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2-8

 鏡越しに執事服姿の自分を見つめる。まだ少し違和感があるが、召使い時と大きく違う点もなくすぐに慣れるだろう。

 身だしなみの最終チェックを行ってから、部屋を出る。目指すのはもちろんレミの部屋だ。

 これからの流れを頭の中で反芻しながら歩みを進める。


「失礼します」


 返事のないところをみると、レミはまだ眠っているようだ。

 許可もなしに女性の部屋へ入るのは気が引けるが、主を起こすのも執事の仕事の一つだ。

 レオンが与えられた部屋を優に超える広さの部屋の奥に、天蓋付きのベッドが鎮座している。


 一人で使うには大きすぎるベッドの中では少女が安らかに寝息を立てている。

 カーテンを開けても、眩しいくらいの陽光が入ることはなく、相変わらずの曇り空が広がっている。


「レミ様、朝です。起きてください」


 身じろぎする気配を見逃さなかったレオンはベッドの方へ歩み寄る。


 瞬間。

レオンの足に何かが引っ掛かる。

 予想外の出来事に考える間もなくレオンの身体はレミが寝ているベッドの上へ倒れ込む。


「きゃ――」


 悲鳴をあげるレミの口を反射的に押さえる。

 クビにされてもおかしくないくらいに失礼な行為であるが、レミの悲鳴を聞きつけて誰かが部屋へ駆けつけてくるという事態は避けたいという心情の表れだ。

 何せ、今のレオンはレミの身体に覆いかぶさるような態勢を取っているのだ。


 女性特有の甘い匂いが鼻孔を擽り、僅かに触れた肌は柔らかい。

 ふと我に返ったレオンは視線を落とす。

 口を押さえられたレミは必死に首を横に振る。藍白の瞳がこころなしか潤んでいるようにも見える。


「あっ、すみません。わざとでは……その、躓いてしまって」


 レミの口を抑えていた手を放し、弁明の言葉に並べる。

 弁明したところで、ただの言い訳にしかならないのだが。


「い、いえ。私こそ悲鳴をあげてしまって」

「非はこちらにあるんですからレミ様が謝られる必要はありません。本当に申し訳ありませんでした。いかような処分もお受けいたします」

「そんなっ、悪気がないのは分かっていますし、処分なんて……」

「レミ様の心遣い、感謝いたします」


 幾分か冷静さを取り戻したレオンは顔を隠すように深々と頭を下げる。羞恥で顔が熱い。


「あの、身支度は自分でするのでレオンさんは朝食を取ってきてもらえますか」

「かしこまりました」


 先程のこともあり、身支度を手伝ってもらうのは気が引けるのだろう。

 クリスや妖華がよく口にしていた複雑な乙女心を思い、部屋を後にする。

 レオン自身も今すぐに立ち去りたい気分だったので好都合だ。


 一人残されたレミは僅かに赤くなった顔を俯ける。再び顔をあげた頃には羞恥の色は完全に消え、無表情に近い静かな表情に差し代わっていた。


「口を押さえられるは予想外だったな。まあ、この方法も飽きてきたところだ」


 今までレミの執事となった者の大半は先程の方法で辞めさせられてきた。悲鳴を聞いて駆けつけてきた使用人があの状況を青ノ幹部に伝えれば一発だ。

 レミは時に執事の味方となり、時に恐怖に震える純粋な少女となり、それを手引きしてきた。

 誰一人としてレミは画策していたことには気付いていないだろう。


「次の手はどうするかな」


 仕掛けていたピアノ線を回収しながら考え込む。

 レミにとって傍付きの使用人なんて邪魔なだけだ。身の回りのことくらいは自分でできるし、護衛なんて必要しないほどにレミは強い。


 しかし、父の前では従順でお淑やかなお嬢様でいなければならない。

 これ以上の自由を奪われないようにもこうした形で抵抗するしかないのだ。

 犠牲になった執事達に申し訳ないことをしたという自覚はある。それでも抗うことくらいはしていたい。たとえそれが無駄なことであっても。


「ふむ、そうだな」




 ワゴンで朝食で運んできたレオンは部屋の変化に目を丸く。

 部屋の主であるレミの姿は一切ない。

 ご丁寧に開きっぱなしの窓が隠れているわけではないことを教えてくれる。


 誘拐か、脱走か。

 冷静に考えて、誘拐という線は薄い。幹部の住まう屋敷なだけあって、ここのセキュリティは厳重だ。誰にも気付かれずにレミを誘拐することは不可能だ。

 そのうえ、部屋の中は抵抗された形跡は一切ない。か弱い少女とはいえ、レミは次期青ノ幹部と謳われる実力を有している。多少の抵抗はできたはずだ。


 ――性格に難ありだから気を付けてね。


「なるほど、こいうことか」


 となるとレオンが躓いたのも偶然ではないかもしれない。

 一先ず、逃げたと思わせているだけという可能性を考慮して部屋内を探す。その場合は部屋ではなく屋敷内のどこかに隠れている可能性もあるが、下手に探し回ると屋敷の者にレミがいなくなったことを悟られてしまう危険性が高まる。

 隠れられそうなところは一通り探し、部屋の中にいないことを確認する。


「透明化や気配を消すような術を使えるなら別だが、そこまで考えると面倒だからな。ここは素直に外へ出たとして考えを進めるか」


 手際の良さからいって、こうして脱走することは初めてというわけではなさそうだ。

 次に気になるのが外に出て何をしているかだ。

 箱入りのお嬢様という点を踏まえると、外に出て自由を満喫するといったとこだろうか。

 ならば下町にいると考えるのが自然だが、青ノ国でのレミの認知度は決して低くはないのは、馬車で通り過ぎただけでも十分に窺えた。


「自由を満喫できて、レミ様の認知度が低く、おまけに女性が一人でもいける距離の場所となると」


 青ノ国内であればレミの認知度は言わずもがな。他の国に行くにしても、箱入りのお嬢様一人では遠すぎる。


「屋敷内にいると考えた方が簡単でいいんだが。こんなことなら探知の術も習得しとくべきたったか」


 嘆息したレオンは一ヵ所だけ全ての条件に一致する場所があったことを思い出す。


「……人間界」


 一ヵ所というには広大すぎる範囲だ。

 人間界に行ったことがないレオンではこれ以上、範囲を狭めることはできない。どっちにしろお手上げ状態だ。

 ここで考えを改める。


 別にレミを探す必要はない。要はレミがいなくなったことを屋敷の者に悟られさえしなければいいわけだ。

 レミと父である青ノ幹部の関係性を見る限り、もう戻ってこないということはないだろう。レオンのすることはレミが自ら戻ってくるまで、誤魔化し続けることだけ。


「探すより簡単だ」


●●●


 中学生くらいの少年が熱心に、少女の髪に櫛を通している。

 ウェーブのかかった蜂蜜色の髪は、照明の光を浴びてきらきらと輝いている。


「髪くらい整えてから来いよ」


 文句を言いながらも少年は嬉しそうだ。今にも鼻歌を歌いだしそうな調子で、少女の髪を整えている。

 と、少年の隣にメイド服を着たお下げの少女が立った。年は少年と同じくらいだろうか。


「この髪紐なんてどうですか。きっとレミさんに似合いますよ」

「お、いいな」


 メイド少女から受け取った髪紐でレミの髪を結う少年の手つきはやけに手慣れている。

 ツインテールにされた蜂蜜色の髪は、赤い髪紐とともに微かに揺れる。


「結う必要はないだろ」

「いいじゃないですか。久しぶりにレミさんが来たから、幸様も嬉しいんですよ。それに凄く似合ってます」


 お世辞ではない率直な意見を述べるメイド少女の素直さにレミは照れたように顔を俯ける。ツインテールに結われたばかりの髪が、上手い具合にレミの顔を隠す。

 そんなレミの姿を見て、少年は整った顔立ちに悪戯めいた笑みを浮かべる。


「レミ、可愛いぞ」

「うるさい」


 真っ直ぐな褒め言葉に慣れていないレミは耳の先まで真っ赤に染め、顔を隠すように髪を持ち上げる。


「レミ様が来てくれて良かったですね。毎日レミさんが来るかどうか気にしてましたし」


 メイド少女の失言を責めるように少年は闇色の瞳で睨み付ける。

 彼女の言っていることは事実だし、レミにバラされても別に構わないとは思っている。思っているが、今の流れは不味い。

 少年の考えを肯定するようにレミは仕返しと言わんばかりに笑った。


「なんだ、私が来なくて寂しかったのか。可愛いところもあるじゃないか」

「うん。寂しかったよ、レミお姉ちゃん」


 初めてレミと出会った頃のような無邪気さで受けて立つ少年を、レミとメイド少女は揃って冷めた目で見つめる。


「胡散臭いな」

「ですね」

「お前らは何なんだ。レミはともかく、お前の主は俺だろ」


 捲し立てるように言葉を並べる。怒っているというわけではなく、いつもの癖でツッコミを入れているのだ。

 女子二人が結託してしまえば少年に勝ち目などない。素直にツッコミ役に準じるのが生き残る道である。


「あの頃は可愛かったのにな」

「いつの間にこんなにふてぶてしくなったんでしょうか。育て方間違えたのかもしれませんね」

「育てられた覚えはないぞ。大体、同じ年だろうが」


 構わず会話を続ける女子二人に大きく溜め息を吐く。


「それで、レミは何しに来たんだ」


 これでは埒が明かない上に、自分が不利な状況になっていくことを察した少年は半ば無理矢理に話を変える。

 まだ話し足りず不満げな顔をする二人ではあるが、話の流れには乗ってくれるようだ。

 ここに来ることになった経緯を訥々と語り出したレミに、少年とメイド少女は静かに耳を傾ける。


「幹部の娘の口を塞ぐなんて面白い奴じゃないか」

「面白いかどうかなんてどうでもいい。執事なんて邪魔なだけだ」

「それでここに来たわけですか。でも、それってただの繰り返しですよね」


 笑顔を崩さないメイド少女に図星を指され、レミの心臓を大きく跳ねる。

 今までレミに仕えてきた執事は数を知れない。そのどれも例外なく、レミが辞めさせてきた。

 しかし、何度辞めさせようとも必ず次の者が現れる。

 どんなにレミが足掻こうとも結果は変わらない。父が諦めるわけがないのは分かっている。


「繰り返すくらいなら今のままでいいんじゃないですか。レミさんの口を塞ぐような人ですし、少しくらいは自由に過ごせるかもしれませんよ」

「それは……ダメだ」


 あの家に本当の意味でレミのことを見てくれる者など存在しない。

 過剰なほどにレミを心配している父でさえ、青ノ国を繁栄させる道具としかレミを見ていないのだ。

 誰も本当のレミを見てくれない。それはレオンだって同じだ。


 レミという存在の価値を知ってしまえば、レミを道具としか見なくなる。

 そんな奴とともに過ごすなんて反吐が出るし、何より微かな期待でも裏切られてしまうのは辛い。


「逃げ出せばいいんじゃないか」


 ぽつりと少年が漏らす。


「名案ですね」

「行く場所がないならずっとここにいてもいい」


 不思議な光を灯す漆黒の瞳がレミを射貫く。

 この瞳にはちゃんとレミが映っている。肩書きも能力も抜きにして、レミ自身を見ている。


(嬉しい、だが)


「私はこれ以上お前らに甘えるわけにはいかない」


 ここはレミにとって何にも代えがたい大切な場所だ。だからこそ、甘えるわけにはいかない。

 この場所も、少年も、レミにとっては守るべきものだから。


「俺だってレミを守りたいんだ」


 小さな少年の呟きはレミには届かない。

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