2-6
藤咲邸にて久しぶりに姉妹同士の会話を交わしたレミは妖界を戻る決心をした。
そしてその翌日である今日、レミはスーパーの一角で頭を悩ませていた。
目の前に並んでいるのはお菓子作りのための材料である。
ここで宣言しておこう。レミは生まれてこの方お菓子作りをしたことはない。料理は日々の手伝いで少しだけ嗜んだことがあるくらいだ。
基本的に処刑部隊の食事はレオンと時々、海里が受け持っている。レミの担当は皿洗いである。
そんなレミが何故こんなところで悩んでいるかと尋ねられれば答えは一つ、お菓子作りに挑戦しようとしているのである。一人で。
ちなみに作るものすら決まっていない。
「あれ、辻風先生だ」
最近よく名前を呼ばれるなと思いながらと声がした方へと視線を向ける。
琥珀色の髪を三つ編みにした愛らしい少女、春野月である。レミが妖であることを知っている数少ない生徒の一人だ。
「どうしたんですか、こんなところで」
「菓子作りをしようと思ってな」
教師ではないレミを知っている相手なので、お淑やかに振る舞う必要はない。
「へぇ、先生もお菓子作りするんですね」
「いや……実はしたことがないんだ。まだ何を作るかも決まっていなくてだな」
「そうなんですか。……そうだ!良かったら一緒にお菓子作りしませんか」
「いい、のか」
日頃からお菓子作りをしている月が一緒ならばかなり心強い。
そうして二人で作ることになったのはいいが、問題はどこで作るかだ。
普通に考えれば月が世話になっている岡山家か、処刑部隊が現在使っている家の二択に迫られる。けれども、ある人物に隠しておきたいレミにとって、その人物がいる可能性がある場所は控えたい。
遠回しにそう伝えたレミの意見を考慮した月は良い場所があると、おもむろに懐からスマートフォンを取り出した。
「もしもし…あ、桐葉さん?」
しばらくして交渉が終わった月は「大丈夫だって」と笑いかける。
必要なものを買った二人は月の案内のもと、お菓子作りの会場となる場を目指してスーパーを後にした。
見覚えのある道を何度か通った末に、二人は春野家の別荘の前にて止まる。
「ここは……」
「春野家の別荘です」
僅かに緊張を滲ませるレミを他所に隣に立つ月がインターフォンを押す。
数秒も待たずして出てきたのは快活そうな印象を受ける女性だ。やはり今日もメイド服は着ていない。
「いらっしゃい、待ってたわ。っと貴方がレミちゃんね。金髪ツインテール美少女……ふふふ」
怪しい笑い声を漏らす女性にレミは数歩、後退りする。
その様子を見て取った女性は一瞬で表情を変えてレミに手を差し出す。
「私は東宮桐葉よ。気軽に桐葉って呼んでね。こう見えて一応メイドなのよ」
おずおずと手を取ったレミに笑いかけ、中へ入るように促す。
「台所はここよ。月様か聞いて必要なものは準備してあるわ。で、これが二人のエプロン」
喜々として渡されたのはフリルがあしらわれた白いエプロン。
その選択といい、その表情といい、下心が丸見えなわけだが不快感がないのは不思議だ。
「本当なら美少女二人が仲良くお菓子作りをしているのをずっと眺めていたいところだけれど、残念ながらお姉さんにはお仕事があるから退散するわ。家の中にはいるから、何かあったら呼んでね」
言葉通り残念そうに退散していく桐葉を見届けた月はくるりとレミに向き直る。
「じゃ、始めましょう」
「それで、何を作るんだ?」
「クッキーですよ。在り来たりだけど、あまり甘いものを食べない男性でも食べれますし」
レミが持っていたボウルが激しい音を立てて落ちる。中身が入っていなかったのが幸いというべきか。
赤いことで有名な果実を張り合うくらいに顔を赤く染めたレミは口を開閉させる。
「な、なななななんで」
「んーと、勘ですかね」
適当に近い答えにレミの目が僅かに据わる。
「やはり幸の娘ということか」
「……辻風先生ってお父様の知り合いだったんですね」
レミが妖であることは知っているが、基本的に妖退治関連のことは蚊帳の外な月はレミ達について知らないことも多い。
「昔、少しな。それと学園外ではレミで構わない。元々、名字は便宜上のものだからな」
妖には名字という概念がない。家族というよりは一族というイメージが強い。名前や外見よりもその性質を重要視するのことが多いのだ。
だからこそ、少し性質の違う能力を持っているだけで異端と判断されることも少なくはない。
「できれば敬語も使わないでくれるとありがたい。あまり好いていないんでな」
「うん、わかった。あ、だから夜刀神先生……レオンさんもレミちゃんには敬語を使ってないんだ」
「あ、ああ。まあ、そんなところだ」
分かりやすいほど動揺したレミは誤魔化すように咳払いをする。
「あいつは昔、私の執事をしていたからな。敬語のままだと代わり映えがしないというか、今までの関係をリセットするためというか」
「うんうん。レミちゃんとレオンさんの出会ったときの話、聞いてもいい?」
「あまり面白い話ではないと思うが少しだけなら」
○○○
その日、何人目かの執事が解雇された。
たった三日間だけ世話になった執事が去りゆくを窓越しに見送る。藍白色の瞳はひたすらに無感動だった。
青ノ幹部の最愛の娘。表向きには母親は第三夫人とされている。
実際は外に作った女との娘であり、本来ならば妾の子と疎まれるはずの少女。
妖は核となる力ともとに六つの属性に分けられる。もちろん青ノ幹部の娘達は水に属しており、レミの属性も水とされている。
本来、核となる力は一つとされ、属性も一つに定められる。しかし、レミには核となる力が二つあるのだ。それも、まったく別の属性のものだった。
他の妻からどころか、父である青ノ幹部にさえ疎まれてもおかしくもない特性を持っているレミ。
それでも青ノ幹部から気に入られている理由は単純だ。レミが青ノ幹部に超える妖力を有しているからである。
青ノ国をより繁栄に導くためには、レミのように強い妖力の持ち主が青ノ幹部になることが求められる。
だからこそ、レミを次期青ノ幹部として大切に大切に籠の鳥のように可愛がっているのだ。
「レミ、いるか」
「はい」
無感動だった顔に表情が宿る。
柔らかな微笑は開いた扉の先に立っている男性に向けられている。彼こそがレミの父親にして、現青ノ幹部であるレウスだ。
「あいつは失敗だった。次は信用できる相手だから安心するといい。なにせ、王の紹介だからな」
「そうですか。楽しみですわ」
お淑やかに微笑みながら、レミは内心で溜め息を吐いていた。
次も同じだ。どんな優秀な人物がこようとも、一週間も経たぬうちにこの屋敷を去ることになる。
(私に執事など必要ない)
決して声にすることはできない言葉を心中で呟いた。
言葉にしたならば、この状況は変わっていたのだろうか。
思うだけで行動に移せないから今でもレミは籠の鳥のままでいるのだ。
「羽ばたきたい」
「何か言ったか?」
「いいえ、何でもありません。お父様、そろそろお仕事に戻らなくてよろしいのですか」
「ふむ、そうだな。では、また来る」
微笑を崩さぬまま、レウスを見送ったレミは静かに溜め息を吐いた。
「次は一体どんな奴だろうな」