星司に従順さを求めてはいない。求めているのは、もっと別のものだ。


「私は龍月さんに連絡してきます」

「うん、お願い」


 レオンに続いてクリスも席を立つ。処刑部隊のトップである二人は他にもいくつかの仕事を請け負っている。

 いくら一つの町の生死が関わっているのだとしても、それ一つにかまけていられないのだ。


「大規模な作戦に参加するのは何度かあったけど、こうして自分が指示する側になるのは初めてなんだ。すごく不安だし、星司と同じようなことを考えてる。でも、俺を信頼して任せてくれた妖華様のためにも、逃げずに頑張ろうと思ってるよ」


 拳を作った右手が差し出される。


「だから、一緒に頑張ろう。俺は星司ならできると信じてる」

「……ああ。海里の期待に応えられるよう、頑張るぜ」


 二人の拳が合わさる。

 差は確かにある。

 けれど、海里が信じてくれている。他でもなく、星司自身が海里の隣を歩いていたいと思っている。

 今はそれだけで十分だと思う。


 ●●●


 空は相も変わらずおどろどろしい雲が蠢いており、結界で防ぎきれなかった僅かな邪気を下界へ降り注いでいる。

 あの結界さえなければ、莫大な量の邪気がこの史源町に降り注いでいたはずだ。まったくもって不愉快だ。


 次々に落とされる氷柱を避けた芙楽は、町全体に張り巡らされた結界以上に不愉快な者を一瞥する。

 上にも横にも果ての見えない氷の壁。隣で行われているであろう戦闘の様子を一切知ることはできない。

 芙楽の纏う妖力が揺らぎ、炎の形作る。腕の動きに合わせるように、炎は氷の壁を撫でる。舞う火の粉が炎の通った形跡を残している。


「無駄」

「氷雪の氷は式で一番の強度を持っています。貴方程度の力では傷一つつけることはできません」


 悔しいことに二人の言う通りだ。今まで何度か氷の壁に攻撃をしかけてきたが、傷がついた様子はない。

 同じことを続けても、悪戯に妖力を減らすだけだ。


「ようやく相手してくださる気になりました? 嬉しい、嬉しいですわ。存分に私を楽しませてくださいまし」


 光るものが数本、宙を舞う。見覚えのあるそれが碧水の手に届くより先に炎を射出する。

 傍らに浮かぶ火の玉から放たれた炎の砲撃が碧水のすぐ横に突き抜ける。


「低速」


 淡々とした声が嘲笑う。瞬間、一メートルはある大剣が滑るように現れ、炎の砲撃を二つに切り裂く。

 輝く氷の体験は空へ高く投げ捨てられ、そちらへ意識が傾いたほんの一瞬の間に、日本刀を握る碧水が距離をつめている。


 にぃ、と歪んだ笑みに残虐性が宿ったとほぼ同時、肩口に氷の刃が突き刺さる。

 走る激痛に苦悶する芙楽の姿を楽しむように歩みより、突き刺さった刀を半ばで折る。


「戦闘によそ見するなんてダーメ、ですわよ。もっともっともーっと、(わたくし)たちを楽しませてくださらないと」

「零点」


 快楽に溺れた顔を火の玉で追い払い、未だに肩口に残る氷の刀を力づくで抜き捨てる。

 地面を濡らす赤い液体にはめもくれず、己の肩口――刀が刺さっていた辺りに意識を集中させる。薄い炎をが撫でるように走り、傷をすべて消し去った。


「あら、あらあらあら。貴方、治癒ができるんですの。それはそれは、とぉっても素敵ですわ。好きなだけ、いたぶって、いたぶって差し上げられます」

「歓喜」


 身構える芙楽の上に降り注ぐのは先端が鋭く尖った氷塊。その合間を縫うようにして氷とは思えないしなやかさを持った鞭が襲う。

 氷塊は炎であしらい、鞭は避けるのみに徹する。


「避けてばかりだなんて、退屈ですわよ」


 突如、鞭が方向転換し、芙楽が足を伸ばした先へ。

 容赦のない打撃が足首を襲い、あまりの激痛に苦悶する。折れてはいないにしても、皹くらいは入っていそうだ。


 歯噛みし、本性へ姿を変える。

 炎を纏う赤い鳥。この姿ならば足の負傷も気にならない。

 宙へと逃げ延びた芙楽は翼を大きく広げ、炎の雨を下界へ落とす。それを的確に打ち抜く氷柱を横目に、急降下する。


 燃え盛る炎の翼が氷雪を掠めた瞬間。


「あ、あああああああ。灼、熱……融解」


 眠たげだった瞳が大きく見開かれ、肌には透明な液体が滲みだす。


「…思っていたよりの好感触で安心しました」


 安堵の息を吐いた芙楽はふと碧水へ視線を寄越して、生唾を飲み込む。

 寒気が走り、身震いする。今日一番の好感触に零れた笑みは一瞬にして消え失せた。

 得体の知れない者を前にしたときのような、不気味な焦燥に支配される。


「貴方、貴方貴方貴方貴方。よくも(わたくし)の可愛い可愛い半身に傷を! 嗚呼、嗚呼。氷雪の身体が溶けて! 許せませんわ。許しませんわ。壊して壊して壊して壊して、壊して、壊しつくして差し上げます」


 空気が一変。


 碧水の握っていた鞭が静かに消える。それどころか、地面に転がる大剣も、刀の残骸も、その姿を消した。

 湿気を帯びた匂いが辺りに立ち込め、不気味さに身体が強張る。

 乱れた呼吸を整えようと息を吸い込み、吐血する。


「…なん……」

(わたくし)のとっておきですわ。この空気には、(わたくし)の霊力で作られた水蒸気が混じっています。触れたものを真っ赤に染める素敵な水蒸気ですの。すぐ終わってしまうのが退屈ですけれど、氷雪を傷つけた貴方にはちょうどいい。そう思いませんこと?」


 舞う火の粉の中に鮮血を混じらせながら、芙楽は地面に伏す。

 悪魔のように碧水はゆっくりと音をたてながら、芙楽へと近付いていく。


「安心してくださいまし。これで終わりではありませんわ。最後の最後の最後まで、痛みに溺れていってくださいな」


 水蒸気が一つへ固まり、水の槍を作り出す。芙楽の真上に浮かぶそれは勢いをつけて落下する。

 何度も、何度も、上下運動を繰り返す。

 碧水は、聞こえる苦悶の声に酔いしれるように目を瞑る。


「危険!」


 焦りを滲ませた半身の声と同時に目を開く。

 爆発音が響き渡り、水飛沫とともに黒い火の粉が散った。爆風が激しく打ち付け、高く聳え立つ氷の壁には細かな傷が作られている。

 地面に膝をつき、事の行方を見守っていた氷雪は爆風に踊る髪を無視して、煙の中を注視する。


「……碧水」


 死の衝撃は感じない。彼女はまだ生きている。

 けれど、あれほどの爆発をもろに受け、まったく無傷というのも有り得ない。

 怒りからか、悲しみからか、肩を震わせる氷雪の耳に笑声が届いた。

 瞳に安堵を滲ませる。


「ふふ、ふふふふ」


 爆風がおさまり、鮮明となった碧水の姿は見るも無残なものであった。

 服は引き裂かれ、露出した肌は傷だらけで水に似た透明な液体が滲んでいる。ツインテールにされた髪は焼け焦げ、痛ましく揺れている。そして、右腕の肘から下がない。

 血液の代わりに滴る透明な液体がアスファルトに水溜まりを作っている。


「ふふふふふふふふふふふ、ふふ。あっははははははははははは、ふふふふふ」


 満身創痍といっても過言ではない身体を捩り、笑声を高く高く零す。揺れる碧水の身体に合わせて、透明な液体が飛沫となってあちらこちらに飛び回る。

 離れた位置で人型に戻った芙楽は二色の炎を纏いながら、笑い狂う碧水を遠巻きに眺める。


「ふふふ、ついつい油断してしまいましたわ。まさか、そんな力を隠していただなんて。(わたくし)、失念していましたわ」

「悪癖」

「あらあら、怒らなくても良いではありませんの。楽しみすぎてしまった(わたくし)に非があるのは認めますけれど」


 二人の世界で話を進めていく碧水と氷雪の二人に訝しげな視線を送る芙楽。

 互いに深い傷を負っているというのに、余裕の表情は消えず、先程のように半身を傷つけられたことに対して怒る様子も見受けられない。


 違和感こそあるものの、攻撃のチャンスだと判断し、纏う炎に命令を下す。赤と黒が混じり合った炎は蛇のようにうねり、未だ二人の世界に浸る碧水らを襲う。

 と、露草色の瞳と目が合う。にぃ、と口元が歪んだ。


「堪え性がありませんのね。もう少しゆっくりしておきたかったのですけれど、仕方ありませんわ」

「残念」


 残っている片腕で互いの手を握り、うねる二色の炎をいとも容易く避けてみせる。

 重傷を負っている者とは思えない俊敏さと身軽さだ。

 二人は互いに顔を見合わせ、うっとりと微笑む。無表情だった氷雪の口元すら綻んでいる。


「お互い、随分と酷い姿ですわね。貴方がそんな姿をしているなんて許されないことですけれど。嗚呼、嗚呼! こぉんなに楽しいのは久しぶりで、滾ってしまいますわ」

「感謝」

「退屈はさせまんから、最後まで楽しんでいってくださいな」

「期待」


 呆気にとられる芙楽を置き去りにして、二人(主に碧水)は自らの興奮を語りつくす。


「…一体、何をするつもり――」


 目の前で繰り広げられる光景に思わず言葉を飲み込む。

 形の整った唇が二つ、重なり合う。お互いがお互いに心酔しているように身を預け、深い口づけを落とす。

 瓜二つの女性が愛を確かめ合う光景に、芙楽はただ呆気にとられることしかできないでいる。


「…っ」


 不意に、眩い光が迸り、反射的に目を瞑る。視界が最後に捕らえたのは快楽に溺れる碧水の顔。

 光がおさまった頃、目を開いた芙楽は一人の女性の姿を視認する。


 つい先程までいたはずの碧水と氷雪の姿が消失している。それでも、いなくなったわけではないと考えるのは、その女性が驚くほど二人に似ていたからである。


 髪も、顔立ちも、装いも、二人をそのまま合わせたかのような姿。左右、それぞれにつけられていた鈴は両手にぶら下がっている。


「…貴方は、誰……?」


 ゆるりと口元が弧を描く。碧水とよく似た表情だ。


「挨拶。芙楽さんの想像通り、碧水と氷雪が一つになった姿ですわ。碧雪(へきせつ)とお呼びください」

「…一つ? どんな術式を使って……ありえません」


 二つの存在を一つに作り替える。組まれる術式は複雑というレベルを超える。

 いくら当代一の妖退治屋が造った式と言えども、できるはずがない。


「失望。退屈な言葉ですわね。そんな些末なこと、サイデさんなら気になさらないでしょうに。……けれど、別段隠すほどのことではありませんし、お答えしますわ」


 氷雪よりも雄弁に、碧水よりも平坦な声が続ける。


「解説。第五、第六を冠してはいますけれど、碧水と氷雪は元々一つの式なのですわ。それが、主の怠慢によって二つに分かれてしまった。これは元に戻った姿、言わば完成形というわけなのです。もっとも、二分されていた力が一つになっただけですから、持ち得ている力は式一人分ですけれど」

「…なる、ほど。強くなったわけではないんですね。安心しました」


 頭の中を整理し、変わった状況を再認識する。そして、深く息を吐き出す。

 纏う赤と黒の炎に命令を下す。命令通りに形作る炎を感じながら、碧雪の方へ踏み出していく。

 先回りした複数の火の玉が今にも碧水を狙わんとしている。


「応戦。存分に楽しむといたしましょう」


 キンと金属同士がぶつかりあうような音が響き渡る。

 片や、氷で作られた日本刀。

 片や、炎を纏うフランベルジュ。


 鍔迫り合いの中、氷の刀は徐々に雫を落とし始める。さすがにまずいと判断した碧雪が後退しようとしたところに、火の玉が襲い掛かる。


「驚嘆。激しいの嫌いではありませんけれど、防ぐには少々骨が折れそうですわ」

「…余裕でいられるのも今のうちです」


 四方から放たれた炎が直撃する間際、音が聞こえた。熱せられた鉄板に水をかけような音だ。

 溢れ出した水蒸気に押されて、炎は完全に消え去る。


「かっは」


 濃霧に覆われるな中、芙楽の腹部に何かが突き刺さる。

 力が抜けそうになる手でその何かを握りしめ、必死の思いで炎を生成する。

 芙楽の中に潜り込んだ部分のみを残して何かは消え去る。燃えたというよりは溶けたという表現が近い。


「っく」


 腹部に残る異物を、体内に巡る炎で溶かしきる。


 が。


 嘔吐感が込み上げ、赤黒い液体を地面にばら撒く。口の中に残るのは鉄の味。


「心配。苦しそうですわね。大丈夫ですの?」

「…っどの口が」


 未だに残る鉄の味を払拭するように吐き捨てる。

 苦しむ芙楽の姿を楽しむように愉悦に歪む碧雪の顔を朱色の瞳が睨みつける。


「感謝。とぉっても楽しませてもらいました。けれど、考えが甘い。甘すぎますわ。その程度では(わたくし)に勝つことはできません」


 膝が折れる。必死に呼吸を試みるが、うまくいかない。


「宣言。もう終わりにいたしましょう。敬意をこめて、一瞬で」

「ぁ」


 体内で何かが弾ける音が聞こえた。

 黒で塗りつぶされた思考の中で、芙楽は口元を綻ばせる。ただで殺される気はない。

 これは、置き土産だ。


「サイデ、さま。す……ま、せん」


 きっと彼は、芙楽の死など微塵も気にすることはないだろうけれど。


「あ、い……て、ます」


 地面に転がったフランベルジュが、倒れ伏す芙楽の身体が、大きな音をたてて爆発した。

 予想だにしていなかった攻撃に碧雪の身体が吹き飛び、自身が作り上げた氷の壁に背中を打ち付ける。

 荒れ狂う暴風や、飛び交う火の粉が激痛に訴える身体に追い打ちをかける中、その場に座り込む。


「きょ、たん。まさか、こんな置き土産を残すなんて……少し、侮っていましたわ」


 荒くなる呼吸を抑え込むようにして目を瞑る。

 そして深く、深く意識を沈めていく。


〈疲労困憊〉

〈霊力もかなり消費してしましました。でも、とーぉっても楽しい楽しい戦いでしたわ〉

〈報告〉

〈我が主のことですから、いつものように高みの見物をしているのではなくて? ……分かりましたから。そんな目で見ないでくださいまし〉


 目を開く。


 視界に広がる状況に変わりはない。

 身体は傷だらけで、衣服は原型をとどめておらず、見るも無残な姿に成り下がっている。四肢が全て揃っているのが幸いといったところか。


 満身創痍な状態でも、身体が訴えるのは疲労のみで痛みは一切ない。

 滴る液体も血とは似ても似つかない透き通った真水。

 自らを形作っていたものが作る水溜まりを一瞥した碧雪は笑みを作る。


〈戻る前に復讐劇の結末を見届けるといたしましょう〉

〈肯定〉


 二つの意志が下した結論に応えるように、碧雪はどこまでも続く氷の壁にそっと触れた。

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