1-4
翌朝、いつも通り登校した華蓮は机に肘をつきながら、昨日のことを思い出す。
あの後、家に帰ってから焔と流紀の姿を見ていない。
焔は華蓮の妖退治を手伝うように言われているのだから、そのうち姿を現すだろう。
「どうでもいいけど」
特にすることもなく、教室内に視線を巡らす。
目にとまったのは机に伏せて居眠りをしている幼馴染の姿。彼は一日の大半をこうして過ごしている。授業中でさえ。
それでも上位に上る成績を修めているのは正直納得がいかない。
「お前っていっつも寝てるよな」
頭上から降りかかる声に星司は緩慢な動きで顔を上げる。
日焼けをした活発そうな顔を認識し、「航平か」と友人の名前を呟き、再び居眠りを戻ろうとする。
それを止めたのは航平。眠たげな目に不満の色を宿して、彼へ視線を向ける。
「んだよ」
「はぁーあ、寝てても両手に花が実現できる奴は違うな」
「両手に花なんてした覚えねーんだけど」
悔しそうに星司を人睨みした航平は信じられないと驚きの表情を見せる。
ころころ変わる表情を前に欠伸を一つして、身体を起こす。
「してんじゃねぇか。春野さんと藤咲さんという二大美女を従えてさ。秘訣を教えてもらいたいものですな」
「あー、言われてみれば美人だな。遺伝かね」
「余裕ですねぇ。さすが身だしなみさえ整えればイケメンと称されるだけあるっすね。先輩なら世界中の女を手中におさめる時も近いっすよ」
「どこの悪役だよ」
適当に言葉を返しながら、心中で航平の言葉を否定する。
自分より遥かに早く手中におさめられそうな人物なんて、身近に山ほどいる。
「俺は月さえいればいーよ」
「くそっ、リア充め」と忌々しげに呟く航平を他所に、再び顔を伏せる星司。
「って星司、寝るな」
「おやすー」
別れを告げるようにひらひらと手を振る。
「ったく」
居眠りを再開した星司に苦笑しつつ、航平はそそくさ星司の前から退散し、別の人と会話を始める。
二人のやり取りを意味もなく眺めていた華蓮は呆れたように息を吐く。
「暇そうだな」
「!」
突如、下から聞き覚えのある声が聞こえ、反射的に視線をそちらへ向ける。
藍白色の瞳が華蓮を見上げており、挨拶をするかのように片前足を軽く上げる銀色の猫。
「なんで流紀がここにいるのよ」
「いやあ、お前のことが心配でな。ま、私の姿は普通の人間には見えないから安心しろ」
白々しい言葉を吐きながらにまりと笑う。
普通の人間には見えないというのは焔が言っていたことと同じなのだろうか。
問いかけようと口を開いたと同時に、担任である梅垣教諭が姿を見せた。
「一先ず、放課後にまた来る」
片前足を振って別れを告げた流紀は梅垣教諭が閉めようとした扉にぎりぎりで滑りこんだ。
ホームルームが始まる時間のため、廊下を行き交う人はほとんどいない。
どこで暇をつぶすか考え、屋上へ行くことを決心する。
常人には姿が見えないのだから華蓮の傍にいてもよかったのだが、それでは華蓮が授業に集中できないだろう。それはさすがに忍びないので、こうして屋上までやってきた。
不用心なことに屋上へと繋がる扉は開けっ放しで、無駄な労力を割く必要はないようだ。
頭上には空色の絵の具で塗りつくしたような雲一つない青空が広がる。
(昼寝日和だな)
そんなことを考え、屋上の隅で丸くなる。猫の姿を取っているとやたらと眠くなる。
注がれる陽光が心地よく、流紀の目は自然を閉じられていった。
と、陽光が誰かに遮られた。
「猫だ。何でこんなところにいるんだろー?」
子供っぽい口調の声。
聞き覚えのない声に流紀は薄らと目を開ける。
「綺麗な目だね。空の色を薄めたみたい」
薄らと開けただけなので、瞳の色など分かるはずがない。不審に思った流紀は完全に目を見開く。
気付かれない程度に警戒心を強め、相手を観察する。
小柄な少年。
中等部の制服を着ていることからおそらく中学生なのだろうが、小学生にしか見えない。
一回り以上大きい制服も相まって、兄の制服を来て潜入しているような印象を受ける。
青白いともとれる顔には偽物と分かる無邪気な笑顔が浮かべられている。
飄々としているようで、まったく隙がない姿は知り合いの男によく似ている。
「王様から頼まれたんですけど、貴方が流紀さんでいーんですよね」
(幸の知り合いか)
子供っぽい口調から一変した少年の言葉に首肯する。警戒心は解いた。
流紀の反応を見て取った少年の顔から表情が消え、機械的とも言える大人びた雰囲気を纏う。
「これ、妖退治屋になったお祝いだそーです。説明書もついているので」
懐から取り出されたのはタブレット型の謎の機械。
手に収まるサイズのそれを少年から受け取る。それでも猫の姿をとっている流紀には十分大きいのだが。
「それと」
一度、言葉を切る。
「ある人からの伝言で、『あまり深く関わらない方がいい』と華蓮さんに」
それだけ言うと少年はゆっくり屋上を後にした。
ある人から頼まれたという伝言を反芻しながら考え込む。
伝言を頼んだ人物と、その伝言の真意を。
「一応、桜にも言っておくか」
視線を少年から受け取った機械へと映す。
猫の手で器用に説明書を開き、読み進める。機械の正体を知り、口元を緩めた。