4-8
霊力を纏った斬撃が邪念体を切り裂き、追い打ちをかけるように炎が降り注ぐ。
何体目か数えることはやめた。邪念体の数は時間が経つほど増え、一向に前へ進めない。
大技で蹴散らすにも、できるだけ消耗を控えたい今は精々一回が限度だ。
「キリがねぇな」
さすがの星司も息が乱れており、海里は同意を示すように頷く。
後衛としてサポートに回っているレオンは、切り抜ける策に頭を巡らせている。
「―――っ」
人間より僅かに鋭敏な聴覚が悲鳴を捉えたと同時に、凄まじい轟音が三人の耳に届いた。
それが意味することを理解するより先に、コンクリート塀が破壊され、二人組が姿を現す。
「オっ、運がイイなァ」
口元に愉悦を貼り付けたサイデは周囲を見回し、蠢く邪念体を注視する。
と、後ろに控えた芙楽の名を呼ぶ。それだけで意味を理解した芙楽は頷き、火の玉を噴射する。
身構える三人を他所に、噴射された火の玉は周囲にいた邪念体を燃やし尽くす。
「一つ聞きてェンだけど、こン中に、アの馬鹿でけェ結界を作った奴はイるか?」
「悪いけど、俺たちも誰が張ったのか分からないんだ」
顔色一つ変えず、飄々と嘘をつく海里にレオンは心中で嘆息する。
「少しばかり残念だが、オ前らを先に相手してやるぜ。つっても、アンな雑魚に手古摺ってるよオじゃア、楽しめそオじゃなイけどよ」
「生憎ですが、我々は貴方がたと戦っている暇はありません」
「つれねェこと言うなよ。別にアンた一人だけでもイインだぜ、副隊長さン」
眉を顰める。
処刑部隊副隊長というのは、不本意なことに名も顔も知れ渡りやすい。
分かっていたことだが、こう事実を突きつけられると不愉快な気持ちが湧き上がる。そもそもレオンは目立つことが好きではないのだ。
レミとは違い、戦法までも知れ渡っているわけでないだけマシではあるが。
「芙楽は手を出すンじゃねェぞ。こンな機会、滅多にねェからなァ」
「了承した覚えはありませんが……。二人は先に行ってください。後で合流します」
逡巡することなく了承した海里は戸惑う星司を率いて立ち去る。
引き止められることも考えたが、そんな素振りを見せないサイデはただ嗤笑を浮かべている。
「大丈夫なのか。レオンさんって強いイメージねぇけど」
数が激減した邪念体を蹴散らしながら、走る星司の言葉に海里は思わず吹き出す。
「頭脳だけで副隊長になれるほど甘くはないよ。まあ、本人が自分の力が嫌いだから、サポートに回ることが多いけど」
もう一つ、レミと比べて戦闘力が劣るという理由もある。
「へえ。レオンさんの力って何なんだ?」
「それはね」
身の丈以上もある巨大鋏を弄びながら、遠ざかる二人を眺めていたサイデがようやく動きを見せる。
どうやら二人の姿が見えなくなるまで、待っていてくれたようだ。
サイデは巨大鋏の切っ先をレオンに向け、開いて閉じるという動作してみせる。瞬間、放たれた不可視の刃を透明な障壁を築くことを防いだ。
構わず、同じ行動を繰り返すサイデを不審に思いながらも、レオンもまた同じように防御を繰り返す。
脳内でサイデの戦法を分析しつつ、次の手を考える。
勝つための一手ではなく、逃げるための一手を。
「そオイや、名乗るのを忘れてたなァ。俺の名前はサイデだ。よろしくな、副隊長さン」
「随分と律儀ですね」
「自分を殺す相手の名前くらい知ってオきたイだろ?」
笑みを深めると同時にサイデが前に出た。巨大鋏を軽々と振りかぶり、バットのように横に薙ぐ。
紙一重でそれを避けたレオンの髪が数本、宙を舞った。
サイデは休む間もなく、片手で巨大鋏を振り回す。避けられないと判断したレオンは、障壁を生成してこれを受ける。
鍔迫り合いのまま、互いの隙を探り合う。不意に障壁の中心から炎が出現し、サイデに襲い掛かる。
「アっぶね」
レオンから大きく距離を取ったサイデは肌の焼ける臭いに顔をしかめ、ひりひりとした痛みを発する頬を触れる。
表情に反して、気分は高揚していた。
「そンな使イ方する奴、初めてだぜ」
炎が出現する間際、障壁の中心が薄くなった。それに気付いたサイデは咄嗟に身を引いたが、軽い火傷を負ってしまった。
予想外の行動だったので、判断が遅れてしまったのだ。
「弱い者が強い者の中で生きるために必要な工夫です」
新たに術式を構築し、サイデの足元の芙楽の頭上、二か所から水が噴射される。
余裕綽綽な様子で避けたサイデに対し、油断していた芙楽はまとも喰らってしまう。
単に水を浴びるだけの攻撃ではあるが、本性が炎の鳥である芙楽への効果は絶大のようだ。
「見かけによらず、卑怯な手も使ウンだな」
「貴方こそ、怒らないんですね」
「別にそオゆウ、ルールを設けてたわけじゃねェだろ。さっきのは油断していた芙楽が悪イ」
巨大鋏から放たれる妖力の刃を避けつつ、簡単な術を放つ。
単調な攻撃ばかりに、うんざりとしたサイデの中には先程までの高揚は消え失せていた。抱いていた期待が薄らいでいくのを感じる。
「ネタ切れかァ? 想像以上につまンねェなァ」
「どうでしょうね」
逃げまどっていたレオンが静止し、サイデに向き直る。
突如、サイデの首筋に刺すような痛みが走った。
電流のようなものが全身を駆け巡り、膝が折れる。身体の感覚が次第に麻痺していき、指一本動かすこともままならなくなる。
浅い呼吸を繰り返す口元から、途切れ途切れの笑い声が漏れる。
「なるほど、なァ」
「意識を保っていられるとは、少し驚きました」
仰向けに倒れ込んだサイデはレオンに見下ろされ、笑みの質を変える。
「では、私はこれで失礼いたします」
丁寧にお辞儀をしたレオンは海里たちと同じ方向へ走り出す。
最大の勝因は、この状況が不幸なことに幸運なものだったからだ。
レオンは薬の生成を得意としている。といっても、瞬時に作れるものは気休め程度で、強い効力を求めればそれだけ生成に時間がかかってしまう。その上、忌子である性質に引っ張られ、レオンは害をなす薬しか作ることができない。
つまるところ、レオンが作れるのは毒薬のみで、邪気が充満した空間であれば短時間で強い効力を持つ薬を生成することが可能だ。
正直、レオンは自分のこの力が嫌いだ。どうせなら治癒に使える薬が生成できれば良かったと心から思っている。
だからこそ、別の術式を研究し、この力はなるべく使わないようにしている。
「追いついたようですね」
藍色の背中を見つけ、駆ける足に力を入れた。
「…逃がしてよかったんですか」
完全に回復した芙楽は、未だに寝転がるサイデに言葉を投げる。
無言で蠢く空を見つめていたサイデは緩慢な動作で視線を動かす。痺れはすでに消えている。
「追エば間に合ウかもな」
まだ少し違和感はあるが、レオン程度の速さなら十分に間に合うだろう。
「中々に面白イ奴だったが、俺は本気の相手と戦イてェンだ。本気で俺を殺そオとする奴とな。じゃねェとつまンねェだろ?」
「…では、これからどうしますか」
「もちろン、強イ奴を探すに行くに決まってる」
立ち上がっていたサイデが地面に転がっている巨大な鋏を一瞥すれば、一瞬にして消失する。
後ろでは上空からサイデの望む敵を探すため、芙楽が本性に戻っている。
炎をでできた翼を羽ばたかせ、ゆっくりと旋回しながら目ぼしい相手を探す。
戦闘が繰り広げられている場所は特に注視する。先程逃したレオンは、サイデの意見を優先してスルーする。
サイデの望む相手がいる場所を何か所かピックアップし、高度を下げていく。
「…サイデさ――っ」
視界の隅に閃光が瞬いた。
紙一重でそれを避け、警戒を強めながら高度を上げる。
敵の居場所を掴んだところで、二発目が放たれる。これは下方から飛んできた妖力の刃によって切り刻まれる。
「どこだ?」
「…はい。ここから西に――」
眩い光に包まれた弾がいくつも撃ち込まれる。各々、それらを避けたサイデと芙楽の二人は頭上を見つめる。
黒い翼を持つ物体に掴まった少女が空中で、高慢な笑みを浮かべているのが見てとれた。
「ようやく見つけましたの」
手を離し、軽々と着地した少女は口調のわりにTシャツとジーンズという質素な服装をしていた。激しい戦闘を加味した服装だ。
どこかで見た覚えのある少女の登場に疑問符を浮かべるサイデを睨みつけ、胸元で揺れる青い玉に呼びかける。
玉は燐光を放ち、まもなく中学生くらいの少年が姿を現す。
「お兄ちゃんの仇」
「奏の仇」
「「容赦はしない」」
凄まじい速さで、サイデの前に躍り出た少年こと夏藍は霊力を纏わせた蹴りを叩き込む。まともに受けたサイデは数メートル後方へ吹っ飛ばされながらも、口元を楽し気に歪める。
「思イ出したぜェ。アン時の奴らか」
十年ほど前の話だ。たまたま立ち寄った人間界の町で、大量の妖具を保有している家があるという話を聞いた。
昔は有名な妖具鍛冶で、妖具使いをたくさん排出していたとも。
今は廃れてしまったらしいその家に興味を持ったサイデは、折笠という家を訪れることにしたのだ。
妖具は宝の山。
価値の分かる者に売れば大金が手に入れられるし、面白いものがあれば自分で使うのもいい。ただひたすら快楽を求めるサイデは、後者の理由が大きかった。強くて面白い力が手に入れられるならば、それ以上にそそることはない。
結果は失敗だった。
邪魔をされたのだ。
その家で暮らす少女に。まだ、幼い子供に。
平穏な日常にどっぷりと浸かり、ぬくぬくと育ってきた子供を殺すことなど赤子の手を捻るよりも容易い。いくら強力な妖具を持っていようとも、大した脅威ではない。
それでも失敗したのは、サイデがその少女に興味を持ったから。
兄の死体を前に泣きわめくでもなく、放心するでもなく、一心にサイデへの憎しみをぶつけてきた少女。
面白いと思った。五年後、十年後、上手くいけば脅威になってくるかもしれないと。
だから、見逃した。だから、殺さなかった。
「アれから何年だ? 随分、成長したじゃねェか」
「気安く話しかけないでいただけますの」
「オイオイ、つれねェこと言ウなよ。しっかし、時間ってのはすげェな、と」
放たれた弾丸に似た光の弾を、軽快に避ける。
その先に待ち構えていた夏藍の一撃は、咄嗟に出現させた巨大鋏で受ける。完全に消しきることのできなかった衝撃により、アスファルトに軌跡が残される。
「お前の相手は僕だし」
言葉とともに放たれる打撃のすべてを相棒の鋏で受ける。表情は喜びに満ちていた。
「へェ、てっきり女の方が来ると思ってたが。ま、適材適所って奴か」
「少し前だったらお前の期待通りだったかもね」
今までの響ならば、ただ憎しみを燻ぶらせ、自分がサイデを殺すことのみに全力を注いでいたことだろう。
変わったのは本当につい最近。
きっかけは響が憎んでいた妖の王とその息子。
「でも、僕らは変わった。僕らの絆は強くなった。だから、絶対に負けないし」
気配を感じたサイデは右に大きく跳ぶ。すぐ横に通り過ぎた光の弾がサイデの前へ弾け、霊力の粒が飛び交う。
助けを向かおうとする芙楽の前には水の壁が出現し、行く手を阻む。
「くっくっく、くくくくくく」
霊力の粒が一瞬にして霧散する。いや、切り刻まれたのだ。
巨大鋏を片手でも手遊ぶサイデは完全に無傷だ。いつの間にか、水の壁も消えている。
「なァ、弱者と強者は紙一重だと思わねェか」
返答を聞くこともなく、笑声の混じった言葉が続けられる。
「俺は強ェ奴が好きだ。けどな、俺が好きなのは自分の力に酔イしれて、平和ボケしたつまンねェ奴じゃねェ。弱エーくせに強者に抗オウとする奴が好きなンだ」
「何が言いたいんですの」
「俺がオ前を気にイったつウことだ」
「妖に気に入られるなんて反吐が出ますの」
止まっていた状況が動き出す。
玩具の銃のような妖具の引き金が引かれ、芙楽を光の弾が襲う。
自身に降りかかる光の弾に向けられた芙楽の掌から、同数の火の玉が生み出される。ぶつかり合い、爆発する。
「…まさか、あの程度でやられるなんて思っていませんよね」
爆風を、炎の翼で防いだ芙楽は睨むように響を見遣る。
「やられてくれればよかったですけど、そこまで舐めてはいませんの」
予定通り、一対一での対決だ。
上手く分断されたことに、口元を歪めたサイデは己の前に立つ存在を見つめる。
「強ェな。本来の力って奴かァ」
「さてね。僕の力は使用者の力に比例しているだけだし」
霊力を纏った拳と、巨大な鋏の殴り合い。
普段の何倍も強化された筋力による拳を受けた反動で、巨大鋏は小刻みに震えている、
鋏から伝わる振動に心を高ぶらせるサイデの頭上に、水の槍が降りかかる。
咄嗟に鋏を振りかぶり、それらを弾き飛ばす。無防備になった胴体を狙い、夏藍は一撃を放つ。
夏藍の動きに合わせて身を引いたサイデは巨大鋏の切っ先を向け、開いて閉じる。
至近距離で放たれた妖力の刃が夏藍の脇腹を抉る。
「っぐあ」
「くっ」
二つの苦悶の声が重なる。
お互いに定まらぬ足取りで距離を取る。
それぞれの脇腹から零れた赤黒い液体がアスファルトを汚す。
「少し……予想外、だぜェ」
「道具だって、道具を使うんだ、し」
握られているのは、霧ラ雨と呼ばれる妖具。
袖口に潜ませていたそれがサイデを貫いたのだ。
戦闘において、響が常にといっていいほど使用していることを知っていたなら、気付かれていたかもしれない。が、十年も会っていないのだ。気づきようがない。
「オ前は妖具つウより、人、イや、そンだけ頑丈だと妖か。まァ、そオ考えた方がイイわけだ。で、まだなンか隠し持ってンのかァ」
「敵に教えるわけないし。あと、人って見てくれた方が嬉しいな。これでも一応、元人間だから」
目にとまらぬ速さでサイデに迫り、霧ラ雨を振るうが、案の定鋏で防がれる。
「曲がれ」
呼応し、巨大鋏を避けるように曲がった刀身がサイデの頬を切る。
咄嗟に躱されたために、それだけで終わった。
己の頬から滴る血を舐めたサイデの口角は変わらず上がっている。随分と楽しんでいるようだ。
藤咲邸で行われた作戦会議から今日までの間、夏藍は霧ラ雨を扱うために精進してきた。
肉体強化や水系統の単純な術しか扱うことができない夏藍にとって、妖具を扱うことは簡単ではない。それでも、何とか戦闘で使えるレベルまでになった。
(僕を作った奴らに一矢報いてやったし)
霊力の強い子供たちを集め、非道な人体実験のもとに生まれた妖具。
最強を目指した実験は最強には程遠い完成品で締めくくられた。
人間からは最強の妖具は作れない。そんな身勝手な結論が弾きだされ、欠陥品の烙印を押された夏藍はただ倉庫の中で眠り続けた。
あの日まで――。
(僕は人間が嫌いだ)
身軽な動きでサイデの攻撃を避け、霧ラ雨で応戦する。
夏藍が最強になりえなかった理由。それは扱える術が単純なものに限られていたことと、人の心を持ち合わせていたことだ。
(人間は身勝手で、傲慢で、高慢で……でも)
着地の衝撃が背中の傷に伝わり、激痛が走る。治癒の術で血止めしただけの傷口は思っていたより重症のようだ。
しかし、動きは止めない。
脳裏に過ぎるのは幼い少年と少女。
――夏藍は友達だ。
(奏がそう言ってくれたから)
――友だちだよ。
(響がそう言ってくれたから)
そして、夏藍自身が二人の友達だと胸を張って言えるから。
だから。
「平穏を壊す奴は許さないし!」
叫ぶ。
未だかつてないほどに喉を震わせ、サイデを打ち倒すことを宣言する。
十年以上もかけた復讐の終わりは想像以上に呆気ないものだった。
胸のど真ん中に刀身を生やしたサイデの口から大量の赤黒い液体が吐き出される。
のろのろと巨大鋏の切っ先がこちらを向くのが見えたから、霧ラ雨を力いっぱいに右に振るった。それだけだ。
「くくく、く」
笑声を零しながら、サイデの身体は後ろへ倒れていく。
「ひびき、は」
少し離れたところで戦っているであろう友人の姿を確認すべく、視線を巡らせる。
援護しようと、足を踏み出したのと同時に膝が折れた。
激しく動き回っていたせいで、雑に塞いだ傷口が開き、乾き始めていた服が新たな血で汚れる。忘れていた痛みがぶり返し、疲労が身体を支配する。
気付けばその場にへたり込んでいた。