4-5
作戦会議から、ちょうど五日経ったある日、それは突然起こった。
地震のような激しい揺れが史源町を襲い、部活に勤しんでいた海里と星司の二人は緊張を走らせ、互いの顔を見合わせる。
床を通して伝わるただならぬ気配に胸を圧迫され、海里は思わず顔を顰める。
戸惑いを露わにし、ざわつく他の部員たちを宥めつつ、星司は不安げな視線を海里に寄越す。
どうすればいいのか。
そう問いかけられている気がして、海里は曖昧に笑う。
肌を指す邪悪な気配は道場の外からのものだ。すぐさま龍刀を召喚した海里は、不安そうな星司と月を顧みる。
「俺は外の様子を見てくる。星司と春野さんは中をお願い」
「りょーかい」
「任せて」
二つの返事を背中で聞きながら、外へ出た。
特別任務中である今は、その任務に関する場合に限定して処刑対象ではない妖も処刑することが許されている。
そして、視界を埋め尽くす黒いヘドロの塊は間違いなく、封印が綻びた影響で生まれたものだ。
瘴気をまき散らす黒い塊は、邪気の集合体が妖に転じたもので、俗に邪念体と呼ばれる。
帝天の力を与えられる前にムキリに近い存在だ。
「タス…ケテ」
不快な音をたてて、邪念体の身体に歪な口と目が生まれる。
大量の口と目で埋め尽くされた身体は、もはや正面がどこなのか分からない。
「ドウシテ」「消エロ」「私ダケ」「ズルイ」「許セナイ」「絶対ニ」「死ネ」「消エタイ」「殺ス」
邪念体が吐き出す言葉は重なり合い、不快な喧騒を作り出す。
怨念の塊。負の塊。邪気の塊。
意志のない物体はただ本能のままに、心を求め、闇の中へ陥れていく。
他人の足を引っ張るように、仲間を増やしていく。
耳を塞ぎたくなるような喧騒に顔色一つ変えず、龍刀に霊力をのせた海里は邪念体を切り裂く。
邪気は陰、霊力は陽。
自らの霊力を注ぎ込むことで、邪気による再生を阻害する。
「キリがないな」
再生を阻害しても、新たな邪念体が次々に現れる。
一体一体、倒していくのは埒が明かないと判断した海里は一度後ろに下がり、距離を取る。
息を整えつつ、龍刀を構え直す。
「斬」
勢いよく振り下ろされた切っ先から放たれた一閃が邪念体を薙ぎ払っていく。
冷徹にそれを眺め、次の敵に備えて霊力に命令を与える。
不意に。
「え」
二つの障壁が同時に形成されていく光景が目に入った。
一つは町全体を、もう一つは春ヶ峰学園を覆っていくそれは結界と呼ばれるものだ。
戦闘時に使うような簡易的なものではないのは、張られた結界の強靭さを見れば明白だ。
「一体、誰が」
生半可な術者ならまずあり得ない。桜ほどの実力がなければまず不可能だろ言えるだろう。
しかし、結界を張るなんて話は聞いておらず、海里は呆然と結界を見つめる。
と、間近に迫る邪念体に気付き、気を取り直して思考を戦闘へ切り替える。
結界が張られたことによって、学園外との干渉は断たれている。
つまり、この邪念体は元々学園内にいたものか、学園内で生まれたかのどちらかになる。どっちにしろ、多少は数も減るはずだ。
気を引き締め、身を構えた瞬間――目が合った。
「ズルイ」「私モ」「特別ニ」「ナリタイ」「貴方ミタイニ」「死ニタクナイ」
ただ言葉を並べるだけだった邪念体が、初めて意味のある言葉の羅列を吐き、ヘドロでできた手を海里へと伸ばす。
心臓を鷲掴みにされたというのはこういう感覚を言うのだろうか。微動だできずにいる海里は、ただ迫りくる邪念体を見つめる。
逃げなければならないのは分かっているのに指一本すら動かない。
ヘドロが身体に巻き付き、大きく光られた口が眼前に迫る。
何とか逃げる術を考える隻眼があるものを捉えた。と同時に発生した風刃が海里に巻き付く邪念体を残らず切り裂いてみせる。
それでいて海里に一つも傷を与えないのは、さすがの技術力だ。
「海里様、ご無事ですか」
「うん。ありがとう、助かったよ」
駆け寄るレオンに曖昧な笑みを返す。
その裏で、荒れ狂う水が辺りにいた邪念体を残らず一掃する。
「相変わらずの手際だな」
「この程度の雑魚に手古摺っていられるか」
これから待ち構えているであろう敵は、邪念体よりも遥かに強い者ばかりだ。
暗にそのことを告げたレミは、もう近くに邪念体がいないことを確認し、二人の傍に立つ。
「一先ず、学園長室に集合とのことです。星司さんたちはどちらに?」
苦笑に似た表情を見せるレオンに違和感を覚えつつ、「中に」と道場を示す。
結界のことなど聞きたいことはあったが、海里は取り敢えず道場に入っていく二人に続く。
「レオンさん! どーしたんすか」
「ある方から、学園長室に集合との伝言を頼まれまして」
手短な返答に目を丸くした星司は「んじゃ、学園長室に行くか」と隣を見る。
が、隣に立つ月は星司の言葉を否定するように頭を振った。
「私は、部員のみんなと一緒に体育館の方に行くよ。きっと、みんな不安だと思うから」
実は海里が戦っている最中に、動ける生徒は第一体育館に避難を、との校内放送があったのだ。
話し合いの末、指示に従って第一体育館に避難することが決まった。月はそこについていくと言っているのだ。
学園長室でこれからのことを話し合うよりも、避難場所で周囲の不安を取り除くことが自分のすべきことだから。
「分かった。ただ、まだ妖が残っている恐れがある。私もついて行こう」
困惑する男性陣を捨て置き、レミが答える。
溜め息混じりの息を吐いたレオンは静かに了承する。
「後で戻って来いよ」
「分かっている」
生徒の安全を考えれば、事が済むまでレミは第一体育館にいるべきだろう。
しかし、処刑部隊のエースであるレミがいないというのは、今後の作戦においてかなりの支障を来す。かといって、ここれでレミを引き留めるのも憚れる。
そう悩んだ末の結果だ。
「月や、みんなをお願いします」
「任された」