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3-9

これからはこんな感じの更新ペースになります

 これは赤い記憶。

 周囲は燃え盛る炎に呑まれ、熱風が肌を焦がす感覚を味わいながら目の前に立つ人物に呼びかける。

 大好きな人だった。それこそ、世界で一番という枕詞をつけてもいいくらいに。


 視界を塞ぐ彼の背中は、その時の自分には大きくて頼もしいもののように思えていた。

 彼ならば、きっと悪夢のようなこの光景を終わらせてくれると。

「もう大丈夫だよ」とすぐに笑いかけてくれると。


 全幅の信頼を寄せる背中に、縋るように手を伸ばしたその時。


「おに、ちゃん……?」


 頼もしいはずの背中はゆっくりと崩れ去り、地面はみるみるうちに赤く染まっていく。鉄の臭いが鼻腔を擽った。

 五感から送られる情報を理解することを脳が拒否し、視界はただ赤に埋め尽くされていく。


 誰かの絶叫が内に秘める感情を奮い立たせ、幼い少女の瞳に殺気が宿る。

 口から零れる純粋な問いかけに答える嗜虐的な声に背中を押されるようにして手に取った。


 同時に視界がブラックアウトし、身体は硬い地面に寝転がされていた。

 赤く点滅する視界は朧気で自分に駆け寄る人物の顔がよく見えない。


 何故か身体は全く言うことを聞かず、指一本すら動けない状況にあった。

 必死に自分を呼ぶ声が聞こえ、絶望だけを含んだ声に応えなければと懸命に力を入れる。それでも、身体が答えてくれる気配はない。


 今すぐにでも瞼を開けて、自分の名前を呼ぶあの子を安心させてあげなければ。

 溢れる涙を拭って、「どうしたの」といつものように笑いかけなければ。


 どんなに強く願っても身体はうんともすんとも言わず、視界は赤から黒へと変わっていく。

 嫌だ、と遠のいていくあの子の声に縋るように心の声で呟く。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。まだ、終わりたくない。もっと、あの子たちと一緒に生きていたかった。


 一滴の涙が頬を伝ったと思うと、閉じられた瞼の向こう側で銀色の光を感じた。

 そして――。


 ●●●


 目が覚め、まず視界に入ったのは金色。

 城に囲まれた空間の中で、透けた金色の髪が一際目立っている。悲痛そうに歪められた顔が、海里をじっと見つめている。

 漆黒の隻眼は今にも泣きそうなほどに揺れている。


 触れることはできないと分かっていても手を伸ばす。そんな顔は見たくないから。


「大丈夫だよ」


 ちゃんと身体が動くことに酷く安心するのは、あんな夢を見たせいだろうか。

 胸が締め付けられるように切なくなるのもきっと――。


〈っ――〉


「兄さん、起きたんですね」


 カイが口を開くよりも先に耳朶を打った声。反射的に手を引いた海里は身体を起こし、横を向けば見覚えのある人物が座っていた。

 最近では言葉を交わすこともほとんどなくなり、部活で何度か顔を合わせるだけの人物である。


「良……? なんでここに」

「兄さんが倒れたって健から聞いたんです」


 武藤良。名前の通り良い人である彼は、剣道部の中等部での主将であり、エースである人物である。その実力は中等部の中でも飛びぬけており、高等部の練習に混ざることももしばしばである。


 そして、健の数少ない友人でもある。人付き合いを避けがちな健が良と友人関係になった理由は海里の預かり知らぬことである。

 何せ、その頃は既に海里は史源町を離れていたのだから。


「そっか。健君もあの場にいたのか」と傍観者を気取る彼の性質を思い出しながら小さく呟く。そして、どこか不安げな表情を見せる良に笑いかける。


「こうやって面と向かって話すのは久しぶりだよね」

「えと、はい…そうですね」


 同じ名字から分かるように、海里と良は血縁関係――従兄弟同士なのである。


 以前、史源町にいたときは良の住む家――武藤家本家で共に暮らしており、短い間ではあったものの本物の兄妹のような時間を過ごしていた。

 史源町を去るときに、海里が記憶を消さなかった数少ない存在でもあり、何回か連絡を取ったこともあった。


 それでも、空白の時間は二人の関係を遠いものにし、再び海里が史源町に戻ってきた今は、互いに気恥ずかしさから直接話をすることができないでいた。

 弟のような存在なので、やはりこうして話せるようになったことは素直に嬉しい。


(健君、ありがとう)


 素直に健への感謝を述べる海里である。


 他愛もない事を二人で話し、気恥ずかしさが薄れて、以前のように話せるようになったところで保健室の扉が開く音が、新たな来訪を告げた。

 閉められたカーテンの向こう側から、クリスと来訪者の会話がうっすら聞こえてくる。


 声の主を思い浮かべたのと同時にカーテンが開かれ、二人の人物が姿を現す。


「ん、良も来てたのか」

「武藤君、具合はどう?」


 寝癖頭の少年と、ショートカットの可憐な美少女。恋人同士である二人の姿を認識した海里はいつもの笑顔を浮かべて歓迎する。

 良は尊敬する先輩の登場に驚きつつも、小さく会釈をして立ち上がる。


「じゃ、俺はこれで」


 もう一度会釈をし、良は保健室を後にする。それと同じタイミングで、椅子を持ったクリスがカーテンの中へ入ってくる。

 目を覚ました海里の姿を確認したクリスは安心したように微笑み、下がろうとしたところを海里に呼び止められる。


「華蓮と折笠さんは?」

「大丈夫ですよぉ。華蓮ちゃんは無傷でしたし、響ちゃんは一時間ほど前に起きて教室に戻りましたわぁ」


 余計な気遣いをさせないよう、敢えて華蓮と流紀の喧嘩には触れないまま答えるクリス。


「何が、あったのかな」


 聞くべきか迷っている星司を横目に、月が問いかける。

 躊躇うように目を瞬かせながらも、海里は誤魔化すような真似はしなかった。


 生徒玄関前に現れた妖と対峙したこと。その際に起こった諍いのこと。

 包み隠さず、全てを話す。


「いくら華蓮さんは思い込みが激しいとはいえ、海里より折笠さんを信じるとは思えねぇけど……」

「なにかあったのかも」


 表情を曇らせ、話し合う星司と月の二人。カーテン越しに話を聞いていたクリスが助けを出すように「話を聞かれていたかもしれないわねぇ」と灰色の瞳を海里へ向ける。

 その言葉が意味することを理解した海里は隻眼を僅かに見開く。


「どういうことだ? 話って……」

「今朝、龍刀を返してもらえるよう、折笠さんに交渉しにいったんだよ。それで、妖の王についての情報を教えたら返してくれるってことになったんだけど……」


 困ったように笑う海里。


「俺にはその条件を呑むことはできなくて」


 妖の王については星司も、月も知っている。もちろん、華蓮も。

 妖界を統べる八色の幹部の頂点に立つ存在であり、処刑部隊の直属の上司。


 処刑部隊の一員であることを考えれば、海里が響の条件が呑めなくても不思議はない。けれど、海里にはそれ以上に響へ情報を与えるわけにはいかない理由があった。


「理由、聞いてもいい?」


 隣に座る星司の肩が震えたことに気付きながらも、月は怯むことなく海里を見つめる。

 海里が奥底に秘めていることを見抜いた瞳は、逃げることを許さないと真っ直ぐに向けられている。


「妖の王は……妖華様は、俺の母親だから」


 観念したように紡がれた言葉に、星司は大きく動揺する。

 それもそのはずで、海里の言葉は自身が妖だと認めたようなものだったからだ。


「じゃ、武藤君は妖なの?」


 男二人の心情を察した月は話を回す役を買って出る。

 控えめな声は海里が言いたくないなら、問い詰めはしないと暗に語っている。


「俺は半人半妖、人間と妖の間に産まれた子供だよ」


 想像を超える海里の返答に、星司は目を見開いて海里を見る。

 変わらずの穏やかな笑顔は嫌に大人びていて、どんな反応でも受け止めるという海里の意思が伝わってくる。


「俺の母親は妖華様で、父親は武藤家の前当主だった人だよ」

「武藤家の前当主って……確か、お父様の……」


 記憶の片隅に残っていた幼い頃の父との会話が蘇る。


 〇〇〇


 父こと和幸から貰った新しい本を月が木陰で読んでいたときのことだ。

 背中を木に預け、熱心に本を読んでいた月であったが、温かな日和のせいか、いつの間にか眠ってしまっていた。

 目を覚ました時には和幸が傍に座っており、下ろしていたはずの髪は何故か、編み込みにされていた。


「……お父さま?」

「ん、起きたか」


 寝ぼけ眼の月に笑いかけ、和幸は髪が崩れないように気を遣いつつ、月の頭を撫でる。

 そこで月は初めて自分の髪型が寝る前と変わっていることに気付いた。


「えっ……なんで!」


 成長して考えてみれば、和幸がしたことだとすぐに分かるが、この頃の月は不思議な現象にただただ驚きを露わにしていた。

 少しの間、面白そうな顔で月の反応を眺めていた和幸は意外にあっさりと種明かしする。


「悪い悪い。つい悪戯したくなったんだ。海斗の奴がよく木陰で居眠りしてたことを思い出してな」

「かいと?」

「海斗は武藤家の前の当主――俺の親友だよ」


 短く答えた和幸の表情が一瞬陰ったが、この時の月が気付くことはなかった。


 ただ遠く彼方を見るように空を仰ぐ漆黒の瞳が揺れているようで、果てのない悲しみを抱えているような気がした。

 後にも先にも父のこんな表情を見たことは一度もない。


「海斗には月と同い年の子供がいるんだ。もし、会う機会があったら仲良くしろよ」

「うん!」


 〇〇〇


 和幸が言っていた子供というのは恐らく海里のことなのだろう。驚くべき、偶然だ。

 突然黙り込んだ月を不審に思ったのか、星司と海里は不思議そうな顔でこちらを見ている。


「あ、何でもないの。ただ…昔、お父様が武藤君のお父さんと親友だって言ってたこと思い出して」


 初めて知ることだったらしく、隻眼を丸くした海里は「そうなんだ」と小さく呟く。

 前当主という言い回しと、あの時の哀切を含んだ和幸の表情に引っかかりを覚えながらも、これ以上問い詰めるべきではない気がして月は曖昧に笑う。

 部外者が簡単に踏み込んでいい話題ではない。


「つーか」


 困惑と動揺ばかり吐き出していた星司がようやく口を開く。

 受け止めると決意していても、やはり不安が消えるわけではなく、つい身構えてしまう海里。


「海里と良って兄弟じゃねーの?」

「へ?」


 全く予想だにしていなかった方向からの言葉に海里の思考は一瞬だけ静止した。

 ゆっくりと星司の言葉を咀嚼し、緊張で強張った身体も表情も弛緩させる。


「気付いてなかったの……?」

「初耳だぜ。俺、てっきり二人は兄弟なのかと……。良だってお前のこと兄って呼んでるし、前いたときは武藤家に住んでたじゃねーか」

「あー。ごめん、気付いてるもんだと。俺と良は従兄弟同士です」


「ふむ」とわざとらしく頷く星司は口元をにやりと歪ませる。

 驚くことにあれほど心を支配していた恐怖も動揺も完全に鳴りを潜めている。今ならごく自然に、いつも通りの態度で海里を向き合える。


「つまり、海里は王族ってことか」


 悪戯めいた表情を見せた星司に、海里は嫌な予感を覚える。


「んじゃ、今までの非礼を詫びねぇよな。……海里様、すみませんでした」

「普通通りでいいから」

「そういわけにはいきませんよー、海里様」

「星司、本当に……」

「レオンさん達もこんな感じだろ、海里様」


 しつこいくらいに様付けで呼んでくる星司に、海里は必死に異議を申し立てる。

 が、完全に面白がっている星司は聞く耳を持たない。


「恥ずかしいから。レオン達のも慣れるまで時間かかったし」

「いやー、海里のそんな反応、初めて見たわ」


 いじられる側より、いじる側に回ることをの多い海里の新たな一面を見つけて星司はどこか楽しげだ。

 男子高校生らしいやり取りと繰り広げる二人を見ている月も、思わず笑みを浮かべてしまう。


 このまま眺めておくのもいいが、なんとなく参加したくなったので、「その顔、お父様みたいだよ」と星司に告げる。


「そんな性格の悪い顔してねぇって」

「すっごく似てたよー。流石、弟子(自称)だね」

「性格悪い顔って……王様に聞かれたら怒られるんじゃないかな」


 彼氏の星司ではなく、海里を援護する月によって作られた隙を逃しはしない。


「できれば、黙っていただけると」

「どうしようかな」


 今の自分がかなり性格の悪い顔をしているんだろうなと想像をしつつも引く気のない海里である。


 必死に懇願する星司は「どうかお願いします、海里様」と手を合わせ、土下座をする勢いて頭を下げている。

 様付けされた海里は隻眼を僅かに細めて見せ星司は慌てたように取り繕う。


「仕方ないな」

「私も黙っとくよ」

「この恩はいつか返します、多分」


 カーテン越しに聞こえる三人の声に、何となく耳を傾けていたクリスは灰色の瞳を嬉しそうに緩める。

 解決しなければならない問題は山積み。けれども、たまにはこうして年相応に振る舞うことも大切だ。


 今まで海里が歩んできた道のりのことを考え、この史源町に帰ってきたことは悪いことばかりではないのかもしれない、とクリスは一人微笑む。


 その時、保健室の扉が開かれ、真っ直ぐな黒髪を肩口で切り揃えた少女が現れる。


「海里様はそこベッドよ」

「ありがとうございます」


 少女が来た理由を悟ったクリスの言葉に深々と頭を下げ、「失礼するわ」とクリスが指差したベッドのカーテンを開く。


「話の途中にごめんなさい」

「いえ、龍月先輩は何故ここに?」


「武藤さんはここにいると夜刀神先生から伺ったので。頼まれていたこと、調べ終わったわ」


 藤咲邸の話し合いの際、海里は響が妖退治屋になったきっかけの事件について調べるよう、和心に頼んでいたのだ。

 何やら情報屋の知り合い――おそらく、Dだろう――がいるらしく、和心はレオン達の協力を断って調査を行っていた。それが終わり、海里に報告しに来たのだ。


「ありがとうございます。先輩の協力は本当に助けになります」

「礼には及ばないわ。貴方の頼みを聞くことは、私にとって当然のことだから」


 珍しく含みのあるような言葉遣いを選ぶ和心を訝しく思いながらも、海里は特に追及するようなことはしない。

 銀色に輝いているように見えた和心の瞳は、瞬きの間に元の色へ戻っている。


「では」


 アナウンサーがニュース原稿を読むときのような静けさを持って和心は口を開く。

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