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2-14

 主からの(めい)を遂行するべく、珍しく妖華のもとを離れている樺はある人物を見つけて歩みを止める。


 ジャケットの代わりに白衣を羽織ったスーツ姿の優男。

 妖華がことに目をかけている者の一人である彼は、本来なら人間界にいるはずだ。

 何故、ここにいるのか。そんな疑問が浮かぶより先に、彼がここにいるであろうを予測していた妖華へ心中で賛美を送る。


「樺様」


 どことなく暗い影を纏ったレオンが樺のもとに駆け寄ってくる。

 武人然とした顔立ちに温和な笑顔を浮かべてみせた樺はレオンより先に口を開く。


「これから水ノ館に行く予定なのですが、貴方も来ますか」

「……はい」




 相も変わらず青ノ国は厚い雲に覆われ、雨が降り注いでいた。

 今のレオンの心情を現したように暗い空を見上げたレオンの頬に雨粒が流れる。

 ふと視線を前に向けたレオンは水ノ館を覆う透明な膜と向き合っている樺の背中を見つめる。


 他者からの侵入を拒むような膜に触れると波紋が広がっていっており、水のような印象を受ける。

 幹部の住まう屋敷には非常事態のため、セキュリティが備えられているという。おそらく、これが水ノ館のセキュリティの一つなのだろう。

 セキュリティは元々妖華が施した防御の術式に、当時の幹部が様々な術式を付加したものである。これを破るのは困難と言えよう。


「結界のようですね」


 レオンの呟きに肯定を示した樺は透明の膜にそっと触れる。そして、広がっていく波紋を見つめるレオンに空いている方の手を差し出した。


「レオン、手を」

「え……あ、はい」


 深い緑だった樺の瞳が金色の光を纏い始める。神秘的な光だ。


「同調」


 一歩踏み出したと同時に視界が暗転する。

 上空から落ちたような衝撃が広がり、水ノ館の敷地内に入ったレオンは尻餅についた。

 平然と立っている樺の姿を見て、情けなさがこみ上げる。羞恥で顔を仄かに染め、すぐさま立ち上がる。


「さて、ここはどの辺りでしょうね」


 正門から入ったはずの二人の視界に広がっているのは中庭の光景だ。

 庭師によって整えられた中庭には煌びやかな花々が植えられている。やはり、どこか王宮を意識した装飾は本家を超える派手さを感じさせる。


「水による反射や屈折を利用して錯覚を引き起こしているのでしょう。レオン、ここからは貴方が頼りです」


 はっとして樺を見る。

 片手で数えられる回数しか水ノ館に訪れたことの樺に対して、レオンは一時期住み込みで働いた経験がある。

 数年の月日が流れているとはいえ、樺よりも水ノ館の間取りに詳しいのは確かだ。

 水ノ館のセキュリティによって錯覚を見せられている以上、視界に頼らず進むほかない。


「分かりました」


 視界からの情報に惑わされぬように目を瞑ったレオンは昔の記憶を掘り起こす。

 ここで暮らしていたのは随分と短い期間ではあったが、すぐに思い出すことができた。


「他にもトラップがあるかもしれませんし、慎重に行きましょう」

「はい」


●●●


 ぼんやりと地面に座り込んだ月は意味もなく虚空を見つめる。

 闇が広がっているだけだった空間に光が灯り、剥き出しの地面がどこまでも広がっていく。

 もやもやとした何かはいつのまにか消えてなくなっていた。だというのに、自分がまだここにいるのは何故なのだろう。


 海里と話をして抱えていたものを吐き出した。それでも晴れない心がある。

 ずっとここから出られないのだろうか。

 途方もない永遠の時をここで過ごすことを考え、吐息を漏らす。霞かがった思考が淡白な感情を吐き出している。


「誰かと思えば、月か」


 聞き覚えのある声が耳朶を打った。

 緩慢な動作で背後を向いた月の視界が数週間分に見る少女の姿をとらえる。

 ウェーブのかかった蜂蜜色の髪を二つに括った少女だ。見た目だけでいえば、同年代にしか見えない彼女が纏う貫禄がとても頼もしく思えてしまう。


「レミちゃん」


 一人ではないと分かった途端、安堵している自分がいる。


「どうしたの、こんなとこで」

「抜け道を探して迷っているうちにここまで来てしまったようだ。月、お前は?」

「えっ、と……うーん、分かんない」

「そうか」


 相槌を打つとともにレミは月の隣に腰を下ろした。

 驚く月に向かって「歩き疲れたからな」とからりと笑うレミの表情は晴れやかだ。以前までの薄暗い雰囲気はなくなっている。


「すっきりした顔してるね」


 少しだけ首を傾げたレミは「そうかもしれないな」と薄く笑う。


「ムキリの攻撃を受けて、眠らされてからずっと考えていた。自分が本当に望んでいるものは何かって」

「望んでる、もの?」

「私はな、別にどこでも良かったんだ。水ノ館でも、処刑部隊でも、あいつと一緒にいられるだけで幸せだから。でも、幸せはどんどん増えていくんだな」


 初めは、姉だった。

 母が死んだことで青ノ幹部に引き取られた、レミと同じ妾の娘。

 周囲から疎まれ、孤立しながらも優しさを失わなかった強さ。しがらみだらけの屋敷の中でも自分を貫き、自由であろうとした強さ。

 彼女に憧れ、彼女とともにいたいと思っていた。けれども、姉は屋敷を去っていった。


 次は、姉を探しているうちに会った人間の少年だった。

 世界を知り、立場を知り、子供らしさを捨てた幼い少年。

 小さな身体に抱えた闇から救いあげたいと足掻き、彼の心からの笑顔を見たときは本当に嬉しかった。

 会っていなかった数年の間、彼に何があったのかは知らない。それでも彼がレミにとって守ってあげたい存在であることに変わりない。今も、これからも。


 次は、執事としてレミの傍に来た青年だった。

 今までレミに仕えてきた者たちとは明らかに違う青年に徐々に惹かれていった。

 この思いを恋心と気付くまでには時間がかかったが、一緒にいたいという思いはあの頃から確かに存在していたのだ。だからこそ、手を取った。

 他のなにを捨てても、彼の傍にいられればそれでいい。そう思っていたのも嘘ではない。


 けれど、いつからだろう。

 レオンの傍ではなく、処刑部隊という居場所そのものを大切に思うようになったのは。

 クリスも、海里も、レミにとっては大切な家族だ。守らなくてはならない居場所だ。


「私はあいつと一緒にいたい。でも、それ以上に処刑部隊を守りたい。だから私は水ノ館に戻ったんだ」


 戻ることを断った場合、父はともかく、ムキリが何をするか分かったもんじゃない。事実、レミの考えは的を射ていた。

 それでもムキリがここまでするとまでは考えておらず、まんまと策中に嵌ってしまっている現状だ。


「レミちゃんはそれでいいの? 会えなくなるかもしれないんだよ」

「会えないというわけじゃないさ。私が幹部になれば、会う機会は何回かあるはずだ」

「でも……」

「それに、私は一つ賭けをしているんだ」


 レミは悪戯めいた表情を見せるレミの言葉を反芻する。


「もし、私を目覚めさせてくれるのがレオンだったら……私は、この想いを告げるつもりだ」

「レオンさんじゃ、なかったら……?」

「潔く諦めるよ」


 はっきりと告げるレミから強い意志を感じ取り、憧憬を抱く。

 レミは自分のことを弱いと称するが、月からしてみれば彼女は誰よりも強い女性である。


「でも、そんなことにはならない。レオンは絶対に私を助けに来てくれる」

「信じて、るんだ」


 自分はここまで誰かを信じたことはあっただろうか。


「月は――」

「へっ」


 急に話を振られた月は我に返り、向けられる藍白色の瞳を見返す。


「月はどうなんだ?」

「わからない」


 抱えていた重荷が消えたわけではないが、海里と話して得たものは確かに残っている。

 一人で抱え込まなくていいと気付かされた。遠慮せずに隣を歩けばいいのだと教えられた。

 闇に覆われていたこの場も本来の明るさを取り戻している。けれども月は未だに目覚めることができないでいる。


「怖いのか」


 心臓を鷲掴みにされたような気分に陥る。

 そう、月は怖いのだ。絶対にないと分かっていても、星司達に拒否されるのではないか、という問いが脳内をチラついてしまう。


 今までは周囲の空気を読んで相手が望む通りの月でいれば良かった。それを今更、自分らしく振る舞うことが恐ろしくて堪らない。

 ここに閉じこもっていれば、痛みも苦しみも感じずに済む。恐れとは無縁の日々を送ることができる。


「怖いよ。ずっと、ここにいればこんなに怖い思いしなくてもいいんだよね……?」

「そうだな。その方が楽なのかもしれない」


 肯定され、はっとしたようにレミを見る。

 正面にあるレミの表情にはどこか悪戯めいた色が滲んでいる。


「でも、お前は寂しかっただろう?」

「ぁ」


 海里がいなくなり、再びこの空間に一人で取り残された月は果てしない孤独感を膨らませていた。

 だからこそ、レミがここに来た時は本当に嬉しかった。救われたと思うほどには。


 しかし、レミもずっとここにいることはない。海里のようにここを去ることはそう遠くない未来としてある。

 月はまた、一人ぼっちで過ごさなければならないのだ。

 途方もない孤独感を永遠に抱え続けることなど自分にはできるのだろうか。


(無理、かな)


 少しの間でも耐えきれないくらいに寂しかったのだから。


「寂しいと思えるうちはここにいるべきではない。孤独というのは痛みや苦しみよりも絶望に近いからな。月、お前は戻るべきだ」


 暗闇の中に耳慣れた声が響き渡る。その声はあまりにも必死で、何度も誰かの名前を呼んでいる。

 誰か、ではない。月の名前だ。


「お前を呼ぶ声が聞こえているだろ」


 愛しい恋人の声は月の心の中に浸透していき、恐怖心を溶かしていく。

 いつの間にか剥き出しだった地面に緑が差し、小さな草花が芽吹く。茶色から緑へ、最後は色とりどり花で染められた地面は月を応援しているようだ。


 一歩足を踏み出せば、ちょうど足首程度の高さの草花がさわさわと擽る。くすぐったさが妙に心地よくて、一歩、また一歩と歩を進めていく。

 ふと思い立ったようにレミを顧みる。月の動きに合わせるように三つ編みにされた髪が跳ねる。


「レミちゃん、またね」


 その言葉に込められているのは期待。レミが処刑部隊に戻ってくることへの期待だ。

 ほとんど確信に近い期待を読み取ったレミは曖昧な微笑みだけを返す。素直じゃない反応に少し膨れて、すぐに得意気な表情を浮かべてみせる。


 期待を予言へと変えながら、再び「またね」と言葉を紡ぐ。今度はレミも「ああ」と短く言葉を返した。

 満足した月は跳ねるように正面を向き、目を瞑る。瞼の裏を見つめているうちに意識は遠くに引っ張られていく。そのまま優しい引力に身を任す。

 困ったような、苦々しい笑みを浮かべて月を見送ったレミは誰かに呼ばれたような気がして後ろを振り返る。


「  」


 また、名前を呼ばれた。

 反響する声は不鮮明で、それでも自分が求めていた声なのだと理由のない確信が沸き起こる。

 あまりにも必死で、震えた声に誘われるようにしてレミの意識もまた別のところへ引っ張られていく。


●●●


 開いた瞳に真っ先に映り込んだのは心配そうに顔を歪めた恋人の姿だった。寝癖だらけの髪がささやかな風を受けてふわふわと揺れている。

 揺れる髪の頼りなさは、不安でいっぱいの顔とマッチしていて笑声が零れる。

 月が目覚めたことに気が付いた星司はほっと安堵の息を吐くが、楽しげに笑う月を見て少し眉を寄せた。


「月、どうしたんだ?」

「んーん、なんでもない」


 今までに見たどんな笑顔よりも自然で柔らかな表情は本来の月を引き出しているように見える。

 ふふ、と笑い続ける月に不満げな視線を送りつつながらも、星司もどこか嬉しげだ。

 そんな二人の様子を傍らで眺めていた海里は何かを察したのか笑みを少しだけ深くし、すぐに戦闘の方へ意識を戻す。


 今の戦況ははっきり言って芳しくない。

 前衛に流紀、焔、鈴懸。後衛にクリス、華蓮。海里は結界内にて、非戦闘員を守りながら全員のサポートに行っている。

 サポートといっても、月からムキリを引き離すために使った技による負担が小さくない海里にできることは多くない。見守っているしかない現状は少し落ち着かない。


 左腕から放たれる脈打つような痛みは戦闘へ集中しようとする海里の意識を阻害する。今までにない痛みに額にはじっとりと汗が滲んでいる。


〈海里〉


 耳朶を打つ心配そうな声は十数年の人生でもっとも聞き慣れた声だ。

 光のような金髪を纏い、目の前に立つ子供は天から遣わされた天使のような純潔さを感じさせる。透けた身体が儚げな印象を引き立てる。


「大丈夫」


 口癖となった言葉では案の定、信用されないようで隻眼が物言いたげに見つめている。


「ごめんね」

〈別に……〉


 隻眼が逸らされたと思うと、カイの姿は消失した。逃げとも取れる行動を海里は苦笑を浮かべて見届ける。

 後でちゃんと謝らないとな。小さく決心し、改めて戦闘へ意識を向ける。


 カイのお陰か、左腕の痛みは先程よりも幾分か緩和されているような気がする。

 海里が戦闘の方へと目を向けたと同時に、火の玉と炎を纏った拳が左右からムキリを襲うところだった。


 ムキリは火の玉を掌で吸収し、拳は翼で受け止め焔ごとを遠くへ吹っ飛ばす。宙で態勢を整えた焔は地面と着地すると同時に再び宙へ飛び出す。

 同時に氷の薙刀を構えた流紀がムキリの背後から襲い掛かり、すぐ真下からは先端を尖らせた幹が勢いよく生える。


「いやはや」


 焔と流紀を翼であしらい、先程吸収したばかりの火の玉で真下の幹を焼き払う。

 宙を舞う焔と流紀の二人はタイミングよく出現した白い綱を足場に方向転換する。

 ちょうど真横を走る華蓮が生成した炎を掴んだ焔は更に加速する。


 先程からあしらわれては再びけしかかるの繰り返しだ。吸収能力を警戒して物理的な攻撃しか使えないのは正直辛い。


「レオンの方はどうなってるかな」


 レオンを妖界に帰らせたのは頭を冷やすこと以外に、この状況を打開する手がかりを掴むことも目的にしている。

 不調だったとはいえ、海里の考えはレオンにも伝わっているだろう。

 むしろ、そうでなくては困る。察せていなかったらレオンの処刑部隊副隊長としての地位はいよいよ危ぶまれてくる。


 処刑部隊の一員として過ごしてきた時間は妖にとっては短いものではあるが、海里にとっては人生の半分以上を占める非常に長いものである。培ってきた信頼も、期待に応えてくれるという思いも嘘ではないと信じていたいものだ。

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