2-10
ここまでの文章を書き直しました(2016/8/22)
話の根本は変わっていないので、読み直さなくても話は理解できるようになっているとは思います。
いつもより目を早く目を覚ましたレミは意味もなくベッドの天井を見つめる。
今日のパーティのことをつらつらを考え、無意識に溜め息が零れた。ゆっくりとした動作で起き上がり、自分の頬を叩く。
「よし」
憂鬱な気持ちを捨て去るように立ち上がる。
「しかし、早く起きすぎたな」
本来、起きるはずの時間までまだ一時間以上もある。
所在なさげに視線を巡らせ、することもなくベッドの上に腰を下ろす。ふかふかのベッドに身体が沈む。
ベッドの隅に鎮座する天蓋付きベッドはレミ一人には大きすぎる。けれども、どうして狭く感じてしまうのか。
「寝直すべきか」
呟いてからふっと自嘲気味に笑った。
「これからはこの口調も自重しないとな」
この屋敷でレミはお淑やかなお嬢様を演じていなければならない。ならば、この口調は相応しくない。
行方不明の姉を真似た口調。
強くて自由で輝いていてレミの憧れだった人物。
口調を真似れば、自分も彼女のようになれるかもしれないと思っていた。結局、自分は弱いままだったけれど。
「お父様の言う通り、姉様は自分から屋敷を出たのかもしれんな」
しがらみだらけのこの屋敷は姉には狭すぎた。出て行った方が姉は幸せになれる。
今日が終わればもう姉を探すのは止めよう。人間界に行くのも控えるべきだろう。
「もう会えないか」
脳裏に過ぎるのは弟のように思っていた少年の姿。
人間である彼には妖界の事情など関係ない。だからこそ、家柄など関係なくレミ自身を見てくれる数少ない相手。
最後の別れがあんな形なのは心残りではあるが、もう会うこともないだから忘れてしまおう。
きっと二人もすぐに忘れてしまうだろうから。
「すまない」
目頭が熱くなるのを感じながらも、涙を零してしまわぬように必死に堪える。
泣いてはいけない。泣くわけにはいかない。泣いていい立場じゃない。
「さようなら」
窓の向こうを見つめて放たれた別れの言葉は静寂の中に溶けて消える。
ピンク色の豪奢なドレスに身を包んだレミは鏡に映る自分の姿を無感動に見つめる。
ウェーブのかかった蜂蜜色の髪には丁寧な手付きで櫛が通される。
「どのような髪型にいたしますか」
「お任せしますわ」
「かしこまりました」
錦糸のように柔らかい髪をレオンが一房手に取る。
慣れた手付きでレミの髪を結っていくレオンの姿を鏡越しにぼんやりと眺める。一瞬だけ誰かの姿と重なった。
――今日はどうしようか。
メイドの少女が持ってきたヘアカタログを見て苦悩する少年。
悩ましげな顔をしているくせに、どこか楽しそうで口元は綻んでいる。レミは少年に髪をいじられるのが好きだった。
忘れると決めていたはずなのに、また少年達のことを思い出している自分に気付く。
「どうかなさいましたか」
「いいえ、何でもありませんわ」
「そうですか」
震えた声にレオンが気付かなかったわけはないだろう。
静かなレオンの声に少しだけ泣きそうになった。レミが渦巻く感情を振り切るように深呼吸をする。
●●●
華やかなパーティ会場に待ちに待った主役が登場する。
ピンクを基調としたドレスで、大量のフリルがあしらわれている。胸元には大きなリボン。
パーティ用に纏められた蜂蜜色の髪は本人の可憐さを引き立てている。
形の整った唇は薄紅色で、優雅に綻んでいる。藍白の瞳は父親である青ノ幹部を面影を感じさせ、身に纏うのは幹部の娘としての風格。
離れた位置でレミの姿を見ていたレオンはその変わりように目を見張る。
「皆様、本日は私のためにお越しいただき、ありがとうございます」
清らかな声音が紡ぐ言葉は一つ一つ、大衆の中に浸透していく。
「今日は楽しんでいってください」
挨拶が終わり、有名なオーケストラが美しい音楽を奏で始める。
音楽に乗って優雅なダンスを披露する人々をレミは口元に微笑を乗せたまま眺める。
煌びやかな衣装に身を包んだ一人の少年がレミの前で恭しく手を差し出す。
「姫、僕と踊ってくださいませんか」
「ぁ」
反射的に断りそうになるのを堪える。
「ええ」
喜びを露わにするような表情で。
このパーティはレミの誕生日を祝う他に来年に成人を控えたレミの婚約者を探すお見合いパーティの意味を兼ね備えていた。
レミくらいの身分の者なら幼少時から婚約者がいてもおかしくはない。しかし今日、こうしてお見合いパーティが開かれているのは、レミが今までずっとやんわりと断り続けてきたからである。
今日は今までのように断ることは許されない。
招待された者たちの中から自分の婚約者を選ばなければならないのだ。
躊躇いがちに手を取るレミに――緊張していると思ったのだろう――少年は「大丈夫」と小さく笑いかける。
少年の名前はアイル。赤ノ国と深い繋がりを持つ有力貴族の次男坊だ。温和な性格ということもあり、婚約の誘いはひっきりなしに来ていたが今日まで受けることはなかったのだという。彼の両親はなにがなんでも婚約を勝ち取りたいと考えていることだろう。
他に有力な面々といえば、ロレクスとトウアだろうか。
ロレクスはレミの従兄に当たる人物だ。高貴さだけなら群を抜く。
レミも何度か顔を合わせたことはあるが、正直相容れない性格をしている。
トウアは強い妖力を持っているらしい。計算高く、媚びを売るのが上手い。とはいえ、観察眼の人一倍優れているレミは筒抜けでどうも好きになれない。
ダンスを踊りながら婚約者候補として招待された者達を冷静に分析し、品定めする。
父からは誰を選べといった要求は特になく、レミが好きな者を選べと言われている。その言葉に嘘はないだろう。
選んでも満足のいく結果になる者しか招待していないのだから。
「アイル様、この曲が終わったらバルコニーに参りませんか」
恥ずかしそうな頬を染め、囁くような声音で。
その言葉は遠回しに二人っきりになろうと言っているのだ。
アイルに断る理由はなく、二つ返事で了承する。
バルコニーに出た二人の鼻孔を擽ったのは湿気を帯びた空気の香り。
空は厚い雲に覆われており、ぱらぱらと雨が降り注いでいる。
一年のほとんどが雨である青ノ国では珍しくない光景で、物心つく前からここで暮らしているレミとっては馴染み深い。
「寒くありませんか」
「大丈夫ですわ」
そう言いながらもレミの肩は微かに震えている。
ドレスの生地は薄手で、雨で冷え切った空気の中ではさすがに堪える。
もう少し厚い生地で仕立ててもらうべきだったと考え込むレミの肩に何かがかけられる。それはアイルが着ていた上着だった。
「これではアイル様が」
「こう見えて寒さには強いんです。僕の家は南の方ですから」
青ノ国の最南端にはイスネベールという山がある。常に氷点下を記録し、山に積もった雪は一度も溶けたことがないという、妖界でも最も寒い場所だ。
その影響で青ノ国は南に行くにつれて寒くなっている。
「お優しいのですね」
謙遜するアイルに貼り付けた笑顔を向ける。
「良ければお父様にご紹介したいわ」
アイルの表情に喜びの色が混じる。
どこか違和感を覚えたレミだが、すぐに消え、気のせいと結論付ける。
バルコニーの付近をうろついているロレクスとトウアの二人を一瞥する。
あの二人とは初めから婚約する気はない。簡単に言うと消去法だ。
「でも今はもう少し二人っきりでいても構いませんか」
せっかく人といないところに来れたのだから、すぐに戻ることはしたくなかった。
レミの考えなどには気付かないまま、やはりアイルは嬉しそうだった。
●●●
お見合いパーティの結果だけを言えば、レミとアイルは婚約することとなった。
これで赤ノ国との交友関係が強くなると父も喜んでいたので、ある意味正解だったのだろう。一番性格が合いそうな者を選んだだけで、レミにとってはどうでもいいことだが。
「お父様、お呼びですか」
「おお、レミか」
作業途中だった書類を脇に避けた青ノ幹部ことレウスの表情は最愛の娘を前に緩み切っている。
レオンを怯ませた恐ろしい程の威厳は今、完全に鳴りを潜めている。
レウスは誰よりも、何よりもレミに愛を注いでいる。けれどそれは次期青ノ幹部にするためのポーズといっても過言ではなく、こうして緩み切った表情を見せているのはレミが父の望むお淑やかなお嬢様を演じてきた結果だ。
一度でも本来のレミを見せれば、こんな表情が与えられることはないのだろう。
青ノ幹部が、父が必要としているのはレミではない。レミの持つ才能だけだ。
自覚して少しだけ胸が締め付けられた。
何故、自分は本当の愛を注いでくれない父に気に入られるために生きているのだろう。
「お前に言っておくことがあってな」
嫌な予感がした。
「レオンは明日で解雇することになった」
頭を殴られたような衝撃を感じ、それでも平静を装って耳を傾ける。
あれほど辞めさせようとしていたはずなのに、動揺している自分に気付く。胸が更に締め付けられた。
「何故、ですか」
「もともと次の執事が決まるまでの仮だったのだ。安心しろ、次の執事はレミにより相応しい者だ」
相応しい? 何を言っているのだ。
レミに相応しい執事は間違いなくレオンだ。レオン以上にレミに相応しい執事などこの世のどこにもいやしない。
この男は一番レミを理解しているようなことを言っていても、一ミリとてレミのことを理解していない。
この男が本当に愛しているはレミの力だ。
どこまでいってもこの男は青ノ幹部でしかない。自らの権力と、青ノ国の繁栄のことしか考えていない。
目の前にる娘が自分と同じく、感情のある存在だということに気付いていない。
「……そうですか」
渦巻く感情の少しも言葉にできない。
籠の中の鳥は主に言われるがまま、歌を歌うだけ。それが生き残る道。
他の選択肢はパーティの日に自ら捨て去った。
「話はそれだけだ」
「では、私は部屋に戻りますわ」
一礼し、立ち去る。
毅然と前を向き、廊下を歩きながら何も考えないように努める。
自分が決めたことだ。覆すなんてことはしない。
視界の隅に大量の南京錠がつけられた扉を捉える。レミの部屋の前にある扉だ。
「姉様」
あの扉を開けるための鍵はレミが持っている。
姉がいなくなった時の姿のままで保存された部屋。かつて姉が使っていた部屋だ。
決別するように背を向ける。
「おかえりなさいませ」
部屋に戻ったレミを出迎えたのは普段と変わりない様子のレオン。
レミより先に辞めなければならないことを知っているだろうに、レオンからは微塵も動揺は感じられない。
心を揺れ動かされているのはレミ一人だけのような気がして切なくなる。
「ハーブティーです。落ち着きますよ」
差し出されたティーカップに入れられた透き通った液体。
レモンのような香りが鼻孔を擽り、口に含む。すっきりとした味わいが口内に広がる。
「おいしい」
無意識に言葉が零れた。
コップから手を通して伝わってくる冷たさに対するように、目頭が熱くなる。波打っているであろう瞳に気付かれないように顔を俯ける。
「レミ様?」
気遣わしげな声が余計に目頭を熱くする。堪えきれなかった涙が零れ、床に水滴がつく。
不意に頭を撫でられる。撫でるその手から優しい温もりが伝わってくる。
本来、使用人が主に気安く触れることはご法度である。しかし、レミはされるがままになっていた。
「辞めて、しまうのですね」
優しい温もりが頑なだったレミの心を溶かしたのか、するりと言葉が出てきた。
レミを撫でていた手が止まる。不思議に思って顔をあげると、驚きを露わにしたレオンの顔がある。
いつも営業スマイルを貫いていたレオンのそんな顔を見るのは初めてだった。
「レミ様」
すぐに口元を綻ばせたレオンの表情は今まで見てきたものとは違う。嘘っぽさが消えていた。
「旦那様に雇われている身ですが、私の主はレミ様です。レミ様が望むことならなんだって叶えてみせるつもりです」
赤くなった目を丸くするレミを前に恭しく頭を垂れる。
言葉は嘘でも演技でもない。心の底からの思いだ。
相手がレミではなかったら決してこんなことを思うことはなかっただろう。
レミと共に過ごす日々の中で、レオンも心を揺れ動かされてきたのだ。
「さあ、お望みを仰ってください」
「望み」
考える。レミが今、一番望んでいること。
「……ずっと、傍に」
「お望みとあらば」
簡単に答えるレオンを不誠実だと思わなかった。
レオンならば絶対に叶えてくれる。そう思わせる何かを今のレオンから感じる。
漆黒の瞳がじっとレミの事を見つめている。
待っているのだ。レミが幼い頃に諦め、それでも未だに捨てることのできない望みを。
「自由になりたい。私が私でいられる場所がほしい」
また涙が零れた。
籠の中で歌を奏でるだけの鳥でいるのは嫌だ。大きな空を自由に飛び回りたい。
「かしこまりました。レミ様の望みを叶えましょう」
流れるような所作でレオンは跪く。
大仰な仕草なのに芝居がかった印象を受けないのはそれが演技ではないからだろう。
「でもどうやって」
「難しく考える必要はありません。我々は今からちょっとした家出をするだけです」
「は? 家出」
思わず素が出てしまったレミにレオンは大きく頷く。
「不思議なことはありません。親に反抗して家出をする。レミ様くらいの年頃であればよくあることです」
すらすらと言ってのけるレオンの姿に、これが彼の素なのだろうと取り留めないことを考える。
正直なところ、馬鹿らしくなってきた。
「くく、そうか。そうだな」
今まで深刻に悩み続けてきた自分を笑い飛ばす。
藍白色の瞳には今までとは違う理由の涙が浮かんでいる。
お淑やかなお嬢様でいなければならないという考えは完全に吹き飛び、笑い声をあげる。
「レミ様」
手が差し出される。
「お供いたします、どこまでも」
「ああ、よろしく頼む」
互いの手から伝わる温もりを頼りに二人は飛び出した。
――その日、最愛の娘が執事とともに行方不明になった知らせが青ノ幹部の耳に届いた。