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2-4

 朝の職員室は喧騒に包まれている。

 教室よりも幾分か広めの部屋は各々の作業に没頭している教師で溢れている。

 その中に紛れる一人の教師として、レミは授業内容の確認をする。


 本日の授業は二つ。音楽の授業は比較的に少ない。レミは担任や副担任などの特別な役職についているわけでもないので、授業のない時間はほとんどフリーな状態だ。

 授業のことを考えつつ、思考は本業――処刑部隊の方へ流れていく。


「辻風先生」


 名を呼んだのは三十代後半くらいの男性教師だ。

 卑猥な視線に不快感を思えながら、決して表には出さず微笑みを向ける。


「ここでの仕事は慣れましたか」

「はい。まだ全部というわけではありませんが」

「ゆっくり慣れていけばいいんですよ。困ったことかがあればいつでも俺に聞いてください」


 内に秘められた下心に気付いていないふりをしてお淑やかを装う。


「ありがとうございます。頼りにしていますわ」


 この流れで話を終わらせようと試みるが、相手はすぐに話題を変える。

 心中で舌打ちをし、相手が満足するまで我慢するかと諦める。

そんな時。


「辻風先生」


 涼やかな声がレミの耳を擽る。


「お話し中でしたか」

「あら、夜刀神先生。どうしたんですか」


 多少の演技が混じっているものの、心の底からの笑顔を声の主に向ける。

 声の主ことレオンはレミと話をしていた男性教師にやんわりと断りを入れ、手に持っている書類をレミに見せる。


「ここの事なんですが」


 書類を見るふりをして、お互いの顔を近づける。


「助かった」

「気をつけろよ」

「すまない」


 声は互いにしか聞こえないように十分に音量を落としている。

 謝罪の言葉を口にするレミは人知れず胸を撫で下ろした。男性教師を追い払えたことよりも、レオンが普段通りだったことに安堵しているのだ。


 怒らせてしまったことを昨日からずっと気にかけていたのだ。

 レミの中に存在していた大きな蟠りが解消され、心なしか身体も軽くなったような気がする。


「なるほど。ありがとうございます」


 そこだけ周囲にも聞こえるように言い、レオンは自分の席に戻っていく。

 レオンを見届けたレミはようやく自分の作業を再開する。


「辻風先生」


 二度あることは三度あるとはよく言ったものだ。

 今までの二人とは違う含みのある声に、眉を顰めてそうになるのを抑えながら声の主に笑みを向ける。

 立っていたのはレミのよく知る人物だった。


「引き攣ってるぞ」と指摘する顔は飄々としていて掴みどころがない。

 身を包んでいるのがブランド物のスーツであるところを見る限り、ここに来たのは仕事だろうか。春ヶ峰学園が春野家系列の学校であることを考えると不思議はない。

 適当に当たりをつけつつ、「どうしたんですか」と飽くまで演技を崩さないで問いかける。

 対抗するように相手も営業スマイルを貼り付ける。


「少し学校案内をしてくれませんかね。学園長は承諾済みですので」

「……分かりました」


 彼に学園内の案内が必要とは思えないが、学園長の許可まで貰っているとなると断りづらい。


「では、参りましょうか」




 梅雨時期だというのに空は青一色が広がっっており、風に煽られた蜂蜜色の髪が時折差し色をする。

 朝にも関わらず眩しい太陽光が二人をじりじりと照らしている。


 現在、二人がいる場所は屋上だ。学校案内をしてくれと頼んだのはレミを連れ出す口実に過ぎない。


「で、何の用だ」


 遅めの登校する生徒を見下ろしながら問いかける。

 屋上には二人しかおらず、わざわざ演技で取り繕う必要はない。


「言ったでしょう?学校案内をしてほしいと」

「お前の敬語は胡散臭いぞ、幸」


「そうか?」と幸こと春野和幸は貼り付けていた営業スマイルを完全に消す。その代わりに、いつもの飄々とした笑みをレミに向ける。

 人を馬鹿にしているともとれる表情であるが、見慣れているレミは特に思うことはない。


「しかし、教師なレミは初めて見るな。似合ってるぞ」

「そうか」

「もう少し嬉しそうな顔をしろよ」


 淡泊なレミの反応が不満なのか、半眼になる和幸に「はいはい、嬉しい嬉しい」とやはり投げやりな言葉を返す。

 お世辞ではなことは長年の付き合いで分かる。和幸は仕事以外では人をからかうときにかお世辞を使わないような人間なのである。


「で、何の用だ」


 一言一句違えない言葉で再び尋ねる。


「仕事関係の用事か」

「んー、まあ、それもあるが」


 やけに歯切れの悪い和幸の言葉に、レミは下の様子を眺めるのをやめて和幸に向き直る。

 苦笑と照れの入り混じった顔する和幸を無言で見つめる。


 和幸のことをよく知る人物がこの表情を見れば、意外と思うことだろう。

 普段の和幸は人を小馬鹿にするような飄々とした態度を表情を貫いているから。


「心配してんだよ、レミの事を」


 観念したように口を開いた和幸の言葉に、レミは自分でも驚くほどに動揺した。

 幼い頃から飾られた嘘の言葉とばかりと触れていた。


 人一倍聡いから、物心ついた頃から向けられる表情も言葉も全て偽物であることに気がついていた。それでも気付いていないふりをしてお淑やかに笑うのだ。

 それが周囲がレミに望んでいることだから。

 常に偽物ではない言葉をくれたのはたった二人だけ。

 周囲の誰もが本当の言葉と表情を使うようになった今でも、レミ自身に向けられた言葉には慣れていない。


「白々しい嘘を吐くな」


 嘘ではないことくらいレミを理解している。

 和幸が冗談以外でレミに嘘を吐いたことなんて一切ないのだから。


「嘘じゃないことくらい分かってるだろ」


 指摘され、目を伏せる。

 長年の付き合いのため、互いのことは表情だけで分かってしまう。数年のブランクがあってもそれは変わらない。


「俺はレミがどういう道を選ぼうとどうでもいい。レミ自身の意思で決めたことならどんな道でも構わない。裏社会に浸かりきった俺が良い悪いなんて言えた義理じゃないしな」


 レミは無言で和幸の言葉に耳を傾ける。


「でも、お前には幸せになれる道を選んでほしい」

「幸」

「そのためならいくらでも手を貸してやるよ。だから少しくらいは頼りにしてくれよ、レミお姉ちゃん」


 かつてと同じ呼び方で悪戯っぽく笑う和幸。

 和幸にとってレミとは姉のような存在なのである。

 それはレミも同じで、レミも和幸のことは弟のように思っている。

 本来なら自分が守るべき相手に諭されている自分を情けなくもいながらも、喜んでいる自分がいる。

 だからレミもかつてのように笑って答える。


「ああ」


●●●


 放課後の道場。

 本来ならば準備運動を終えた剣道部員が素振りをしているであろう時間帯。

 それが今、通常通りだったらまず有り得ない緊迫感に包まれている。


 原因は道場の一角で、対峙している少年。

 防具で身を包み、竹刀を正眼に構えた二人は一切の隙を見せないまま向かい合っている。その気迫は本物の試合と見紛うばかりである。

 鋭い気迫を肌で感じている部員達は普段の練習に集中することなどできず、固唾を飲んで二人の試合を見守っている。


「はあああ」


 片側の少年が動いた。

 無駄が一切ない動きに相手は微動だにしない。

 誰もが勝敗あ決したと判断した時、ただ静かに佇むだけだった少年が動いた。

 しなやかな動きで攻撃を避けた流れのままで、相手の胴を狙って足を踏み出す。これまた無駄の一切ない動きである。


「っ」


 避けられたことで所在がなくなった竹刀を、ほとんど反射的に攻撃を防ごうと動かす。

 その動きを見て取った相手は半歩、足を後ろに引いた。それにより攻撃のテンポがずれた。


 防ぐために動かした竹刀が隙を作り、初め狙っていた方とは逆の方に胴打ちを成功させる。

 数秒ほど互いにそのままの姿で固まっていた二人はほぼ同時に身体を弛緩させる。


「ふう」


 息を吐きつつ、勝った方の少年が面を取った。現れるのは中世的な顔立ち。

 練習を他所に置き、試合を観戦していた部員達はその姿を注視する。

 それもそのはずだ。今まで誰一人負けたところを見たことがなかった春ヶ峰学園剣道部のエースを負かした相手だ。


「それなり強くなったつもりだったんだけどなー」

「俺も強くなってるってことだよ」


 手ぬぐいを取り、ポニーテールにしていた藍色の髪をほどく。

 対する星司は自身がつけていた面を手に持ちながら、「それって一生勝てないってことじゃね」と不満げに言う。頬は緩みっぱなしだ。

 負けたことは当然悔しいが、それ以上に海里が約束通りに剣道を続けていてくれたことへの喜びが上回る。


「剣道部、入らねーのか」


 悩むような素振りをする海里に、星司はまた一緒に剣道したいという思いの中、必死に勧誘する。


「今ならエースの座を」

「それ、自分で言ってて悲しくならない?」

「うっせ」


 すっかり以前の仲に戻った二人は仲睦まじいやり取りを続ける。

 そんな中、数人の部員達が控えめに近づいていく。二人の試合を観戦していた中等部の部員だ。


「あ、あのっ」


 緊張しているのか、声が上擦っている。


「お前等どうしたんだ?」


 話し慣れている先輩の問いかけにとって少しだけ緊張がほぐれたのか、真ん中に立っていた部員が口を開く。


「先輩方は仲良いんですか」

「まあ一応、幼馴染だしな」


 星司の答えを反芻する真ん中の少年に対し、左側に立っていた茶髪の部員が異様な食いつきを見せる。


「じゃあ!同じとこで練習してたんすか」

「んー、そんなとこだな」


 彼らの行動をきっかけにして他の部員達もどんどん二人(主に海里)の方へ集まり、質問攻めにする。中には星司の先輩にあたる人物もいる。

 この剣道部エースな上に、全国チャンピオンでもある星司に勝った相手に聞きたいことが沢山あるのだ。


「大変そーだね」


 唐突に現れた健は剣道部員に囲まれている星司と海里と遠巻きに眺めていた良には声をかける。

 健の方に少しだけ視線を寄越した良は曖昧に笑って、無言の相槌を打つ。


「良は行かなくていいの?」

「特に聞きたいこともないし」


 自分で聞いておきながら、良の返答にはさして興味なさそうに適当な言葉を返す。

 良の視線を追った健はその先にある藍色の少年の姿に口元を緩めた。


 先程の返答は嘘ではないだろう。良には今更、海里に聞くことなどないはずだ。

 今、良が望んでいるのは海里との試合だ。


「健はいいの?」

「なにが」

「星司先輩に用事があったんじゃないの」


 無意味にこんな所に来るような人物ではないことくらい良にも分かる。

 そして、健が武道館に来る用事といったら星司関連のことしか思い浮かばない。


「そーゆーわけじゃないよ」

「じゃあ、剣道しに?」

「まさか。俺じゃあ良の相手にすらならないよ。ただ暇だったから来てみただけ」


 その言葉が本当か嘘かは良には知りえない。だからといって、問い詰めようとも思わない。

 良は航輝のように他人の懐にやすやすと入り込むだけの度胸はないのだ。


「そっか」

「どれ、中等部エースの練習を見物させてもらおーか」


 今思うと健と友達であることが少し不思議に思える良である。

 良一人だけだったら絶対に友達になることはなかっただろう。今は友達になれてよかったと心から思う。


「勝てるといーね、いつか」


●●●


 艶やかな黒髪をしゃんと伸びた背中に流た女性。本来は黒曜石が光放つ瞳には肌色の蓋が下されている。

 藍地の着物は女性の落ち着いた雰囲気を際立たせている。


 女性の名前は藤咲桜。華蓮の祖母にして齢六十三の人物である。

 その横に降り立つのは新緑の瞳を備え、翡翠の髪を一つにまとめて流している男性。第三の式、鈴懸。


「何か異変でも」


 問いに答える代わりに桜は瞼をゆっくりと上げる。

 瞳が露わになった今でも、表情だけでは桜の考えは読み取れない。


「奇妙な気配が一つ。妖であることは確かですが」

「奇妙な気配、ですか」


 鈴懸は全く何も感じない。

 元々、柊はそこまで敏感ではないのだ。感知などといった事は第一の式に任せるのが得策だ。


「鈴懸」


 頼み事がある時、桜は常に式の名を呼ぶ。

 まるで呪いのようだと鈴懸は人知らず考える。そう考えていながら、素直に従うくらい柊は桜に心酔している。

 この呪いは信頼の証。たった砂粒ほどだろうが桜から認められてさえいれば鈴懸は構わないのだ。


「華蓮達に気を配っておいてください」

「了解いたしました」


 桜の頼みを完璧に遂行するために姿を消す。

 立ち代わるように姿を現したのは第二の式、焔。

 袖のない着物は気温が高くなってきた現在ではかなり涼しそうだ。


「相変わらず気持ち悪い奴だな、あいつは」


 式には程度の差はあれど、桜の事を第一に考えている。それこそ桜のためなら何でも犠牲にできるくらいに。

 そして、柊は式の中で最もその度合いが強い。


 以前、焔が「鈴懸はやめた方がいい」と華蓮に告げたのはそれが理由だ。

 どんなものでも幾ばくかは上を持ち合わせている焔とは違い、鈴懸は桜以外のものに情なんて一切ない。

 鈴懸の世界に桜以外は存在していないのだ。


「そうですか」


 当の本人はそのことに興味を持っていない。


「なんで鈴懸に頼んだんだ。私でも良かっただろう」

「貴方はわざわざ言わなくても、よく入り浸っているでしょう?」

「ふむ、私を含めてということか。随分な心配性だな」


 なにも返さない桜に焔は肩を竦めてみせた。

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