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1-2

 この辺りでは一際目立つ和風の屋敷の前で華蓮は立ち止まった。

 すでに星司達とは別れており、現在は一人だ。


 華蓮が立ち止まった屋敷の塀を挟んだ左側には藤咲堂(ふじさきどう)という名の小さな和菓子屋が鎮座している。


 和菓子屋を一瞥した華蓮は達筆な文字で「藤咲」と書かれた表札がかかった家へ入っていく。


「おかえりなさい」


 門の中へ入るとまず目に入る少し広めの庭から一人の少女が現れた。竹箒を持っているところを見ると庭の掃除をしていたのだろう。


 ツインテールにされた髪は月白色で、真紅に染まった瞳は怪しげな雰囲気を醸し出している。

 何気なく視線をあげると、ツインテールの結び目辺りから生えた二本の角が目に入る。笑った口元からは鋭い牙が四本覗いている。

 見た目からも分かる通り、少女は人間ではない。


 種族で言えば鬼であり、紅鬼衆(くれないのおにしゅう)と呼ばれる鬼神の眷属の一人である。名は百鬼(びゃっき)といい、風を操ることに長けている。


 鬼神とは遥か昔に存在していたという、出来損ないの神と呼ばれる者らしい。

 数百年以上前に起きた事件の影響で、紅鬼衆は鬼神ではなくある家系の人間を(あるじ)としている。その事件については、今は割愛させてもらう。

 ちなみに現在の主は春野家当主である春野和幸である。


 とはいえ華蓮は紅鬼衆がどういう存在なのかほとんど知らない状態である。華蓮自身もそのことを気にしていないので何の問題もないが。

 そもそも大抵のことは「和幸だから」という理由でどうにでもなるのである。


 紅鬼衆は常に主の許にいるわけではなく、呼ばれない限りは自由奔放に行動している。百鬼が藤咲家に入り浸っているのは華蓮と気が合うからという理由である。


「あら、庭の掃除してくれてたの?」

「ええ。(きく)に頼まれたのよ」


 主は和幸なのではないのかとツッコミたくなる発言である。

 華蓮の母である菊はことあるごとに、百鬼に手伝いを頼んでおり、今更な話ではある。


「そういえば、(さくら)が呼んでいたわ」

「お祖母様が?珍しいわね」


 正直、華蓮は祖母である桜に対して強い苦手意識がある。

 桜が常に纏っている静かでいて鋭く冷たい雰囲気にどうにもなじむことができないのだ。


 あの黒曜石のような瞳は心の奥底まで見透かされているような感覚に陥らせる。

 といっても桜のことが嫌いなわけではなく、尊敬している。苦手なだけなのだ。


「分かったわ」


 人との関わりを極力避け、離れの自室に引きこもっている桜に呼ばれるなんていつぶりだろうか。


 考えつつ、鞄を百鬼に預けた華蓮は桜を待たせないように早足で離れへ向かった。




 普段はほとんど近付くことのない離れの前に立った華蓮はゆっくりと深呼吸を繰り返す。緊張のせいで早鐘を打つ心臓を何とか落ち着けようと努める。


 何回目かの深呼吸ののち、控えめにノックをする。


「お祖母様、華蓮です」

「入りなさい」


 中から落ち着いた声が返ってくる。

 最高潮に達した緊張により震える指先で、引き戸をゆっくり滑らせる。


「失礼します」


 丁寧にお辞儀をし、中へと進む。

 部屋の中は数年前、華蓮が訪れたときと何ら変わりない。


 相変わらず、殺風景な空間だ。簡素な机や座布団があるくらいで、他は古めかしい本が積み重なっているだけだ。


 部屋の主である桜も数年前と一切変わりない。

 老いを知らない肌は瑞々しく、皺一つない。背中に流れる黒髪も相変わらず艶やかで、背筋はしゃんと真っ直ぐだ。


 実年齢を言われても信じられないほど若々しく、どこからどうみても二十代にしか見えない。しかし、この女性は紛れもなく華蓮の祖母なのだ。


「座りなさい」


 言われるがまま、桜の目の前に置かれていた座布団に鎮座する。


「あの、用事とは」


 華蓮の問いを聞き、閉じられていた瞳が開く。

 現れたのは華蓮が最も苦手とする黒曜石の瞳。思わず背筋が伸びる。


「貴方は妖についてどう思いますか」


 突然の問いかけ。


 意表を突かれた華蓮は目を白黒させながら、必死に頭を巡らせる。


「えと……悪いもの、でしょうか」


「何故」と短く問うてくる。


 沈黙。


 何を意図して聞いているのか、その無表情からは読み取ることはできない。


 言葉を詰まらせた華蓮は目を泳がし、真っ白になった頭の中で答えを探す。

 そんな華蓮を見かねたのか、桜は表情を変えないままゆっくりと口を開いた。


「華蓮、貴方に妖退治をお願いしたいのです」

「は?」


 完全に思考停止した華蓮は思わず口をあんぐり開ける。

 慌てて口元を押さえる華蓮を気に留めることもなく、桜は自身の話を続ける。


「最近、この町を騒がしている妖を退治してほしいのです」


(騒がしているってそんな話聞いたことないわよ。そもそも妖なんているの?)


「もちろん一人でというわけではありません。妖退治が完了するまでの間、私の式と貸します」


 戸惑いを隠せない華蓮を他所に、話はどんどん進んでいく。


 断ろうと口を開こうとした華蓮は部屋の異変に気付いた。先程までは気付かなかったが、部屋の温度が幾分か上がっているような気がする。


(ほむら)


 桜の言葉に呼応するように鈴の音が鳴り響いた。

 暖かい空気が華蓮の前で渦巻き、一人の女性が姿を現した。


 袖のない着物に身を包んでおり、細めの帯には鈴がぶら下がっている。燃え盛る猩々緋(しょうじょうひ)の髪は桜の髪飾りで一つに纏められている。

 委縮する華蓮に向けられていた深緋(こきひ)の瞳が不意に和らいだ。


「お前が桜の孫か」


 似ていないとでも言うように笑う焔の姿に華蓮は仄かに怒りを見せる。

 自分でも似ていないことは分かっているが、他人に言われる無性に腹が立つのだ。


「焔、しばらく華蓮を手伝ってやってください」

「了承した」


 短く返し、華蓮に手を差し出す。


「焔だ。よろしくな」

「待って。私まだ……」


 今度こそ断ろうと桜に目を向けた華蓮は、黒曜石の瞳と目が合い口を噤む。


「駄目ですか」


 ずるいと思った。その瞳で見据えられると断ることができなくなるではないか。

 桜自身は意識してのことではないだろうが、やはりずるいと強く思う。


「任せてください」


 こうして妖退治を引き受けることになった華蓮は自室に戻り、潔く親友である月を頼るために携帯に手を伸ばす。


『妖退治?』

「そう。すぐに終わらせる方法知らない?」


 怪訝そうな声を返す月。月に妖退治に関する知識がないのは百も承知の上だ。

 しかし、月の周りにはそういう方面に詳しそうな人物が多数存在する。


 例えば、月の父である和幸。貴族街を統べる者なだけあって妖などといった事柄には詳しいだろう。

 例えば、月の彼氏である星司。和幸のことを師匠と慕っている関係で、話を聞いている可能性は大いにある。

 星司の弟で、和幸と共にいることが多い健辺りも詳しいかもしれない。


 そのことを踏まえた結果、月に聞いたら何らかの手掛かりがあるのではないかと考えたのだ。知らなくても、和幸や星司達に繋いでもらえばいい。

 直接、彼らに聞けば早いのだが、そこは華蓮のプライドの問題である。あの三人に頭を下げてお願いをするなんていうことは絶対に御免だ。


『うーん、知らないなー。星司なら何か知ってるかも』


 予想通りの答えを聞き、思わず笑みがこぼれる。


「星司君に聞くのは癪だけど、月がそう言うなら仕方ないわね」


 飽くまで月が言うからと強調する華蓮。


『呼んでくるから待ってて』

「ええ」


 コトン、と月が携帯を置いたと思われる音が電話越しに聞こえる。わざわざ呼びに行かなくとも、携帯を星司の場所まで持っていけばいいような気がするが何も言わないでおこう。

 星司の部屋は月の部屋の隣なので、そこまで時間はかからないだろう。


 現在、月は岡山家で寝泊りをしている。

 春野家の屋敷から学校が遠いというのが最大の理由だ。

 送迎付きにすることも可能だが、それでは登下校で友人とふれあう機会がなくなってしまうという理由で和幸が却下したそうだ。


 貴族街に住む多くがしているように家庭教師を取らずに、貴族街外(そと)の学校へ通わせているのも似たような理由があるらしい。

 それだけならば妹達と同じように、史源町内にある別荘に住むという手もある。それなのに月が岡山家に滞在しているのは、和幸いわく花嫁修業らしいが本当のところは定かではない。


『お電話変わりましたー』


 しばらくして相変わらずの眠たげな声が電話越しに聞こえてきた。

 やる気の感じられない声に苛つきつつ、用件を伝える。もちろん月が言ったからと強調する。

 ふーん、とやはりやる気のない声が聞こえた後、沈黙が舞い降りる。

 何かを考えているのだろうか、と答えが返ってくるのを無言で待つ。


 そして数分後。


『知りませんね』


 あの沈黙は何だったのか。そう問いだたしたくなるほどはっきりとした口調。

 堪忍袋の緒が切れた華蓮は懇切丁寧に問いただしたりなどしない。


「いい加減にしなさいよ!! 星司君に聞こうと思った私が馬鹿だったわ!」


 近所迷惑など考えていない声量で怒鳴り、相手の返答を聞くより先に電話を切った。


●●●


「華蓮さんの短気っぷりはどうにかしてほしい」


 未だに頭の中で木霊する華蓮の怒鳴り声を聞きながら、星司は不満げな顔をする。

 あんな大声を電話越しに聞いて破れなかった自分の鼓膜を褒めてやりたい気分だ。


「それも華蓮のいい所だよー」


 のんびりとした彼女の声に苦笑しながら、薄い黄色を基調としたカバーがつけられたタッチパネル式の携帯を机の上に置いた。


「じゃ」

「うん」


 短い言葉を交わし、部屋を出る。欠伸を一つし、ひと眠りしようと自分の部屋に戻る。


 そこで部屋の異変に気付いた。

 寝癖だらけの人物のものとは思えないほど整った部屋には、先程までなかったものある。いや、いるというべきか。

 戸惑いを露わにする星司の視線はベッドの上に注がれている。


 そこにはハードカバーの分厚い本が積み重ねてあり、横にはベッドに寝そべる少年の姿が。

 他でもない星司の弟であるその少年は先程会った時とは違い、私服姿だ。

 安物のパーカーを、同じく安物を思われるTシャツの上に羽織っている。下はジーンズで、かなりラフな格好だ。パーカーのサイズは案の定、一回り以上大きい。


 闇色の無機質な瞳は一心に本へと向けられている。


「おかえり」


 本から視線をあげることなく、淡々とした口調で告げる。


「なんで俺の部屋にいるんだ?」

(ゆう)が俺の部屋にいるから」


 悠というのは健の双子の弟である。

 小学生のような見た目に反して大人っぽい健に対して、悠は年相応の見た目をしているが性格は無邪気な子供だ。

 身長差もあるので、双子というよりは兄弟といった感じだ。


「悠がいるくらい別にいいんじゃねぇの」


 実際、悠は健にべったりで二人は一緒にいることが多い。

 部屋にいることだって日常的にあるわけで、わざわざ星司の部屋に避難してくる必要は皆無といってもいい。


「そーいえば華蓮さんから電話ってなんだったの。デートのお誘い?」


 星司の言葉には答えず、話題を変える健。

 重要な質問というわけではなかったので、星司もさして気にしない。


「んなわけあるかよ。妖退治をすぐに終わらせる方法を教えろって言われただけだ」

「ふーん」

「知ってるか?」

「初心者がすぐに終わらせられるほど単純なものじゃないよ」


 読んでいた本を閉じた健は本の塔の上に重ね、新しい本を開く。


「にしても華蓮さんが妖退治か。面白いことになりそーだな」


 無表情だった顔に笑みを乗せた健は即座に起き上がり、自分の本を一つに纏める。

 きょとんとした顔で見つめる星司を他所に、立ち上がった健は本の塔を軽々と持ち上げる。


「ちょっと出かけてくる」


 器用に足で扉を開けた健は積み重なった本を持ったままの手で、器用にも星司に手を振る。


 健が去った方を呆然と見つめていた星司は「寝るか」と小さく呟き、先程まで占領されていたベッドに寝そべった。


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