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4-7

 体育周辺の見回りが完了し、中へ戻ろうとしたレミの耳に怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。

 中にいる誰かの声だろうと適当に辺りをつける。実際、壁越しに聞こえてた。

 これまた壁越しに悲痛を訴える声や怒鳴り声が重なる。宥める誰かの声にも不安が滲んでいた。


 理解を超えた出来事を前に無理からぬ話だ。

 ふと、レミは今まで無意識に見ることを避けていた空へ視線を向ける。

 生き物のように蠢く雲に覆われた空。太陽を隠され、訪れるのは完全な闇ではなく、曇り空を連想させる妙な薄暗さ。


 平凡な日常を送ってきた者にとってはそれだけでも十分に恐ろしいことだろう。その上、彼らはあれを見ている。

 襲われて、命からがらに逃げてきたという者も少なくはない。

 レミにとっては大したことない相手でも、非力な人間ならば逃げるだけで精一杯だ。

 現時点で死亡者が確認されていないのは、夏休み中で人が少なく、学園内にいたのが運動部ばかりだったためだ。


「きゃあああああああ」


 悠長に考え事をしていたところに聞こえてきた悲鳴。すぐに我に返り、体育館内に向かったレミを迎えたのは、ヘドロのような黒い塊。


(くそっ、油断した)


 この時のレミは邪念体が外から入ってきたものだと思い込んでいた。

 一体だけであることに安堵し、数メートル先にいる邪念体の真下に氷柱を生成する。


 下から上へ、突き上げるように生成された氷柱は思惑通りに邪念体を貫く。

 氷柱が触れている部分から音もなく凍り付き、歪なオブジェが完成する。遠巻きに眺める人々を尻目に、邪念体を包み込む氷のオブジェは砕けた。


「レミちゃん、後ろ!」


 安堵したのも束の間、月の声で反射的に背後を向いたレミは小さく舌打ちをする。

 瞬時に産み出した強風で、目前まで迫っていた黒い塊を吹き飛ばす。


「なん、なの」

「いつになったら帰れんだよ」

「このまま助からないんじゃ」

「もうやだぁ」

「誰か……」

「ふざけんじゃねぇよ」


 声が重なる。不安が、苛立ちが入り混じった声が溢れ、喧騒が大きくなっていく。

 座り込み、泣き出す者。教師に今後のことを聞く者。ただ立ち尽くす者。喚き散らす者。喧嘩を始める者。それらを宥めようとする者。

 恐怖や不安が折り重なって、それは誕生する。


 邪念体は邪気の塊。邪気は負の感情から生まれる。

 人が多ければ、多いほど強い邪気が生み出される。こんな状況では尚更だ。

 レミは簡単なことに気付かなかった自分に歯噛みする。あの邪念体たちは外から侵入したものではなく、内から生まれたものだ。


 思考を切り替え、外に吹き飛ばした邪念体を先程と同じ手で倒す。が、安堵はできない。

 この状況が続く限り、邪念体は生まれ続ける。

 打開する手立てとしては説得して落ち着かせるのが一番だ。話術に長けていないなどはいっていられない。


 覚悟を決め、口を開こうとしたその時。


「うるさぁぁぁぁぁぁぁぁい」


 そんな声が体育館内に響き渡った。


 多くの者が驚きで手を止め、声が聞こえた方へと振り向いた。

 数十もの視線を一身に受けるのは、金に近い琥珀色の髪を肩口で揺らす可憐な少女。

 瞳に強い光を湛えた月は、次の言葉のために大きく息を吸い込んだ。


「不安なのは分かるよ。私も不安だもん。でも……不安を撒き散らしても状況は良くならない! むしろ悪くなるだけだ」


 大きな声を出すことに慣れていない月の声は僅かに震えている。


「理解を越えることが起こってる。だからって思考停止して良い理由にはならないよ。考える頭はあるんだから。ちゃんと、周りを見て! 自分がすべきことを考えて! 自分の身を守るための戦いを他人任せにしないで!」


 呆気にとられ、誰もが聞き入っていた。


「お願いだから、戦っている人の邪魔をしないで!」


 戦闘に参加できない月だからこその言葉。

 乱れた息を整えた月の肩に手が置かれる。つられて顔を上げた月の視界には、日焼けした笑顔が映り込む。


「可愛い女の子にそこまで言われて何もしねぇなんて、男が廃るよな」

「……中口君」


 休んでてと告げた航平は持ち前のコミュニケーション能力で、周囲の人々を宥める役を買ってでる。


「兄貴ばっかに良い顔はさせないぜ」

「航輝、ほどほどにね」


 快活な声と、それを嗜める声が聞こえた。

 振り向いてみれば、そこにいるのは航平の弟、航輝と星司の後輩である良が二人並んでいる。

 こんな状況でも普段通りの態度を崩さない二人に、思わず笑みが零れる。

 月の言葉、そして三人の尽力が功を奏し、その後、体育館内で邪念体が生まれることはなかった。


 ●●●


 身の丈ほどの巨大な鋏を肩に担いだ青年は、雲が不気味に蠢く空を仰いで目を細める。

 邪気が増幅させる力を持った雲は、かつて主と呼んだ存在が目覚めたことを意味している。

 彼自身は主に忠誠を誓っているわけではない。ただ、主とともにいた方が面白い景色を見ることができると思ったから、協力しているまでだ。

 妖界での生ぬるい生活は、彼にとって地獄よりも苦痛を与えるものだった。


「よォやく楽しめそオだぜ」


 主が封印されて以来、妖界と人間界の様々な地を渡り歩いてきたが、心の底から楽しめることはなかった。

 巨大な鋏の切っ先を頭上に向け、開いて閉じるという動作を行う。

 放たれた不可視の刃は、これまた不可視の障壁によって弾かれ、霧散した。


 舌打ちをし、鋏を担ぎ直す。邪気が充満しているこの状況でも、不愉快な障壁に傷一つつけることができない。

 硬すぎるのだ。あの障壁を作った術師は相当の力を持っていることだろう。


「まずはそいつから殺るか」


 気分は今までにないくらいに高揚していた。

 久しぶりの感覚に陶酔していると、自身の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

 億劫そうに顔を上げた先にいるのは炎の鳥。偵察に行っていた彼女が戻ってきたようだ。


「…サイデ様、処刑部隊の者を見つけました」


 ある程度、下降してから炎の鳥は人型をとる。少女の姿となった彼女が身に纏う衣は、本性の名残か炎のような揺らぎを持っている。

 処刑部隊という単語に青年、サイデは舌なめずりをする。


 彼らは今までに何度か処刑部隊と遭遇したことがある。ただ、出くわすのは決まって下っ端ばかりで、サイデを楽しませてくれるにはいたらなかった。

 噂によると、この町にいる処刑部隊は隊長クラスの者らしい。

 少女、芙楽が一目見ただけで、処刑部隊の者と判断できたのが良い証拠だ。


「どこだ?」

「隣の通りです」


 芙楽が指し示した方角には家屋が連なっている。これでは飛行能力を持たないサイデは回り道をしなければならない。

 それは非常に面倒だ。回り道をするくらいならば、邪魔なものを全て壊してしまえばいい。

 鋏の切っ先を目の前の一軒家に向けたサイデの頭上から静止の声が降りかかった。


「ア?」

「主からの伝言だよ」


 鋏を向けた家屋の屋根に見知った顔が座っている。男とも、女ともとれる中性的な顔立ちをしている子供だ。


「明後日まで何もするなってさ。妖界の王と約束しちゃったみたいだよ」


 下駄を履いた足をぶらぶらと揺らしながら、主からの伝言を伝える子供。


「オイオイ、ンだよそれ。丸めこまれてンじゃねェのか。主さンは身内には甘いからなァ」

「同意だよ。でも、主も馬鹿じゃない」


 不満げに息を漏らす子供を前に、サイデは「俺は従わねェよ」とはっきり宣言する。


「別に忠誠を誓ってるわけじゃねェしな。騒ぎに便乗して楽しむだけだ。ま、邪魔はしねェよ」

「ふうん。了解、主に伝えといちゃうよ」


 返事を聞くよりも先に、その姿が消失した。

 それを見届けたサイデは傍らに控える芙楽に視線をくれる。


「お前は主に従ってもイインだぜ」


 誰かに縛られることを嫌悪しているサイデは、同じくらい誰かを縛ることも嫌いなのだ。


「…いいえ、私はなんと言われても、サイデ様に従います」


 数奇な女だと思う。

 サイデにも仲間がいた頃があった。その全員が、ひたすら自由と快楽を求めるサイデに辟易し、逃げていった。


 引き止めれば戻ってきた者もいたかもしれない。しかし、サイデの誰も縛らないという信条はそれを許さず、自分たちは必要にされていないのだと感じた別の仲間が、また去っていく。


 最後に残ったのは、最も脆弱で気弱な彼女一人だけ。

 一度、気弱故に残っているのかと聞いたことがある。


「ふっ」


 あの時の芙楽は本当に凄かった。

 普段の気弱さはどこへやらといった感じで、こっぴどく怒られた。

 その光景を思い出し、笑みを漏らすサイデに芙楽は首を傾げてみせる。


「さァて、行くとするかァ」


 鋏に集った妖力は刃となり、一軒家へ放たれる。二、三度、同じ動作を繰り返せば、一軒家は音を立てて崩れていく。それを尻目に敷地内に足を踏み入れる。

 降りかかる残骸は一歩後ろを歩く芙楽が全て燃やし尽くす。

 障害となるものに破壊の限りを尽くし、家人の叫び声をBGMとして歩む姿は、傲慢な王のようだ。


「オ、運がイイなァ」


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