3-11
響の過去回想前編
折笠家といえば、全国でも有名な妖具鍛冶の家系である。同時に優秀な妖具使いを何人も輩出しており、妖退治屋界隈では非常に有名な家なのだ。
と言っても、これは昔の話だ。妖退治屋の衰退とともに折笠家もどんどん衰退していった。
今では妖具鍛冶となる者は皆無で、負の遺産として倉庫の中に大量の妖具が眠っているだけである。
一般家庭より広めの屋敷に妖退治の関係者が溢れていたことなど、庭で無邪気に遊ぶ子供達は露ほども知らない。
「お兄ちゃん、おもしろいものって」
「見てからのお楽しみ」
小学校に入る前くらいの年頃の少女が自分の手を引く兄を見上げる。
三つ上の兄は少女の歩調に合わせながらも、少し早足で歩を進める。これから起こることを考えているのか、表情はどこか楽しげだ。
何故、そんな顔をしているのか知りたくて、少女はまた兄に問いかける。返ってくる言葉は変わらない。
目的地が近づくと同時に、少女にも兄の目的がなんとなしに伝わってくる。
「倉庫になにかあるの? でも、おじいちゃんが入ったらダメだって――」
「大丈夫だよ」
無責任な兄の言葉に不安な渦巻く。けれども、兄が見せたがっているものへの興味の方が勝ち、流されるようにして倉庫の中へ足を踏み入れる。
溜まりに溜まった埃の臭いが鼻腔をくすめ、思わず顔をしかめる。
兄は迷いのない足取りでどんどん先へ進んでいく。もちろん、少女の手を引いたままの形で。
ふと兄の手が離れ、少女は不安げな顔で倉庫内を漁る兄の背中を見つめる。数秒も経たぬうちに「あった」と呟いた兄は振り返り、不安げな少女に笑いかける。
「これだよ」
そっと手を開く。
少女の手よりも少しだけ大きい手の上には煌々と輝く青い玉が乗っていた。二人は知らないことだが、それは瑠璃に似た輝きを持っている。
子供の掌にちょうど納まるサイズの青玉は、薄暗い倉庫内を神秘的な輝きでほんのり照らし出す。
「きれい」
感嘆の声を上げる妹の反応を見て、兄は得意気に笑う。
「きれいだけじゃないんだよ」と青玉をコンコンとノックの要領で軽く叩く。
「わざわざそんなことしなくても大丈夫だし」
青い光が明滅し、声変わりを迎えていない少年の声が発せられる。
「今日は妹を連れて来たんだ」
言って、青玉を少女へ近づける。
「響って言うんだ。かわいいだろ?」
「へぇ、奏とよく似てるし。昨日も思ったけれど、もしかして奏はシスコンなのかい?」
否定も肯定もせず、兄こと奏は照れたように鼻をかく。
問いはしたものの返答を求めていたわけではない声は「まあいいや」と光を明滅させる。
「ようせい、さん?」
二人のやり取りを呆然と見ていた少女、響は怪訝そうに呟いた。
少し前に読んだ絵本に出てきた願いを叶えてくれる妖精のことを思い出す。あの妖精も確か、青い光を纏っていた。
妖精に会ってみたいと強く思っていた響は期待に目を輝かせ、青玉を注視する。
「似たようなものだし」
幼い子供に説明しても無駄だと判断した声は曖昧な言葉を返す。
「名まえは? なんていうの?」
「僕は、夏藍だし」
夏藍。復唱するように小さく呟く。
自然と心へ浸透していく名前に嬉しくなり、何度も何度も名前を呼ぶ。その度に、返事をするように青い光が明滅する。
「夏藍はなんでここにいるの?」
「使い道のない、ガラクタだからだし」
急に黙り込んだ響に夏藍は言葉の選択を誤ったかと逡巡する。幼い少女相手なのだから、もう少し考えて答えるべきだった。
降り立つ沈黙を破ろうと奏が口を開きかけたところで、響が顔をあげる。
「夏藍はガラクタじゃないよ」
「へ……?」
思わぬ言葉に驚きを隠せない。
「ガラクタじゃなくて、友だちだよ。こんなにお話できるんだもん」
「うん、夏藍は友達だ。俺と、響の友達」
夏藍は二の句をつげないでいる。
奏はともかく、響はたった数分前にあったばかりの関係だ。それで友達などと――。
(所詮、人間の言うことだし)
人間と言う種族は酷く身勝手だ。
縋らせるような言葉を吐きながら、たった数分のうちに自分の言ったことを忘れてしまうのだ。
善意を込めた表情で、声で、思っていないようなことをぽろぽろと零していく。
そんな人間の黒い部分を痛いほど知っている夏藍は、もう人間を信じたりしないと心に決めていた。それが己の心を守る術なのだ。
「勝手にすればいいし」
ふてるように青い光を明滅したのを最後に夏藍は沈黙を貫く。
怒ったのか。心配する兄妹を捨て置きながら、ただひたすらに寝たふりをする。
しばらくして二人の気配が遠のいたのを確認し、ふっと意識を覚醒させる。暗闇の中、青い光だけが眩しく輝いている。
ここにあるのは全て妖具だ。欲望のために造られ、使い道がなくなったというだけで薄暗い倉庫に押し込められた仲間たち。本来の役目を一つとして果たさないまま、ただただ埃をかぶって朽ちていくだけの運命。
たまたま倉庫に訪れた少年に気紛れで声をかけた。
それ以来、少年はよく倉庫を訪れるようになり、終いには最愛らしい妹にまで夏藍のことを紹介する始末だ。
「僕も血迷ったし。声なんてかけず、無視しておけばよかった」
自分の行動を後悔しながら、今もなお相手にし続ける理由はなんなのだろう。
ふとそんなことを考えそうになってやめる。
ただの気紛れだ。倉庫の中だけで過ごす永劫の時を紛らわすためだけの暇つぶしだ。それ以上の理由なんて絶対にない。
向けられる好意をただ利用するだけ。まだ人間だった頃、夏藍がそうされていたように――。
――ガラクタじゃなくて、友だちだよ。
――夏藍は友達だ。
そんなこと言われたのはいつぶりだろうか。いや、もしかしたら初めてかもしれない。
忌々しいあの人間達の吐く言葉は気休めばかりで、夏藍が本当に望んでいる言葉は絶対に言ってくれなかったのだから。
激しく揺れる心を無視して、夏藍は静かに眠りにつく。
声が聞こえる。
――お前の力は素晴らしい。きっと我々の期待にこたえてくれるだろう。
聞こえる。
絶叫だ。手負いの獣の咆哮のような壮絶さを持った声が、灰色の壁に覆われた部屋の中に響き渡る。
聞こえる声を認識する余裕はなく、硬いベッドに寝かされた夏藍はただ絶望の時間が終わることを望み続ける。
喉の奥から込み上げる何かが口の中を鉄臭くする。
「また失敗か」
「だが、壊れてはいない。これは大きな進歩だ」
痛みが遠のいていくのを感じながら、うっすらと目を開ける。
麻痺した思考では状況を認識することはできず、目の前の灰色を呆然と見つめる。
まるで人形にでもなったみたいだ。身体も心も自分の思い通りに動いてはくれない。
「目が覚めたか」
顔を覗かせたのは、見覚えのある男性。
かすんだ視界の中でも、男性の顔だけははっきりと見え、口角を僅かに持ち上げて見せる。
「と、さん」
「ナツ、お前を選んでよかった。どうか、私達の望みを叶えてくれ」
首肯すれば、男性は満足げに頷く。
それを見ただけで、喜びが機械的に心を満たしていく。
期待にこたえたい。誰かに仕組まれたその思いを、唯一の宝物のように思っていた。
「今日はゆっくり休んでくれ」
遠ざかる気配を感じながら、静かに目を閉じる。
いつの間にか意識は遠のいていき、覚醒すると同時に大嫌いな時間が訪れる。
たくさんの気配の中、ただ苦しみを絶叫に変える。視界がちかちかと点滅したかと思うと一瞬のうちに暗転する。
初めのことに戸惑っているうちに、暗闇の中を青い光を支配していく。
「これは……!」
痛みが光に包まれて和らいでいく。耳に届いた驚愕の声を無視してゆっくりと目を開く。
久しぶりに見る鮮明な景色には青いフィルターがかかっており、なんとも神秘的な景色が広がっている。
「成功、したのか」
呟いたのは父親であるはずの男だ。
「さすが、私の息子だ! 父として誇らしいぞ」
興奮気味な男とは対照的に、自分の心は冷めきっている。世界の全てのように思っていたはずの男が今は無価値な存在としか思えない。
「どうでもいいし」
白衣に身を包んだ者たちが各々、期待に満ちた目を自分に向けているのを感じる。
視界が鮮明になったと同時に、向けられる期待の奥に秘められた欲望すらも明らかになり、縋ってきた世界がどれだけ醜いものか実感する。
愛されているはずだと思っていた。けれど、彼らが求めているのは道具としての自分なのだ。
気付いたからといっても、今の自分に逃げ出す術もなく、必要とされているうちはと淡白にこの場に残ることを決断する。
「失敗だ」
突き放されるように呟かれた言葉。
失敗作の烙印を押され、父のためと捧げてきた生は一瞬にして無価値なものへと落ちぶれる。
妖具になったと瞬間から冷めきった心は何も動かない。ただ、人間に対する嫌悪感が強まっただけだ。
何回目か分からない、妖具になった時の夢を見ながら眠りにつく青玉から零れた透明な雫が埃だらけの地面を濡らす。
子供たちの無邪気な声が壁越しに聞こえ、青玉から小さな笑い声が漏れる。不思議と心が軽くなったような気がした。
●●●
夏藍と出会ってから数日ほど経ったある日。響は縁側で、奏の帰りを待っていた。
初めて会ったあの日以来、毎日のように倉庫に訪れ、夏藍と様々な話をした。
一人で倉庫に行くのは危険だからと、夏藍に会いに行くのは奏が帰ってからと約束しているのだ。。
縁側で奏の帰りを待ってもう二時間ほど経っている。
「早く帰ってくるって言ったのに」
頬を膨らませ、退屈そうに足を揺らす。
「むぅ。もうっ、お兄ちゃんなんて知らない。一人で夏藍に会いに行くから」
未だ帰ってこない奏へ届けるように大声で宣言し、縁側から飛び降りる。その勢いのまま、やや駆け足で倉庫へ向かう。
光源が一つもない倉庫内は相変わらず真っ暗で、夏藍の名前を呼びながら頼りない足取りで進んでいく。
闇の中で恐怖心だけが大きくなり、瞳に涙が溜まっていったところに青い光が差し込んだ。
「今日は一人なのかい?」
聞こえた声の頼もしさに、今にも溢れそうだった涙はたちまち引っ込み、笑顔が生まれる。
「夏藍!」
「奏はどうしたんだい?」
「お兄ちゃんなんてしらないもんっ」
頬を膨らませる響に、青い光は怪訝そうに瞬く。
「今日はご機嫌斜めみたいだし。奏と喧嘩でもしたのかい?」
「だって早く帰るって言ってたのに。約束したのに。ずっと待ってたのよ」
「奏にも理由があるんじゃないかい? ここに一人で来たことは秘密にするから、戻った方がいいし」
まだ不満そうな響であるが、それでも大好きな兄に怒られるのは嫌だと思ったのか、渋々と首肯する。
「夏藍はさみしくないの? ずっとこんなに真っ暗な中にいて」
ふと振り返った響の問いかけに夏藍は光を瞬かせる。
寂しい。そんなこと一度も感じたことはなかった。
道具となったことで、人間の頃は感じたことがあるかもしれない感情の数々と大きな距離が開いてしまったように思える。
「寂しくないよ。ここには他にも仲間がいるし……また、奏や響が会いにくることが分かってるし」
「よかった」
青く照らされた無邪気な笑顔に、何か形容しがたい感情が膨れ上がる。
「また、来るから。こんどはお兄ちゃんと」
明滅する光は優しく出口を照らし、響を見送る。
遠ざかる小さな背中を見守る自分の中を満たす柔らかな気持ちに夏藍は気付かない。
奏が帰ってきていないか探るために倉庫の外へ意識を集中させようとした夏藍の脳内に危険信号が走る。
ここ数十年感じることのなかった嫌な気配が徐々に近づいてきている。
「響、待って」
切迫した声に返事はない。
もう倉庫の外に出てしまったのだろうか。
近づいてきた悍ましい気配が場を満たし、幼い少女一人の気配が上手く掴めないでいる。
ここから動くことが出来たら安否を確かめることなど簡単なのに。動けない自分が恨めしい。
「?」
力はあるのに守れないもどかしさに歯噛みしていたところに、二つの足音が聞こえてくる。聞き覚えのある音葉間違いなくあの兄妹のものだ。
焦りを含んだ兄の声が夏藍の名を呼び、返事をする代わりに青い光をいっそう強く輝かせる。
「夏藍!」
「奏!」
乱れた呼吸を整えながら駆け寄ってくる奏はあの日のように響の手を引いている。
相違点を上げるとした、奏の表情が酷く切迫していることだろう。
「夏藍、お願いがあるんだ」
「なんだい?」
努めて、平静な声を出す。
「俺と契約してほしい」
妖具である夏藍は、契約者の力を得ることで本来の力を引き出すことが出来る。
今、こうして歯噛みするしかできないでいるのは契約者がいないから。つまり、契約さえすれば迫る脅威を退けるくらいのことはできるのだ。
隠していたわけではないとはいえ、奏は一体どこでそのことを知ったのだろう。
驚きを押し込み、感情を切り離す。
今、夏藍のするべきことは道具として答えるだけだ。今までそうしてきたように。
「うん。分かったし」
折笠家の血筋は妖具の扱いに適しているので、奏も問題ないはずだ。
自立型の妖具である夏藍は、霊力が注いであればある程度の力を発揮できる。
「奏、手を」
「うん」
不安げに瞳を揺らす妹の前で、奏は青い玉に手を添える。
眩い光が倉庫内に溢れ、奇怪な紋様が描かれた陣が二人の間に現れる。
「それが奏の契約印だし」
契約印は青い玉を包み込み、溶け込むように消えた。
「契約完了だし。これで、僕は奏の物だ」
別種の光が倉庫内へ零れ、人型を作っていく。
数秒も経たぬうちに光はおさまり、そこには一人の少年が立っていた。
年は中学生くらいだろうか。奏よりも僅かに身長が高いその少年は纏う黒衣を鬱陶しげに払いながら、唖然としている兄妹に向き直る。
縹色の瞳が纏う光が面影を残している。
「夏藍、なの」
驚きに不安を掻き消された響の問いかけを肯定するように笑いかける。
「二人はここにいて」
返事を聞くよりも先に足を踏み出す。
実体化さえすれば、二人を守ることはできる。他の何を犠牲にしても、二人だけは何としても守らなければならない。
肌に纏わりつく妖気を頼りに、地面を蹴る力を強める。
後ろで奏が何か言っていたようだったが気にしてはいられない。一刻も早く、この妖気の根源と取り除かなければならない。