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1-6

 星司達と別れた華蓮の視界に銀色の猫が過ぎる。

 昨日会ったばかりだというのに、その姿は日常としてすっかり馴染んでしまっている。


「華蓮、妖退治のこと忘れてないよな」

「忘れてないわよ」


 桜から頼まれたことをそう簡単に忘れるわけにはいかない。一応、責任感はある方だ。


「じゃあ、妖退治屋になるって言ったことは?」

「妖退治屋?なにそれ」


 放課後に話したときも出てきた単語ではあるので忘れてはいないだろう。そんな流紀の目測を華蓮はあっさりと裏切る。

 何とも言えない気持ちになった流紀は無言で立ち止まる。

 確かに流れで聞いたから覚えていないのも無理はないが、少しくらい記憶に残っていてもいいではないか。


 流紀の反応を訝しんだ華蓮は立ち止まり、昨日の出来事を振り返る。


 ――妖退治屋になる気はないか。


 頭の中に木霊する声は昨日、流紀に問いかけられた言葉だ。

 この問いに華蓮は――。


「なるって言ったかもしれないわね」


 曖昧な言葉で答えるのははっきりと思い出したわけではないからだ。何せ、あの時は頭に血が上っていたから勢いで言ってしまっている。


「家に帰ったら妖退治屋についてみっちり教えてやるよ」


 妖退治の手伝いを頼まれただけの焔とは違い、流紀は妖退治屋となった華蓮の世話も頼まれているのだ。

 桜には恩があるし、何より大事な友人の頼みということもあり、迷うことなく了承した。

 もっとも数十年間、桜の許にいたといっても、退治される側である流紀に教えられることは限られている。


(なるようになるか)




 机の上に二本足で立つ銀色の猫の言葉に華蓮は熱心に耳を傾ける。根は真面目なので、その態度はすこぶる良好だ。


「妖退治屋というのは、名前の通り妖退治をする職業だ。昔は依頼を受けて金をもらったりもしていたんだが、今の時代はこちらにいる妖も減ったからなー。商売にはならないから、その手法を取ってる奴は少ないだろうな」

「じゃあ今はお金を貰ったりはしてないのね」

「依頼されれば何らかの報酬は貰うだが、そもそも依頼なんて滅多にされない」


 それは妖の数が減ったというのと他に、妖が視える者が減ったという理由もある。

 妖を含め人ならざる者を視る力を霊視力いう。霊視力には個人差があり、大抵は血筋が関係する。


 遥か昔の妖とは違い、現在の妖は視えないようにする術を身につけているため、常人には視ることがかなわない。勿論、霊視力の力が強ければ、視認することは可能だ。


「妖退治の基本は術だ。妖退治屋が使う術は妖術(ようじゅつ)と呼ばれている。妖が使う術も妖術っていうんだけどな」

「紛らわしいわね」

「基本原理は同じだから気にするな」


 霊力を使うか、妖力を使うかという違いだけ覚えておけば問題ない。


「他に呪符を使う方法もある。お前も桜から何枚か貰ってるだろ?使うだけなら最も手軽で初心者向けだ」


 呪符は持っているだけでその効力を発揮する。数が限られているという点さえ除けば、初心者に最適な手法と言える。


 ただ造ることに関してはそれなりの技術が必要とされるので、呪符を造れる者が身近にいることが大前提となる。そういう意味では華蓮は恵まれている。

 桜ほどの実力を持っていれば、呪符の効力も絶大なものとなる。


「ふうん。意外と楽勝ね」

「甘く見るなよ。下手すると命の危険だってあるんだ」

「大丈夫よ。お祖母様の呪符があるし、流紀や焔だっているんでしょ。それに私、結構強いのよ」


 ふふんを得意げに笑って胸を張る華蓮の姿に、流紀は口角を上げる。

 華蓮を怒らせるのは避けたいと思いつつも、堪えきれない笑いが口から零れる。


「強いって、くくく」

「なによ」

「甘く見るなって言っただろ。お前程度の実力じゃ、私にすら勝てんよ」

「馬鹿にしないでちょうだい。なんなら今から見せてあげるわ」


 釣り目を怒りで彩った華蓮は懐から扇子を取り出すやいなや、問答無用で流紀に振り下ろす。

 桜色の扇子は微かに光のようなものを纏っている。


「……っ、いきなり何をするんだ!」

「流紀がっ、馬鹿にするから悪い、のよっ」


 攻撃は一度では終わらず、何度も襲い掛かる扇子を流紀は余裕な表情で避けていく。猫の姿なだけあって身軽だ。


 苛立ちだけが募る華蓮は力任せに流紀が座る場所へ扇子を振り下ろした。

 流紀が避けたことで露わになった畳に扇子が刺さった。纏っていた光がそれを可能にさせたのだ。


「あ」


 さーっと血の気が引いていく華蓮の顔。

 扇子を抜いたことによって、畳に作られた穴が露わになる。それを見て、華蓮の顔はますます青くなる。

 母にばれたら、大目玉を食らうことになるだろう。何としてもそれだけは避けたい。


 頭をフル回転させて穴をどうにかする方法を探す華蓮の耳に、鈴の音が聞こえてきた。最近やたらと聞く鈴の音だ。


 ほとんど反射的に鈴が鳴った方へ向くと、立っているのは優男。

 翡翠の瞳を和らげ、優しげな微笑をたたえている青年――鈴懸の姿を確認したと同時に、華蓮の脳内では『絶望』の二文字が浮かびあがる。

 母にばれていないだけマシではあるものの、祖母にばれたのは重要な問題だ。


「良かったじゃないか」


 平然と言ってのける流紀を睨みつける。


「何がいいのよ。私の不幸を喜んでるの?大体、流紀さえ避けなければ――」

「責任転換するな。ついでに鈴懸が来たから桜が気付いたと考えるのは早計だ。ま、どっちにしろ、鈴懸が来たことはお前にとっていいことだろ?」


 意味が分からないと、流紀を見返す華蓮。

 確かに鈴懸のような優しげなイケメンにもう一度会えたことは喜ばしいが、今はそんなことを言っている状況ではない。


 華蓮の疑問に答えるように鈴懸は穴を開いた部分に手をかざす。

 すると、鈴懸の掌から蔦が伸びていき、穴を塞いでいく。


「この屋敷は木造建築なので、私の力で修復することが可能なんです」


 数分も経たぬうちに、元の状態に戻った畳を興味深げに眺める。


「すごい」


 ふと顔を上げた華蓮は翡翠の瞳と目が合い、仄かに顔を赤らめる。

 もの言いたげな視線を華蓮に寄越した流紀は無言を貫く。


「華蓮様は部屋で大人しく調べるのは性に合わないようですし、見回りにでも行ったらどうでしょうか」

「あー、確かにな」


 頷きながら、流紀は「みんな、この笑顔に騙されるんだよな」と心中で呟く。

 頬を赤らめる華蓮はさらにと馬鹿にされていることに気付いていない。

 敢えて触れず、別の言葉を紡ぐ。


「じゃ、行くか」




「で、見回りって?」


 図々しくも華蓮の肩に乗っている流紀に尋ねる。

 言われるがままに外に出てきたのはいいが、見回りについての説明を全く受けていない。


「見て回るんだよ」

「そんなこと言われなくても分かるわよ」


 そこまで馬鹿にされているのか、単に説明する気がないだけなのか。

 どちらにせよ、ムカつくことには変わりない。

 一方、耳元で怒鳴られた流紀は深いそうに顔を顰め、仕方なく補足する。


「妖がいたら退治する、いなかったら帰る。妖退治屋の基本中の基本だ。まあ、今やってる奴は少ないだろうけど」


 人間界にいる妖が減っているため、こまめに見回りをするだけ時間の無駄になる。

 優秀であれば優秀であるほど離れていても、ある程度妖気を感知することができるので、見回りをしなくても問題のないというのもある。


「簡単じゃない」


 得意げに鼻を鳴らす華蓮。相変わらずプライドだけは無駄に高い。

 呆れる流紀を他所に華蓮が急に立ち止まる。予想外の停止だったので、流紀は振り落とされまいと足に力を入れる。


「そういえば私がお祖母様から頼まれた妖ってどんな奴なの?」


 よくよく考えてみれば、誰からも聞いていない。


「んー、私が知っているのは化け蜜柑ってことだけだが」

「化け蜜柑?なにそれ」

「確か」




 遥か昔、山の外れに老夫婦が住んでいた。

 彼らの家にはそれはそれは大きくて立派な蜜柑の気があった。

 冬になると、大きくて立派な蜜柑の木は鮮やかな橙色の実を揺らしていた。

 老夫婦には子供がいなかったので、蜜柑の木を子供のように愛情を込めて大切に育てていた。

 蜜柑の木は沢山の愛を受け取り、年を増すごとに鮮やかで大きな実をつけた。

 それはあまりにも大きく、たくさんあったので老夫婦だけでは食べきることができない。

 このまま腐らせるのもと考えた老夫婦は近くにある果物屋に売ることにした。

 蜜柑は大層甘く、飛ぶように売れた。

 蜜柑の味を忘れたれない客たちは何度も何度も果物屋に訪れ、「あの蜜柑はないか」と尋ねた。

 しかし、老夫婦が蜜柑を果物屋に売ったのはあれきりで、何度行ってもあの蜜柑が打ってあることはない。

 困った果物屋の主人は老夫婦の家を訪ね、「冬だけで構わないから、あの蜜柑を売ってくれ」と頼み込んだ。

 人の良い老夫婦は快く了承し、冬になると沢山の蜜柑を持って果物屋を訪れた。

 年を増すごとに甘く、美味しくなっていく蜜柑。

 それに比例して、蜜柑を買う人も増えていく。

 

 ある年の冬。

 若い男が老夫婦の蜜柑を買った。

 男はあまりにも美味しい蜜柑にすっかり心を奪われてしまったのだ。

 村の中でも強欲だと有名な男はどうしても老夫婦の蜜柑が欲しくなってしまった。

 次の日、男は老夫婦の家を訪ね、

「オレはあの蜜柑に心を奪われちまった。蜜柑の木をオレに譲ってくれ」

 と迫った。

 しかし、老夫婦は首を横に振るばかりだ。


「あの木は我々の子供のようなものです。決して誰かに譲ることはできません」

「金はいくらでも払う!」

「お金の問題ではありません」


 頑として首を縦に振らない老夫婦に男の怒りは最頂点に達し、最後の手段に出たのだった。

 懐に隠していた小刀を取り出し、老夫婦に突き出す。


「命が惜しければ、蜜柑の木を渡せ!」

「私たちはもう十分年老いた。今更命など惜しくありません」


 ここで男の感情が爆発してしまった。

 老夫婦に斬りかかり、二人が息絶えた後も男は何度も何度も執拗に二人の身体を切り裂いた。

 そして、老夫婦の血がべったりとついた小刀をあれほど欲しがっていた蜜柑の木に突き刺したのだ。

 蜜柑の木は小刀で刺されたところから、まるで何かに汚染されたかのように黒く染まっていく。

 その後の結末を知る者は誰もいない。

 ただ分かっていることは、その日を境に蜜柑の木は姿を消し、老夫婦と男の姿を見た者は一人していないという。




「という話だったかな。今でも蜜柑の木は見つかっていないが、木から落ちた実が単独で暴れまわってるらしい」

「そんなことで妖になるものなの」

「恨みや哀しみってのは案外侮れないもんだぞ」

「その、流紀にも……そういう話あるの?」


 やけに歯切れが悪いのは、もしあるなら聞いてはいけないような気がしたからだ。


「ないよ」


 華蓮の予想に反して流紀の答えは素っ気ないものだった。

 しかし、その後に続いた沈黙はやけに重苦しく、それを打ち消すように流紀は努めて明るい声を出す。


「私は由緒ある名門の生まれだからな」

「嘘でしょ。ていうか、妖に名門なんてあるわけ?」


 華蓮が単純で良かった。

 心の底からそう思った流紀は得意げに笑う。


「あるに決まってるだろ。妖も人間と大して変わらん」

「どこが?」


 言葉を続けようとした華蓮だったが、脳裏に祖母の姿が過ぎり静かに開いていた口を閉じた。

 桜は華蓮が物心ついた頃から一切、外見が変わっていない。聞くところによると、母である菊が幼い頃からあの姿らしい。

 妖以上に化け物じみている。


「お前が考えていることなんとなく分かるぞ」

「……そんなことはどうでもいいから話を戻しましょう」


 認めるのは癪なので、話題を変えることを選択した華蓮。

 と、不意に甲高い機械音が華蓮の懐から鳴り響いた。

 機械音の正体は妖探査機だ。


「行くぞ」

「ええ」


 妖探査機が示す場所はかなり近い。


●●●


 無人の部屋。


 綺麗に整頓された部屋はかなり簡素で、生活感が全くない。

 隅に置かれた机の上に、何やら重要そうな書類の束が重ねられている。

 一番上の書類には奇妙な生き物が描かれていた。


 蜜柑の頭に、特撮物でとく見るような全身タイツを纏った身体。

 真っ赤なマントや、緑色の全身タイツに『正義』と大きく書かれていることを見る限り、ヒーローをイメージしているのかもしれない。


 書類の下の方には、その絵とは対照的な恐ろしい絵が描かれている。

 元は何の木だったのか判別できないほどに真っ黒に染まった大きな木。おどろおどろしい雰囲気を纏っている。


 不意に、開けっ放しにされた窓から風が入り込み、机の上に積み重ねられていた書類は舞い上がる。

 部屋中に散らばった書類には、蜜柑の木の逸話が詳細に書かれていた。


●●●


 妖探査機が示した場所に辿りついた華蓮を出迎えたのは蜜柑の妖だった。

 何気なく流紀が言っていた逸話を思い出す。


「化け蜜柑?」

「みたいだな」


 持っていたハンドバッグから桜手製の呪符を数枚取り出し、構える。


「化け蜜柑、この私が退治してあげ……ぷっ」

 化け蜜柑と退治した華蓮はその姿をまじましと見つめ、こみ上げる笑いを必死に抑える。しかし堪えきれなかった笑いが華蓮の口元から漏れる。


 やたら目立つ橙色の蜜柑頭に大きく『正義』と書かれた緑色の全身タイツ。真っ赤なマントは風にたなびいており、場違いなヒーローのようだ。

 流紀から聞いた話からは絶対に想像できないほどの珍妙な姿だ。


「人間の分際でオイラを馬鹿にするな」


 ヘリウムガスを吸ったかのように甲高い声。

 化け蜜柑の頭が怒りによって、だんだん濃い橙色に染まっていく。


「怒ると濃くなるんだな」


 冷静な流紀の一言で、華蓮は完全に笑いの発作にとらわれ身体を捩る。

 対する化け蜜柑はいっそう頭を濃い色に染め上げる。


「馬鹿にするなぁぁぁぁ」

 蔕の部分が蔦のように伸びたかと思うと、笑っていた華蓮はいとも簡単に捕まってしまう。

 逃げようと華蓮が藻掻けば藻掻くほど蔕は複雑に絡まりあっていく。


「華蓮、動くな」


 こくこくと頷いた華蓮は言われた通りに動きを止める。

 流紀の背後に出現した氷が鋭い爪を備えた猫の手を形作った。その姿を認識するより早く、氷でできた猫の手は華蓮を捕らえていた蔕を引っ掻いた。

 猫特有の鋭い爪で引っ掻かれた蔕は無残な姿で地面に落ちていく。


「弱いな」


 挑発するように笑う流紀。


「なぁぁぁんだとぉぉぅ」


 化け蜜柑は深くお辞儀をする形で、蔕を流紀の方へと向ける。

 すると蔕から無数の蔦が伸び、次々に流紀に襲い掛かる。

 身軽な身体でそれらをうまい具合に避けていく。猫の姿を取っている分、流紀の反射神経は通常よりも高く柔軟だ。

 襲い掛かる蔕を一つを凍らせてみるが、速度が遅くなるだけで攻撃が止むことはない。


「って何だ?」


 視界に淡いピンク色の何かが過ぎり、思わず態勢を崩してしまい着地に失敗する。

 その隙を見過ごさなかった化け蜜柑は蔕で流紀を捕らえる。

 捕らえられた流紀は逃げ出すことを考えながら、視界に過ったピンク色の物体の正体を確認する。


 それは、見覚えのある扇子だった。


「……華蓮、恩を仇で返す気か」

「ちょっと的が外れちゃっただけでしょ」

「ちょっとじゃない。危うく当たるところだっただろうが!」

「うるさいわn……きゃあ」


 流紀との口喧嘩に気を取られていた華蓮も化け蜜柑の蔕によって捕らえられてしまう。


「何でお前まで捕まってんだよ」

「流紀に言われたくないわ」


 お互い捕まっているというのにお気楽なもので、緊張感のない一人と一匹の口喧嘩はまだ続く。


「黙れぇ」


 その言葉とともに化け蜜柑の口から橙色の液体が吐き出される。

 仄かに柑橘系の匂いがするそれは口喧嘩を続けるの一人と一匹の上に降りかかる。


「くっ、目が」

「染みる、わ。……あ」


 橙色の液体により、目を開けることが困難になった華蓮は思わずハンドバッグを手放してしまう。

 チャックを閉め忘れられたハンドバッグは中身をまき散らしながら落下していく。 

 ハンドバッグから吐き出された紙の一枚が風に踊らされ、華蓮を捕らえていた蔕に触れる。


「ぎゃっ」


 パンという軽い爆発音とともに華蓮を捕らえていた蔕が弾け飛ぶ。

 予想外の出来事に対処しきれていない華蓮は無抵抗のまま落下していく。


「ったく」


 ちょうど華蓮の真下にジェル状の水が出現し、落下してきた華蓮の衝撃を完全に受け止めた。


「畜生ぉ、オイラの本気を見せてやるぅぅ」


 悪役にありがちな台詞だが、甲高い声のせいかイマイチ締まらない。

 緊張感なしにそんなことを考えていた流紀は、化け蜜柑の両目が橙色に光るのを目撃した。


「華蓮、避けろ!」

「へ?」


 流紀の方を見ていた華蓮が気付くのは一足遅かった。

 橙色の光線はすぐ傍まで迫っており、今からではどう避けても間に合わない。

 華蓮の脳裏に死の予感が過ぎり、真っ白に染まった脳内では妙案も何も思いつくことできないだろう。

 目を瞑り、覚悟を決める。走馬燈と呼べるようなものが脳内で駆け巡る。


 しかし――。

 いくら待っても攻撃がやって来ないことを不審に思った華蓮はゆっくりと目を開ける。


 眼前に広がるのは藍色。しばらくしてそれが髪の毛であることに気付く。

 化け蜜柑と華蓮の間を断ち切るように誰かが立っているのだ。


「怪我は?」


 背中越しにかけられた声は初めて聞くもので、だというのに酷く懐かしい感じがする。

 腰の辺りで揺れる美しい藍色の髪も見覚えがあるような気がする。


「だ、大丈夫よ」

「良かった」


 柔らかく優し気なその声が耳を擽ると、華蓮の胸にもやもやとしたものが広がる。


「化け蜜柑は?」


 今の状況を思い出した華蓮は半ば押し倒すような形で、目の前に立っていた人物にしがみつく。

 予想外の行動を受け、その人物は無抵抗に倒れ込む。

 互いの顔が間近まで接近する。

 藍髪の人物の左目には黒い眼帯がつけられており、中世的な顔立ちは赤く色付いている。


「えっと、あの……どいて、くれない、かな」


 同じく顔を真っ赤に染めた華蓮は慌てた様子で立ち上がる。

 普段の華蓮からは想像もつかないほどしおらしく、女の顔をしている。


「君はここにいて」


 まだ仄かに赤い顔に笑顔を浮かべる。

 人を安心させるその笑顔はやはり見覚えがあり、胸の奥のもやもやがさらに大きくなる。

 知らない人物なはずなのにどうしてこんなにも懐かしい気がするのか。


 竹刀を構えた藍髪の人物は真っ直ぐと化け蜜柑と向き合う。新しい獲物を見つけた化け蜜柑は愉快そうに顔を緩めた。


「喜んでいるところ申し訳ありませんが、私のことをスルーされると困ります」


 と、前方から丁寧な口調が投げかけられる。

 立っているのはジャケットの代わりに白衣を羽織った執事服の優男だ。冷静さを感じさせる漆黒の瞳からは何か恐ろしいものを感じさせられる。


「オイラは男には興味ないのだ。失せろ」


 甲高い声でそう言い放ち、蔕から新たに蔦を伸ばす。

 対する藍髪の人物は自然な所作で呪符を取り出し、蔦を受ける。

 呪符と触れ合ったと同時に蔕は飲み込まれるように消えていく。


「まさか  様を女だと勘違いなさっているんですか。確かに女々しいところは幾つか見受けられますが」

「レオン、少し黙って」


 溜め息を吐くように言葉を返した藍髪の少年は先程、蔦を飲み込んだ呪符を投げつける。

 呪符は糸の上を滑るように真っ直ぐ、化け蜜柑の頭上へと飛んでいく。


 ちょうど化け蜜柑の頭上に到達した頃、発光した呪符は飲み込んでいた蔦を化け蜜柑に向かって吐き出した。

 自身の蔦に巻き付かれた化け蜜柑は思わず捕らえていた流紀を手放してしまう。


 落下していく流紀の姿に慌てて華蓮が駆け寄ろうとするが、猫なだけあって宙で態勢を立て直した流紀は軽々と着地する。


「そうそう。言い忘れていましたが、スルーされて困るのは私ではなく貴方です」


 優男の瞳が一瞬、赤茶色に煌いた。


「焼き蜜柑にして差し上げます」


 化け蜜柑の身体が蛇のようにうねる炎に呑まれる。

 炎が完全に収まった後には化け蜜柑の面影など一つもなく、風に煽られた灰が舞っている。


「これでは食べられませんね。逸話によると美味しいらしいですけれど」


 華蓮はただ彼らの姿を呆然と見つめていた。

 彼らが現れてから化け蜜柑が退治されるまで、数十分もかからなかった。

 圧倒的な力の差を見せつけられて、自分の無力さを恨めしく思う。

 ふと目が合った。漆黒の隻眼が和らぐ。


「大丈夫、君には才能がある。けれどあまり深く関わらない方がいいよ」


 その言葉を聞き、流紀は自分が伝えそこねていた言葉を思い出した。


(こいつのことだったか)


 藍白色の瞳で二人を注視する。身に纏う不可解な気配のこともあり、警戒心を強めた。

 流紀を一瞥した藍髪の人物は穏やかな笑みを浮かべた。


「さようなら」


 中世的な声がその言葉を紡いだと同時に藍色が舞い、華蓮達の視界を奪う。


 我に返った頃、二人の姿は完全に消えていた。


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