3-13
久々の更新……
翌朝、気まずさを抱えながら華蓮は通学路を進む。
何だかんだ、いつも傍にいる流紀の姿を今日は一度たりとも見ていない。
「流紀ちゃんがいないなんて珍しいね」
躊躇いがちに声をかけた月は華蓮の表情を窺うようにして首を傾げる。
今までだったら、遠慮して遠回りな助言をするだけだっただろう。こうして一歩踏み出せたのは心の蟠りを克服できたからだ。
「喧嘩しちゃった?」
「……分からない。海里も、流紀も何も教えてくれなくて、ずっと私に隠し事してて。もう、何を信じたらいいか分からないの」
「そっか」と小さく呟いた月は大きく一歩踏み出し、華蓮に向き直る。
浮かべられる満面の笑みは下を向いていた華蓮の心を奮い立たせる力を持っていた。
「理由があるんじゃないかな、武藤君にも、流紀ちゃんにも。私には、二人が華蓮を騙すなんて考えられないよ」
「なんで……なんで、そう言い切れるの?」
流紀との付き合いも、海里との付き合いも精々、二ヵ月程度だ。
揺るぎない絆を築いてきたと思っていたけれど、全部まやかしでしかなかったのだ。
本当の絆は一つの疑惑だけであっさりと解けてしまうほどに、脆く弱いものだった。二人が華蓮に見せてきたものは全部偽物だ。
「流紀ちゃんが華蓮のことを大切に思ってる姿を、たくさん見てきたから。華蓮が裏切られたって思ってることも、華蓮を思ってのことなんじゃないかな」
「っそんなの」
「華蓮だって本当は分かってるんでしょ?」
自信満々に告げられる言葉に図星をつけられ、華蓮は声を詰まらせる。
分かっている。流紀が理由もなしに、華蓮に隠し事をするはずことがないくらい。
付き合いは二ヵ月程度。それでも、出会ってからの間ずっと流紀は華蓮の傍にいた。月以上に長い時を一緒に過ごしてきたのだ。
いくら鈍感だといっても、分かっていた。
「ちゃんと話を聞いてみるべきだよ。……武藤君のことも」
月は海里が隠していたことを知っている。そのことを華蓮に話すべきか迷いながら、そう付け加える。
妖と人間の間に生まれた子供。それは、妖でありながら妖ではなく、人間でありながら、人間ではないということだ。
どちらにも属さず、中途半端な位置に立つ海里が今までどんな道のりを歩んできたのか、月には想像することしかできないが、きっとお世辞にも幸福なものとは言えないだろう。
「武藤君のこと、全部分かってるとは言えないけど……」
話を聞いた時、海里が隠していた理由を何となしに悟った。
「武藤君は私達が思っているほど、強い人じゃないんだよ」
一度、海里に助けられた身だ。
あの時、海里が来てくれなければ、月は今も闇に囚われたままだっただろう。もしかしたら、痺れを切らした鈴懸や焔に殺されていたかもしれない。
海里が来てくれたから、優しくも厳しい言葉をかけてくれたから、月は自分のトラウマに向き合うことができた。星司ともちゃんと向き合って、本物の恋人同士になれた。
心の底から感謝している。いつかこの恩を返したいと思う反面、海里は周囲の助けは必要ないのでは、と思うこともあった。それくらいに頼もしく、一人でも歩いて行ける人物なのだと、周囲に思わせる強さを持っていたから。
「言えないのは、武藤君の弱さなんだと、私は思う」
「弱さ?」
こくりと首を縦に振る。
言えなかったのは、隠していたのは、受け入れてもらえるか自信が持てなかったからなのだろう。
星司や華蓮のことを信頼していないわけじゃない。けれど、受け入れてくれると素直に信じられない何かが海里の中にあった。
(私にはそれが何かは分からないけど)
多分、今はこれ以上踏み込むべきではないのだと思う。
「月は……すごい、わね」
言葉を零した華蓮の表情は先程に比べて幾分か和らいでいるように見受けられる。
「本当、月には助けられてばかりだわ」
「親友が困ってたら、助けるのは当然だよ」
月と親友になれたことは、華蓮の人生の中でもかなり大きなことだ。
周りをよく見ていて、誰かが困っていたら躊躇いなく手を貸す。月は華蓮にとって憧れでもある。
「私…ちゃんと話をするわ。流紀とも、海里とも」
今度は頭に血が上ることがないように落ち着いて。
そうすれば、気付けなかったことに気付くことができるような気がするから。
月の言葉により、落ち着いて話をすることを決意した華蓮であるが、行動を起こせないまま気付けば放課後だ。
相変わらず、流紀の姿は見ない。海里には何度か話しかけようとして、言葉を探しているうちにタイミングを逃してしまった。
今度こそ、と海里の席へ視線を向けるが、そこに海里の姿はない。
荷物もないし、もう帰ってしまったのだろうか。
今なら追いつけるかもと、慌てて自分の荷物をまとめて教室を飛び出した華蓮はすぐに海里の姿をみつけた。
一年一組――確か、響が所属しているクラスに顔を覗かせている海里。
反射的に身を隠した華蓮は、数秒を待たず現れた響を連れて歩き出した海里の後ろを追う。
辿り着いたのは階段の脇。人気のない場所で話を進める二人の姿に、奇しくも昨日の光景が過ぎる。
「っ」
また、同じことになってしまうかもしれない。そんな恐怖が華蓮の心臓を締め付ける。
「で、話ってなんですの」
不機嫌を隠そうとしない言葉を、海里は穏やかな笑顔で受け止める。
気に食わない反応に響の機嫌はどんどん悪い方へ傾いていく。
「昨日、折笠さんの過去を教えてもらったよ」
断片的に聞こえた言葉に驚いて、華蓮はもっと聞きやすくなるように身を乗り出す。
「……それで、同情でもしたんですの?」
無意識に、夏藍の宿る瑠璃の玉を握りしめる響。
本人も気付いていない動揺を目にしながら、海里は「ううん」とあっさり否定する。
「でも、折笠さんの条件を呑む気にはなったかな」
響の出した条件。それは彼女に妖界の王についての情報を与えること。
一度は断ったが、響の過去を知ったことで気が変わった。同情ではないもっと別の感情からだ。
「妖界の王に直接合わせるなんてどうかな?」
響は訝しそうに目を細め、「信用できませんの」と吐き捨てる。
敵対しているとも言うべき相手が、急に気が変わって自分の意見を受け入れる気になった。何かの罠だと思うのが当然だ。
妖界の王を直接会うとなれば、当然、妖界へ行く必要が出てくる。
敵の本陣に乗り込むなんてことを敵に促されるままに行うほど、響は考えなしの馬鹿ではない。
「だったら折笠さんが信用できるように条件を出してくれたらいい。龍刀を返すのも後でいいよ」
「……分かりましたの」
どっちにしろ、妖界の王を殺すという目的を果たすために妖界に行く必要がある。
予定よりも少し早かっただけ。案内人がついていることを考えればメリットも大きい。
もちろん、信用する気は一切ないけれど。
「これを持っていてくださいの。少しでも不審なところがあれば、すぐに爆発させますの」
差し出されたのは、消しゴムに似た物体だ。
妖具の一種であり、霊力を注ぎ込むことで爆発する代物だ。威力は注がれた霊力に比例して大きくなり、海里に渡したものには人一人を簡単に吹き飛ばすくらいの霊力が既に注ぎ込まれている。
躊躇いなくそれを受け取った海里は「それと」と目元を和らげる。
「少し、話を聞いてもらえないかな」
本音を言えば、妖の話など聞く気はなかったが、感情に流された判断はするべきではない。
渋々といった体で了承した響に海里は「よかった」と微笑む。
向けられる隻眼は相変わらず穏やかであるものの、奥底に秘められた感情を感じ取り、知らず心臓が跳ねた。
「折笠さんの過去を聞いてから、一つだけ言いたいことがあるんだ」
悲惨な過去だった。妖を憎んでしまうのも頷けるほどに。
大好きな家族を目の前で殺された絶望を海里には想像できない。けれど、どうしても許されないことがあった。
「妖華様を退治できたとしても、折笠さんの望みを叶えることはできないよ」
「妖の言うことなんて信じませんの」
一切聞き入れてくれない様子の響に対しても構わず、海里は言葉を続ける。
「死んだ人を生き返らせることはできないし、しちゃいけない」
視界の隅で金色のものが揺れたような気がして、視線だけをそちらに向ける。しかし、そこには誰もおらず、響には気付かれないよう自嘲気味に目元を細める。
「お兄さんだってそんなことは望んでない――」
「お兄ちゃんの気持ちが妖なんかに分かるわけありませんの!」
「分かるよ」
「……っ」
思わず、息を呑む。
普段と変わらない穏やかな表情に圧倒され、沸き立っていた怒りがどこかへ追いやられていくのを感じた。
「……下らない話していないで、さっさと案内してくれませんの」
取り繕うような響の言葉に首肯した海里は、華蓮がいる方へ目を向ける。
隻眼と目が合い、隠れていた華蓮は動揺を露わにし、躊躇いがちにその姿を現す。
「華蓮も一緒に来る?」
「ぇ、えぇ、行くわ」
盗み聞きしていたことを咎めるでもなく、向けられた穏やかな笑みに戸惑いながら頷く。
昨日の出来事だってきにしていない様子の海里に、胸中では形容しがたい複雑な感情が渦巻いている。
「それで、どうやって行くんですの」
「この町には、妖界へと続く道がいくつか隠されているんだ。この学園にも一つだけ――」
そうして案内されたのは、剣道部もよく使用する武道館、その裏側である。人気のないところへ案内された響は警戒心丸出しの表情で海里を見つめている。人気のないところへ案内された響は警戒心丸出しの表情で海里を見つめている。
最早、響のそんな態度にも慣れてきた海里はお構いなしで、響と華蓮の二人で飴のようなものを差し出す。
「妖界に行く前にこれを舐めてほしい。一時的に、霊力や人間の臭いを隠すことができる」
妖は人間以上に敏感で警戒心が強いのだ。特に妖界内で暮らしているような者は計審が強く、少しでも人間だと気付かれてしまえば殺される可能性も充分にあるのだ。
妖界には、人間を殺すことに対する方も存在していない為、こればかり自衛するしかない。
「毒は入ってませんわね?」
不審そうな視線を海里へ向ける響を他所に、華蓮は平然と口に入れる。
特に異常が見られないことを確認した響は無言で飴を口に入れた。甘味が口内に広がったかと思うと、何やら膜のようなものが身体を覆ったような感覚に襲われる。
この膜が響の霊力や臭いを隠してくれるものなのだろう。
「それじゃ、行こうか」
海里の言葉に呼応するように、空間に亀裂が走り、扉が出現する。
促された二人は海里に続いて扉の中へ足を踏み入れる。浮遊感を味わったかと思えば、一瞬にして視界は開け、霧に覆われた道が続く様が目に入る。
全ての輪郭がどこか曖昧で、長時間ここにいると正気を失ってしまいそうだ。
「!」
呆然とする響の腕を冷たい何かが触れた。驚いて腕を引っ込めそうになったところを、その何かに引き留められる。
「ごめん。嫌だと思うけど我慢してくれるとありがたいな。ここは世界の狭間と呼ばれる場所で、迷ってしまう人が多いんだ」
冷たいものの正体は海里の手のようだ。およそ、生物の体温とは思えない冷たさを持つ手は響の体温で温められ、妙な心地いい温度へと変化してきている。
余計なお世話と突っぱねることは簡単だが、目的を前にして迷うなどという情けない真似は晒したくない。ここは我慢するしかないようだ。
横を見れば、華蓮も海里と手を繋いでいるようで、頬を赤らめている。
いくら顔が整っているとはいえ、嘘つきな妖相手にそんな反応ができる華蓮のおめでたさを心中で感嘆する。
――妖華様を退治できたとしても、折笠さんの望みを叶えることはできないよ。
――お兄さんだってそんなことは望んでない。
――わかるよ。
数分前の会話が蘇り、「そんなことない」と自分に言い聞かせる。
無意識に夏藍が眠る青玉に触れてしまうのは不安の表れ。
硬い表情を見せる響を一瞥した海里は迷うように隻眼を揺らし、静かに視線を逸らした。
(妖の王を殺して、望みを叶える。絶対に、絶対に!)
おまじないとうに心の中で唱え、足を進める。
自分が今までしてきたことが間違っているだなんて、そんなことは絶対にありえない。
妖の王はここで殺す。ついでに武藤海里も殺して、胸に蟠る思いと決別する。
「ここかな」
響が歪んだ決意を固めたところで、海里の手が離れる。反射的に顔を上げれば、入った時と同じように空間に亀裂が入り、扉が出現する瞬間を目にする。
二度目と言うこともあり、今度は特に躊躇いもなく扉の中へ足を踏み入れる。
茫洋とした世界を歩いていたからか、目の前にそびえたつ巨大な門に驚きを隠せない。
「この先が王宮、妖華様がいる場所だ」
王宮と聞いて真っ先に思い浮かぶような派手さはないものの、装飾一つ一つは驚くほどに細かく、金がかかっていることを容易に想像させる。
華蓮が知る一番大きな建物といえば春野家の屋敷だが、目の前の建物はそれを優に超える大きさだ。
すぐ傍では様々な妖が忙しそうに行き交っており、響は不機嫌そうに顔をしかめる。
「折笠さん、くれぐれも――」
「分かっていますの。ここまで来てそんな失態はしませんわ」
妖を殺さないよう忠告しようとする海里の言葉を遮って答える。返ってくる苦笑を、鼻をならすことであしらう。
「ここから入るの?」
「うん。正規の入り方じゃないと入れないよう、結界が張られてるからね」と門の方へ歩き出す海里。
続くようにして恐る恐る華蓮が足を踏み出したところに、巨大な影が差す。
不穏な気配を察した響が振り返ろうとしたところを海里が制す。
「やけに人間臭いと思ったら貴方でしたか」
嫌悪感を隠そうともしない物言いにも関わらず、海里が浮かべるのはいつもの笑顔。
自分たちが人間だとバレたのでは、と冷汗を流す華蓮だが、どうもそういうわけではないようだ。
「おや、今日はお一人ですか。レオン達はどうしたんです?」
「みんなは忙しいみたいだから、今日はこの二人について来てもらったんだ」
海里の言葉によってようやく存在に気が付いてように、巨体の男は目を細めて二人へ視線をやる。
舐めまわすような視線に、華蓮は身体を固くし、響は不快感で肩を震わせる。
「ふむ、見ない顔ですな」
「新人なんだ」
海里は取り繕うように笑い、ようやく華蓮と響の二人は男の視界から外される。
「して、わざわざ新人を引き連れて、何の御用ですか」
どう答えるべきか思案する。
本当のことは当然言えるわけではないし、適当にぼかして妖華に会いに来たとするにしても、海里の立場上いい方向には転ばないだろう。
それでも、被害を受けるのが海里だけならば十分ましだ。
「―――」
「海里様。お迎えが遅れてしまい、申し訳ございません」
口を開こうとした海里を遮ったのは深緑の髪を持つ長身の男性だ。
「おや、お話し中でしたか?」
「いや、別に」
王の側近を前にした巨体の男は気まずように視線を外し、会釈をして立ち去っていく。
レオンを連想させるあしらい方に海里は思わず笑みをこぼす。
「ありがとう、樺」
「勿体ない言葉です。私は主の命に従ったまでですから」
恭しく頭を下げた長身の男性こと樺は、予想外の展開についていけないでいる二人へ向き直る。
「お初にお目にかかります。私は王の側近を務める、樺と申す者です。以後、お見知りおきを」
目線を合わせるように身をかがめた樺はそう二人に名乗り、これから自分が王宮内を案内する旨を伝える。
王の側近が共にいるということはかなり大きく、その後は誰かが突っかかってくることもなく執務室へたどり着く。
といっても、向けられる視線まではどうするこもできず、道中、密かに嫌悪や侮蔑の視線を向けられていた。
鈍感な華蓮でも歓迎されていないことは嫌というほど伝わってくる。それが、華蓮や響に向けられているのではないということも。
「入りなさい」
扉の前に立つやいなや、部屋内から女性の声が投げかけられた。