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2-13

 海里の身体が傾く。が、咄嗟に腕を出した星司の前ですぐに態勢を立て直す。身に纏う雰囲気を穏やかなものから刺々しいものに変えながら。

 振り返った海里は順に視線を巡らせ、腕を前に出した形のままで固まっている星司に目を止めると盛大に舌打ちをする。


 別人のような空気を纏った海里の姿を星司は一度だけ見た事がある。

 忘れもしない。海里と再会したした時である。

 最後に会った時とは正反対と言っていいほど刺々しい雰囲気に、少なからず動揺したものだ。

 あの時の海里は"カイ"と名乗っており、改めて考えると別人だったのだろう。

 見た目は寸分違わず同じ人物であっても中身は全くの別物。多重人格か、それに似た何かであると考えるのが自然だ。


「お前……カイ、なのか」


 剣呑さを宿す隻眼がこちらを一瞥し、不機嫌そうに鼻を鳴らす。肯定と受け取っていいのだろうか。


「いやはや」


 今まで余裕な態度を崩さなかったムキリの表情が初めて曇り、不快そうに眉を顰めている。

 纏わりついていた白い糸を背中に生やした翼で引き裂く。どんどん月の身体に馴染んできているようだ。


「あら、強度が足りなかったかしらぁ」


 呑気な言葉を漏らすクリスに向けて、黒い槍が降り注ぐ。すぐさま生成された糸が槍を全て絡めとり、破壊する。

 続けざまに放たれるのは無数の氷塊。

 これは横から飛んできた炎の拳が打撃とともに高熱を与える。熱をもろに受けた氷塊は数秒も経たぬうちに水へと変わり、完全に蒸発する。


 次々と注がれる攻撃の対処に追われる人々を嘲笑するように翼をはためかせるムキリに迫るのは細長い蔦。

 棘を生やした蔦は月の身体を傷つけることも厭わずに、真っ直ぐムキリへと向かっている。瞬きの一瞬、蔦が炎に呑まれた。

 予想外の出来事に鈴懸の目が大きく見開かれ、反射的に焔へ視線をやる。

 炎を見て鈴懸が真っ先に連想するのは焔だ。驚きに揺れる翡翠の瞳には焔に対する疑念が宿っている。


「心外だな。鈴懸の邪魔をする理由など私にはない」

「では、誰が」


 この場にいるメンバーの中で火の術を扱う者は少ない。別人のようになった海里やクリスのことは分からないが、焔以外に火の術を扱うとしたら一人しかいない。


「あれは月の身体なのよ!」


 想像通りの人物が声を上げ、静かに視線を向ける。

 最愛の主の面影を持ったポニーテールの少女。つり目をさらにつり上げ、睨むように鈴懸を見ている。


「承知しています」

「なら――っ」


 翡翠の瞳と目が合い、華蓮は息を呑む。

 何故、華蓮が怒っているのか分からない。

 機械的な静けさを纏った瞳はそう問いかけているように見えた。


 彼にとって、この世で一番大切なものは主である桜だけで、それ以外のものは無価値のないものだ。友情や愛情なんてものは理解できないし、理解する気もない。必要性を感じないというのが正しいかもしれない。

 すぐ傍で嘆息する気配がある。


「今のはお前が悪い。馬鹿ではないのなら空気を読む努力くらいはするべきだ」

「確かに…一理ありますね。味方内の空気が悪くなれば、戦況も傾きますし」


 桜が世界の全てだと言う鈴懸ではあるが、周囲の意見を突っぱねるほど頑なではなく、殊に同胞の言葉ならば素直に聞き入れる柔軟性は持っている。

 面倒な部分はあるものの、相応の素直さを持つ鈴懸は他の同胞と比べれば扱いやすい。


「あの身体は幸の娘だ。貴族街との関係に不和が生じるようなことは桜も避けたいはずだ。それに」


 言葉を一度切り、離れたところで殺気立った視線を送る藍髪の少年を一瞥する。


「それに、あの中にはムキリの他に海里もいる可能性がある」

「推測の域を出ていないように思えますが」

「事実、推測の域は出ていない。が、手詰まりとういうわけでもないんだ。月の身体を諦めるのは少しばかり早計だと思わないか」

「……一理、あります」

「本当にどうしようもなくなった時は月の身体ごと、ムキリを殺せばいい」


 最後の言葉だけ華蓮や星司には聞こえないよう音量を下げる。

 焔は鈴懸ほどに一途ではない。当然、桜のことは何よりも大切に思っているが、鈴懸のように蔑ろにする気もない。


 顔見知りが死ねば気が沈むし、犠牲者の数は少ない方がいいと思う。月のことだって、助ける方法があるならば多少の手間がかかろうとも、そちらを取るべきだと思う。

 しかし、助ける術が何もないのであれば不確定な希望に縋ることはせず、切り捨てる非情さも持ち合わせている。 

 情からではなく、事態を客観視したところから出る焔の言葉に鈴懸は素直に頷いた。


●●●


 開かれた隻眼に映るのは完全な闇だ。自分の存在すらあやふやなものになる闇の中、海里はある人物を見つけようと目を凝らす。


 目的の人物はすぐに見つかった。

 中心部分に座り込んでいるのは金に近い琥珀色の髪を背中に流した幼い少女。

 陰鬱な表情をしている少女の前には見覚えのない初老の女性が立っていた。

 冷え切った表情を少女に向ける女性が口を開き、情を一切感じさせない声音で語り掛ける。


「貴方は普通ではないのです」


 大きく見開かれた少女の瞳は絶望を映し出し、大粒の涙が滂沱として流れ落ちていく。


「他の者とは違うのです。それを肝に銘じなさい。甘えは許されません」


 彼女が最も触れられたくない部分であることを察していながら、隻眼は真っ直ぐ目の前の光景を見つめる。

 一歩、足を踏み出す。


「どうしてダメなの」


 響き渡る声。構わず、歩を進める。


「嫌いだ……みんなも、私も。置いていかないで」


 少女に近づくにつれて声は重なり合い、不協和音を作り出す。

 姦しくなる声にも耳を塞がず、顔には柔らかな笑顔が浮かべられたままだ。


「私の居場所を取らないでよっ」


 悲痛な叫びは明らかに海里へ向けられたものだ。

 星司と華蓮と月。ずっと三人でいた中に突然入りこんできた海里に、月はずっと居場所を奪われたような気でいた。

 元々、星司とも華蓮とも親しかった海里は距離を詰めるのも早かった。それが月の思いに拍車をかけていたのだろう。


「春野さん」


 呼びかける声は酷く静かだ。


「だあれ」


 舌足らずな声が響き、揺れる瞳が海里へと向けられた。いつの間にか、初老の女性の姿は消えている。


「君は普通じゃない」


 ――お前たちは普通ではないんだ。


 普段よりも甲高い自分の声を聞きながら、かつて海里自身が言われた言葉を思い出す。

 あの頃の海里も月と同じくらいの衝撃を受けたものだ。その言葉に続いた言葉がなければ海里も少女のように絶望していたことだろう。


 大きな瞳から零れた涙が頬を伝うのを見届け、笑いかける。暗闇の中でも不思議と互いの表情がよく見える。


「でもさ、普通ってなんだろうね」


 努めて優しい声を出す。


「俺にとっての普通は他の人とは違う。でも、それって当然のことだって思わない?価値観は人それぞれで、普通は価値観の数だけ種類があるものなんだと思う。俺は普通ではないのかもしれない。でも、他の人にとって普通じゃないことが俺にとっての普通なんだ」


 陰鬱を宿すだけだった瞳に光が宿ったような気がして海里は言葉を続ける。


「飽くまで、これも一つの価値観に過ぎないんだけど……。春野さんはやっぱり普通なりたい?」

「だって……だってふつうじゃないとみんなといっしょにいられないもん」


 ずっと負い目を感じてきた。普通ではない自分が星司や華蓮の傍にいることの罪悪感が募り、胸を締め付けた。何も知らない二人を騙しているような気がして堪らなくなった。

 一緒にいたくても自分にはそんな資格がないのだ、と。


「だったら、俺もみんなと、星司達と一緒にいる資格はないのかもね」

「ちがっ」


 笑顔の海里が妙に儚げに見えて、月は即座に否定する。

 その奥底で囁く声がある。

 肯定してしまえば楽になれる、と。海里に居場所を奪われると心配する必要はなくなる、と。


 違う。違う。違う。違う。違う。そんなつもりはない、絶対にない。

 繰り返すたびに薄くなっていく否定に頭を振る。


「俺に比べたら……春野さんは、ずっと普通の人だと思うよ」


 どこか遠くを見つめる隻眼に宿る複雑な感情に気付き、息を呑み、呆然と見つめる。

 今すぐ闇の中へ溶けてしまいそうなほど美しい姿であった。


「春野さんは星司達と一緒にいて楽しかった?それとも苦しいだけだった?」


 動揺を明らかにする月に向けられるのは温かな笑顔。


「俺が見る限り、とっても楽しそうだったけど……これは俺の勘違い?」

「ちがう!」


 激しく首を振る月の動きに合わせて、金に近い琥珀色が揺れる。

 一際大きく撓んだ瞳から涙が滂沱として流れる。


「たのしかったよ、とっても。だから、みんなといっしょにいたいっておもったんだもんっ」

「だったら素直にその思いに従えばいいよ」

「……ダメ。ふつうじゃないわたしがみんなといっしょにいるのはダメなの!」


 強情な月に海里は困ったように息を吐く。ただ優しく諭すだけでは要領を得ないと判断し、人好きのする笑顔が消失させる。


「いつまでも駄々を捏ねるな」


 怒気が込められた声が闇の中に響き渡る。

 正直、海里は怒るのが得意ではない。いや、好きではないと言った方が正しいだろうか。

 向けられる驚きと恐怖の入り混じった顔を見ていると、罪悪感が胸の中で疼く。


 それでも必要ならば罪悪感なんて捨て去ろう。言葉を伝えるためには怒りも必要なことだと思うから。

 少し贅沢を言えばレオンにしても、月にしても、もう少し聞き分けが良くなってほしいものだ。


「星司や華蓮が春野さんを拒絶したことがあった?普通じゃないからって遠ざけようとしたことがあった?」

「……でも、でもっ…星司も、華蓮も、どんどんわたしをおいていっちゃうっ」

「本当に?」


 ちょうど目の前にある隻眼。金色の光を纏うその瞳は驚くほど静かだった。


「本当に星司達は春野さんを置いていこうとしてる?俺には春野さんが自分から歩みを止めているように見えるけど……。自分から止まっておいて、置いていくななんて酷く傲慢だ」

「……っ」

「普通かどうか悩んでいる暇があったら一歩踏み出せばいい。一緒にいたいんだろ。隣を歩いていたいんだろ。まだ、そんなに距離は開いてない。春野さんが進もうと思えばすぐに追いつける」


 ふわりと緩んだ怒気を包み込むように穏やかな笑みが顔を覗かせる。

 温かさを持ったその笑顔に月は強張っていた心が溶かされていくのを感じた。


「また歩みを止めたくなるようことがあれば話せばいい。今度はちゃんと自分の口から。星司も、華蓮も、もちろん俺も聞く準備はいつでもできているから。春野さんは春野さんのしたいようにすればいいと思うよ」

「わたしは――」


 眩い光が闇を支配した。

 思わず目を瞑った海里が再び目を開いたときには少女の姿は消え、代わりに本来をの姿を取り戻した月が立っていた。


「あれ?私、どうして……。ぁ…えと、武藤君だよね」


 注がれる視線に困惑を驚きが混じっていることに気付いた海里は苦笑して自身の身体を見下ろす。

 明らかに縮んだ身体。もみじのような掌は嘘でも高校生のものとは思えない。

 先程までの月相手だと違和感はなかったものの、今の月を前にすると子供の姿になっていることを嫌でも自覚する。


「あー、この姿のことは気にしないでもらえると嬉しい、かな」

「うん、分かった。……でも、子供の武藤君も可愛いね」


 "も"とついているところに異議を申し立てたい気分になりつつも、やけに嬉しげな月の視線のむず痒さに身体を捩る。

 同じ目線になるようにしゃがん月はそっと手を伸ばし、頭を撫でつける。優しい手付きは海里にちょうどいい心地よさを与える。

 しかし、中身は仮にも高校生である。心地よさ以上に羞恥心が上回る。


「あの、春野さん?」

「あ、ごめんごめん。あんまり可愛いからつい」


 頭を撫でる手が止まることはなく、海里は心中で息を吐く。本来の明るさを取り戻した月に安堵しながら。


「武藤君、ありがとう」

「どういたしまして」


 ようやく月の手が頭から離れる。

 それを見計らったように現れた金の光の存在を感じ取り、身を委ねるように目を瞑った。

 

 ●●●


 険しい顔で鈴懸を見ていたカイと思わしき少年の身体が不意に揺らいだ。

 咄嗟に手を出した星司は今度こそ、カイもとい海里の身体を受け止める。

 完全に意識を失っているようで、腕にかかる重さに四苦八苦しながら戸惑いを露わにする。そして傍観者を気取っていたクリスに助けを求めるように目をやる。


「ん」


 微かに息が漏れ、もぞりと身体が動く。閉じられた瞼が微かに震え、漆黒の隻眼が姿を現す。

 真っ先に映り込んだ星司の姿に何度か瞬きをし、状況を理解したのか「ごめん」と口元が動いた。僅かに掠れた声だ。

 数秒前まで纏っていた刺々しい雰囲気が消え失せており、海里に戻ったのだと星司は知らず確信する。


「大丈夫か」

「うん、なんとか」


 身体を起こした海里は額を軽く押さえて笑う。海里の顔色は芳しくなく、力のない笑みはただ疲れているだけとは違うように見える。

 状況整理のために視線を巡らした海里は気持ちを入れ替えるために深く息を吐き出す。


「よし」


 左腕から発せられる筋肉痛にも似た鈍痛に気付かないふりをしながら、竹刀の形をとった龍刀を構える。

 引き留めようとする海里を他所に、クリスに目配せをした海里は地面を強く蹴って跳躍。揺れ動く藍髪が翼のようだ。


「海里!」


 声に反応し、振り向いた海里の隻眼が銀色の光を纏ている。やけに海里に馴染む色である。

 すぐに月へ向き直った海里の視界は彼女から伸びる幾本もの糸をとらえる。


 クリスが生成したものとは明らかに違う糸はそれぞれ星司や華蓮に繋がっている。二人よりも細い糸が自分にも繋がっていることに気付き、海里は薄く笑う。

 あの糸は一般に、絆とか縁とかと呼ばれるものだ。糸が太いほど相手との絆が強いということになる。

 不可視なはずの糸は今、しっかりと海里に見えている(・・・・・)


「見つけた」


 淡い光を纏った糸が四方へ伸びている中、月へ繋がる黒い糸を見つける。月から伸び、月へ繋がるその糸は半ばから淡い光を取り戻している。

 その糸に狙いをつけ、隻眼と同じく銀色を纏った龍刀を振りかぶる。


「縁切」


 文字通り対象者の縁を切る技。銀色を纏う者から海里が与えられた絆の糸を見る力を応用した技である。

 取り憑いた者を切り離すこともできるが、そのためには二人の癒着を和らげる必要がある。無理矢理に切り離そうとすると、取り憑かれた側が心的なダメージを負うのだ。

 だからこそ、月の心と対話し、闇に取り憑くムキリとの癒着を和らげる必要があった。


 袈裟斬りの要領で、月の身体の数ミリメートル前に振り下ろす。華蓮のものと思われる悲鳴が聞こえた。


「いやはや」


 避けようと翼をはためかせたムキリは違和感を感じ、後方へ視線を向ける。

 不敵な笑みを作った焔が炎を纏う手で片翼を掴み、もう片翼は氷の薙刀が切り離す。


 避ける術を失ったムキリは大人しく海里の攻撃を受ける。

 糸の黒い部分だけ綺麗に切り払われ、宙を舞う。それを追うようにして月の身体から黒い靄のようなものが追い出されていく。

 気絶した月の身体を抱きかかえた海里は着地し、疲れたように息を吐いた。


「これで振り出しか」

「いいえ、少しは前進していますわぁ。ともあれ、海里様は休んでいてくださいな。あまり無理をさせると怒られてしまいますからねぇ」

「これくらい別に――」


 灰色の瞳と目が合い、海里が続きの言葉を飲み込む。


「分かった」


 何故か、こういう時のクリスには逆らえない。普段と変わりない表情のはずなのに、そこに込められた何かが逆らう気をなくさせるのだ。


「さて、我々も戦闘を再開するか」


 焔の言葉に倣うようにして流紀と鈴懸も臨戦態勢を取る。

 切り離されたダメージは決して少なくはないだろう。回復するまでに叩くが吉だ。

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