3-4
午前十時間近。星司、月、レオン、レミの四人は貴族街へ通ずる門の前に集まっている。
貴族街は閉鎖的な空間であり、貴族街へ出入りすることのできる三つの門は全て史源町に繋がっている。今、星司達がいるのは中央門だ。
門以外から入る方法としては貴族街を覆う壁を飛び越えることが挙げられる。しかし、高さ五十メートル、厚さ五メートルの壁を越えるのは至難の業だ。
「みんな、揃ってるね」
ちょうど短針が十時を指した頃、そんな声が降ってきた。
顔を上げるよりも先に声の主は高い壁から易々と飛び降り、星司達の前へ登場する。
少し力を入れて握っただけで簡単に折れてしまいそうな細い足は落下の衝撃など微塵も感じていないようだ。
「お前、どっから現れて」
弟の登場の仕方に唖然とするしかない星司をスルーし、健は四人に中へ入るように促す。
四人とも貴族街には何度か出入りをしたことがあるので、正直言って健の案内は必要ないわけだが、頼まれたからには、しっかりと任務をこなさなければならない。
報酬として用意されているであろう物のことを考え、健が小さく笑む。そのまま門へ歩みを進め、馴染みの門衛と顔を合わせる。
「健が門を通るなんて珍しいなぁ。槍が振るなんてことにならへんやろうな」
「今日は他の人もいるからね。早く手続きしてください」
健と何やら話し込んでいた人物が四人の方へ顔を向ける。
軍服に似た服を着た人物だ。明るい髪色と人懐っこそうな顔は見る人に親しみやすさを抱かせる。
「俺は君江八潮や。見ての通り、門衛をしてるもんや。健とはいろいろと仲ようしてもろてる。ま、よろしゅうな」
エセ関西弁で簡単な自己紹介をしながら、書類に何やら書き込んでいる。
門衛とは、貴族街を通ずる三つの門を管理している者のことだ。主な仕事内容は、入出者の把握と手続き。そして門周辺の治安管理だ。
普通の門衛とは違い、戦闘能力の他、精神力、感知能力、知力、エトセトラ。様々な能力が常人以上であることが求められる。
中でも、この君江八潮という男はずば抜けた才能を持っているのだ。
「健と月様は許可証持ってるやろ。見せてくれへん?」
「あっ、はい」
おずおずと月が差し出したものは、一部の者のみに与えられる許可証というものだ。いくつかの種類があり、それぞれ門と通るの際の手続きをいくつか省略できる。
他にもいくつかオプションが付いてくるのだが、ここでは割愛する。
ちなみに、月が持っているのは住人許可証と呼ばれるものであり、本籍地が貴族街である者に配布させる許可証である。
「OK。んで、健の方は――」
「見せる必要ある?」
「こういう形式は大事にせなあかんのやけど、しゃあないな」
健は八潮のこういうところが気にいっている。だからこそ、貴族街を出入りする際は八潮のシフトを当たるように気を遣っているのだ。
「んじゃ、他の三人は名前は書いてくれへん?」
差し出された書類に星司、レミ、レオンはそれぞれ名前を書き込んでいる。
「ん、これでOKや。進んでええよ」
促され、いよいよ貴族街の中へ足を踏み入れる。
大きな屋敷が立ち並ぶ町中を迷いなく進んでいく健に続くようにして四人は足を進める。
春野家に着き、無駄に広い敷地内を歩いていた五人は前方から歩いていく存在に気付く。
落ち着いた色合いの着物に身を包んだ初老の女性。白髪の髪はきっちりと一つに纏められている。
女性の姿を認めたと同時に月の身体が強張り、歩みを止める。
「おばあ、さま」
震える月の呟きを聞きとめた星司は「あれが」と口の中で呟く。
そっと月の手を取った星司は守るように文子との間に立つ。目元には険が滲んでいる。
「下賤な男は態度も下劣ですね」
「っの」
言い返そうと口を開いた星司の手が引っ張られる。驚いて振り返れば、静かに首を横に振る月の姿。
沸き起こる怒りを抑えつけ、静かに口を噤む。
「得体の知れない者をぞろぞろと引き連れて。このような者と一緒にいると、貴方の品格も落ちてしまいますよ。貴方なら分かるでしょう?」
「っ分かり、ません」
絞り出された声に文子は瞬きをし、怒りの気配を纏う。
心に染みついている祖母と同じ姿に怯み、星司の手を強く握る。それでも視線は外さず、一歩前に出る。
「品格なんて知りません! 私は、自分が仲良くしたいって思う人と仲良くします。いくらお祖母様でも私の友達を、私の大切な人を悪く言うことは許しません。さっきの言葉、撤回してください!」
掌を通して伝わってくる星司の温もりが勇気をくれる。
いつでも月へ助け船を出せるようにと隣に立つレオンやレミの優しさが胸を温かくさせる。
確かに二人は得体の知れない者と言えよう。妖だということは知っているが、それ以上のことは月もよく知らない。
けれども、それがどうしたというのだ。
知らないことの方が多くても、二人は月のことを助けようとしている。それだけで充分ではないか。
「貴方は! ……分かりました、そこの者に誑かされたのですね。だから、そんな世迷言を」
「違います!」
「このまま付き合っていたら、どんどん毒されてしまいます。いいから、その手を放しなさい」
繋がれた手を引き剥がそうと月の手を掴み取る。あまりにも強い力に月は苦悶の声を漏らす。
さすがに我慢の限界に達したのか声を荒げようとする星司の肩を誰かが軽く叩く。
「お前に月の何を決める権利があると言うんだ?」
「貴方には関係ありません。これは私と月の問題です」
「さんざん人を愚弄しておいて、二人だけの問題だと片付けるのは筋違いじゃないか」
「……レミちゃん」
揺れる瞳を安心させるようにレミは笑う。
まさか自分にそんな言葉が向けられるとは考えていなかったのだろう。文子はショックと怒りで肩を震わせている。
月の腕を掴んでいる力が緩んだのをいいことに、レミは文子を腕を引き剥がす。
「貴方!」
「言葉に自信がないから声を荒げる。お前の格が知れてしまうな」
「下賤な貴方には――」
「下賤だ、下賤だという言うが、どこを見て判断しているんだ? 私はこう見えて良家の娘だ。それもお前よりもずっと上の家柄だな」
傍観しているしかできない男性陣はレミの言葉を無言で肯定する。
レミは幹部の娘。身分だけ言えば、娘が春野家に嫁いだからとその権威にぶら下がっているような人物とは比べものにならない。
譲る気はないと向き合う両者を渇いた音が妨害する。
その場にいた全員が驚愕の表情を浮かべ、音のした方へ目を向ける。そこに立つのは両手を合わせた健の姿。
どうやら渇いた音は、健が手を合わせた音だったようだ。
「はい、喧嘩はおしまい」
こんな状況でも調子を崩さない健はステップを踏むような足取りで文子の前に立つ。
「ここは貴族街で、春野家の敷地内です。そして、ここにいるのは王様の客人」
当たり前のことを言う健の顔に貼り付けられていた笑顔が一瞬にして消失する。
「身の程を弁えてください」
「貴方ごときが私に――」
「俺に噛みつきたいのなら、あの人のお眼鏡にかなう人間になってからにしてください」
「なっ」
言い返す言葉が見つからないか、文子は奥底から沸き起こる怒りにただ唇を震わせる。
感情の欠如した健の顔は文子の反応などお構いなしだ。
「もう、知りません。勝手になさい」
自分の負けを自覚したのだろう。きっぱりと言い放ち、文子は早足でその場を立ち去っていく。
無表情に形ばかりの笑みをのせた健はひらひらと手を振って見送る。
「さーて、待ちくたびれているだろうし、早く行きましょー……あれ?」
後ろを振り向いた健は先程のショックから立ち直れていないメンバーを見て、首を傾げる。
「流石にあれは、言い過ぎでは」
「事実を言っただけですよ?貴族街での価値っていうのは実はすっごく単純なんです。ただあの人に気に入ってもらえさえすればいいだけ。名前も顔も覚えられていないような人なんかには最初から勝ち目なんてないんですよ」
「その理屈だと我々も勝ち目があるようには思えませんが」
「そこは大丈夫ですよ。名前くらいは覚えてるでしょうし」
どこか遠くを見るように僅かに目を細める。
貴族街を統べているとされている春野家当主のさらに上に立つ存在がいるという話はレオンも聞いたことがある。あの人というのは、その存在を指しての言葉なのだろう。
しかし、聞いたことがあるというだけの存在が自分を知っているというのは信じがたい。健の言葉があっても素直に信じるには信憑性が薄いように思える。
「王様と親しいことはここではかなり意味があることなんですよ」
信用していないような視線を送るレオンに、執務室までの道すがら健はそう呟いた。
やはり理由としてはいろいろと欠けているような気もするが、薄い微笑も相俟って嫌な説得力がある。
嘆息したレオンはこれ以上、追及をすることを諦める。そんなレオンに満足げに頷いた健は、執務室の前で立ち止まる。
「王様、連れてきましたよ」
申し訳程度にされたノックの返事を聞くより先に、扉を開ける。気安さを感じさせる行動は、健が高頻度で春野家を訪れている事実を明確にする。
机の上に積み重ねられた書類の整理に勤しんでいた和幸はふと視線を上げ、健の後ろに続く四人の姿を一瞥する。
「ご苦労」と渡された円形の箱を、健はやけに嬉しそうに受け取る。見た目相応の無邪気な笑みが零れ、双子の弟である悠を想起させる。対照的な性格をしているようでも、やはり双子だ。
「なんだ、それ」
「チョコレートだよ。一日三箱の限定品」
零れる笑みを隠そうとしない健の瞳はキラキラと輝いている。
普段の健とは掛け離れた表情に驚く面々を面白げに眺める和幸。彼にとっては見慣れた表情なのである。
ともあれ、いつまでもこうしているわけにもいかず、呼び出した理由を告げるために和幸は居住まいを正す。
「正直、話があるのはそこの男二人だけなんだ。レミと月は少し席を外してくれないか」
「分かりました」
従順に頷く月とは対照的にレミは訝しげな視線をくれる。
空白の時間があるとはいえ、ここにいる誰よりも和幸との付き合いが長いレミには彼が何を考えているのか何となしに察することができる。
「レオン達だけが悪いわけではないんだ。あまり……」
「ただ話をするだけだ。心配するな」
「生憎、その言葉を素直に信じるような付き合いはしていない」
「酷いな。今回は本当に話をするだけだ、信用してくれ」
言葉とは裏腹に浮かべられた含みのある笑み。
嘆息したレミは最後に視線で釘を刺し、その場を後にした。月のその後に続く。
残されたのは部屋の主である和幸と、その和幸に呼び出された星司とレオン。そして、何故か当然のように居座っている健だ。
「健、お前も――」
「えー、面白そーなのに」
野次馬精神を隠そうともしない健に、和幸は疲れたように息を吐く。
そうか。自分と対しているレミはこんな気分なのか、と。少しだけレミに対する態度を反省する和幸であった。
とはいえ、レミのように折れることはせず、「健」と静かな声で名前を呼ぶ。
「分かりました。聞き耳は立てるかもしれませんが」
レミや月とは違い、健は私室へと繋がる扉の向こうへと消える。
ようやくまともに話のできる状況になったと息を吐いた和幸は、すぐに表情に笑みを滲ませる。
悪戯めいたとも評せる表情は正面に立つ者――レオンと星司の背筋に薄ら寒いものを走らせる。緊張感を纏い始めた空気に唾を飲み込む。
「何故、自分が呼ばれたのかは分かるよな」
「ええ、まあ……なんと、なくは」
歯切れの悪いレオンの言葉と、硬い表情で首肯する星司の反応を咀嚼するように時間を置いて笑みを深めた。
「それは良かった。一から説明するのはさすがに骨が折れるからな」
楽しげな表情から紡がれる言葉の数々は、相手のHPを少しずつ削っていくような毒々しさを含ませていた。
全てが的をついており、自らの非を認めている二人には反論の余地はなく、ただ聞くことしかできない。
永遠のような時間に気が遠くなりながらも、耳を傾けていたその時、意外とあっさり説教タイムは終わった。
「「……はい」」
素直に反省の様子を見せる二人に満足したように頷いた和幸はふとレオンに目を向ける。
一変した表情は完全に仕事モードへシフトしたことを知らせてくれる。
「いろいろ言ってきたが、実は俺もそこまで状況を把握しているわけではなくてな。レオン、お前の知っていることを教えてくれ」
「構いませんが……、てっきり健さんから聞いているものだと」
「大まかなところは、な。あいつは俺に従順というわけではないんだよ」
どこか困ったように笑う和幸。
二人の会話を聞いた星司は目を丸く。
あの場に健もいたのか。
春ヶ峰学園の敷地内だったので、近くに健がいたとしても不思議はない。姿を現さなかったのは、いつものように傍観者を気取っていたからだろう。
話し込む二人から意識を外した星司は所在なさげに視線を巡らせ、僅かに開かれた扉を発見する。
こっそりと顔を覗かせた健は口元に指を当て、声を出さずに口を「し」の形をする。
どうやら扉も壁も分厚いため、聞き耳を立てるためには扉を開けなければいけないようである。
和幸と健、どちらの味方をするべきか思案し、結局、最愛の弟であるところの健の味方をすることを選ぶ。
自分が気付いたくらいだし、和幸も気付いているんだろうなと考えながら。そして、きっと健も気付かれていることを知っている。
などと考えているうちにレオンと和幸の話し合いは終わったようで、二人の視線が星司の方を向いている。
何となしに健がいた方を横目で見ると、ちゃっかり扉は閉まっていた。
「話は終わりだ。帰っていいぞ」
「了解っす」
部屋を出る直前に思い出したようにスマートフォンを取り出す。電源をつければ、月からの「中庭でお茶してるね」というメッセージが表示される。メッセージの後につけられた笑顔の顔文字を数秒見つめたのち、部屋を出ようとしているレオンに二人が中庭にいる旨を伝える。
レオンと星司が去ったことを察したのか、隣の部屋から健が姿を現す。
「すみませんね、従順じゃなくて」
「安心しろ。お前に従順さなんて求めていないから」
分かりやすい聞き耳を立てていたことには言及せず、不敵な笑みで言葉を返す。
「声」
ピクリと健の肩が震える。構わず、言葉を続ける。
「聞いてたんだろ? お前の見解を聞かせてくれ」
「言うと思いますか」
「お前がそう言う時点で答えは決まったようなもんだけどな」
機械的な瞳に感情が宿る。それは不満と苛立ちを入れ混ぜたやけに子供じみた感情である。
幼げな顔立ちにはよく似合うものの、普段の健をよく知る者からしたら違和感が沸き起こるような表情である。
普段と違う健もよく知っている和幸は不敵な笑顔のみで受け流す。
「間違いなくあれは帝天ですよ。願いを叶える代わりに、邪魔者を殺せとでも頼んだんじゃないんですか」
言うが早いか、表情を無に戻しながら健は部屋を後にした。
「ほんっと、帝天がらみになると分かりやすくなるな」
普段もあれくらい分かりやすければと心から思う和幸であった。
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