3-14
分厚い扉が開かれ、高まる緊張に華蓮は生唾を飲み込む。
「いらっしゃい。待っていたわ」
四人を迎え入れるのは、豪奢な着物に身を包んだ女性。
輝くよな金髪は女性の身長を優に超える長さで、紺碧の瞳は海を連想させる美しさを持っている。
響の目的を知っているのか、知らないのか、女性は歓迎ムードで立ち尽くす華蓮と響に歩み寄る。あまりにも友好的過ぎる態度に華蓮は知らず、身体を弛緩させる。
「貴方が妖界の王、ですの?」
「その呼び方は好きじゃないのよね。ちょっと大仰じゃない?」
「知らないわ」と冷たく返す響に、女性――妖界の王こと妖華は頬を膨らませてみせる。
子供のような態度に、彼女が本当に妖界を統べている存在なのか。そんな疑問が浮かぶ。
妖華のことを知っている樺と海里すらそうななのだから、響の不信感は相当だろう。
「私のことは妖華と呼んでくれると嬉しいわ。まあ、これも借り物の名なのだけれど」
小さく付け加えられた言葉に華蓮は少し首を傾げる。
「さて、貴方たちは私を殺しにきたのよね」
"殺す"という表現に華蓮の肩が震える。
退治などと言葉を和らげてはいたが、妖退治屋は妖を殺す職業なのだ。今更ながらにそのことに気づき、顔を青くする華蓮を他所に響は得意気に頷く。
「華蓮ちゃんは?」
「え、名前……」
見覚えのある笑顔で秘密と唇に指を当てる。
秘密も何も、妖華は華蓮の祖母であるところの桜と親しい間だから、という至極単純な理由である。
「で、どうなの?」
「わ、私は別に」
「そう? なら、海里と一緒に大人しく見ててね。危ないから」
妖華と響を覆うように透明な障壁が、簡易的な闘技場が作り出す。
「さて、始めましょうか」
返事をする代わりに、響は夏藍の名前を呼ぶ。
待ちくたびれたというふううに現れた夏藍を、妖華は興味深そうに眺める。千年以上の時を生きているとはいえ、人型の妖具を目にするのは初めてだ。
身体強化を己に施した夏藍はお構いなしに打撃を叩き込むが、新たに生成された透明な障壁に阻まれる。
続いて、響が霧ラ雨で斬りかかる。
「浅いわね」
何度も繰り返される攻撃の全てを障壁で打ち消すだけで、妖華自身は一歩たりとも動かない。
彼女を殺すどころか、傷つけることすらかなわない。頭では理解しているものの、必死な響を見て夏藍も攻撃の手を止められないでいる。
これではただ無駄に霊力を消費しているだけだ。
今の響を止められるのは、止めるべきなのは自分しかいない。分かっている。
それでも、踏み切れないでいるのは――。
「そろそろ諦めたらどうかしら」
「嫌だ。絶対に、殺してやりますの」
最愛の兄を亡くし、響が歩んできたのは復讐のための道。
年頃の女の子らしいことに背を向け、兄を殺したあの男を、今目の前にいるこの女を殺すために血の滲むような努力を積んできた。それが無意味だったなんて思いたくない。
諦めるなんてできない。何としてでも、妖界の王を殺して、兄を生き返らせる。
あの悪夢のような出来事をなかったことにするのだ。そのためには絶対に諦めるわけにはいかない。
「今の響ちゃんじゃ、私に傷をつけることすらできないわ」
「そんなこと!」
「頑なね。本当はここで諦めてくれるのが一番だったんだけれど、仕方ないわね」
抑え込まれていた大量の妖気が一気に溢れ出す。
今まで出会ってきた妖たちとは桁違いの妖気におされ、響は呼吸を荒げる。妖気はどんどん強くなり、呼吸困難になった響は立っていることさえ、ままならなくなり、床に座り込む。
意識を失う寸前のところで、溢れ出していた妖気が一瞬にして消え去る。
負荷がなくなっても、響はすぐにダメージから立ち直れなかった。
「その程度で私に戦いを挑んだの?」
問いかける妖華の声は驚くほど冷たい。今まで気さくに話しかけてきた人とは思えない冷酷さを持った瞳は、喘ぐ響へ向けられている。
離れた位置で見ている華蓮でも背筋が凍る思いをしているのだから、響の味わっている恐怖は凄まじいものだろう。
「貴方が自分の力量が分からないほど、お馬鹿さんとは思いたくないのだけれど」
幼い顔立ちに宿った威厳は、妖華は妖界を統べる王なのだと実感させるものがある。
「冷静さを持つことね。そうすれば、もっと強くなれる。もっともっと強くなって、また私を殺しにくるといいわ。何十年先でも、待っているから」
儚げな笑みを浮かべた妖華はそっと響の頭を撫でる。
妖華は戦うのがあまり好きではない。戦わなくていいのならばそれが一番だし、相手は弱い方がいい。
けれど、こんなことを言うのは、戦うのが嫌いという感情以上に、誰かの成長を見るのが大好きだからだ。特に人間の成長にはいつも驚かされる。
千年以上変わらず生きてきた妖華には失われた概念だから。
「さーて、野蛮なのはここでおしまいにしましょうか。次は……そうね、お茶会なんてどうかしら」
と、華蓮と海里の前に張り巡らされていた透明な障壁が消える。
「……と…ない」
微かに呟かれた言葉に、怪訝な視線を向ける面々。
「認めない。私はまだ負けて、ませんの。絶対に勝たなきゃいけないの」
「……響、もう無理だし」
説得しようよした夏藍の腕を振り払う響。
「そんなことありませんの。夏藍だってまだやれるでしょう? 二人でお兄ちゃんを生き返らせるって約束したんですもの。ここで諦めるなってありえませんの」
「僕は――」
「そうですの。お兄ちゃんを生き返らせるんですの。お兄ちゃんがいない世界なんでありえない。そんな世界、偽物なの。だから――」
不意にかわいた音が響き渡った。
頬から伝わる痛みで我に返った響はいつの間にか目の前に立っている人物を見上げる。
腰の辺りまで伸ばされた藍色の髪。長い前髪で隠された黒い眼帯。こちらを真っ直ぐに見る隻眼は怒りを滲ませていた。
常に浮かべていた笑みが消え失せ、怒気だけを含んだ顔は整った顔立ちなのも相俟ってかなりの迫力だ。
「これ以上はお兄さんに対する侮辱だ」
「な、なにを」
「お兄さんが命を投げうってまで守った折笠さんの生を、これ以上無駄にするつもりなら俺は許さない」
いつもの穏やかな笑みを浮かべることなく、怒りを露わにする海里に華蓮以上に驚いているのは妖華だ。
母親という立場通りの付き合いは今までしてこれなかった。けれど、海里のことはずっと幼い頃から見てきたというのは間違いない。
にも関わらず、ここまで怒りを露わにした海里を目にするのはこれが初めてだ。それだけ響のことが許せないのだということは、彼の歩みを見守ってきた妖華には容易に推測できる。痛いほどに。
「どんなに望んでもあの頃にはもどれないよ。お兄さんは生き返らない。生き返らせちゃいけない」
「そんなことない! お兄ちゃんは生き返るわ。悪魔に命を捧げたっていい。私は絶対にお兄ちゃんを生き返らせないといけないの」
それがあの時、約束を破って外に出てきてしまった自分の罪を償う方法。
自分さえ、大人しく倉庫の中で事が終わるのを待っていたら、兄が自分を守ろうとして無謀に戦うことはなかったはずだ。
「お兄さんはそうまでして生きたいと思ってはいないよ」
「思ってるわ。お兄ちゃんだって生きていたかったはずよ!」
「そうだろうね」
海里の顔から笑顔が消失する。
「死にたくなかったに決まってる。もっと一緒に生きていたかった。ずっと、ずっと後悔して、でも……同じことが起こったら、やっぱり同じ行動をとる」
後悔しているのは自分の行動に対してではなくで、自分が死んだことで大切な人を悲しませてしまったことだ。
もっと力があれば、自分は死なないままで、大切な人は心に深い傷を負うこともなくて、悲しむあの子に伸ばす手を失わないままで。
それは奇しくも、響が思っていたことと同じだ。
自分に力があれば、兄は死なず、あの刃物のような男を退けて、今も三人で笑い合う未来があったはずなのに。
だから、強さだけを求めて生きてきた。強くなってあの日をなかったことにしたいと願って。
「残された人が自分のことを思い出して苦しむくらいなら、忘れてほしいって思う」
本当は忘れてほしくない。けれど、覚えていることで苦しむのならば忘れてほしい。
この世にいない自分に囚われて、これからの人生に闇を落とすくらいならば、忘れて前に進んでほしい。
きっとそれはお互いにとって過酷なことだと分かってはいるけれど。
「生き返らそうなんて考えないでほしい」
もし蜘蛛の糸が降りてきたら、大切な人の何を犠牲にしても縋ってしまいそうになるから。
そうして生き返った時、自分の愚かさを痛感し、絶望に打ちひしがれることになるだろう。
静かに言葉を紡いでいく海里の視界の隅で金色が揺れ、鼓動が大きく跳ねる。
「勝手な意見ね」
金色の正体が彼ではないことに安堵しながら、吐き捨てるように呟いた妖華への目を向ける。
「大切であればあるほど、簡単に忘れられるものじゃないし、忘れたいとも思わないわ。思い出して辛くても、胸が締め付けられるように痛んでも、ここにあるのは忘れたくない記憶ばかりだもの」
愛おしいものを包み込むように、胸の辺りで手を重ねる。
遥かに長い時間を生きてきた妖華は、たくさんの死を見てきた。
道ですれ違っただけの者もいたし、言葉を交わしたことのある者もいた。顔も名前も知らない者もいれば、友人と呼んでいた者もいた。大嫌いな者もいたし、かけがえのない――最愛の者もいた。
きっとこれからも多くの死を見続けることになるだろう。
「大切な人の死を見るのは、何度経験しても慣れるものではないわ。その人のことを思い出すたびに泣きたくなる。いつだって会いたくてたまらないわ。でも」
一度言葉を切った妖華は海里へ向けていた紺碧の瞳を響へと向ける。
「生き返らせようと思わない」
「なんで」
無意識に零れた声に悪戯っぽく笑った妖華は「どうしてかしらね」と他人事のように返す。
分からないのは本当だ。こんなにも会いたくて堪らないのに、何故だろうか。
奇跡が起こってほしいと願うけれど、奇跡を起こそうとは思わない。
それは、様々なことを"見知っている"からかもしれない。
("見る"ことも"知る"ことも私の役目じゃないのだけれど)
不貞腐れたように心中で呟き、響に触れる。
「ここまで言っておいてあれだけれど、私は貴方を考えを否定する気はないわ。貴方の人生だもの。捨てるのも生かすのも好きにしなさいな」
正しい道を歩もうとも、当の本人が望んでいないのならば、その人生は地獄のようなものだ。
たとえ、間違った道であったとしても、本人が望んだ道にこそ価値がある。
「だから、ここからは先人からのアドバイスよ。周りをよく見なさい。周りの言葉を聞きなさい。受け入れるかどうかは自分で決めればいいわ」
「妖の言うことなんて――」
自分に触れる妖華の手を振り払い、牙を向いた響の言葉を止めたのは、他でもない夏藍だ。
「もう、やめないかい?」
「夏藍もそんなことを言うの……?」
「僕は、奏に響のことを頼まれてる。今では響の望むことをさせるのが正しいと思ってたけど、違ってたみたいだし」
その思いは、夏藍が逃げるための口実だとも言える。
最愛の兄を失った響が絶望せずにいられるには、奏を生き返らせるという望みに縋っているしかなかった。
感情の機微に疎い夏藍には、響を支えられるほどの自信がなく、今の響を否定すれば響が壊れてしまいそうで怖かった。
だからこそ、否定も肯定もしない中途半端な立ち位置で居続けることを選んだ。けれど、そちらの方がよっぽど響のことを考えていないということに今、気付いた。
「僕は否定する。響のことも、奏のことも。二人とも、お互いのことを考えているようで、全然考えてないっ! 自己満足のためにお互いを理由にするな!」
道具として生を受けて、こんなに感情を露わにしたのは初めてかもしれない。いや、道具になる前も感情を露わにしたことはなかった。
「私のせいで死んだんだから、私がどうにかしなくちゃいけいのよ。一人は嫌なの!」
子供のようになきじゃくる響に「どうして」と消え入りそうな声で尋ねる。
「響は一人じゃないし。僕だっているんだよ。友達だって、最初に言ったのは響だろ! 今更違うなんてそんなこと――」
「違う! 違うの。そんなこと言うつもりは……夏藍は今だって友達よ!」
「……だったら、二人で分け合おうよ。奏のいない寂しさも、責任も。僕はずっと響の傍にいるから」
驚きで見開かれた瞳からは滂沱と涙が流れ、夏藍は不慣れな手つきで響の頭を撫でる。
不器用ながらも、優しい手付きにまた涙を溢れさせながらも、響は無言で首を縦に振る。
そして、たどたどしい口調で、今まで抱えてきたものを吐き出す響の言葉に夏藍は耳に傾ける。
(私と海里の言葉は必要なかったかもしれないわね)
それでも無駄ではなかったと思う。普段、聞くことのできない海里の奥底の部分を聞くことができたのだから。
響と夏藍の二人から視線を外した妖華は、思い出したように仕事机から高価そうな石が連なったブレスレットを取り出す。そして、華蓮と海里へ歩み寄った。
「桜、貴方の祖母にこれを渡してもらえるかしら」
困惑しながらも、華蓮は差し出されたブレスレットを受け取った。見るからに高価そうなので、戦々恐々な面持ちだ。
妖界の王と祖母、桜が知り合いであることに驚きはするが、相手はあの桜なので不思議と納得できてしまう。
「さて、海里。人間界に帰ったら、叱られるだろうから私は何も言わないけれど」
「……」
黙って妖界に来たことは、もう既にレオンに気付かれていることだろう。
帰った時に待っているであろう説教タイムのことを想像し、複雑な面持ちを見せる海里である。
「久しぶりに会えて嬉しかったわ」
「俺も、です」
同意を示す海里に「でも」と釘を刺す。
「次はちゃあんと護衛をつけて来てね。私の結界があるって言っても、ここはとっても危険なところなんだから」
「……はい。肝に銘じます」
「よろしい」
そんな二人のやり取りを見ていた華蓮の胸にもやもやとした感情が湧いてくる。
胸を支配する感情に名前をつけられないまま、揺れる瞳で海里を見つめる。
「あの、海里?」
話をしなければという焦りをもとに声を上げる。
ちゃんと謝って、ちゃんと海里の話を聞くと決意のしたのだ。
「どうしたの」
海里の態度は普段と変わりない。
華蓮が言ったことをまるで気にしていないかのように見える。けれど、それは表面的なものでしかないのだろう。
今だって気になることはたくさんある。妖の王の関係について今すぐにでも問い詰めたい。
蟠る思いを全て押し込み、息を大きく吸い込む。
「ごめんなさい。私、頭に血が上ってて」
「ううん。何も話さなかった俺にも非があるから……華蓮は悪くないよ」
向けられるのは大人っぽい笑顔。
「今度はちゃんと答えるから何でも聞いて」
「じゃあ――」
何を聞くべきか思案する。聞きたいことがたくさんあるからこそ、咄嗟に何も思い浮かばないのだ。
そこへ、金髪の女性が目に入る。自身の身長よりも長い金髪を背中に流したあの女性は妖の王だという。
妖退治屋である華蓮からしたら敵ともいうべき存在と海里は随分と親しげだった。まずはそのことから聞いてみよう。
「海里とあの人……その、妖の王はどういう関係なの?」
自分が妖かどうか、それを聞いてくると思っていた海里は隻眼を瞬かせながらも、微笑と共に答える。
「妖華様は、俺の母親だよ」
「じゃあ! ……じゃあ、海里はやっぱり妖、なの?」
やはり、海里は自分に嘘をついていたということなのだろうか。
裏切られたという華蓮の考えは、早とちりでも勘違いでもなく事実だったのだろうか。
不安に胸を締め付けられる華蓮を前に海里は静かに首を横に振った。つまりは否定。
「俺の父親は人間なんだ」
「どういう、こと。 海里は人間? それとも――」
妖と人間に生まれた存在はどちらと考えるべきなのだろう。
頭を抱える華蓮を見る海里の瞳は切なげだ。華蓮の胸は先程とは別の理由で締め付けられる。
「俺は、人間であり、妖であり、そのどちらでもない存在、だよ」
いつもの穏やかな笑顔を浮かべる海里の表情はやはり哀切を含んでおり、華蓮は言葉を探すように目を彷徨わせる。
そこでふとあることに気付いた。
「海里が妖じゃないって言ってたのは嘘じゃないのよね?」
「嘘は言っていないつもりだよ」
妖の血も受け継いでいる以上、真向から嘘だと断言することはできない。受け取る側の考えによっては、やはり嘘になるのだろう。
けれど、海里にとっては紛れもない真実の言葉だ。
自分の中に流れる妖の血を否定したいわけではない。仮に人間であるかと聞かれたとしても、海里は「自分は人間ではない」と否定する。
それは自分を、人間にも妖にも属さない分、中立の立場に立てる存在だと考えているからだ。半人半妖という自分の性質が、長年断絶されてきた人間と妖の関りを繋げる役に立てればいいと心から思う。
そんな海里の考えを他所に、華蓮は「そうなのね」と何やら一人で納得したように呟いている。
「嘘をついていないなら、それでいいわ」
あっさりと言ってのける華蓮を前に、さしもの海里も普段の笑顔を忘れて目を丸くする。
中立に立てると思う反面、中途半端とも言うべき性質は妖であること以上に受け入れがたいものだということを海里は痛いほど知っていた。だからこそ、華蓮の態度に驚きを隠せないのである。
「俺は人間じゃないんだよ……?」
「何を言っているの」とでも言うように小首を傾げた華蓮は、呆れた口調で言葉を続ける。
「騙してたわけじゃないなら別にいいじゃない、そんなこと。海里は海里でしょ」
そもそも華蓮は問題にしていたのは、海里に騙されていたのではないかという点だけだ。
しかし、その疑念も海里が嘘をついていたわけではないということを確認できたことで無事晴らすことができた。ならば、他に気にするべきことはない。
海里が何者でもあろうと、共に過ごした時間が偽物でなければそれでいい。
「どうしたの」
いつまでも驚いた顔をしている海里に怪訝そうな目を向ける。
もしかして、何か変なことを言ったのではないかと焦って己の言葉を振り返るが心当たりはまったくない。
「ふふ、ふふふ、あっはははははは」
急に笑い出した海里に今度は華蓮が驚く番だ。華蓮だけではなく、傍で二人のやり取りを見ていた妖華も目を丸くしている。
「華蓮、らしいね」
「そ、そう?」
昔、似たようなことを言われたことを海里は思い出した。
あの頃は今以上に、半人半妖という自分の性質に対して思い悩んでいたのだ。
それを救ってくれた同い年の女の子。彼女の中にあの頃の記憶はなくなっているが、海里は自分を彼女のことを忘れたことはない。史源町を離れ、処刑部隊の一員として行動している間もずっと。
普段見せるものよりも子供っぽい笑顔を見せた海里を満足げに眺めていた妖華は静かに息を吐き出す。
「さあて、子供たち! そろそろ帰ることをおすすめするわ。これ以上、遅くなったら怖い人がもっと怖くなっちゃうわよ」
妖界は人間界よりも時間の流れがゆっくりなのだ。少しの時間でも人間界に戻れば、かなりの時間が経っている。
目安として、妖界の一日滞在して戻ると、人間界では一週間が経過しているといった具合だ。
「ここを通って帰りなさい。それぞれの家に繋がっているから」
妖華が指し示した先にあるのはアンティーク調の鏡が置かれている。人一人は余裕で通れそうな巨大な鏡の表面は何度か波打つ。
「変なところに繋がっているんではありませんの」
「響」
「うっ、分かったわ」
今まで抱えてきたものを夏藍に話したことで落ち着きを取り戻した響が、赤くなった目で睨みを聞かせるものの、すぐに夏藍にたしなめられる。しおしおと頷き、差し出された手を取って、夏藍と共に鏡の前へ立つ。
「世話になったし」
「……あり、がとう」
鏡に残った波紋と共に、二人の言葉が余韻を残していく。
去り際の響は目だけではなく、頬までも赤く染まっていた。
「俺らも行きます」
「ええ、また来てね。今度はちゃんと護衛を連れて」
「はい」
ひらひらと手を振る妖華にお辞儀をし、海里と華蓮はそれぞれ鏡の中へ進んでいった。