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4-10

 眼前に迫る刺々しい銀色を見たと同時に、視界が赤に染まった。


 おかしい。攻撃を受けたはずなのに一向に痛みが襲ってこない。おかしい。おかしい。

 何故。何故、なぜなぜなぜなぜなぜ、なぜ?


 人一人分の体重が響にのしかかる。服に染み込む赤黒い液体が生暖かい。


「ひ、びき……ごめん」


 身体に力を入れようとするが、上手くいかず、それどころか身体が透けてきた。

 透けた夏藍の身体を抱きしめる響はただ子供のように泣きじゃくる。


 視界をちらつく火の粉がかつての光景を連れてくる。


「おにいちゃ……」

「ひびき、響!」


 痛みを堪えた夏藍の呼びかけに我に返った響はあの日に酷似した光景に涙を流す。

 柔らかく微笑んだ夏藍は無理矢理に力を入れ、響の頬を撫でる。


「大丈夫。少し休むだけだし。だ、から待ってて」

「っ夏藍」


 夏藍の姿が掻き消える。

 死んだわけではない。顕現するための力を保てなくなったのだ。

 療養に努めれば元に戻るまで数日もかからない程度の傷だ。それでも響への精神的ダメージは大きい。


「イやァ、ここまで追イ詰められてたのは初めてだぜェ」


 飄々と言ってのけるのは巨大鋏を担いだ青年――夏藍が倒したはずのサイデだ。

 霧ラ雨によって与えられた傷口からは黒い気が渦巻き、肌が仄かに浅黒くなっているのが見て取れる。


「安心しろ。今回はオ前も殺してやるからよォ」

「ころ、す。お兄ちゃんを、夏藍を。絶対に殺してやる」

「復讐、か。イイ目するじゃねェか。嫌イじゃねェぜ。せイぜイ俺を楽しませてくれよ」


 夏藍が消え、無造作に取り残された霧ラ雨の柄を掴む。

 霊力の霧で霧ラ雨を振り、すぐ傍まで迫っていた闇色の刃を断つ。


 サイデを殺すことだけに集中すれば、不思議と頭が冴えていく。身体が軽い。

 響の霊力が闇に引きずられている様を見たサイデの口角が上がっている。


「溶かせ」


 飛び散った液体に触れた場所は煙を上げて溶けていく。

 が、咄嗟に距離を取ったサイデには届かない。


「つまンねェなァ。今のオ前じゃ、俺を楽しませてくれそオにねェなァ。……ここで死ね」


 正面から放たれるのはいくつもの禍々しい刃。

 この程度ならば、簡単に避けられる。


 舐められている。

 そう感じた響は復讐の念に囚われ、サイデしか見えていない。だから気付かなかった。

 背中に熱いものが走り、数秒も経たぬうちに激痛が全身を支配する。


「ああっ」

「…考えませんでしたか。私も回復している可能性を」


 人型をとった芙楽はゆっくりとした足取りで、激痛に身を捩る響へ歩み寄る。

 単純な連係プレーだ。打ち合わせしたわけではなく、サイデの攻撃を避けられたから、芙楽は独断で攻撃を放っただけだ。

 普段の響なら、少なくとも直撃は免れただろう。


「…さようなら」


 芙楽の掌に集った炎が塊となって響を襲う。

 そこへ、唐突に出現した水が炎の塊を包み込んだ。燃え盛っていた炎の勢いは見る間に失われていく。

 すぐに夏藍が復活した、もしくは響が正気を取り戻したのかと考えるが、そうではないようだ。

 気絶している響を一瞥し、サイデは目の前の闖入者へ目を向ける。


「じっくりゆっくり眺めていたかったけれど、それでは怒られてしまいますもの」

「助太刀」

「ここからは(わたくし)たちがお相手いたしますわ」


 顔立ち、髪型、服装までもが瓜二つの二人組。片や色香を漂わせ、片や気怠げな雰囲気を纏う。

 それぞれ左右の腕につけられた鈴が軽やかな音を鳴らした。


「藤咲桜が式、碧水と」

「氷雪」

「どうぞよしなに」


 恭しく会釈する碧水とは対照的に、氷雪は感情の止めない瞳で響を見つめている。


「丁寧にどオも。俺はサイデだ。こっちは芙楽。楽しませてくれりゃア、誰でも大歓迎だ」

「奇遇」

(わたくし)たちも楽しませてくれる相手を探していたところですの。ただ、(わたくし)たちは自らを楽しませる術しか知りません。貴方の期待に応えられるか不安ですわ」


 丸腰のままの碧水はゆっくりとした足取りでサイデへ近づいていく。その顔つきは自信に満ち溢れていた。

 目に見えるものだけが攻撃の手段ではない。纏う霊力の揺らぎを注視しつつ、余裕の表情で迎え入れる。もちろん氷雪に対する警戒も怠らない。


「  」


 無音の声。


 氷雪だけに届けられたその声に了承の意を示し、自身の髪を一本抜く。

 錦糸のごとき柔らかさを持つ髪の毛を無造作に投げる。風に乗って流れるそれは碧水が触れたと同時に銃へと変化する。


 氷でできた銃である。

 歩みを止めた碧水は含みのある笑みを浮かべ、銃口をサイデに向ける。

 渇いた音とともに吐き出された氷の弾丸が、マッハを越える速さで襲い掛かる。


 サイデは巨大鋏を盾の代わりにしつつ、碧水の前で踊り出る。空いている方の手に妖気を集中させ、小さめの鋏を生成し、前へ突き出す。

 微かな手ごたえとともに碧水の頬に赤い線が走った。


 当の碧水は痛みに酔いしれるようにうっとりと目を細め、そのままの距離で引き金を引く。

 盾代わりの巨大鋏に吸い込まれるように当たった氷弾は跳弾するわけでもなく、そのまま砕け散る。同時に大きく跳躍した碧水は頭上からサイデを狙う。


「甘イな」

「あらあら、どうでしょう?」


 上に向けられた巨大鋏の切っ先から放たれる妖力の刃。


 眼前に迫るそれを見ても、含みのある笑みは消えない。

 不意に、キラキラと光る何かがサイデの視界を掠め、それが合図のように碧水は氷の銃を捨て去る。


 代わりに握られるのは氷でできた日本刀。軽い動作で薙げば、妖力の刃は真っ二つに切り裂かれる。

 碧水はまたもや日本刀を捨て、宙を舞う細い糸に触れる。秒を数える間もなく、それは氷製の大鎌に変ずる。


「そオイウことか」


 先程から視界にちらつく光るもの――細い糸は碧水が触れれば武器に変ずる。

 見る限り、武器にはこれといった制限が課せられていない。無尽蔵に生成されると考えれば、非常に手強い術だ。

「だが」と心中で付け加えたサイデは口角を更に上げる。


(完璧な術式なンてもンは存在しねェ。どっかに穴がアる……例エば)


 肩に担いでいた巨大鋏を横に振る。付近を漂っていた細い糸は執拗に刻まれ、地面に落ちる。

 碧水が触れると武器に変ずる糸。無尽蔵に生成される武器による不規則な攻撃。


 根本の問題だ。そもそも細い糸がなければ、その手法は取れない。

 といっても、無数に舞う糸を刻んでいくのはかなり非効率、何より面倒だ。サイデは後ろにいる芙楽が完全に回復していることを確認する。


「芙楽、燃やせ」


 瞬時に巨大な炎が場を包み込んだ。

 宙を舞う糸が蒸発し、消えていく様子をサイデは笑みとともに見届ける。

 肌を撫でる熱風の熱さに、碧水は初めて表情を崩した。不快さをのせた碧水の瞳は、焦燥を持って氷雪の姿を探し求める。


「灼熱」


 自分と瓜二つの、どこか気怠げな少女の雪のような白い肌に滲む水滴を認め、目を細める。


「随分と、思い切った行動をなさるのね。驚いてしまいましたわ。武器もなくなってしまいましたし、どうしましょうか」

「もオ少し狼狽えてもイインだぜ。その方が殺りやすくて助かる」

「あらあら、そんなつまらないことはしませんわ。貴方もその方がいいでしょう?」


 うっとりと目を細める碧水の髪が僅かに動く。高めの位置で二つに結ばれた髪、その向かって右側だ。

 風によるものではない、意志を持った動きをしているそれは毛先から数十㎝ほど引きちぎれた。切れたのではない。スライムが分身体を作るために、自らの身体を分割させるような動きだ。


 髪というよりは水の塊のようなそれが小刻みに震えれば、凄まじい音をたてて大量の水が降り注ぐ。

 いつの間にか、水の塊は姿消したが、碧水の髪が短いままなところを見る限り、元に戻ったわけではなさそうだ。


「快感」


 眠たげな瞳をいっそう細めて氷雪が呟く。萎びた木々が力を取り戻したように、氷雪の身体からは気怠い雰囲気が消え失せていた。乏しい表情が歓喜に満ち溢れている。


「涼しくなったじゃねェか」

「…そおですね」


 本性が炎の鳥である芙楽は、この状況が面白くないらしく目をすがめている。

 芙楽主変に黒い気が立ち込め、揺らいでいる。熱気に変換されていく黒い気が充満していくにつれ、雨の勢いは弱まっていく。


「あらあら、あらあら。お気に召しませんでしたか。残念ですわ。なら、これならどうかしら」


 小雨状態になったかと思うと、降り注いでいた水滴がその場で一時停止する。時が止まったかような異様な光景は一秒も続かず、凍り付いていく水滴は鋭く形を変える。

 大量の棘によってこの場一帯が、丸ごとアイアンメイデンと化していた。


「こオイウのを芸術って言うのかね」


 サイデの足元に切断された氷の棘が散らばっている。防ぎきれなかった攻撃により、サイデの肌には浅い切り傷がいくつも残されていた。


「恐悦至極」

「お褒めいただき光栄です。もっと、もぉーっと楽しんでくださると(わたくし)も嬉しいですわ」


 握られているのは氷で作られた鞭。軽く手を振れば、しなやかさを持って敵を襲う。

 周辺の棘を砕きながら標的の前に躍り出る。が、標的ことサイデに辿り着くより先に邪魔者が入る。

 雨が止んだことによって調子を取り戻した芙楽による攻撃。鞭の中間あたりを狙った攻撃は、じわじわと鞭を解かしていく。


「…あなた方の攻撃は全て氷をベースにしています。私の敵じゃありません」

「どオにもオ前らは一人の敵にこだわる癖がアる。二対一に特化したタイプなんだろ? 俺ら相手じゃ不利な特性だな」


 僅かに残された鞭の残骸を放り捨て、碧水は口角を釣り上げる。

 漏れ聞こえるのは不気味な笑声。


「ええ、ええ。そうですわね、そうですわね。その通りですわ。(わたくし)たちは不完全。二人でようやく一人前、一人だけでは最弱なんですの。でぇもぉ、二人ならば絶対に、絶対に、絶ぇ対に負けませんわ」

「最凶」


 ぼんやりと戦況を見守るに徹していた氷雪が笑みを浮かべた。微笑む程度のものであったが、碧水同様に不気味さを纏う。


 揃いも揃って、意識を二人に奪われる。だからこそ、反応が遅れた。

 最初に気付いたのはサイデだ。ほとんど反射的に巨大鋏を振り上げ、防御する。金属同士がぶつかる甲高い音が響き渡った。

 そこでようやく気付いた芙楽はサイデと鍔迫り合いをする人物に炎を向ける。

 ふっと巨大鋏へ重圧が軽くなった。炎を避けるために後ろへ下がったのだ。


 自然な流れで背を見遣り、興味深げに目を丸くする。


「はエー復活だな」

「貴方には言われたくありませんの」


 刀身が霧で構成された刀を振るう女。

 動きやすさを重視した服装は、高慢な口調とは裏腹に質素なものだ。それもところどころ破れ、血が付着している。にもかからわず、外傷が見当たらないのは、氷雪が治癒したからである。


 その理由を知らないサイデは頭をフル回転して、響の早い回復力の原因を探る。


(俺らと同じ、なわけねェか。気付かねェわけがねェしな)


 全方位への警戒を怠らないまま、思考を目まぐるしく働かせていたサイデはふと我に返る。

 今までのサイデならば気にもとめなかったであろう出来事。気にとめる必要もなく、相手に敗北を味わわせてきた。


 それが今、懸命に正体を探ろうとしている事実を自覚し、口元を弛緩させる。

 目の前に立ちふさがるのは、サイデにとっての脅威。口の端から笑声が零れる。


「…サイデ様……?」


 驚きの混じった顔でサイデを見る芙楽。長年の付き合いである彼女ですら驚きを隠せておらず、響は不審げな視線をサイデに注いでいる。


「こンな高ぶってンのは久しぶりだぜェ。どイつもこイつも期待以上だ。出し惜しみなンてしてられねェとなァ」

「出し惜しみしていたのですね。安心しましたわ。これで(わたくし)たちも気兼ねなく本気を出せるというもの」

「期待」


 状況に呑まれることなく、自分のペースを貫く二人。視線が交差し、半瞬の間、その場が凍り付いた。


「ここからは二手に分かれるといたしましょう。響さんはどちらを?」

「私は――」


 脳裏に過ぎるのは兄の姿、夏藍の姿。

 感情を取るか、理性を取るかの二択。


 どうしたい。どうするのが最適か。以前にも問われたことがある。

 戦いが始めるずっと前、夏藍と二人での作戦会議で、他ならぬ自分自身に。


「私はサイデにしますの」


 取ったのは感情。けれども以前とは違う感情が渦巻いているのを自覚する。

 進まなければならないと思う。けじめをつけなければならないと思う。


 兄の死にとらわれ、復讐だけに固執していた自分と決別する。

 サイデを倒して前に進む。


「ならば、私たちは芙楽さんと遊びましょうか。せいぜい、楽しませてくださいまし」


 空間を二分するように巨大な壁が生える。すぐに壊されてしまいそうな薄い氷の壁はサイデと芙楽の間に立ちはだかり、互いの干渉を防ぐ。

 炎球を生成し、破壊を試みようとする芙楽をサイデが止める。


「簡単に壊せるほど、やわじゃねェだろオよ。別にこっちが不利になったわけじゃねェしな」


 そう、互いの干渉を避けるというのは、サイデと芙楽に限定されているわけではない。

 現状、もっとも不利なのは響だ。自分より遥かに強い相手に、単独で挑まなければならないのだ。

 夏藍がいれば話は変わってくるが、傷を癒すにはまだ時間がかかる。


「さあて、楽しい楽しい遊びを始めましょう」

「興奮」

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