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2-9

 結局あの日、レミが水ノ館に戻ったのは昼過ぎた頃だった。もっとも妖界と人間界の時間経過は異なるので、レミが人間界にいた時間はほんの数時間程度だ。

 レオンは特に問い詰めることはせず、普通に迎え入れた。


 どうやら屋敷の者にばれないように上手く誤魔化していたようで、半日もの間レミが屋敷にいなかったことに気付いていたのはレオンのみのようだ。

 あれから数日が経過したが、レオンはレミの行動に振り回されることなく、今も執事を続けている。


 辞めさせようと試行錯誤するレミを嘲笑うように、レオンは上手く立ち回って全てを回避してのけた。

 レミの考えに気付いているようだが、特に何かをする様子も見えない。

 レミがぼろを出すのを待っているかのように見えるレオンの態度に微かな苛立ちを覚え、いつの間にかレオンがいる日常を普通だと感じ始めている自分に更に苛立ちを募らせる。


「出かけられるのですか」


 レオンがいないうちにと窓に足をかけたレミを呼び止める声。

 感知能力が低いわけではないのにレオンがいることにまったく気付かなかった。


「ええ、勉強の時間までには戻りますわ」


 絶対に自分のペースを崩すまいと飽くまで平静を保つ。


「いってらっしゃいませ」


 咎めるどころか、白々しい笑顔で見送る始末。

 絶対にこの営業をスマイルを崩してやると本来の目的とは違うことを心中で呟くレミ。


「行ってきますわ」


 窓の枠を強く蹴り、外へ出た。

 背中に生えた純白の翼の動きを確かめるように数回羽ばたかせる。

 屋敷の声に気付かれないよう細心の注意を払いながら、高速で宙を移動していく。


 本来ならこの翼は使ってはいけないものだ。公式では水の属性しか持っていないレミのもう一つの属性は永遠に秘匿しておかなければいけないものだ。

 青ノ幹部に見とがめられたら怒られるどころではないだろうが、この速度で飛んでいれば誰の目にも止まることはないだろう。


「まったく何なんだ、あいつは」 


 高速移動中に吐き捨てるように呟く。

 何故、あんなに平静を保っていられるのだろうか。

 ペースを乱されたばかりだ。早く辞めさせなければならない。

 それが自分が一番求めていたことのはずなのに、心から賛同できない自分がいる。もどかしくて堪らない。

 窮屈で仕方がなかった屋敷を広く感じるようになった。息苦しいだけの日々が変わろうとしている。


 すべて、レオンのお陰だ。

 レオンが辞めてしまえば元の日々に戻ってしまう。彼のような執事にはもう二度と会うことはできないだろう。

 ならば――。


(このままでいた方がいいのではないか)


「っ違う、そんなことない。あいつだって同じだ。私のことなんて――っ」


 考え事に集中していたせいで周りに対しての注意力が散漫になっていたようだ。

 眼前に木が迫っていることに気付き、羽ばたく翼に急停止を呼びかける。が、高速移動していたために停止は間に合わず、勢いをそのままに木に突っ込む。


 叩きつけられるように地面に着地し、苦悶の声をあげる。身体中が痛みを訴えている。

 地面の上に寝転びながら身体の具合を確かめる。見たところ、大した傷はないようだ。

 安堵の息を吐き出し、身体を起こす。打ち付けた部分をさすりながら、生成した水を鏡代わりに顔の怪我の状況を確認する。


 右頬に走る線を見て「まずいな」と苦笑を浮かべる。

 浅い傷のため痛みはあまりない。傷跡も残ることはないだろう。しかし、顔の傷は隠しようがない。


(お父様に見つかったら、あいつが辞めさせられるかもしれない)


 そこまで考えて、レミは目を丸くする。


「私は、なにを」


 何故、レオンを擁護するようなことを考えてしまったのだろう。

 辞めさせられるのならば、それほど嬉しいことはないはずではないか。レミはずっとレオンを辞めさせようと足掻いてきたのだから。

 どうして、辞めさせられるのが嫌だと。


「違う」


 鏡代わりの水に映る自分の表情を否定するように首を振る。


「だって私は」


 レオンがいなくなると考えていただけで胸が締め付けられるような感覚に陥る。


 分からない。辞めさせようとしていたはずなのに。分からない。喜ぶべきところだ。分からない。分からない。こんなに苦しいのか。分からない。分からない。分からない。分からない。

 頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、自分が望んでいることが分からなくなる。


「わ、たしは」

「レミ様?」


 名を呼ばれ、顔を上げる。

 立っていたのはメイド服で身を包んだお下げの少女。一瞬だけ、レオンの姿とだぶった。


 どうやらレミは人間界、それも懇意にしている二人が住む屋敷の傍まで来ていたようだ。そんなことまで分からなくなっているとは、本当に救えない。


「どうしたんですか、その恰好」


 声も、表情も、仕草も、いつもと変わらない少女の態度は安心する。


「立てますか」


 足に力が入らない。木に突っ込んだことだけが理由ではないようだ。

 ふるふると力なく首を振るレミに少女は「そうですか」と逡巡し、レミをお姫様抱っこする。


「な」


 人間の、しかもまだ十代の少女に抱えあげられたレミは驚きの声を上げることしかできない。

 難なくレミを抱えた少女は顔色一つ変えることなく、無事に主の部屋までレミを届ける。

 つまらなそうに頬杖をついて本を読んでいた部屋の主は二人の姿を見るなり、困惑の表情を見せる。


「お前らどうしたんだ」

「見知った妖気を感じたので見に行ったら案の定、レミ様がいまして。立てないようだったので、抱きかかえて取りあえず幸様のお部屋に」

「なるほど。で、レミは」


 椅子に座らされたレミは二人の視線を一身に受け、ふるふると首を横に振る。


「すまない」


 数秒ほど、無言でレミを見つめていた少年は息を吐くように視線を外した。


「話せないならいい。由菜、救急箱持ってきてくれ」

「了解です」


 少女が部屋を出ていくのを見届け、少年はレミの前に立つ。

 座っているレミの目線と合わせるようにしゃがみ、傷の走った頬を労わるように撫でる。


「痛むか」


 ふるふると首を振る。

 痛いのはそこではなくて、胸のずっと奥底だ。


「落ち着くまでゆっくりしていけ」


 姉と呼び慕っていた存在がいつの間にか小さくなったような気がする。

 初めて会った頃とほとんど姿の変わっていないレミと違って、少年は随分と成長してしまった。

 喜ばしい気持ちもある反面、寂しいと心が疼くのも確かだ。


「いや、もう帰る。待たせているからな」


 誰を?


 脳裏に過る疑問には気付かないふりをして立ち上がる。


「由菜に礼を言っといてくれ」


 水ノ館を出たときと同じように窓の縁を蹴り、背中に生えた一対の翼をはためかせる。

 別れを告げるように手を振り、去っていく。




 服を土で汚し、頬に傷を作ったレミの姿を目にしたレオンはさすがに愛想笑いを浮かべるのを忘れていた。

 これが次の手か。ここまで身体を張るとは思っていなかった。そこまで考えたところで異変に気付く。

 レミの表情がやけに暗い。演技というようにも見えない。


「レミ様?どうなさったのですか」

「なんでもありませんわ」

「そう、ですか。レミ様、少しよろしいですか」


 壊れ物を触れるような手つきでレオンがレミの頬に触れる。反射的に逃げようとするレミを空いている方の手で、軽く押さえる。

 妖力を込めた指を頬に走った傷に沿うようにして動かす。すると、見る見るうちに傷は鳴りを潜め、レオンが離れた頃には傷跡すら残っていない。


「申し訳ありません。なるべく早く治した方が良いと思いまして」

「いいえ、驚いただけですから。便利な術ですね」


 煩いほど高鳴った自分の鼓動を聞かれていないか不安になりながらレミは言葉を返す。


「軽い傷にしか使えませんし、大した役には立ちませんが」


 レオンに扱える術はこういうものばかりだ。

 たくさんの術式を知ってても、レオン程度の妖力では使える術式も限られるし、大した効力は発揮しない。


「そんなことはありませんわ。私もそういう術を使えればいいのですけれど」


 対するレミは強い妖力を持つため、単純な術でも大きな効力を発揮する。

 そのため自らの得意とする術に沿ったものしか扱えない。

 二人の特性はある意味、対極にある。


「レミ様は今のままで十分ですよ。では、着替えを取ってまいりますので」

「ええ、お願いしますわ」


 一人になったレミは大きく息を吐く。

 下らないことを考えていた自分を払拭するように。


 ふと窓の外に視線を向ければ、明日のパーティの準備に追われる使用人の姿が映る。誕生日パーティの準備だ。

 明日でレミは十二歳となる。後一年で妖でいう成人年齢に達する。


 だからこそ、今年の誕生日パーティは今までと少々、趣向が異なるものになるだろう。憂鬱でたまらない。

 けれど、もう諦めはついている。

 遥か遠くを見るように目を細めたレミの表情は悲哀に彩られていた。

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