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生徒玄関前で航平が何やら話し込んでいる。相手はサッカー部の部員のようだ。
気だるげな空気を纏った星司の姿にいち早く気付いた航平は「よっ」と片手を上げる。話していた相手と別れを告げ、口元をにやつかせながら星司の前に立つ。
「こんなとこでどうしたんだ」
「実は良い情報を手に入れてな」
余程良い情報だったのだろう。言動の端々から抑えきれなかった喜びが溢れ出している。
顔が広いせいか、航平は噂レベルの情報に精通している。
「ここだけの話、転校生が来るらしい」
雰囲気づくりのためか、声を潜めて言う航平に適当な相槌を返す。
興味がないわけではない。星司はこういった話題に関心が薄いのだ。
他の生徒から質問攻めにあっている転校生を遠巻きに見ているタイプの人間だ。孤立しているようだったら、話しかけようとは思うが。
「しかもだ。高等部に新任の先生も来るらしい。で、そのうちの一人は星司のクラスの副担になるとか」
星司のクラス――一年二年の副担任は結婚を機に退職しており、航平の言う新任の先生というのはその埋め合わせだと考えれば納得がいく。
ただ一つだけ気になることがある。
「そのうちの一人って他にも来るのか」
「ん?ああ、三人来るらしいぜ。転校生と合わせて四人、美人がいるか楽しみだなあ」
「美人がいたってお前とは縁ないだろ。つーか、デマじゃねぇの。不自然すぎだろ」
もう六月にもなろうという時期。転校生と新任教師が合わせて四人も来るという話は不自然以外の何物でもない。根拠もなしに信じるのは無理がある。
「確かな筋からの話なんだって」
「あー、はいはい」
華蓮の肩の上で二人の話を聞いていた流紀は僅かに眉を寄せる。
学園内に入ってから気になり始めた微かな妖気。航平の言うことが本当ならば四人のうち少なくとも一人は妖がいるということだ。
怪しんでくれと言わんばかりの不自然さを考えると、四人全員が妖でも不思議はない。
人型を取っており、ここまで妖気を抑制できる技術を持つ者が四人も来ている可能性を考えると状況はかなりまずい。
「華蓮、気を抜くなよ」
不自然さに気が付いていない様子の華蓮に警告の言葉をかける。
華蓮がこの様子ならば自分がよりいっそう気を引き締めねばならない。
微かな妖気だけを頼りに居所を探りながら流紀は小さく息を吐いた。
学園内はすでに転校生を新任の教師に関する話題で持ちきりだ。
不自然さを感じて嘘だと言っている者も少なくはないが、ほとんどの生徒達がこの噂に期待をしているようだ。
淡々とした日常の中に現れた小さな非日常。誰もが高揚感で胸を躍らせていた。
かくいう星司達も航平との長話のせいで、ホームルーム開始寸前に滑り込むように教室へ入った。
それぞれが自分の席に着いたところで、教室の扉が開かれる。入ってきたのは一年二組の担任である梅垣希代子教諭だ。
赤いフレームの眼鏡の奥にはクールな黒い瞳が輝いている。良く言えば冷静沈着、悪く言えば冷たい性格である。裏表のない性格のためか生徒から人気のある教師でもある。
感情をのせない黒目が教室を静かに見渡し、薄い唇が開かれる。
「楽しみにしてはるやろうから、さっそく転校生を紹介します」
京都弁訛りが混じった梅垣の言葉により、教室内はざわめきが溢れ出す。
「静かに」
決して大きくない声。威力は凄まじく、教室内は水を打ったように静まり返った。
微かな囁き声すら聞こえない、完全なる沈黙。
「そんなら入ってきてください」
緊張が高まる教室の中、静かに扉が開かれる。
現れたのは一人の少年。藍色の髪は腰の辺りまで伸ばされており、長い前髪の下には黒い眼帯が覗いている。
顔は中性的で、長い髪も相俟って少女のようにも見え性別不詳だ。
纏う雰囲気は謎めいたものだが、不思議と近寄りがたい印象は受けない。それに一役買っているのは中性的な顔に浮かべられた柔らかい笑顔だ。
「武藤海里です。よろしくお願いします」
落ち着いた声も中性的で、やはり性別不詳な少年だ。
男女関係なくテンションが上がっているのは性別不詳な部分が功を奏しているのだろう。本人にとって喜ばしいことなのかは少々疑問なところだが。
興奮に包まれる教室の中、華蓮と星司だけは驚いた顔で海里のことを凝視している。
いつものように華蓮の机の下で眠っていた銀猫はというと、不審そうな視線で海里を一瞥しただけだ。
「武藤さんは一番後ろの席に座ってください」
「はい」
指定された席は窓際の一番後ろ。華蓮の隣の席だ。
静かにその席に座った海里は「よろしく」と華蓮に友好的な微笑みを向ける。
「藤咲さん、いろいろと教えてあげてください」
「えっ、は、はい」
動揺を隠しきれない華蓮は急に話を振られて慌てながら頷き、海里に視線を向ける。
カイと名乗った少年のような何人も近づけない鋭い雰囲気は纏っていない。海里が纏っているそれは最初に会った藍髪の少年のそれだ。
困惑ばかりが先立ち、華蓮は頭を抱える。
一方、星司は海里の方を向くことはなく無表情で自身の机を見つめている。
自ら名乗ったのだから、彼は海里で合っているのだろう。星司の親友にしてライバルの。
再び会えたことに対する純粋な喜びを邪魔するのは、同じ容姿の少年から与えられた拒絶。
今にも溢れ出しそうな複雑な感情を抱えた星司は「海里」とほとんど口の中で呟いた。
「それと今日は急遽、着任式をすることになりました。ホームルーム後、廊下に並んでください」
航平の言っていたことはどれも本当のことのようだ。
目の前のことでいっぱいいっぱいになっている星司と華蓮を他所に、流紀は海里を一瞥し警戒心を強めた。
第二体育館に集められた高等部の生徒達は胸に沸き起こる高揚を隠しきれず、体育館内はいつもよりざわついている印象を受ける。
注意する教師陣もどことなく締まりのない表情で、やはり非日常に高揚していることを感じさせる。
そんな中、学園長である春野和道が登壇する。
名字から分かるように和道は和幸の兄であり、月の叔父にあたる人物だ。ちなみに学園長ながら剣道部の顧問を務めており、星司が師匠と崇めている人物でもある。
漆黒の髪は鮮やかで、白髪が混じっていることすらお洒落のように見えてしまう。皺が目立ち始めた顔は四十代後半とは思えない若々しさを保っている。
「長い話はなしにて早速、みなさんお待ちかねの新任教師の紹介をしたいと思います。では、登壇してください」
生徒の横に並んでいた三人の人物が静かにステージへ上がる。女性二人、男性一人だ。
一礼し、降壇していく和道を見届けた司会役の教師の言葉を受け、まずは男性が前に出た。
「みなさん、初めまして。私は夜刀神レオンと申します。担当は数学、空いていた一年二組の副担任もさせていただきます。分からない問題があれば誰でも気軽に声をかけてください。みなさんに分かりやすく教えられるよう、尽力いたしますのでよろしくお願いしします」
レオンと名乗った青年は何故かスーツの上に白衣を羽織っている。
爽やかな顔には人好きのする笑顔が張り付けられており、女子から黄色い歓声が上がる。
教師といえば三十代、四十代辺りがほとんどなので思わぬイケメンの登場にテンションは最高潮に上り詰める。
続いて挨拶をしたのはウェーブのかかった蜂蜜の髪をハーフアップで纏めた女性だ。
レオンよりも若いようで、女性というよりは少女といった方が近い印象を受ける。
生徒を見守るような藍白色の瞳に、見覚えのあるような気がした華蓮は僅かに顔を傾げた。
「初めまして、辻風レミと言います。担当教科は音楽です。主に一年生の授業を担当することになると思います。えと、みなさんと授業するのが今からとても楽しみです。まだ不慣れた部分もたくさんあるので、迷惑をかけてしまうかもしれまれんが、精一杯頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願いします」
今度は男子生徒が歓声を上げる盤だ。
清楚な見た目の通りの人物のようで、盛大な歓声を受けて恥ずかしそうに頬を染めた。
そして、最後の一人。
白衣を身に纏っており、その下は身体のラインがはっきりわかるような薄い生地のワンピースを着ている。大胆に開いた胸元からは豊かな胸が覗いている。
ポニーテルにされた山吹色の髪が艶めかしくうねっている。
「蜘手クリスです。気軽にクリス先生って呼んでねぇ。私は保健室にいることが多いからぁ、いつでも会いに来てねぇ。危なぁい遊びも教えてア・ゲ・ル」
人差し指を色っぽく肉厚な唇にあてて見せたクリスは「もちろん冗談よぉ」と妖艶に微笑むのだった。
後ろで見ていたレオンは貼り付けていた笑みを一瞬だけ消し去り、小さくため息を吐いた。
それぞれの個性が強く出た挨拶が終わり、三人は登壇し、教師陣の列に加わる。
「では着任式はこれで閉式となります」
司会の言葉によって閉式が告げられ、生徒達の感情が弛緩していく。興奮冷めやらぬ生徒の小さなざわめきを感じながら、教師がこれからの動きを説明している。
一人だけ別の動きを見せるものがいる。
レオンだ。最も注目を浴びている立場ながら、人々の目を掻い潜り和道の隣に立つ。
「学園長」
特にアクションは起こさず、和道はレオンの声に耳を傾ける。
「実は」
周囲に不審な感情を抱かせないことに細心の注意を払いながら、レオンは話を続ける。
穏やかな表情のまま頷いた和道は「その件は貴方に一任します」とレオンのみしか聞こえない声で呟いた。
「感謝します」
「いえ、もともと私には無関係なことですから。生徒達に危害が加わることがなければ構いませんよ」
逆に生徒達に危害が加わったときが容赦しないと暗に告げている穏やかな表情に空恐ろしいものを感じる。
和道の言葉を肝に銘じたレオンはそっと一年二組の生徒たちが並ぶ列に視線を向けた。