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1ー3

 現在、華蓮の部屋には古い書物がたくさん積み重なっている。妖や、妖を倒す術について書かれた資料であり、桜から借りたものだ。


 部屋の主である華蓮は眉間に皺を寄せて、書物を読み漁っている。

 この書物は達筆で書かれているものばかりな上に、古い言い回し多くあり、一冊読むだけでもかなりの時間を要する。


「分っかんないわ」


 意外とよく言われるが、華蓮は古典は苦手なのだ。

 全身を投げ出すように畳の上に寝転がる。視界の隅に同じく書物を読み漁っている百鬼と、呆れた表情で座っている焔の姿が映る。


 数百年前から生きている百鬼からしてみれば普通に本を読んでいるのと同じらしく、何やら興味深げに読み進めている。


「華蓮には実践の方が合っているのかもしれんな」

「実践って?」

「頭じゃなく足で調査するってことだ。目撃された場所は桜から聞いているし、行ってみるか?」


 このままよく分からない書物を読んでいるよりマシだと考えた華蓮は二つ返事で了承した。




 退治を頼まれた妖が目撃されたという場所に立った華蓮は視線を巡らせる。特別それらしいものはない。

 再びここに現れる可能性にかけて、警戒を最大にしながら見回る。

 妖の気配というのがよく分からないので、焔と百鬼が頼りだ。


「華蓮さん、何してるんですか」


 感情の読み取れない声が聞こえ、そちらに視線を向ける。

 想像通りの人物が立っていた。下校中に会った時とは違い私服姿の彼は相変わらずの無表情で華蓮を見ている。

 胸に下げられた、桜の花弁を模した透明な意思が夕陽の光を浴びて赤く輝いているように見える。


「健君には関係ないわ」

「そーですか。それにしても愉快なお供ですね。桜さんの式ですか?」

「ああ、焔という」


 得体のしれない雰囲気に対する警戒心もそこそこに名を名乗る。

 直接の面識はないが、彼についてはある程度聞き及んでいる。


「お前は……岡山健か」

「はい。初めまして」


 やけに緊張感のある会話を痺れを切らした華蓮は「ねえ」と声を上げる。


「健君は何しにきたのよ」

「特には。散歩してたら華蓮さんを見かけたので声をかけただけですよ」

「そう。なら私はもう行くわ」

「じゃあ、妖退治頑張ってくださいね」


 健に背を向ける形で歩き出そうとしていた華蓮は、健の言葉を聞いて勢いよく踵を返した。


「なんで健君がそのこと知ってるの?」

「兄さんから聞いたからです、けど」


 華蓮の勢いに気圧されたような健。

 別に不思議なことはない。口止めをしていたわけでもないので、星司が健に話しても一向に構わない。

 正直に言おう。その考えに至らなかったために激しい勢いで詰め寄ってしまったのだ。


「そ、そう。ところで健君は、その……知ってるのかしら」

「何をですか」

「その、妖退治を簡単に……やっぱり、なんでもないわ。焔、百鬼さっさと行くわよ」


 最後の最後でプライドが邪魔をして結局聞けずじまいだ。

 やれやれと肩をすくめた焔は健に別れを告げ、先を行く華蓮を追いかける。


 数分ほど経ち、頭の冷えた華蓮の歩みが緩やかな速度へと変わる。

 冷静さを取り戻したおかげか、ある事実に気付いてしまった。


「傍から見れば私達っておかしな集団に見えるんじゃないかしら」


 至って普通の私服姿な華蓮に対し、焔と百鬼の服装といえば現代日本に不釣り合いなものだ。詰まる所、かなり浮いている。

 幸いなことに、今のところは周囲の注目を浴びてはいない。しかし、これも時間の問題なのではないだろうか。


「安心しろ、私の姿は常人には視えない」

「そうなの。じゃあ、なんで私には見えるのよ」

「お前は常人とは違うだろう。何せ、桜の孫だしな」


 それだけで納得できてしまうくらいに、"桜"という人物には説得力がある。


「視せようと思えば、常人にも視認できるようになる。今は視せようと思っていないからな」

「あたしも似たようなものよ。今は普通の人には視えないようにしてあるわ」


 焔は当然ながら、百鬼と出歩くということがなかったので知らなかった。

 二人なりに状況を考えて配慮してくれているということか。ひそかに感謝をしつつ、歩みを進める。

 ちなみに焔と百鬼の二人を会話しているときの華蓮は独り言を言っているように見えるわけだが、そこまでは考えが及んでいないようだ。


「!」


 不意に焔の歩みが止まる。


 百鬼とともに険しい顔で黙りこくり、肌にまとわりつく気配を追う。


「妖気だ。方面を考えると〈はじまりの森〉辺り――」

「分かったわ」


 最後まで聞くことはなく、桜から貰った呪符や妖退治についての書物が入った鞄を握りしめ、華蓮は走り出す。

 静止の声も届かず、一人突っ走っていってしまう華蓮を追いかけようとした百鬼は焔に止められる。


「急ぐ必要はない」

「どういう意味?」


 問いかけに微笑のみで答える。


 感じた妖気は二つ。一つは華蓮が頼まれた妖とも違う人間界に来たばかりのものと思われる妖気。もう一つはよく見知った者の妖気だ。

 彼女がいれば華蓮の身に危険が迫ることはないだろう。


(姿を見かけないと思っていたら……。あいつもお守りを任せられたといったところか)


●●●


 百鬼達がついてきていないことに気が付かないまま、華蓮は森の中を突き進む。


 ここは〈はじまりの森〉と呼ばれる場所だ。RPGにありがちな名前なここは貴族街の管轄にある場所らしく、人間の手が加えられることなく現存している。

 現代的な建物の多い史源町の中では少々不釣り合いな場所ではある。


 人の手が加えられていないだけあって草木は好き放題に生え、かなり歩き辛い。何度、足を取られたことだろうか。

 視界も悪く、走っているわけでもないのに息が上がる。


 ようやく出口のような光が見えたときには息も絶え絶えだ。


「少し休憩」


 呼吸を整え、視線を上げた先に広がっていたのは異様な光景だ。

 半径数十メートル程の円形の空間には木どころか、草一つ生えていない。人の手が加えられていないというのが嘘のような空間だ。

 剥き出しの地面は赤く燃えるような夕陽の光を受けて、何とも言えない神秘的な雰囲気を醸し出している。


 そこで向かい合うように立つ巨大な猿と一人の女性。


 四メートル強の巨大な猿。真っ白な毛と対照的な漆黒の三つの目。湾曲した口元から覗くのは鮫のよう鋭い歯。

 見るからに邪悪な猿が焔の言っていた妖気の正体なのだろう。


 対する女性は余裕めいた表情を見せている。

 癖のついた銀髪は肩のより少し長い程度で、さりげなくつけられた桜の髪飾りはどこか見覚えがある。

 胸元には浅葱色の勾玉がさげられている。


 子供っぽさは感じられず、かといって焔のような大人の雰囲気とも言い難い、不思議な雰囲気を身に纏っている。しかし、桜のように近寄りがたいわけではなく、むしろ親しみを覚える。


「そんなところで突っ立ってると喰われるぞ」


 呆然とする華蓮を一瞥した女性はそう言い捨て、自信の右手を前へ突き出す。

 刹那。巨大な猿は抵抗る間もなく、凍り付いていく。

 そして女性は右手を上にあげる。ただそれだけの動作で氷は巨大な猿ごと崩れていく。

 崩れ落ちた氷は水へと変わり、剥き出しにされた地面を濡らす。巨大な猿の残骸すら残らない。


 それを見届けた女性は瞬き一つすると霧消した。


「……え」


 理解が追いつかないまま、目の前で繰り広げられる光景を見ていた華蓮は驚いた顔で女性の姿を探す。

 女性が居たはずの場所には銀色の毛並みを持つ猫が座っているだけだ。


 猫の首には首輪の代わりに、浅葱色の勾玉がつけられている。女性が胸に下げていたものと同じそれに華蓮は気付かない。


「どこに行ったの?」


 華蓮の言葉に呼応するように銀色の猫がみゃあと可愛らしい鳴き声を発する。

 反応を見せない華蓮を不満に思ったのか、再度鳴き声を上げた猫はすり寄るように華蓮に近付いていく。


「今、あなたの相手をしてる暇はないのよ」


 足にまとわりつく猫をあしらいながら、女性の姿を探す。

 そこでようやく焔と百鬼の二人がいないことに気付いた。


「まさか二人まで消えて……神隠しなの……?」


 見るからに青ざめた華蓮の身体は恐怖で震えている。妖退治を引き受けておいてあれだが、華蓮はオカルトの類が得意ではないのだ。


「どの二人か分からないが、焔のことを指しているなら大丈夫だぞ」

「いやあああぁああ、何もしないから食べないで。悪霊退散っ!」


 やっとの思いで鞄から取り出した桜手製の呪符を振り回す。


「誰がお前なんか喰うか! そもそも私は悪霊じゃない。そこに愛らしい猫がいるだろう? そう、お前の傍にいる銀色の猫。それが私だ」

「ねこ?」

「取って喰ったりはしないから安心して触ってみろ」


 未だ青ざめた顔のままの華蓮は恐る恐る銀色の猫へ触れる。感触は普通の猫と変わりない。

 抵抗することなく、撫でられている猫の姿に安堵し、息が漏れる。


「なんで猫のくせに喋れるのよ?あなた妖?」

「ああ」


「てことはお祖母様が言っていた妖なの?」

「違うな。私も桜から妖退治を頼まれたんだ」


「じゃあ、さっき退治された妖が頼まれた奴なの?」

「あれは(くだん)の妖を探している最中に遭遇したから倒しただけだ。お前が頼まれた奴は別にいるぞ」


「どういうこと? あの猿を退治したのは消えた女性でしょ」

「何を隠そう。私がその女性なのだ。猫は仮の姿という奴だな」

「そういえば焔なら大丈夫って言ってたわよね。どういう――」


 二本足で立った猫は華蓮の言葉を遮るように前足を前に出す。何とも人間臭い動きだ。


「タイムだ。質問が多すぎやしないか」

「こんな状況なんだから仕方ないでしょう」

「その通りなんだが、少し遠慮してくれ。私は解説とかは苦手なんだ」

「……分かったわ」


 納得したというわけではないが、華蓮も初対面の相手に対する礼儀は弁えている。

 予想の範疇を超えることばかり起こっているので、少し落ち着きたかったというのもある。

 座り込んだ華蓮は木にもたれかかり、静かに目を瞑る。


「ん、随分とのんびりとした登場だな」

「お前のことを信頼してやったんだよ」

「そりゃ、どうも」


 傍で行われる会話をどこか遠くのことと感じながら華蓮の意識は完全に闇の中へ落ちていく。


 不意に頭上から大量の水が降り注いだ。

 落ちかけていた意識は完全に覚醒し、飛び起きるようにして目を開く。


「なにするのよ」

「こんなところで寝るな」


 水をかけた犯人らしい銀色の猫を睨みつける。


「水をかける必要はないでしょ。普通に起こしなさいよ」

「私にとってはこれが普通の起こし方なんだよ」

「猫のくせに生意気よ」


 冷たい風が吹き付け、華蓮は身震いをする。濡れた服が寒さを倍増させる。

 肩をすくめた焔が華蓮へ手をかざす。掌から発される熱で服は見る見るうちに乾いていき、少々暑くなってくる。


「焔、来てたの。百鬼も」

「今気がついたのか」


 やはり桜の孫とは思えない鈍さに苦笑を返しつつ、深緋の瞳を猫へ向ける。


流紀(りゅき)、大人げないぞ」

「ぐっ、つい」


 売り言葉に買い言葉というノリで反論してしまったのだ。大人げなかったことは十分に反省している。

 これで華蓮が風邪でも引いたら、洒落にならない。


「流紀って?」

「これの名前だ」


「これ言うな」と返す猫――流紀と、それを涼しい顔で受け流す焔を見比べて首を傾げる。


「知り合いなの?」

「ああ、旧知でな。桜の小間使いみたいな立ち位置だ」


 焔の表現が気に障ったのか、流紀は抗議するように半眼で焔を見上げる。

 面倒な雑用の数々を押しつけられているという点では間違ってはいないが、それをいうなら焔だって小間使いだ。

 変わらずそれを涼しい顔で受け流す焔。


「暗くなってきたし、そろそろ帰った方がいいんじゃないかしら」


 紫紺に染まった空を見上げて提案する百鬼を肯定し、三人と一匹が帰路につこうとしたとき、木々が不自然に揺れだした。

 微かに感じる気配に警戒心を強める百鬼に対し、焔と流紀は苦々しい表情で顔を見合わせる。

 一際大きく揺れる木を華蓮は睨みつける。


 森の中に響き渡るのは聞き覚えのある鈴の音。

 それにより何かを察した百鬼は警戒心を解くが、華蓮は未だに睨み続けている。


「困りましたね。そこまで睨まれてしまっては」


 柔らかな声と共に現れたのは一人の青年。

 萌葱の髪を後ろで結わえたその青年は、声と同じく柔らかな微笑を浮かべている。

 焔より少し高い位置にある青年の顔を見上げるようにして見つめる。

 警戒心は知らぬ間に解けていた。


「お初にお目にかかります。私は桜様の第三の式、鈴懸(すずかけ)と申します」


 恭しく頭を下げる姿は流れるようで美しい。それに倣って華蓮もお辞儀を返す。

 ほんのり頬が赤いのは美形を前にしているからなのだろうか。


「桜に何か頼まれてきたのか」

「はい、帰りが遅いので様子を見に参りました。何かあったのですか」

「何もない。今から帰ろうと思ったところだ」


 他の誰にも口を開く隙を与えず、流紀が言ってのける。

 取りたてて言うことがないのは事実だ。流紀が真っ先に口を開いたのは、華蓮とのちょっとした喧嘩を言われたくないだけだ。


「本当ですか」

「ああ」


 柔らかい微笑が流紀、焔を順に見つめる。

 遠い目をする流紀に反し、焔は噛み殺しきれなかった笑い声を漏らす。


「何もないのは事実だ。そう勘ぐってやるな」

「了解しました。桜様には何もなかったとお伝えしておきます」


 一礼し、鈴懸は姿を消した。


「鈴懸ってかっこいいわね」


 うっとりとした顔で鈴懸がいた場所を見つめつ華蓮が呟いた。

 今まで華蓮が静かだったのはこれが理由か。

 流紀の考えが何となく分かったのだろう。焔は微笑を浮かべて同意を示す。


「あいつは止めとけ」

「なんで?」


 かっこよくて優しげ雰囲気を持つ鈴懸は優良物件といっていい。

 彼が式であることは重々承知だし、何も本気で鈴懸と一緒になりたいと思っているわけではない。ただ人間だったら考えは変わってくるが。


「いろいろあるんだよ。そもそも鈴懸はお前に興味ないだろうし」

「貧乳だし」


 相槌代わりに流紀が呟く。

 自分の胸を見下ろした華蓮は無言で、焔、百鬼の胸を見つめる。最後に流紀の本性らしい銀髪の女性を思い浮かべる。

 言うほど大きいわけではない。それでも華蓮より大きいのは確かだ。


「これから成長するんだから!」

「するといいなー」

「絶対にあなたたちを追い抜いてやるわ」


 余程、胸が小さいことを気にしているのだろう。完全に、頭に血が上っている。

 その姿を見た流紀は不敵に笑う。


「華蓮」

「何よ!」


 怒りのまま、睨みつけてくる華蓮に流紀はさらに笑みを深くする。


「妖退治屋になる気はないか」


 華蓮にそう問いながら、流紀の脳裏にはある言葉が過ぎった。


 ――手段は問いません。華蓮を妖退治屋にしてください。


 この言葉を聞いたとき、流紀は大層驚いた。

 今まで誰がなんと言おうとも後継を作ろうといた桜がそんなことを言ったのだから当然だ。

 手段を問わないというところが桜らしいが。

 ともかく流紀に任されたのは華蓮に妖退治屋になりたいと思わせることだ。

 一先ず、言質をとっておいて、詳しい説明はそれからだ。


「なにそれ」


 怪訝そうな華蓮の顔を見ながら、流紀は「駄目だったか」と心の中で呟いた。

 ところが。


「まあ、なんだっていいわ。なってやろうじゃないの。それであなた達をぎゃふんって言わせてやるんだら……っ」


 華蓮が思っていたより単純な奴で良かったと流紀は密かに思ったのだった。


 その軽はずみな言葉で自分の運命が大きく変わることなど、まったく予想していない華蓮は「さっさと帰るわよ」と先を歩いていく。

 流紀は呆れた顔で、焔はいつも通りの涼しげな顔で、百鬼は苦笑いしながらつ華蓮の後をついて行く。

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