4-1
いつの間にやら、季節はすっかり夏だ。夏服への衣替えも済み、多くの生徒が夏休みを待ち遠しく思っているそんな頃。
エアコンの冷気が充満した教室では、いつものように意味の会話を交わす男たちに声をかける華蓮。
机に伏せる状態で顔だけを話していた星司は怪訝そうな顔を見せ、対照的に海里は笑顔で迎え入れる。
「甘味処の制服できたから、試着してもらいたいんだけど。明日の放課後、うちに来れる?」
その言葉で海里は甘味処の手伝いをするという話を思い出した。多くはないが、給料もであるらしいからバイトといっても差支えないだろう。
貰った給料は生活の足しにするつもりだ。
妖とはいえ、人間界で暮らす以上はお金が必要になってくる。レオン達は春ヶ峰学園で教師をつとめているわけたが、これは和道の協力で潜入しているにすぎず、ボランティアのようなものだ。
今は、自由に動ける夜にレオンが別の仕事をすることで生活費を賄っている。
「うん、大丈夫だよ」
「レミにも伝えといてくれないかしら」
「分かった」
護衛の関係で、レミもともに甘味処の手伝いをすることになっているのだ。
二人ともレオンだけに任せるのは忍びないと思いながらも、当の本人に反対されていたために何もできないでいた。
今回は信用できる場所ということで、許可が下りたのだ。それでも、渋々といった感じではあったが。
レオンの過保護さに少しばかりの不満を抱く海里である。
「デザインは私と華蓮で考えたんだよー。すっごく可愛くできたの」
ひょっこりと華蓮の後ろから顔を覗かせた月が、無邪気な笑顔で海里にとっては不穏な言葉を放つ。
甘味処を手伝うという話を思い出しながら冷汗を流す。
「確認なんだけど――」
「じゃあ、明日よろしくね」
必要なことだけ伝えた女子二人はそのまま自分たちの席に戻っていく。
嫌な予感がぬぐい去れない中、状況をただ見ていた星司の「面白そうだし、俺も行こー」という呟きが聞こえてくるのだった。
そうして来る翌日。
人の良さからすっぽかすことも出来ず、海里は嫌な予感を抱えたまま藤咲邸を訪れた。
華蓮に案内されたのは、ほとんど完成形に近くなった甘味処の中だ。ものはまだ揃い切っていないようで、少しだけ物寂しい印象を受ける。
中に入るや否や、袋に入った服を手渡され、着替える場所を指示される。
快く了承したレミとは対照的に、海里は重い足取りで自分用に用意された更衣室へ向かう。
「華蓮さんは着替えないんすか」
真新しい椅子に腰かけた星司の問いに、華蓮は得意げな表情が答える。
「私はここの給仕なんてしないもの。いつも通り和菓子屋の店番よ」
(すげー理不尽)
口にしなかったのは、華蓮を怒らせることを分かっているからだ。伊達に十数年も幼馴染をしていない。
嫌な予感が的中しているであろう海里の心中を察し、心の底から同情する。
「お待たせー」
さっそく着替えを済ませた月が登場し、見せびらかすように星司の前に立つ。
ピンクを基調とした制服で、上半身は浴衣、下半身はプリーツスカートなっている。全体的に可愛らしいデザインであるものの、甘味処の制服らしさをなくしていない。
この絶妙なさじ加減を華蓮ができるとは思えないので、ほとんどが月の案だろう。
「いいんじゃね」と投げやりにも聞こえる星司の感想でも、月は心から嬉しそうに微笑む。大好きな人からの誉め言葉はどんなものでも嬉しいものだ。
満面な笑みを浮かべる月を愛おしく思いつつ、星司はこの制服を身に纏っている海里の姿を想像する。本人は不本意だろうが、まず似合わないということはないだろう。
と、新たな来訪者が現れる。
医者を連想させるような白衣を纏っているのに関わらず、真っ先に黒という印象を受けるさせる人物だ。
「レオンさーん、どうしたんすか」
「少し所用がありまして」
一緒に来なかったのはまだ教師としての仕事が残っていたからだ。
非常勤に近い形で働くレミとは違い、一年三組の副担任も務めているレオンの仕事量はそれなりのものだ。
「なっ、レオン! ど、どどどうして、ここに。来るなと言っただろ!」
着替えを終え、姿を現わしたレミは目を見開き、頬を赤く染めて抗議する。
この姿を見られたくないから、レオンには絶対来るなと言っておいたのだ。だからこそ、別々に藤咲邸へ訪れた。
用があったのは桜に対してなので、もともとここに来る気はなかったのが、ある人物によって半ば無理矢理に連れてこられたのだ。
理由はどうであれ、言いつけを破った自分に非はあるので、レミの怒りは甘んじて受ける。
当のレミは怒りよりも羞恥の方が勝っているようで、物陰に隠れるようにして立っている。
基本的なデザインはレミの戦闘服と大差ないのにも関わらず、何を恥ずかしがる必要があるのだろう。レミとレオンを交互に見た星司は複雑な乙女心に疑問符を浮かべる。
「その姿で接客するのよ。隠れてどうするの」
珍しくもっともなことを言う華蓮に、レミは物陰に隠れたまま首を横に振る。
赤くなっているのを隠すためか、顔は僅かに俯けられている。
「問題ない」
この状況ではまったく信用できない台詞を吐くレミ。
元々、レミはあまり緊張というものをしない性質だ。緊張したとしても、頭が真っ白になることは稀だし、あくまで普段通りに振る舞えるレベルだ。
ある条件を除けば。
今は、たまたまその条件に合致してしまっただけにすぎない。
「さっさと褒められてこい」
いつまでも進展しない状況にしびれを切らした流紀が溜め息を交えつつ、強引にレオンの前に立たせる。
抵抗もむなしく、レオンの前に立ったレミは再び隠れようとするが、流紀に阻まれる。
観念して弱々しくレオンを正面に迎える。
レオンの頬がほんのり赤く色づいているように見えるのは、気のせいに違いない。
「ど、どうだ」
心臓の音が嫌なくらいに大きく聞こえる。意識しなければ呼吸を忘れてしまいそうだ。
柄にもなく緊張しているのは、目の前にレオンがいるから。いないと思っていたから心の準備ができていない。
レオンを前にすると、どうしようもなく緊張するようになったのはいつからだったか。分からないというのが正しい表現かもしれない。
気が付いたときにはこうなっていて、これが属にいう恋という奴だと気付くには幾分かかった。
おかしいと思うくらい緊張するのに、レオンの傍にいると心が満たされるのは変だろうか。
「似合ってる」
脳内では様々な言葉が飛び交い、結局出てきたのは当り障りのない言葉。
女性を喜ばせる言葉はたくさん知ってるいるはずなのに、レミを前にすると上手い言葉が出てこない。
僅かに俯けた顔を歓喜の色でいっぱいにしたレミは「そうか」と上擦った声で答えた。平静を装うとして失敗したような声だ。
少ない言葉数で、何とか沈黙を免れようとする二人から全員が視線を外す。当人たちは望んでいないだろうが、二人の世界を邪魔しないように。
「海里、遅いな」
レミが出てきてから随分経っているので、もう着替え終わっていてもおかしくない。
(よっぽど躊躇ってんのかね)
それでも着替えずに出てくるなんてことをするような性格ではないことはよく知っている。
それから十分以上過ぎた頃にあらわれた海里は、似合うという星司の予想を肯定する。
ピンクは藍色と相性がいいようで、想像以上に似合っている。
基本的にデザインはみんな一緒だが、指先が足袋のように二つに分かれているシーソックスは三人とも色が異なる。月は紺で、レミは白、そして海里は黒と白のボーダーだ。
「似合ってるぜ」
「……嬉しくない」
うんざりしている顔は相変わらず中性的で、こんな格好をしているせいか女子にしか見えない。
不意に、星司のすぐ傍でシャッター音が鳴った。
驚いて隣を見れば、一眼レフカメラを携えた女性が涎を垂らしそうな勢いで顔を弛緩させ、レミと月の制服姿を連写している。
春野家のメイドである彼女が、何故ここにいるのかつっこむべきではないのだろう。そう判断した星司は静かに桐葉から視線を逸らした。
「あ、桐葉さん!」
少し遅れて桐葉の存在に気付いた月は、彼女の持つカメラを見るやいなや「いいこと思いついた」と笑う。
もちろん、この笑顔も逃さずカメラにおさめてある。
「どうせなら、みんなで撮ろうよ」
「いいわね」
すぐに賛成の意を示したのは華蓮だ。特に断る理由のないレミやレオン、流紀も快く了承した。もちろん星司もだ。
この姿を形に残したくない海里だけが少しだけ複雑な表情を見せていたが、生来の人の良さから賛成を示した。
男を撮ることに少々の抵抗がある桐葉も、他ならぬ月からの頼みならとカメラを構える。
「じゃ、撮るわよ」
シャッターが切られる。
「所用というのは桜にか?」
「はい。学園長からいくつか書類を預かりまして」
写真の撮影後、各々散らばる中での問いかけに答えるレオンに、流紀は「そうか」と短く返す。
藍白の瞳に切なげな波が揺れている。
その視線の先にあるものを目で追うレオンは小さく息を呑んだ。
何も、特別なものがあるわけではない。そこにあるのはごく普通の日常の風景。
今まで何度も見てきた光景のはずなのに、胸が詰まるほど儚げな印象を受けるのは、間近に迫る戦いの激しさを予感しているからか。
穏やか過ぎるがゆえに、嵐の前の静けさを感じずにはおれず、胸が嫌にざわついた。




