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4-2

 夏休みが目前にまで迫る頃、春ヶ峰学園では毎年、文化交流会が開催される。文化交流会といっても堅苦しいものではなく、招待されたアーティストのステージを鑑賞するのだ。

 幼等部から高等部までのすべての生徒が講堂に集められ、それぞれ期待のこもった視線をステージに注いでいる。


 学園長である和道の顔の広さもあって、招待されるアーティストは毎回豪華な顔ぶれで、生徒たちを十二分に満足させてくれる。

 招待されたアーティストについては当日まで秘密というのがお決まりだ。といっても、噂を聞きつけた者が話を広めることも珍しくない。


 しかし、今年に関しては完全に秘匿された状態であった。だからこそ、余計に期待が高まる。

 そうこうしているうちに司会役の教師が壇上に上がり、注意事項を読み上げていく。退屈な話が終わると同時に、ステージの幕が上がる。


 ステージ上にいたのは一人の女性。年は二十代といったところで、桜が舞う紺の着物に身を包んでいる。女性の前には、箏が静かに鎮座している。


「お祖母様!?」


 驚きを露わにする華蓮を他所に、数人の生徒たちは期待外れだと息を吐く。

 日本文化に対する興味が薄くなっている年頃である彼らは、今年のステージは退屈そうだと小さな声で会話を始める。小さな声が重なり合い、大きな騒めきに変わる中、女性――桜はお構いなしに箏に触れる。


 一音。


 響き渡る音は問答無用に場の空気を一新する。たった一つきりの音に含まれた多感な旋律に、生徒たちは口を噤む。

 誰も口を開くどころか、物音一つたてることすら、罪と言わんばかりの静寂が観客席に満ち満ちていく。ただ、呼吸を忘れるほどに、奏でられる旋律に耳を傾けていた。


 そんな中。


「これは……」


 響き渡る旋律の中に込められた霊力が、講堂を抜けて学園内に広がっていく。その様を肌で感じ取った海里は、桜が文化交流会に出演することになった経緯を何となしに察する。


 探知の術。霊力を放ち、返ってくる反応で対象の場所を探る。

 理屈的には動物が超音波で物体の場所を把握するのと同じだ。


 今、桜の探っているものは恐らく――。


 ●●●


 弾むような足取りで、一人の少年が学園内を歩いている。

 昼間の学園に人気がないというのも不気味だが、今はほとんどの生徒と教師が講堂に集まっているので仕方のない話だ。


 今頃、桜の演奏に浸っているのだと考えると、こうして雑用のごとく歩き回っていることが虚しく思えてくる。

 彼の耳には終始、桜の演奏が届いているとはいえ、やはり直接聞きたいというのは我が儘だろうか。


 藤咲家始まって以来の天才と謳われる桜は妖退治以外にも、箏、笛、華道、舞踊、茶道、書道、どれをとっても天才的な才能を持っている。とはいえ、少年が桜の演奏を聞きたいと思うのは、別に彼女が天才だからではない。桜の演奏だから聞きたいのだ。


「早く仕事を終わらせたいところだけれど、その頃には終わってるんだろなー。さくちゃんの演奏を聞ける機会なんて滅多にないのに……うぅ」


 肩を落としつつ、足を引き摺らんばかりに歩く。

 と、不意に歩みが止まった。


「ここっぽいなー」


 反射した桜の霊力が歪み、美しい音色が耳障りな不協和音と化す。

 間違いなくここだ。ここに、彼が頼まれていた探し物もとい探し場所がある。


 目の前に立つ建物は武道館と呼ばれる場所だ。剣道部が練習に使う場所、その地下から感じる禍々しい音色に、少年は首につけられた鈴を思案げに揺らす。

 と、背後に温かな気配が降り立つのを感じ、鈴を弄っていた手を止める。


「ほむちゃん! どうしたの。さくちゃんの指示ってわけじゃないよね」


 桜の指示であれば、ずっと彼女の傍にいる彼が知らないはずがない。

 彼の名前は真砂。桜が最初に造った式である。


 式は必ず核というものが存在する。式がその存在を形作る指標ようなもので、式の本体といってもいい代物だ。

 人間でいう心臓の役割を持ち、多くの場合は式本体に備わっているものであるが、焔や彼を含めた桜の式は本体とは別途に核があるのだ。

 彼らの核はもっとも信頼できる場所、桜の懐にある。


 式の意識は核に宿っているが、こうして実体化しているときは本体に引きずられる。が、この真砂はこうして実体化していても核の周囲を把握することができる強者なのだ。

 探知の術で探し物をしながら、同時に桜の演奏を聞くなんて芸当ができるのは彼くらいなものだ。


「ああ、ただの暇つぶしだよ」

「ふむふむ。お暇でいいですなぁ。こっちの仕事を手伝ってほしいくらいですよー」

「生憎、私は鈍いんだ」

「知ってるよー。役割分担ってのは大事だよねぇ」


 お気楽に、同胞と会話を続けながら、細かい探索を続ける。

 探索範囲を武道館周辺に絞り、不協和音の出元を探っていく。


「みーつけたー」


 会話を唐突に打ち切り、無邪気な笑顔を浮かべる。と思ったら、すぐに思案げな表情に変わる。

 ころころ変わる表情は見ていて飽きない。

 口元を綻ばせた焔を真砂は思案げな表情のまま顧みる。


「地下道への入り口とかって知ってるー?」

「それを私に聞くか? 地下はお前の専門だろ」

「そうなんだけれどー。ほむちゃんってば、よくここに来てるでしょ。だから知ってるかなーって思って」


 数十年前のある出来事から桜の藤咲邸から一切でることはなくなった。先人たちによって積み重ねられた結界に上書きし、最強の砦の中で日々を過ごしている。


 ある人物との約束から、真砂はずっと桜の傍にいることを選び、必然的に外との干渉を絶った。

 桜が藤咲邸が出ていることも、真砂が桜の傍を離れていることも、今回が唯一をといっていい例外だ。


「得意分野で、道が分かれば話は早いんだけどねー。素直に進もうと思えば、床とか壁とか、壊しながら行くことになるし」

「道が怒るだろうな」


 学園の長である人物を思い浮かべ、口元をへの字に曲げる。

 和道と直面したことは数えるほどしかないが、人となりを知るのは十分だ。何より直接的と限定しなければもっと会ったことがある。


「みっちーは怒ると怖いんだよねー。みっちーといいすずちゃんといい、なんであーゆー性格の人は怒ると怖いんだろー?」

「冷静さを失わないからだろ。容赦なく、痛いところをついてくるからな」


 しかも笑顔で。

 論点がずれ始めていることに呆れつつも、答える。真砂との会話だとよくあることだ。


「華蓮のようなタイプだと、周りが慣れるというのもあるな」

「みっちー達のも慣れたりするのかなー。全然、想像できないけれど。でも、慣れってのは自覚できるもじゃないもんね」


 どんどん論点がずれていく様を感じながら、焔を挟むまいと決め込む。

 一人でも真砂はいくつもの言葉を並べ立て、無邪気さを含んだ声は止まることは知らない。


 言葉を返せば喜んで答えるが、別にそれを求めているわけではないのだ。

 誰かと話すの楽しいけれど、独り言が楽しくないわけではないというのは真砂は意見。


(等しく変わり者というわけか)


 自分のことを棚に上げ、そんなことを考える。


「あ、さくちゃん」


 諸々のことを終え、姿を現わした桜に真砂は分かりやすく喜びを露わにする。犬であれば、尻尾を振っていることだろう。


 真砂の独り言から解放された焔は苦笑を浮かべて桜を迎える。

 深緋の瞳は、桜の肩に乗る銀色の猫を認める。姿を偽る必要がなくなったものの、学校にいくときは猫の姿をとっているのだ。


「りゅーちゃんも!」


 びくっと身体を震わせた流紀は即座に桜の肩から飛び降りる。そのまま、猫から本性に変身する。

 銀髪の女性となった流紀に、残念そうに顔を見せる真砂。


 少し離れた位置でそれらを眺めていた焔は懐かしむように目を細める。

 一人足りないことを除けば、もっとも幸福だった頃と同じ光景だ。けれど、足りないものが致命的で昔には戻れない事実を実感させる。


「首尾はどうですか」

「位置は分かったよー。ここの地下、より厳密に言うと――」


 道場を指差しつつ、答える真砂は言葉を切る。きつね色の瞳は桜の後ろに迫るものを捉える。

 桜に向けて振り下ろされたものは突如に吹いた強風によって吹っ飛ばされる。


 数本の黒髪が落ち、真砂が悲痛を声を上げる。

 当の本人は気にしていないようで、周囲が臨戦態勢になる中、一人だけ平然と佇んでいる。


「余裕だね。攻撃したくなっちゃうよ」


 土が盛り上がり、泥で形作られた鎌が桜を狙う。おそらく、先程、襲ったものの正体を恐らくこれだろう。

 泥の鎌は桜に辿り着くより先に凍り付いた。またして桜は動かない。


「少しくらい慌てふためいてくれちゃってもいいのに。つまんなーい」


 声に合わせて桜を囲うように土が盛り上がる。十を超える数の泥人形が出現し、桜に襲い掛かる。

 それでも動く気のない主に呆れつつも、焔は自身の足を炎に変えつつ、泥人形に蹴りを入れる。炎は隣の泥人形に飛び火し、次々に灰へと変えていく。

「まぁだまだ」と楽しげな声が降り注ぎ、再び泥人形が姿を現す。


「真砂、桜は任せた」

「分かってるよー」


 戦場に不釣り合いな軽い足取りで、桜の前に立つ。

 何もしない主に不満はない。桜が何もしないのは式や流紀の力を信頼しているから。

 不満を申すなら、桜の美しい黒髪を切ったあの強風に対してだ。


「らんちゃんには後で厳しく言っとくからねー」

「不要です」

「髪は女の命なんだよー。らんちゃんにはそこんとこ厳しく言っておかなくちゃ」


 人の話を聞く気のない真砂の言葉に桜の眉根が数化に動く。


「……確かに、髪には霊力が宿っていますし、真砂の言うことも一理ありますね」

「そういう意味じゃないんだけど」


 嘆息混じりに呟いたのち、防衛に専念するために口を噤む。

 身に纏う衣がたなびき、円盤型の物体を産み出す。周囲には泥団子状の物体が追随している。

 これが攻防両方を兼ね備えた真砂の術。戦闘力だけで言ったら、焔に遥か劣るが、防御力では式の中では最強の名を冠する。


「援護いるー?」

「必要ない」


 援護がいるほど状況は悪くない。かといって良いわけでもなく、完全な停滞状態だ。

 泥人形事態は強くないが、倒しても倒しても新たに生まれ、キリがない。

 操っている者も一向に姿を現さず、打つ手なしといったところだ。


「体力をすり減らすにしても弱すぎだな」


 泥人形を一瞬で凍らし、目の前に立つ泥人形を横向きに蹴り倒す。ドミノ倒しの要領で倒れ、粉々に崩れた泥人形に一瞥する。


 この攻撃方法を用いたのは何度目だろうか。

 泥人形は単純な行動を繰り返し、流紀と焔は同じ攻撃を繰り返すだけだ。

 流れ作業と化したこの状況は拾うより、うんざりとした気持ちが先立つ。


(まさか、そういう精神攻撃か)


 そんなくだらないことを考えるくらいには余裕がある。

 本当にそういう意図があったならば、華蓮なら多大な効果をもたらしていることだろう。


「そう考えるとかなり強大な」


 短気すぎるのはやはり問題だ。ここ数か月ですっかり華蓮の教育係としての定着している流紀は戦闘中にもかかわらず、つらつらとそんなことを考える。

 流紀が何を考えているか図らずも察した焔は苦笑する。


「分からなくもないが、集中しろよ」


 炎の揺らぎを持つ腕で泥人形に触れれば、それだけで灰が舞い踊る。

 流紀よりも、遥かに少ない消耗で対処して見せる焔を恨めしげに見つめる。


「もう、お前が一掃しろよ」

「その言葉は悠長に観戦している桜に言え」

「そうだなっと」


 何体目が数えるのをやめた泥人形を凍らせる。と同時に視界に掠めた白いものを、追うように視線を動かす。


 遅れて届くのは、平坦な声。


「跳躍、もしくは結界を張ることを推奨します」


 言葉の意味を考えるより先に行動に移す。

 流紀と焔は軽い動作で跳躍し、桜は自身と真砂を囲うように球体の結界を作り出す。

 視界に再び、白いものが掠めた。白いものの正体は『保存』と書かれた呪符のようで、地面に触れているものの動きを止める。


「助太刀が遅れてしまい、申し訳ありません」


 結界をといた桜は、頭を闖入者に目を向ける。


「さくちゃんが珍しく他人に興味を!」と歓喜の声を上げる真砂を黙殺し、少女を観察する。


 微かに漂う気配はどこか懐かしさを感じさせる。そして、本来のものに比べて、かなり簡略化された呪符。

 この二つが意味することを理解しつつ、ただ冷静に少女の正体を看破する。


「龍月和心さんでしたね」


 十余年ほど前にこの町を訪れた妖退治屋。

 十にも満たない年齢ながら、かなり優秀な妖退治屋がいるという話を焔から聞いたことを思い出す。

 ちょうどその頃から懐かしくも、知っているものとは明らかに違う気配を感じていたので、適当に辺りをつける。


「はい。お初にお目にかかります」


 生真面目に一礼する姿は、恐ろしく機械的だ。

 冷たく静かな二対の瞳が交差し、すぐに視線を逸らす。


「あーあ、邪魔されちゃった。でもでも、術の有効外から攻撃しちゃえばいいだけの話だよね」

「残念ながら」


 降り注ぐ声に眉一つ動かさないまま、和心は敵の策を否定する。


「この先には、他の方々が待機しています。ここは大人しく引き下がった方が得策だと思いますが?」


 正体の分からぬ相手に対しても敬語を使うところは、何より風紀や秩序を大切する彼女らしい。


「こういうのはボクの本分じゃないんだけど。仕方ないから、退散しちゃうよ。次はちゃんと遊ぼうね」


 妖気が完全に消えたのを確認し、和心は呪符に注いでいた霊力を絶つ。

 空気に溶けるように呪符が消え、同時に動きを止められていた泥人形も霧散する。


「ありがとー。すっごく助かったよー」

「私は自分の役目を全うしただけです」


 謙遜しているわけではなく、単純に事実を述べているだけの声は相も変わらず機械的だ。


「では、私はこれで」


 一応、教師に断りを入れて抜けてきたとはいえ、早く戻るに越したことはない。

 早々に立ち去ろうとした和心を桜が引き留める。

 その場にいた全員が不思議そうな顔で桜を見る中、彼女は「伝言を頼めますか」と問いかける。

 断る理由のない和心は快くこれを了承した。


 ●●●


  コンクリートの地面を叩く音が狭い通路に反響する。


 フードのようにして被った白い布の下に隠された顔は、ボーイッシュな少女とも童顔の少年とも取れる。

 下駄が織りなす足音に、新たな足音が加わったことに気付き、そっと足を止める。


 指揮棒に似た形をした茶色の棒を軽く振り、思案したのちに後ろへ投げる。見事な放物線を描き、棒は離れた位置に立っていた男の手に渡る。


「邪魔されちゃったよ。いいチャンスだと思ったのに……」

「おぬしが敵う相手ではあるまい」


 地に響くような低い声に顔をしかめる。


「このままだと邪魔されちゃうよ。あの化け物が外に出ちゃってるなんて滅多にないでしょ」

「下手に動くべきではない。今は、主の目覚めを待つばかり」

「ちぇ、分かったよ」


 自分も馬鹿ではない。相手の強力さを考えれば、こちらの戦力を知られるのは避けたいところだ。

 隠れてばかりで飽きてきたからといって、ここで我を通すのは子供のすることだ。


「で、我らが主はいつ目覚めるのさ」

「五日後」


 ついと目を細め、空を仰ぐようにして上を見上げる。しかし、そこに空はなく、コンクリートの天井があるだけだ。

 窮屈な思いも、数日で終わる。主が目覚めれば、今までの苦行も全て報われる。


「それまでには、あやつらも集まっているであろう」


 数百年前、共に戦った仲間の姿が脳裏を過ぎる。

 忌まわしき女妖によって主が封印され、図らずも散り散りになってしまい、一切の連絡を取っていない。


 いずれ訪れる主の目覚めを待ちながら、それぞれが自らの意志のままに時間を食いつぶした。

 ここにいる二人がそうであるように、呼び出されるようにこの場所へ集う。

 声でも、文でもない、主から貰った力が自分たちを呼んでいるのだ。


「五日。それまでは大人しくしとくよ」


 後五日我慢さえすれば、数百年前からの望みが叶うのだから。

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