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3-8

 生徒玄関の前では、水で構成されたおたまじゃくしが十数匹、宙を泳いでいる。

 仄かに漂う奇妙な気配は覚えがあり、華蓮の肩に乗っていた流紀は眉を僅かに寄せる。


「随分と数が多いですね」


 遅れてきたレオンは宙を泳ぐ水のおたまじゃくしを見るなり、素直な感想を漏らす。

 授業の始まりを告げるチャイムが漏れ聞こえ、焦る華蓮にレオンは問題ない旨を伝える。


 実はレオンが遅れてきたのは、海里と華蓮が授業を欠席することを教科担任に伝えていたためなのだ。

 安堵の息を漏らす華蓮を一瞥したレオンは静かな声音で海里の名を呼ぶ。


「処刑対象外です、くれぐれも」

「……分かってる」


 密かに交わされる会話を他所に、華蓮は水のおたまじゃくしと向き合っている。鈍感な性格が功を奏し、仄かに影を映す海里の表情には気付いていないようだ。

 海里とて、自分が危うい立場にいることは嫌というほど分かっている。下手に動けば自分だけではなく、処刑部隊の面々を代表する周囲の人々にまで迷惑がかかってしまう。


 今回は響もいるので、戦力的には申し分ないと言えるし、海里が手を出さなくても問題はないだろう。それでも胸中を満たすのは罪悪感。

 力はあるのに、目の前で繰り広げられる戦闘を眺めるているしかできないことに込み上げる罪悪感を、穏やかな笑顔で隠す。


〈海里……〉


 どれだけ巧みに隠そうとしても、カイには隠しきれない。いつもこうして心配をかけてしまう。

 大丈夫だと笑いかけようとした海里は、真っ直ぐにこちらを見ている視線に気付く。釣り目には明らかな疑念が宿っている。


「海里は戦わないの?」


 純粋な問いかけに、心臓を鷲掴みにされたような気分に陥る。

 向けられる疑念に、平静を装うとした隻眼が揺れるのを見て取ったカイの瞳に険が滲む。


「妖、だから……?」


 答えなければと思った。本当のことを話さなければと思うのに、声が上手く出ない。

 拒否されたときの記憶が脳内にこびりついており、話そうとする意思は押しとどめられる。


〈海里、お前が望むのなら俺はいつだって悪役になる。だから――〉


「大丈夫、だよ」


 すぐ傍に立つ、透けた少年にだけ聞こえるように呟き、海里は穏やかな笑顔を取り戻す。


「海里、答えて! 海里は妖なの? 違うの? ねえっ」

「華蓮!」


 本性に戻っている流紀が声を荒げて、海里に詰め寄る華蓮を咎めるが、生まれた疑念はそう簡単に消えない。

 裏庭での会話を聞いたときから、いや、響と初めて会ったときからずっと華蓮の中では疑惑の種が芽吹いていた。それが今、明確な形を持ったのだ。


 戦闘中にも関わらず、完全に気が逸れてしまった華蓮を嗜めるために流紀が再び口を開くより先に、水のおたまじゃくしが襲い掛かる。対処に追われる流紀が目を話している隙を突くように、華蓮は更に海里へ詰め寄る。


「誤魔化さないで、本当のことを教えて!」

「今更、確認するまでもありませんの。武藤海里は妖、疑いようのない事実ですの」


 敵がさほど強くないと判断した響は、戦闘を夏藍に任せて華蓮の隣に立つ。

 気に食わない人物だろうが、曲がりなりにも同業者。間違いを正してやるくらいの良心は持ち合わせている。


 響の敵は妖であって、人間と戦うのは避けたい。完全に毒されてしまう前に考えを改めさけなければという使命感もある。


「俺が妖じゃないのは本当だよ。ただ、俺は――」

「まだ何か言い訳するつもりですの? 藤咲さん、騙されてはいけませんわ。妖はいくらでも卑劣なことをしますの」


 どちらの言葉を信じれば分からず、華蓮は迷うように視線を彷徨わせる。


 少し前までなら、響と会う前なら、響の言葉など一蹴して海里を信じることができただろう。けれど、いつまでも本当のことを話さない海里の態度に、理由の必要としない信頼は薄まってきている。

 先程、盗み聞いた海里と響、二人の会話が決定打となり、今の華蓮は素直に海里が信じることはできなくなっている。


「……海里、なんで……なんで本当のこと言ってくれないのよ」


 信じたいのに、信じることができない。

 そんな華蓮の想いを表すように海里へ向ける瞳は不安げに揺れている。


「もしかして、あのカイってのが海里に取り憑いている妖なの?」

「違う!」


 珍しく声を荒げる海里に華蓮だけではなく、入り込むタイミングを計っていたレオンまでもが目を丸くする。

 海里自身も自分の声の大きさに驚いているようで、隻眼を瞬かせる。


「違うよ。カイは、取り憑いてるわけじゃない。むしろ――」

〈……海里〉


 透けた金色が舞い、脳内に響いた声に促されるようにして海里は我に返る。

 向けられる視線に、「ごめん、何でもない」と曖昧な笑顔を返す。他の何を明かしても、このことだけは隠し通すと決めている。


 それで納得できる華蓮ではない。更に問い詰めようを息を吸い込んだところで、頭上から「あっめあめ~ふっれふれ~もっと降れ」と楽しげな声が降ってくる。


 そして、ちょうど生徒玄関周辺のみに豪雨が降り注ぐ。何か特別な術式が込められているというわけではないようで、局地的ということを除けばごく普通の雨である。


「今の声は……」


 聞き覚えのあるどころではない声に流紀は視線を巡らせるが、該当する人影はどこにもない。


 頭上から聞こえたことを鑑みて屋上の辺りを注視しようとしたところで、先程の数倍にも大きくなったおたまじゃくしに襲い掛かられる。

 氷の壁でこれを防ぎ、生成した氷の薙刀でこれを裂く。しかし、水のおたまじゃくしは二匹に分裂しただけでダメージは受けていないようだ。


「相っ変わらず、悪趣味な奴らだ」


 物理攻撃をものともしない水のおたまじゃくしに、敵の正体を見抜いた流紀は苦々しい表情を見せる。

 横目で華蓮の様子を窺えば、あちらも肥大化した水のおたまじゃくしに襲われているようで、海里への追及はしばし休憩のようだ。


 海里とレオンの助けが期待できなくとも、響はそれなりに優秀なので心配はいらないだろう。華蓮だって少しは成長している。

 いつまでも気を逸らしているわけにもいかず、流紀は目の前にいる巨大おたまじゃくしと相対する。


「きゃっ」


 薙刀を捨て、纏う霊力を冷気へと変換したところに短い悲鳴が滑り込んでくる。


 華蓮の声だと認識すると同時に助けに入ろうと視線を動かそうとするが、向かってくる水のおたまじゃくし気付く。術者の性格を表すようなタイミングに、さしもの流紀も微かな苛立ちを覚える。

 華蓮を助けに行くことは諦め、勢いよく突進してくる水のおたまじゃくしを退けることに集中する。


「使えませんわね」


 地面に尻餅をついている華蓮を不愉快そうに一瞥した響は懐から出した白い物体を後ろに放る。

 投げた白い物体が自分に迫っていた水のおたまじゃくしを巻き込んで爆発するのを背中で感じながら、華蓮の元へ駆ける。


 人間である以上、華蓮も守るべき対象だ。見捨てるなんて選択肢は響の中にはない。


 響とは反対の位置では海里が華蓮を助けるために足を踏み出している。

 華蓮は華蓮で炎を生成しようとするが、二匹のおたまじゃくしが迫ってきていることに対する焦りで上手く術式が発動しない。


「間に合わないっ」


 歯噛みした響は霧ラ雨を捨てることで空いた手を必死の思いで伸ばす。ようやく手が届き、強い力で華蓮の腕を引く。


 反動で前に出た響の視界に眼前まで迫った水のおたまじゃくしが映る。武器である霧ラ雨は華蓮を助けるために捨ててしまった。他の妖具を取り出すよりも、水のおたまじゃくしが響を襲う方が圧倒的に速い。


 自分の取れる手を考える響の視界を藍色が埋め尽くす。


「ぇ」

「大丈夫」


 柔らかい声が耳朶を打ったのと同時に、響の脳内では在りし日の記憶が掘り起こされる。

 響がまだ妖退治屋になる前の記憶。初めて妖という存在を知った日の記憶。


 ――大丈夫。俺が守るから。


 ずっと憧れていた人物の背中は大きくて、とても頼もしいものだった。

 大好きだったあの人は、響を守ったせいで、響が言いつけを破ったせいで、命を落とした。


「おに、ちゃ」


 無意識に伸ばされた手が海里の背中に触れた瞬間、二人の間に静電気に似た衝撃が走る。

 海里の瞳が金色の光を纏ったかと思うと、二人の身体が倒れ込んだ。


 混乱を露わにする華蓮を他所に、水のおたまじゃくし二匹は蔦にとって雁字搦めになっている。見覚えのある術だ。


 遅れて聞こえるくるのは涼やかな鈴の音色。


「少し遅かったようですね。華蓮様、お怪我はありませんか」


 突如として現れた鈴懸の問いに首肯する華蓮を確認し、鈴懸は頭上を見上げる。翡翠の瞳は屋上の方を静かに見つめている。


「私が笑っているのも今のうちです。早く出てきてくれると有難いのですが」

「あらあら、あらあら、思っていたよりも早くバレてしまいましたわ。もう少し楽しんでいたかったのですけれど、鈴懸をこれ以上怒らせるわけにはいきませんし、仕方ありませんわ」

「残念」


 新たな影が二つを現れる。

 顔、身長、服装とどこをとっても同じである二人の女性は、対照的な表情を浮かべて華蓮を見つめている。それぞれ左右の腕につけられた鈴には見覚えがある。


 歪んだ笑み浮かべる方の女性が腕を大きく広げ、右手につけられた鈴が音を鳴らす。


「さあ、さあ、戻ってきてくださいまし」


 女性の声に反応するように水のおたまじゃくしは一匹残らず、女性の身体に吸い込まれていく。

 全て体内に取り込んだ女性は隣に立つ自分と瓜二つな女性の手を取り、ステップを踏むような足取りで華蓮に歩み寄る。


「お初にお目にかかりますわ。(わたくし)は第五の式、碧水(へきすい)。こちらは愛しの半身にして第六の式――」

氷雪(ひょうせつ)


 恭しくかつ大仰に(こうべ)を垂れる二人には、目の前で倒れている海里と響の姿は目に入っていないようだ。興味の外にあるといってもいい。

 咎めるような鈴懸の視線を受け、初めて気が付いたように倒れる二人に目を遣る。


「あらあら、あらあら。そんな目で見られるのは心外というものですわ。少しばかりお痛がすぎたのは事実ですけれど、これは完全に予想外な出来事なのですし」

「無罪主張」

「そもそも、怪我をさせる前に鈴懸が来たのでしょう? せっかく面白くなるところでしたのに、すっかり興が覚めてしまいましたわ。これほど面白いことなど、そうはありませんのに」

「不満」

「あら、そんな怖い顔なさらなくてもいいのに。まあ、挨拶も終わったことですし、今日のところはお暇いたしましょう。氷雪」

「了解」


 かき乱すだけかき乱した嵐のような二人の姿は一瞬で姿を消失させる。

 ある一線だけは絶対に越えないが、越えない限りは自由奔放な振る舞いをする二人は本当に質が悪い。


 流紀は、式の中で最も厄介なのがあの二人だと以前、焔が評していたことを思い出した。なるほど、言い得て妙だ。


 結局、何しに来たのか分からない二人が消えた方を見つめていた流紀は嘆息し、華蓮のもとへ向かう。


「外傷はないようですね」


 倒れている二人の身体を確認したレオンの呟きを聞き、一先ず安堵する。


「動かさない方がいいかもしれんが、いつまでもここにいるわけにもいかない」

「そうですね。授業中とはいえ、人目につかないわけではありませんし。一先ず保健室に移動しましょうか」


 冷静に話し合う二人の様子を華蓮はぼんやりと見上げる。

 普段は当たり前のように感じていたが、こういう時はとても頼りになる。やはり、経験の差という奴だろうか。


 いつも足手纏いにしかならない自分のことを考え、華蓮は自分のプライドが酷く傷つけられたような気分になる。


「鈴懸さん、運ぶのを手伝っていただけますか」


 いくら妖と言えども、女性に運ばせるわけにはいかないという判断である。


「はい。元々、身内の不手際が原因ですから」


 碧水と氷雪が直接手を出したわけではないといはいえ、間接的には彼女らが原因である。

 知らぬ存ぜぬを突き通せ、主である桜に顔に泥を塗ることになる。それは鈴懸にとって死に等しい重罪である。


 面倒がって、癖のある式を放置している桜に問題がないと言えない事実を心中で指摘しつつ、流紀はへたれこんでいる華蓮へ視線を向ける。


「立てるか」

「心配しなくても大丈夫よ」


 とんだ失態を演じてしまった自覚のある華蓮は顔をあげることができない。二人が倒れてしまったのは華蓮のせいなのだ。

 そして、それ以上に華蓮の脳内を占拠しているのは、海里への疑惑。もう何を信じたらい、いいのかも分からない。




 人目に触れず、なんとか保健室へ移動する任務を完遂した鈴懸は桜へ報告するためと姿を消す。

 保健室にはレオン、流紀、華蓮、海里、響という先程までのメンバーに加え、クリスが加わった六人が集まっている。といっても、海里と響は未だに気を失ったままなので、実質的には四人だが。


 レオンはクリスに事情を話しており、華蓮は所在なさげに視線を巡らせた後にベッドに寝かされている海里を盗み見る。


「海里が妖ではないというのは嘘ではないよ」


 落ち着きのない華蓮を見かねて呟かれた流紀の言葉に、華蓮は驚いて流紀の方を見る。

 一度、流紀の方を見たレオンであるが、問題ないと判断したのかすぐにクリスとの話に戻る。


「何で流紀がそんなこと知ってるのよ」

「聞いたからだよ。そのことを含めて処刑部隊の事情は大方」


 処刑部隊と初めて会った日、化け蜜柑の本体を倒した後、流紀はレオン達とともに体育館に残っていた。その時に粗方の事情は教えられた。

 当事者である海里がいない状況ではあったが、了承はちゃんと得てあったらしい。


 今は教育係として華蓮の傍にいる流紀の本来の立場が(不本意ながら)桜の小間使いである。桜と処刑部隊引いてはその後ろにいる妖華は協力関係にあるため、ある程度の事情は流紀にも話しておくべきという判断なのだろう。


「別に口止めされていたわけではなかったから桜にも話した。聞かれたわけではないし、あいつは元々知っていたみたいだけどな。だが、私はお前には言わなかった。華蓮が知りたいと思っていることも分かっていたが、敢えて黙っていたんだ。別に桜に口止めされていたわけじゃなく、私自身が下した判断だ」


 流れるように紡がれていく言葉。藍白色の瞳は挑発するように輝いている。


「聞かれても惚ける気だったよ。で、これを知ってお前は怒るのか」

「当たり前でしょ! 私は流紀のことだって信頼してたのよ。なのに、それなのに……騙してたの!?」


 最悪だ。海里も、流紀も、そしてきっとレオン達も本当のことをずっと黙っていたのだ。

 信頼していた人たちにことごとく裏切られた華蓮は悔しげに唇を噛み、保健室を飛び出す。


 見送る藍白色の瞳は達観したような穏やかさを含んでいる。


「良かったんですか」

「ああ。私は飽くまで桜の使い走りだからな。華蓮にどう思われようが関係ない」


 他人から負の感情を向けられることには慣れている。本当のことを分かってくれる存在が一人くらいいれば、それで充分なのである。


「それに、いい機会だ。華蓮には考えることを覚えてもらわないとな」


 藤咲華蓮という人間は、短気で、単純で、どこまでも真っ直ぐである。嘘を吐くのも、見抜くのも苦手で、表面的な部分しか視ようとしないから騙されやすいし、勘違いしやすい。

 考えすぎないところは華蓮の長所でもあるが、同時に致命的な欠点でもある。


 戦闘に騙し討ちはつきものだし、敵の裏を予測しながら有効な手管を考える必要がある。妖との戦闘になれば特にだ。


 いくら腕が上がっていても、いつも華蓮が足手纏いになるのは表面的な部分で判断するからだ。今までは、流紀や処刑部隊の面々が傍にいたからいいが、これからもずっとそうとは限らない。


 だからこその行動だ。ただ騙されていただけで完結させるのではなく、その裏にある思惑に華蓮が気付くことを流紀は心から祈っている。


「華蓮。私はこれでもお前を気に入っているんだ」

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