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2-2

 いかにもな雰囲気を醸し出す黒塗りの高級車が貴族街内でも一際大きな屋敷の玄関前で止まった。

 ここは貴族街を統治する春野家の屋敷であり、月の実家である。


「着いたわ」


 高級車の運転席から降りた桐葉は慣れた仕草で後部席の扉を開ける。そういうところは腐ってもメイドだ。

 車から降りた月は荘厳な雰囲気を醸し出す屋敷を見上げ、ふうと息を吐く。


「いってらっしゃい」

「桐葉さんは行かないの? たまには龍馬(りゅうま)さんに会ってきたらいいのに」


 父親である男の名前を聞いた桐葉は静かに目を細める。

 龍馬は和幸の側近を務めている者で執事界ではかなり有名な人物だ。互いの仕事上、桐葉と龍馬は年に数回しか会わない間柄である。

 仲は普通だ。悪くもないし、良くもない。ただ桐葉的には積極的に会う人物でもない。


 別に桐葉は龍馬のことが嫌いでも、苦手でもない。かといって好き、というわけではないが。

 元々、男という人種を好いていない桐葉にしてみれば、父親かどうかなんてことは些細なことで、積極的に男に会いにいこうと思えないだけなのである。


「白髪交じりのおじさんの相手をするより、女の子を待っている方が有意義に過ごせるのよ」


 はっきりと言い切る桐葉の姿に、さすがの月も苦笑いを返すことしかできない。


「さあ、お姉さんが待っててあげるからいってらっしゃいな」


 言葉だけ聞くとメイドというよりは姉に近い印象を受ける。

 そんな桐葉の態度に背中を押され、月は屋敷の中に踏み入れた。




 使用人から父、和幸の所在を聞いた月は客間の前に立つ。

 どうやら今は来客があるようで、ここまで来たもののすることもなくただ立ち尽くす。

 急ぎの用というわけでもないので、どこかで時間を潰そうと考え始めた時、客間の扉が開かれた。


「ぁ」


 出てきた人物の姿を見たと同時に月の表情は驚愕に包まれる。その先に立つ和幸と龍馬は困惑の色を濃くする。

 三人をそんな表情をさせている原因である初老の女性。名は白鳥文子(しらとりふみこ)という。


 月にとって母方の祖母にあたる人物で、女傑一家で有名な白鳥家の現当主である。


 文子は値踏みをするような視線で、頭から爪の先までじっくりと月を眺める。

 この日の月は合服姿である。着用自由なベストは身に着けておらず、袖は捲り、第一ボタンを開けている。

 すっと文子の視線が冷え込んでいく。


「お祖母様、来ていたんですね」


 緊張を混ぜた笑顔を向ける月に文子はさらに冷え込んだ表情で口を開く。


「春野家長女だというのにはしたない」

「っ……すみません」


 拳を握りしめ、顔を俯ける。表情だけは変えないように努める。


「そんなんだから(ほし)に跡継ぎの座を奪われることになるのです」


 月からしてみれば、誰が春野家を継ごうがどうでもいい話だ。

 そもそも、月には兄がいるわけで普通なら彼が継ぐわけになる。それが月もよく知らない諸事情で妹、引いては星の恋人が継ぐことになっただけだ。初めから月が継げる可能性は高くはないのだ。

 しかし、女傑一家出身である彼女は月が後を継ぐことを望んでいる。


「そー、ですよね」


 笑顔を崩そうとしない月に興味がないといったふうに文子は和幸の方へ視線を向ける。


「見送りは結構ですので」

「分かりました。例の件は検討しておきます」


 和幸の言葉に頷き、文子は月の傍を通り過ぎる。

 それを見届けた和幸は無意識に息を吐き出し、まだ顔を俯けたままにの月に気遣わしげ視線を向ける。


「で、お前は何の用だ?」


 肩を震わせ、のろのろと顔を上げた月は力のない笑顔を貼り付けている。

 痛々しさがありありと伝わってくるその表情は無理をしていることが筒抜けだ。


「えーと……何だっけ、忘れちゃった」


 その言葉が嘘であることを分かっていながら、和幸は「仕方がない奴だな」と笑う。


「思い出したらまた来るね」


 手を振り去っていく月に、文子のときは別の視線を送りながらこれまた文子のときとは異なる息を吐く。

 部屋の中に戻った和幸はまだ残っている紅茶に口をつけ、また息を吐き出した。


「そんなに溜め息ばっかり吐いてると幸せが逃げちゃいますよ」


 二口目の紅茶を口にしていた和幸は当然のように窓から入ってきた少年に視線だけを寄越す。

 普通なら不法侵入と言われてもおかしくないが、少年こと健がこういった登場をするのは日常茶飯事で慣れ切っている。


「にしても、検討しておくだなんてどの口が言うんですか」


 華奢な身体に一回りも二回りも大きなパーカーのポケットから取り出した包み紙を開けながら、無表情の中に口元だけの笑みを加える。


「俺もあの人は嫌いだけどねー」


 透き通った紫色の飴玉を口に含み、舌の上で転がす。


 文子はやたらと血筋に拘る人物で、直系でもなければ貴族外の人間を毛嫌いしている。その上、健は春野家の次期当主になることを決められているため、特に嫌悪しているようだ。

 良家から月の婚約者を決め、春野家を継がせることを強く望んでいる。


 故に、子供同士で決めた相手を婚約者にしようと思っている和幸の考えには否定的なのである。


 その上、貴族街出身でもない健が次期当主になることを強く拒んでおり、今日もそのことで春野家に訪れていたのである。

 理由は血が穢れているからといったところだろうか。


「俺からしてみればあの人の方が穢れた血だと思うんだけど」

「本人の前で言うなよ」

「言わないよ」


 口の中で広がる甘味にご満悦な健に疑うような視線を注ぐ。

 これ以上の面倒事は勘弁してほしい。そんな思いが伝わってくる。


「かわいそーな人だねー」


 どれだけ和幸に直談判しようと文子の望みが叶うことが絶対ない。


「春野家の跡継ぎを決めてるのは王様じゃないのに」

「それ以前の問題だ。月自身が望んでるならともかく」


 その言葉に入り混じった感情を読み取った健は飴を噛み砕き、表情を完全に消した。


「一応、気にはかけておきますよ」

 

○○○


 月がまだ十にもならない頃、両親は仕事のために海外へ行っており、子供達の世話は使用人が行っていた。


 春野家は必要なことは、時間が許す限り両親が教えるという貴族にしては珍しい教育方針を取っている。二人の不在の際、文子が月の教育をしていた。

 厳しくはあったが、この頃の月は文子のことが大好きだった。


「わたしもあそびたいなぁ」


 妹達が使用人とともに遊んでいる様を窓越しに見つめる。

 広い庭を無邪気に走り回る妹達はとても楽しそうで、自分も混ざりたいという感情が疼く。


 机の上に重なるのは参考書の数々。文子から出された宿題はまだ半分も終わっていない。

 毎日毎日勉強ばかりでつまらない生活。自由な妹達が心の底から羨ましい。


「勉強は進みましたか」


 月の言葉を咎めるように背後から声がかけられる。

 情が欠如した冷めきった声。


「おばあさま!」


 月の声には歓喜が込められている。

 幼い子供には文子が自分に向けている感情がどういうものか理解できないのだ。

 ただ一心に文子に気に入られたいという思いだけが存在している。今の月には文子が一番身近な人間なのだ。


「おばあさま、わたしもそとであそびたいの」


 文子の目が細められる。機嫌を損ねたときの仕草だ。


「貴方は春野家の長女なのですよ。遊んでいられる立場ではないのです。自覚を持ちなさい」


 春野家長女としての自覚。

 それがどんなものか、月には分からない。けれども、文子に嫌われるのはどうしても嫌だった。


「勉強に戻りなさい」

「……はい」


 嫌われたくないと思いながらも、外で遊びたいという気持ちが消え去ることはない。消えるどころか、次第に増幅していく。


 数日たったある日、月は文子の言いつけを破り外で遊んでいた。


「つぎはおねえさまがおにだよ」

「うん!」


 初めは少しだけのつもりだった。数分だけ遊んだらすぐに勉強に戻ろうと思っていた。

 しかし、あまりにも楽しすぎて時間を忘れてしまっていたのだ。


「何をやっているの!」


 聞いたこともないほどの大きな声に月は身体を震わせる。

 一緒に遊んでいた妹達の顔も怯えに包まれている。


「おばあさま、ごめ」


 頬に痛みが走り、月は最後まで言うことはかなわなかった。

 真っ赤に晴れ上がった頬に透明な滴が伝わっていく。止まることなく、頬に線を描いていく。


「ごめん、なさい」

「こちらに来なさい」


 まるで月の言葉が聞こえていないかのように文子は月の腕を掴み、半ば無理矢理に部屋まで連れていく。その間、月はずっと謝り続けていた。


 部屋の前で立ち止まった文子は月の方へ振り返る。いつもより冷え込んだ瞳。


「貴方は普通ではないのです」


 大きく見開かれた月の瞳に絶望の色が宿った。


「他の者とは違うのです。それを肝に銘じなさい。甘えは許されません」


 些細な出来事だった。しかし幼い月に恐怖を植え付けるには十分だったのだ。


 あの日以来、月は文子のことを恐ろしく感じるようになり、それは成長した今でも変わらない。


○○○


「着いたわよー、ってあらあら」


 座席に座ったまま後ろを向いた桐葉は嬉しそうに微笑んだ。

 後部座席で規則正しい寝息を立てている少女を愛おしそうに眺め、起こさないように車を降りて後部座席に回る。


「ふふ、寝顔も可愛い」 


 無防備に眠っている月の頭を優しい手つきで撫でる。

 金髪に近い琥珀色の髪は良質な錦糸のように柔らかく繊細な感触だ。


「あら?」


 強く握りしめられた拳を見つけ、起こさないように気を遣いながらその手を開いていく。

 掌に残された爪の跡が妙に痛々しく、桐葉はその手を包み込む。


 しばらくの間そうしていたのちに、「さて」と呟きながら月の身体を抱きかかえる。


「キスしないと起きないのかしらね、ふふふふふ」


 怪しい笑みを浮かべながら、桐葉は月を抱いたままの姿で岡山家のインターフォンを押す。

 インタフォーン越しの返事を聞いた桐葉の顔が僅かに不機嫌そうなものになる。


「お待たせし……げ」


 現れた人物は桐葉の顔を見るなりに苦い表情をする。

 寝癖だらけの髪に眠たげな半眼の瞳。気だるげな雰囲気を纏っている。


「人の顔を見るなり、その反応はなんなのかしらね」

「いやあ」


 寝癖だらけの頭を掻き、乾いた笑みを浮かべる星司に桐葉は眉を顰めつつ月を渡す。

 桐葉がそうしていたように星司は月をお姫様抱っこをし、起きる様子のが一切ない月の寝顔を眺める。


「手を出したら容赦しないわよ」

「出しませんよ」

「ま、そういうところだけは信用できるものね」


「光栄です」と苦笑いする星司。

 桐葉は敢えて何も言わず、「後は任せた」と言うように手をひらひらと振る。

 去っていく桐葉を見届けた星司は月を抱き直し、家の中に入っていった。

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