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3-12

響の過去回想後編

 その時、奏は走っていた。

 早く帰ると約束していたのに、つい友達と長話をしてしまい遅くなってしまった。

 きっと怒っているだろうと頬を膨らました妹の姿を思い出し、頬を緩める奏。そのとき、不審な二人組を見つけた。


「ほンとにここで合ってンのかァ」

「…はい、そのはずです」

「さっきからそればっかりじゃねェか。使エねェな」


 一人はどこか危険な香りを漂わせる男だ。刃を連想させるような銀髪が特徴的で、耳には大量のピアスがつけられている。

 平時なら、なるべく近づきたくない人種だ。


 その横に立つのは、気弱そうな雰囲気を纏う女性だ。和装とも洋装ともつかない不思議な服は、時折炎をような揺らぎを見せる。


 何か困っているようで、怪訝な顔をした奏は躊躇いがちに二人組に近づいていく。

 見るからに怪しい人物であっても、困っている人がいたら助ける。それが折笠奏という人間だ。


「あの、何か困ってるみたいですけど…俺でよければ――」


 朱色の瞳が四つ、奏の方へ向けられる。委縮した奏は思わず言葉を飲み込む。


「小せェが、芙楽(ふら)よりは使エそォだな。遠慮なく使わせてもらウぜェ」


 芙楽というのは女性の名前なのだろう。「そんな」と悲痛そうな声を洩らしたのちに、奏と目線を合わせるようにしゃがみ込む。


「…ええと、我々は折笠という家を探しています。場所をご存知でしょうか」

「えっ」


 予想外にも自分の名字を出された奏は、つい他に折笠という家がなかったか考えてしまう。

 もちろん、ないのは知っての通りで戸惑いを隠せないまま、「俺の家ですけど」と控えめなトーンで告げる。


「オイオイ、まじかよ。すげェ偶然じゃねェか。これも何かの縁だ。坊主、案内してくれねェか」


 断る理由は、この時の奏にはなく、二つ返事で了承する。


 何の用かまでは分からないが、きっと祖父母の知り合いなのだろうと一人納得する。

 昔、何かしていたらしい祖父母にはこういう変わった知り合いが多い。

 前にも何度か、怪しげな人物が折笠家を訪ねてきたことがある。決まって、なにか倉庫のものを受け取って帰っていくのだ。


「ここです。おじいちゃん、呼んできますね」

「イイや、ンなことしなくてもイイぜェ」

「へ?」


 きょとんと男を見返した奏の目の前であり得ない出来事が起こる。

 芙楽の身体が瞬きのうちに、炎の塊へと変化する。いや、正確には炎を纏った鳥だ。

 密かに憧れていたアニメや漫画のような出来事に目を輝かせる余裕がないのは、頭上に炎の鳥が放った火の玉が降り注いでいるからだ。


「奏!」


 怒鳴り声に近い祖父の声が聞こえたかと思うと、頭上に透明の障壁が現れる。

 障壁に弾かれた灼熱の炎がすぐ傍の地面を焼き、焦げた香りが鼻腔を刺激する。


「奏、響を連れて今すぐ逃げろ」

「……おじいちゃん」

「早く!」


 これほどまでに切羽詰まった祖父の声は初めてで、半ば気圧されるようにして奏は妹がいるであろう縁側へ駆ける。

 孫が去っていく気配を背中で感じながら、炎の鳥とその後ろに立つ刃物のような男へ向き直る。


「折笠家はもう妖と関わる気はない」

「冷てェな。俺はただ便利な道具がほしイだけだぜェ」

「それならば、いくらでも持っていけばよい。だから、これ以上こちらに危害を加えるな」


 楽しげに口元を歪めた男は、新しいおもちゃを見つけた子供のような無邪気さで「無理」と返す。

 不意に血しぶきが舞い、老人の身体は焼け焦げた地面に倒れ伏す。

「行か、せん」と朦朧とした意識の中で男の足首を掴むが、一蹴とともに離されてしまう。


「ご苦労さン。ンじゃまァ、狩りにイくとするかァ。芙楽、好きなだけ燃やしてイイぜェ」

「…はい」


 無数の炎弾が降り注ぎ、木々を、地面を、屋敷と躊躇なく燃やしていく。熱風が吹き荒れ、炎の匂いが場を包み込む。

 炎の中、遠ざかる小さな背中を目だけで追っていた男は、ただただ状況を楽しんでおり、ただただ少年の行動に期待を膨らませている。

 自分が求めるものを彼が持ってきてくれる。外れたことのない勘を楽しみに、猛威を振るう炎の揺らぎを眺め続ける。


 そんな期待に満ちた視線に気づかないまま、少年――奏は歩を進める。

 縁側に妹の姿はなかった。ならば、と奏は目的地を倉庫へ変更する。

 舞う火の粉の熱を感じながら、一切の被害を受けていない倉庫の前へ飛び出した奏は誰かとぶつかった。


「おにいちゃん……!?」


 耳馴染んだ声を聞き、初めて自分がぶつかった人物が妹であることを認識する。

 焦りを滲ませる兄の顔を怪訝そうに見つめた響は、すぐに炎に飲み込まれた家に気付く。

 肌を撫でる空気が持つ熱に顔を顰め、瞳に明らかな怯えを映し出す。


「お、おにっ……お兄ちゃん」

「響! こっち!」


 状況を説明できるほどの知識を持たない奏は、妹の手を握り、倉庫の中へと足を踏み入れる。

 ここが一番安全ということは外の状況で何となく分かっていたということもあるし、何より倉庫の中には奏の目的があった。


 ――妖具を扱える者など、もうこの家にはおらぬ。

 ――わしらも年老いた。これ以上の契約は命を削りかねん。


 昔、祖父母の会話を盗み聞きした時の記憶だ。

 どうやら、倉庫には妖具という不思議な道具が眠っているらしいと知った奏は、興味本位でこっそりと倉庫の中へ忍び込んだ。そこで夏藍に出会ったのだ。


 人の言葉を話す不思議な玉。彼も妖具なのだという。

 妖具と契約することで、その力を扱えるようになるのだということも、祖父母の会話の中で知った。


 だったら。


 今、自分が契約をすれば、この悪夢のような状況を変えることができるのではないか。


「夏藍! 夏藍!」


 最初に契約するならば、夏藍がいい。

 大人びていて、どこか寂しそうな友人の名前を叫ぶように呼びつつ、奥へ奥へ進んでいく。


「夏藍!」

「奏!」


 返ってきた声は必死で。自分も同じような声を出しているのかと思うと少しだけ笑えた。

 自分たちを迎え入れる青い光はこんな時でも優しくて、奏は妹の手を引きながら夏藍の前に立つ。


「夏藍、お願いがあるんだ」

「なんだい?」


 返ってきた声は少しだけ震えていた。

 多分、夏藍は分かっているのだろう。奏が今から言おうとしている言葉を。


「俺と契約してほしい」


「うん、分かったし」と様々な感情を飲み込んだ末に、了承の言葉が吐かれた。

 そうして、夏藍と奏は契約した。




 熱風に煽られた黒衣が揺れ、影をぶれさせる。すぐさま戦闘に身を投じるのではなく、情報収集を優先した夏藍は縹色の瞳を巡らせて燃え盛る炎を眺める。


 ふと羽ばたき音が聞こえ、跳躍するように一歩前へ出る。

 今まで潜んでいた場所には火の玉が降り注いでおり、木々が無残にも焦げ落ちている。


「避けられてンじゃねェか。ったく使エねェなァ」


 声が聞こえたのと同時に臨戦態勢をとった夏藍は、未だ降り注ぐ火の玉をステップを踏みように避けていく。

 翻る黒衣にすら掠りもしない攻撃に微かな笑みを浮かべてみせた。


「単調だし」


 地面を強く蹴って跳躍し、空を飛ぶ炎の鳥と同じ目線に立つ。

 対照色の瞳が交わり、回転を加えた蹴りが炎の鳥――芙楽へと叩き込まれる。

 肉体強化の術を纏った夏藍の蹴りは凄まじい力で、地面に叩きつけられた芙楽の意識は一瞬だけ飛んだ。揺れる視界がどうにか定まったかと思えば、全身に激痛が走り、身を捩る。


「…サイ、デ、さま……すみま――っあ」


 芙楽の翼を踏み潰すような形で着地する夏藍。


「この程度なら、今の僕でも楽勝だ――」


 余裕を覗かせた夏藍は息を呑み、後退。空気を裂くような一閃が走り、夏藍の頬に赤い線が走る。

 頬に伝う赤い液体を拭い、目の前に立つ男を睨みつける。


「鳥の仇でも討つかい?」

「仇だァ? ンなもン興味ねェよ。やられンのは芙楽が弱ェからだろ。つまり自業自得ってヤツだ。だってのに、俺が仇討つ必要がどこにアンだよ。てめェの仇はてめェで討ちゃアイイ」


 身の丈ほどもある巨大な鋏を担いだ男ことサイデは口角を楽しげに上げ、ゆっくりとした足取りで夏藍へ近づいていく。

 気楽そうな佇まいにも関わらず、油断できない人物だと言う気配が嫌というほど伝わってくる。


「俺は俺で楽しむだけだぜ。オ前みてェなヤツを相手にすンのは初めてだしなァ。期待、裏切ってくれるなよォ」

「どうでもいいし。僕は僕の役目を果たすだけだ」


 拳を強く握り、肉体強化によって上乗せした力で殴りかかるが、巨大鋏によってあっさり防御される。これだけで攻撃は止まらず、横から蹴りを叩き込む。


 人の見た目をしていても夏藍は妖具であり、その力もスピードも尋常ではない。

 だというのに、蹴りをもろに受けたサイデは駆け抜ける痛みに笑みを浮かべただけだ。


「こンなもンかァ。俺の相手になるか不安になってきたぜ。もオちょイ霊力を注ぎこまれたら、違ったかもしれねェが」

「舐めてもらったら困るし」


 距離を取り、戦況を冷静に分析する。

 芙楽だけならともかく、今の力ではサイデに勝つことは難しい。


 一度退いて奏に霊力を注いでもらうか。いや、そんな隙を与えてくれるような性格には見えないし、あまり霊力を奪いすぎると奏の命が危うくなる。

 もっと別の打開策を探すために視線を巡らす夏藍を、サイデはただただ楽しそうに眺めている。


「何か思イ浮かンだかァ?」

「力押しなんてどうだい?」


 肉体強化を上乗せし、殴る蹴るを連打で叩き込む。

 サイデはただ巨大鋏で防御するだけ。戦闘を楽しでいるような嗜虐を含んだ笑みは次第に失われる。


「つまンねェ」


 吐き捨て、夏藍へ切っ先を向けたところで異変に気付く。

 細い透明な糸が巨大鋏に巻き付いでいるのだ。


「隙あり」


 握りしめた拳に霊力を集わせる。

 少ししかない霊力であっても、使い方を考えれば絶大なパワーを生み出す。


「はあああああああ」


 渾身の一撃が無防備なサイデへ叩き込まれる寸前、二人の間に入り込んできたのは炎の鳥、芙楽である。

 夏藍は拳を焦がす炎をものともせず、そのままの勢いで芙楽を殴り飛ばす。


 瀕死の状態で倒れ込む芙楽を横目で見る夏藍の脳内では「敗北」の文字が浮かんでいる。

 同じ手に何度も引っかかるほど馬鹿ではないだろうし、何より先の攻撃で消費した霊力は、今の夏藍にとってかなりの痛手だ。


「盾の分くらイは仇、討たねェとな」


 三日月を形作る口元に合わせて、増幅していくサイデの妖気。

 殺気を宿した鋭い瞳と目が合えば、たちまち狩られる恐怖が沸き起こる。


「っ」


 逃げたいという衝動に駆られながらも、強気な目でサイデを見返す。

 今、逃げるわけにはいかない。奏を守れるのは、響を守れるのは自分しかいないのだから。


「まだ諦めねェのか。嫌イじゃねェぜ、そオイウの」


 向けられた切っ先を見つめ、いつでも避けられるように身構える。

 鋏を開いて閉じる。ただ、それだけの動作によって放たれた不可視の刃が夏藍の左腕を切り裂く。


「っぐあ」

「イイ声で泣くじゃねェか。もっともっと、俺を楽しませてくれよ」


 大切な友人を守る。

 己の死すら厭わない覚悟を抱く夏藍は動かなくなった左腕などには気にもとめず、地面を蹴る。

 回転を入れることで威力が増した蹴りが眼前に迫る中サイデはただ嗤う。


「遅ェな」


 一言。


 自然な動作で滑り込んだ巨大鋏が馬鹿みたいな切れ味で夏藍の足首を切り落とす。

 背中から地面に着地し、夏藍は遅れてきた激痛に身悶える。

 目の前に転がる己の足を睨みつける。手を伸ばせば届くかもしれないが、今はその余裕すらない。


「今ならまだくっつくかもしれねェなァ。欲しイっつウンなら、拾ってやってもイイぜ」

「くっ……敵の、情けは、受けない…し」

「そオかよ」


 夏藍の顔を覗くようにしゃがみ込んでいたサイデは息をつくように呟き、巨大鋏の切っ先を夏藍の首筋に当てる。

 戦意の消えない夏藍に感嘆し、同時に契約者に恵まれないことに悲嘆する。


「オ前とはもっと楽しめると思ったンだけどなァ。恨むなら、使エねェ契約者を恨むンだな」

「ま、まだ……終わる……には」

「アばよ」


 霞んだ視界で、銀色に輝く刃先を捉え、己の死を覚悟する夏藍。

 大切な友人すら守ることのできない自分はやっぱり出来損ないのガラクタだ。


(奏、響、ごめん)


 ゆっくりと目を閉じ、心のどこかでずっと求めていた永遠の終わりを受け入れる。


 その時。


「待て!」


 声が聞こえた。


「夏藍から離れろ、悪党!」


(奏? でも、なんで)


 友人の声を聞き間違えるはずはなく、胸に落ちた嫌な予感を払拭するように目を開く。

 懐かしい気配を漂わせる刀を握った奏の姿は夏藍の嫌な予感を実現してみせた。

 震える足が彼の弱さを表しており、自分の死を目の前にした時以上の絶望が夏藍を支配する。


「さっきのガキじゃねェか。次はオ前が相手してくれンのかァ」

「ダメだ! 奏! 響を連れて今すぐ逃げて!」


 サイデの興味が完全に奏へ向く前にと声を荒げる夏藍に、奏は首を横に振って答える。


「友達を捨てて逃げるなんてできないよ」


 真面目な顔で言い切る奏に、サイデは肩を震わせる。

 生まれる笑声はサイデの興味が夏藍から奏へ移った合図である。


「道具と人間の友情か。好きだぜ、そオゆウの」

「夏藍は道具じゃないです」

「ン? アア、わりィ、わりィ。そオだな、オトモダチなンだったなァ。オ詫びついでに得物は使わず相手にしてやるよ。さっさとかかってきな」


 巨大鋏が地面に突き刺されるのを見届け、奏は刀を振り上げて駆ける。

 素人そのものな動きに、肩を落とすサイデは余裕な挙動で繰り出される剣撃を避けていく。期待していたが、やはりただの子供以上のものは見つからない。


 十分も経たず飽きてしまったサイデは欠伸を一つし、相棒である巨大鋏へ手を伸ばす。


「奏!」

「ウるせェよ」


 サイデの気分が変わったことにいち早く気付き、声を上げた夏藍に向けて不可視の刃が放たれる。

 舞う鮮血を演出として巨大鋏の柄を掴もうとした手が空を切る。


「ア?」


 怪訝そうな声を出したサイデのすぐ傍を奏の剣撃が通る。

 反射的に避けるものの、完全に避けきることはできず、袖が切り裂かれる。


「なンだァ、今の」


 予想外の出来事だ。巨大鋏までの距離を読み間違えというよりは認識をずらされたような感覚だ。

 原因を考えるとしたら、奏の持つ刀の能力という線が一番濃厚だ。


 折笠家には数えきれないほどの妖具があることを考えると、あの刀も妖具なのだろう。

 詳しい能力は不明だが、認識をずらすもしくはそれに付随する何かと予測できる。


「どオでもイイか」


 どんな能力を持っていようとも、素人が使うのならば大した脅威ではない。

 視界を奪う霧を鬱陶しく思いながら、サイデは今度こそ巨大鋏を地面から引き抜く。


「霧?」


 呟き、意識の外に置いていた霧へ初めて目を向ける。


 霧がたち始めたのはいるからだった? 奏が現れてからではなかったか?


 炎が燃え盛る中、水辺から遠いこの場所に霧が現れるというのは少しばかり異常だ。

 自然の霧ではないと考えるのが普通。人工的に霧を起こす方法がいくつかあるが、小学生の子供がすぐに思いつくとは考えられない。


 つまり――。


「なるほどなァ。どオりで芙楽の火が弱くなってきてるわけだ。その刀、噂に行く霧ラ雨つウ奴か?」

「えと、はい」


 素直に答える甘さに笑い転げる。

 素人うんぬんの話の前に、奏の性格は驚くほどに戦闘に向いていない。中々に好感の持てる性格ではあるが、戦闘中に見逃すほどサイデは甘くも、優しくもない。


「お前にしろ、そこで転がってるヤツにしろ、別のとこで会イたかったぜ。つっても、無駄か」

「やめろぉぉぉぉぉぉぉ」

「残念だが、それは聞けねェなァ」


 夏藍を、奏を焦らすように一つ一つの動作をゆっくりと行う。

 どれほど余裕に満ちた行動をしようとも、今のサイデを邪魔できるものはいない。

 と、視界の隅で何かが動いた気付いたサイデは、そのまま横で不可視の刃を放つ。


「きゃあ」


 例によって、霧で認識をずらされた攻撃は目的のものには当たらず、傍の木を傷つけるのみだ。

 それでも死を目前とした恐怖は尋常ではなく、目に大量の涙を溜めた響は兄に縋るように姿を現す。


「響! 隠れてろって言っただろ!」

「だって、お兄ちゃんも夏藍も、ぐすっ、ぜんぜん帰ってこないんだもん。お家はもえてるし、わた、私、こわくて」


 響は沸き立つ恐怖を払拭するように響に抱き着く。最愛の妹を振り払うことのできない奏はそのまま、泣きじゃくる響の頭を優しく撫でる。


 それを見ている夏藍は気が気がではない。

 いつ、サイデが牙を向くか分からない状況で、二人を守れるよう、無事な右手左足を使って必死に身体を起こす。


「なンつウか、水を差されたってのはこオゆウ時に言ウのかね。戦闘中だってのに、こんなに緩イ空気を作り出せるのはアる意味、才能ってヤツじゃねェか?」

「このまま……諦めてくれると嬉しいし」

「ンなことアるわけねェだろ。さっさとオ前らを殺って、宝探しに行きますか」

「させな――」


 なけなしの霊力を掻き集め、一撃を放とうとした夏藍の胸に赤い花が咲く。見た目以上に深い傷はせっかく起こした身体を再び地面に伏せさせる。


「いやっ、夏藍!」

「響、後ろに下がってて」

「でもっ、お兄ちゃん! お兄ちゃんも死んじゃう」

「大丈夫。絶対に守るから」


 頼もしい言葉に押し出されるようにして響は兄の後ろに座り込む。


 大好きな背中は大きくて、とても頼もしい。きっと兄ならば、この地獄を終わらせてくれる。そんな確信は響の中に湧き起こる。

 大丈夫。兄ならば。きっと。守ってくれる。だって。最強だから。自分は見ているだけ。それだけで、全部終わる。

 大好きなお兄ちゃんが終わらせてくれる。


 兄へ向ける信頼は絶大なものだった。だからこそ、目の前の出来事は信じられなかった。


 夏藍と同じ血の花を胸に咲かせ、倒れ伏す兄の姿。


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 絶叫をどこか遠いことのように聞いていた。喉が痛い。

 脳が目の前の現実を認識することを拒否し、向けられる銀色の輝きすらどうでもいいものだと判断する。


「な、んで、お兄ちゃんを殺したの?」


 零れた言葉は無意識のものだった。


 涙が溜められた瞳に殺意が宿る瞬間をサイデは目にした。思わず、口元がにやける。

 幼い少女の持つ才能の開花。その瞬間に立ち会えたことはサイデにとって光栄と言うしかない出来事だ。殺意の対象が自分という状況は尚更そそる。


「理由なンてねェよ。オレが殺したかッたから殺した。そンだけ」

「……殺す」


 小さな呟きにサイデの表情は愉悦に歪む。


「殺す。殺してやる!」


 倒れ伏した奏の傍に転がる刀身のない刀に触れる。

 瞬間、大量の霧が溢れ出し、数秒もないうちに刀身を形作る。

 契約なしで簡単にやってのける響に、さすがのサイデも驚きを隠せない。想像以上の才能を持っているようだ。


「ころ、す、殺す。殺す殺す殺す殺す殺す」


 繰り返される叫びに呼応するように空に陰りが差し、局地的な豪雨が降り注ぐ。

 燃え盛る炎を、流れる血の海を、忌まわしい赤を洗い流していく。


「この雨は……くそッ」


 雨粒が肌を濡らすたび、妖力が奪い去られたような虚脱感を感じる。

 気を失ったままの芙楽を一瞥したサイデは忌々しげに舌打ちをする。

 本音を言えば、もっと遊びたいところだが、この状況は少し分が悪い。


「仕方ねェ」


 巨大鋏で雨粒を蹴散らしながら、地面に倒れ伏す芙楽を拾う。


「また会オウぜ」


 言い残し、迅速に折笠家を後にした。

 殺意の対象であるサイデを見失ったことで、雨脚は次第に弱まっていく。

 霊力を使い切った響はぐったりと横たわる。茫洋とした視界の中で青色の光を見つけて、縋るように手を伸ばす。


「か、らん」


 初めて見たときと変わらない息を呑むほど綺麗な輝き。

 脳裏にこびりついた大嫌いな赤を払拭するような青に包み込まれ、響は瞼を閉じる。目端に滲んだ涙が静かに頬を伝った。


「響、ごめん。守れなくて……ごめん。僕は、友達失格だ」


 玉の中に戻った夏藍はただひたすらに謝罪を繰り返す。


「夏藍」


 今、一番求めている声に名を呼ばれ、青い玉は驚きを輝きに映す。


「奏! 君、生きて!」

「夏藍……響を、おねがい」

「お願いって……奏! ねえ、ダメ! 目を、目を覚まして」


 奏の胸元に下げられた青い玉からの必死の訴えも虚しく、奏は完全に息を引き取る。

 初めてできた友人の死をただ見ているだけしかない夏藍は己の無力さを嫌というほど痛感する。


 けれど、嘆くのは、恨むのはここまでだ。


 ――響を、おねがい。


「うん、任されたよ。奏の代わりに響を、響の選択を見守るよ。……だから、奏は安心して眠ってて」


 〇〇〇


 規則正しい寝息をたて始めた響に、夏藍は青玉の中で安堵の息を吐く。

 実体化することまではできないが、僅かに残った霊力で外側の様子を窺うことはできる。


 奏に託されたあの日から、夏藍は響の選択を見守り続けてきた。

 響が選んだのは、復讐の道。そして、奏を生き返らせるための道だ。

 否定せず、肯定せず、見守り続ける夏藍は心に深い傷を響に語る言葉を持たない。


 叶うことのない幻想を願い続ける響が、いつか現実を知る未来のことを考え、形容しがたい感情が沸き起こる。


(ねえ、奏。その時が来たら、僕はどうすればいいんだろう?)


 答えが返ってくることはない。


 あの日から響は、血反吐を吐くような修行を重ね、ここまで強くなった。それも全部、奏を生き返すためだ。


「分かんないし」


 逃げるように思考を中断する。

 いつかを繰り返し、ずっと逃げ続けている。見守っているだけではなく、ちゃんと響と向き合わなければならないのに。


「ごめん、奏」

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