4-9
「あちらの方は負けたようですの。そろそろ、降伏したらいかが?」
挑発めいた言葉とともに放たれるのは無数の光の弾。その全てを火の玉で燃やしくした芙楽は、一切の動揺を見せないまま、響に詰め寄る。
炎の翼に変化された右腕が大きく振るわれる。
後方に跳んで避けるものの、距離が足りず、服が焼かれる。露出した肌がひりひりと痛みを訴えている。
咄嗟に水の膜を張ったおかげで、軽度の火傷で済んだようだ。
(水系の術だけでも覚えておいてよかったわ)
妖具を扱うことだけに集中していた響が扱える術は簡易結界を張るくらいであった。苦手意識から、術を覚えることから逃げていたとも言う。
妖具を扱うのと、術を扱うのでは霊力の使い方が異なる。
響の霊力は妖具の扱いに長けている反面、術の行使には向いていなかった。今まではそれでも困らなかったが、妖華に負けたあの日に考え方が変わったのだ。
苦手意識を理由に逃げたままでは、妖華に勝つどころか、仇を討つことすらままならない。そう思ったからこそ、夏藍とともに修行を重ねてきた。
「次はこちらからいきますの」
纏っていた霊力が霧へ変わっていく。
最初に水系の術を覚えた理由は二つ。
一つは、仇の一人である芙楽が火系の妖だったから。火系の妖は、水系の術と相性が悪いのだ。
もう一つは、霧ラ雨が水の性質を持っているからだ。
現在、霧ラ雨を持っているのは夏藍で、響は慣れた戦法を取ることができない。
妖具は他にもいくつか保有しているとはいえ、敵が強大であればあるほど、慣れた戦い方をしたいという思いがある。
「霧紐」
充満していた霧が一気に収束し、"霧紐"の名に相応しい、紐のような形状となる。
大きくしなを作り、芙楽へと叩き込む。
「っかは」
一瞬だけ息が止まったような気がした。
乱れた呼吸を整える間なく立ち上がった芙楽は、己の身体を鳥に変え、炎を纏った羽根を放ちながら宙へ逃げる。
それらを解けた霧で防御しつつ、響は次の一撃をしかける。炎の羽根と霧紐がぶつかり合い、水蒸気が沸き立つ。
その裏でおもちゃの銃に霊力を注ぎ込む。狂光銃と呼ばれるこれは霊力を圧縮した弾を撃ち出す。
霊力が注がれるにつれて、銃口が眩く点滅する。
「さようなら」
照準と芙楽が合致したと同時に引き金を引く。
瞬間、音もなく放たれる直径五十センチほどの光線。
芙楽と目が合う。が、もう遅い。
光線をもろに受けた芙楽は身体を三分の一ほどを失い、墜落する。
「さ、いで、さま」
起き上がろうと残った片腕に力を込めるが叶わず、次第に力尽きた。
「終わりましたの」
へたり込みそうになるのを必死に堪え、夏藍の姿を探す。
勝ったことは分かっていたが、それでも不安でたまらなく必死に視線を巡らす。
と、縹色の瞳と目が合い、胸を撫で下ろす。つかの間、夏藍の瞳が動きで見開かれた。
「から――」
「響、後ろ」
絶叫にも似た夏藍の声を聞き、反射的に後ろを向けば、視界が赤に染まった。
大嫌いな赤い色に。
●●●
何とか春ヶ峰学園から処刑部隊の拠点となる家まで帰ってきた三人。
妖華が言った交渉が上手くいったようで、サイデと芙楽以外には邪念体くらいしか遭遇することはなかった。
邪念体だけといっても、数が多ければかなりの強敵である。普段ならば、十分ほどしかかからない距離を進むのに一時間もかかってしまった。肉体的も、精神的にも疲労困憊だ。
「体力温存って話はどこにいったんだよ」
「数が数ですからね。しばらくは我々の役目はありませんし、ゆっくり休んでください。何かあれば、呼んでくれて構いませんので」
それだけ告げ、部屋を出ていくレオンは疲労を一切感じさせない。
「意外すぎる」
「頭脳派といっても妖だからね。人間よりは体力あるよ。こういう異常事態には慣れてるってのもあるし」
「へぇ」とぼんやりとした相槌を打ちながら、海里の顔色を伺う。多少の疲労が見て取れる程度だ。
半人半妖ゆえか。経験ゆえか。
いずれにせよ、一人だけ疲労を露わにしていることが非常に釈然としない。
(こんなんで役に立つのか、俺)
自分から立候補したはいいものの、だんだんと自信がなくなってきた星司である。
レオンや海里だけではなく、未熟とはいえ何度も妖と対峙したことがある華蓮すらも高みの存在に思え、無意識に首から下げる鎖に触れる。
鎖には百円ショップで買ったような、安物のの指輪が五つほどぶら下がっている。
――これ、あげる。兄さんの力になると思うよ。
――必要になったら、強く念じて。
――使い捨てだから考えて使ってね。
春野家での修業の際、健から渡されたものだ。
与えられたのは抽象的な説明のみで、これがどういうものなのか星司には分からない。健はお守りみたいなものだと言っていたが。
(頼りないと思われてんのかね)
「心配してるだけだと思うけど」
心中での呟きを否定する声に返答しようとした星司は勢いよく起き上がり、海里を見る。
何やら墨を磨っていた海里は「どうしたの」とでも言うように視線を返した。
「ナチュラルに人の心読むなよ。受け流しかけたじゃねぇか」
「人の心をなんて読めないよ」
「だったら……なんで、俺の考えてることが分かるんだ?」
「星司は分かりやすいし、一緒にいる時間もそれなりにあるからね。なんとなく……と、よし」
和心の使う呪符と同じサイズに切られた半紙を数枚取り出す海里。
たっぷりと墨をつけた筆をその半紙の上で滑らせる。白い半紙の上に、奇怪な模様が書き込まれていく。
筆は微かに霊力を纏っているように見える。
「さっきから何やってんだ?」
「護符作り、かな。防御の力を持った呪符のことを言うんだけど、持っているだけでもそれなりに効力があるからね。気休めにはなると思って」
「へぇ、さすがっすねぇ。でも、それって霊力を使ったりするんじゃねぇの。休めって言われてんのに」
柔らかく目を細め、海里は筆で墨汁をくるくるとかき混ぜる。
「この墨には、俺の血が入ってるんだよ」
「は、血?」
言われて海里の行動を振り返る。正確に言うならば、墨をすり終えてからの海里の行動だ。
半紙を取り出す前、海里は墨に何かを入れていたような気がする。
注視していたわけではないので、何かを入れていたかまでははっきりと認識できていないが、あれが海里の血だったということだろうか。
「血や髪には強い霊力が宿ってる。強い力を得るために生き血を吸ったり、髪を使って誰かを呪ったり。アニメや漫画だとよくある話なんだけど」
「血を混ぜれば、霊力を使うことはないってことか」
「そう。俺は他の人よりも力が強いから、数滴でも護符を作るには十分だしね」
「便利なもんだな」
「その分、悪用されたときのリスクも大きいんだけど」
作業を再開した海里の手元を意味もなく見つめる。完全に手持無沙汰な状態だ。
疲労回復に努めるべきなのは重々承知の上だが、一人だけ何もしないでいるのは落ち着かない。
少しでも手伝いたいという思いと、でしゃばるわけにはいかないという無力さの自覚が複雑に絡み合う。
「少し意外だった」
暇を持て余していた星司にに気付いたのか、作業の合間に呟いた。
「星司のことだから、春野さんが残ることに反対すると思ってたよ。その場は受け入れても、すぐに助けに行こうとしそうだなって」
「否定はしねぇよ。今ではそうだったからな」
変わったのは海里と再会してから。
いろんな事件に巻き込まれた先にあったのは、星司の知らない世界。
気がついたらそこへ身を投じるようになり、大切な人の本当を知った。星司がずっと恐れていたことだ。
「心配ではあるけどさ。あそこにはレミさんもいるし、何より月自身が望んだことを邪魔するわけにはいかないだろ」
「そっか」
自分で話をふっておきながら、素っ気ない返事をした海里は含みのある笑顔を星司へ向ける。
子供の成長を喜ぶ親のような表情に居心地が悪くなり、もぞもぞと身体を動かす。
「……なんだよ」
「いや、星司も成長してたんだなって」
本当に成長を喜ばれていた。
「お前は俺の母親か」という言葉が脳裏を過ぎったが、海里に怒られそうなので黙っておく。主に母親というところで。
●●●
古めかしい書物と睨めっこしながら、宙に印を描き、口の中だけで呪文を呟く。
印の中心から出現した炎がうねったかと思うとすぐに消滅した。
縁側に座り、ぼんやりとその様子を眺めていた流紀はこの修行を始めてから何時間経ったか考え、嘆息する。
今やっているのは、霊力を制御する修行もとい訓練である。
桜の孫なだけあって、華蓮の霊力と術を扱う才能は人並みを軽く外れている。ただ、霊力を制御することだけが致命的なまでにできない。
術を使えないのならば、戦法を変えなければいいだけなのでまだ救いはある。が、霊力の制御ができないというのは、どうにも致命的だ。
(妖相手に霊力を使わないで戦うのもなぁ。余程の手練れならともかく)
強すぎたり、弱すぎたりと定まらない炎を目で追い、視界を上へ向ける。
灰色の空は一見すると曇っているだけのようにも見えるが、頭上から降り注ぐ邪気の気配が異変を教えてくれる。
桜による結界のお陰で、邪気がこの屋敷まで及ぶことはないとはいえ、肌を撫でる空気に不快感が募る。
動くのは二日後。理由は知らないが、それを覆すことができないのは知っている。ならば、この不快感を堪えつつ、未だに異変に気付かない華蓮へのフォローに尽力しておこう。
「いやあ、熱心だね。さくちゃんもここまで熱心なことはなかったんじゃないかな」
それは、桜という人間がどんな高度が術だろうと呼吸をするよう行使してみせるほどの天才だったからだろう。
心中で指摘しつつ、傍らに立つ人物に意識を向ける。
「お前が桜の許を離れてるなんて珍しいな。いいのか」
「良いも悪いも強制されてるわけじゃないからねー。僕だって気が向けば、ぶらぶらすることもあるよ」
言葉に合わせているのか、足をぶらぶらと揺らす。視線は流紀と同じく上へ向けられている。
「大変なことになったねー。ほむちゃん達もみんな出払ってるし、こういうのは久しぶりだよね。昔は結構あったけれど」
大きく勢いをつけて立ち上がる。弾むような足取りで華蓮の前に立ち、「少し話をしないかい? 先人の導きを聞かせてしんぜよう」とおちゃらけた調子で手を差し出す。
「誰?」
声には聞き覚えがあるものの、初めて見る顔だ。
華蓮が記憶を辿るより先に、目の前に立つ少年が答えを明かす。
「そっか、そっか。姿を見せるのは初めてだったねー。改めて初めまして、第一の式、真砂です。よろしくねー」
「お祖母様の……」
言われて、作戦会議のときに桜の懐から聞こえてきた声だと合点がいく。
想像していたよりも随分、幼げだ。今まで会ったことのある桜の式はみな、大人びた容姿をしていたので少し意外だった。
桜の最初に造った第一の式だと到底信じられない。末っ子という印象が強い。
「霊力の制御、できそう?」
「え、ええ。すぐに習得してみせるわ」
先程まで失敗を繰り返していたことは他所へ置き、勝気な表情で宣言する。
できないというのは華蓮の高いプライドが許さない。
難儀な性格に、心中で苦笑した真砂は主である桜の顔を思い浮かべる。
落ち着き払った雰囲気のせいで気付かれにくいが、桜もプライドが高い方だ。少なくとも真砂はそう思っている。
中身はまったく似ていないといっていた同胞の言葉を内心で否定する。
「れんれん、扇子持ってる?」
聞きなじみのない愛称に戸惑いながらも、華蓮は首肯する。
「じゃあ、それで僕を攻撃してみて。手加減はいらないから」
やはり戸惑う華蓮は数秒を考え込み、言われた通りに扇子を振るう。
扇子が薄い光を纏っているのを確認し、真砂は華蓮の攻撃をあっさりと受け止める。
「藤咲流戦闘術ってのはさー、戦闘術と妖術を混合させて独自に編み出したものでね。今後、藤咲家を継ぐれんれんは小さい頃に教えられたんじゃないかな」
真砂の言いたいことが分からないままの華蓮は困惑の表情で肯定の意を示す。
昔、藤咲家は妖退治と暗殺を生業にしていた。
桜が当主となったときからそれらは一切なくなったが、当主になるものはしきたりとして藤咲流戦闘術を幼い頃に教えられているのだ。
「霊力の制御は感覚的なものだから、教えるのは難しいんだ。自分でコツを探るしかないわけで、人によってはすっごく時間がかかる。でも、れんれんの場合はすでに身についているものを思い出すだけ。それほど時間はかからないんじゃないかな」
「身について?」
「うん! 妖術を混合させた戦闘術。これにだって霊力の制御が不可欠なわけだよ。だから、さっき僕に攻撃したときと同じ感覚でやれば、霊力の制御なんて簡単簡単」
己の掌に視線を落とし、華蓮は思い出すように力に集中する。
浮かべるイメージは炎。
内から生み出されたように現れた焔は華蓮の掌で踊る。
強すぎるでもなく、弱すぎるでもなく、ちょうどいい具合の炎は華蓮の意思に合わせて揺れ動く。
「できた」
成功した。作戦決行日までに何とか間に合い、安堵の息を漏らすとともに掌で踊る炎を消失させる。
成功を祝福する真砂の拍手に、ふふんと鼻を鳴らす。そういうところは、やはり華蓮だ。
感覚を完全なものにするため、別の術式で練習を再開する。
「やっぱり才能だね。さくちゃんの孫なだけある」
「気に入ったか」
「ほむちゃんやりゅーちゃんほどじゃないけれど」
流紀と並ぶようにして、華蓮の様子を眺める。
主の面影を持つ少女。顔を見たのは今日を含めて、両の手で数えられるくらいでしかない。
初めて見たのはまだ言葉を分からぬ頃。それが今や高校生だ。
(いつか、さくちゃんを越えていっちゃうんだね。時間は残酷で、すごく寂しい)
桜の娘に当たる、菊のときも同じことを思った。
成長を喜ばしいことだ。けれど、あの日以来、時が止まってしまった主のことを思うとやるせない。
「さーてと僕はさくちゃんのとこに戻るよ」
「ああ。ありがとな。華蓮も感謝してると思うぞ」
「いえいえ、礼には及びませぬぞ。次会った時にでも……もふもふさせてくれれば」
ひょうきんに言ってのけた真砂は無邪気に手を振り、姿を消した。桜のもとに戻ったのだ。
苦笑とともに見送った流紀は最後の言葉に「仕方ない」と息を漏らす。
練習に励む華蓮、次いで不気味な空を見上げ、これから起ころうとしていることに思いを馳せる。
願わくば、誰も失うことがないように。